29.低脂質、レッドバイソンの回鍋肉②
まずはレッドバイソンを解体しなければ……と台に乗せて気が付いた。レッドバイソンの首をブッセカーターの牙が貫いていた跡がある。どうりで血塗れだったわけだ、ブッセカーターは血抜きを済ませてくれていたらしい。
「お前賢いな! 分かってやったのか?」
足下に座り込むブッセカーターを思わず見てしまったが、黙ってこちらを見上げてくるだけだ。どうでもいいから早く食わせろと言われている気がした。
「分かったって、すぐに解体するから。まずは皮を剥がなきゃいけないんだよ、腹側から縦に包丁を入れて、足も中心から切って……」
手を動かしながら、頭にはレッドバイソンを咥えて帰ってきたときのブッセカーターの姿が浮かぶ。いまは飼い猫サイズだが、化けたブッセカーターは獣の王のような貫禄だった。ライオンとネコが同じ種族だと一匹で体現していたと言っても過言ではないだろう。ライオンのようなネコ……。
悩みながら作業をしても手元が狂わないので、ひたすら名前を考えながらレッドバイソンを解体した。内臓を取り出した後、枝肉の汚れを洗い落としながら「ライオン……レオン……いやこれは安直……」とぼやく間、ブッセカーターはパタンパタンと尻尾で床を叩いていた。
「肩ロースを薄切りにして使うか。でもやっぱ普通の牛よりは脂肪が少ないなー……でもこっちはいい感じだな、明日の楽しみにとっておくとして……分かったって」
ぐいぐいと服の裾を噛まれ、慌てて使わない肉を包み、ブリザードホースの蹄と一緒に片付けた。
「今日は少し変わった味付けにしような。豆板醤と甜面醤を使うぞ」
厨房に戻るとブッセカーターもついてこようとしたが「厨房はだめだ」と言うと入ってこなかった。代わりに普段はアンネさんが座っているカウンター席に上って座りこむ。やはり賢い。
「本当は豚肉の塊を茹でるんだけどな、今回はお前がとってきてくれたレッドバイソンがあるから特別だぞ。キャベツ……はないけど、ロツリーフの余りでいいか」
ロツリーフを半分に切ってラバックスに入れると、ブッセカーターは不思議そうに首を傾げた。
「全部一緒に炒めようとすると火が通りすぎるヤツが出てくるからな。ロツリーフは葉がたくさん集まってて分厚いだろ、だからラバックスで焼いとくんだ」
ふーん、とでも思っているのだろうか。ブッセカーターはじっと俺の手元を見つめていた。
「で、これがお前がとってきたレッドバイソンの肩ロース。薄切りにして、くっつかないように並べて焼いて、ユリネギとオウチダケを刻んで入れて……」
ジュウウと肉が焼ける音がすると、ブッセカーターは尻尾を振り始める。肉とニンニクの焼ける匂いっていいよな。
では、ブッセカーターはこの匂いは好きだろうか。嫌いならブッセカーターのものには混ぜまいと、瓶を取り出す。
「この味、食えないならやめとくけど、どうだ?」
以前、味噌を発見したときに作った豆板醤と甜面醤だ。
潰れたスイートビーンとマーメイドの涙から味噌を手に入れた俺は、マーメイドの涙の万能さに気付いた。すなわち、グライスと組み合わせれば豆板醤を作ることができるし、小麦と組み合わせれば甜面醤を作ることができる。
と言ってしまえば一言で済むのだが、それはそれは面倒な作業だった。まず豆板醤のもとを作るには、グライスを蒸してマーメイドの涙をかけて混ぜ、保温して待って、塊になったグライスをほぐして、また保温して待って、別の箱に移してまた待って……と何度も世話を焼く必要があった。しかも高すぎず低すぎずの温度で、しかし人には暑い気温での保温が必要だったので、作業中は汗が滲んで大変だった。甜面醤のもと作りも同じく。
そうやって苦労して手に入れた調味料ふたつ、瓶を開けて遠くから様子を見させるが、ブッセカーターは首を傾げるだけだ。本物の猫なら嫌がりそうだが、どんなに見た目が猫でもコイツは化け猫なんだもんな。レッドバイソンの血抜きをしてくるくらいだし……。
「じゃ、混ぜちゃうぞ。貴重品だからな、無駄にさせないでくれよ」
炒めたレッドバイソンの薄切り肉、刻みユリネギ、オウチダケの炒めものに豆板醤と甜面醤を1:2の割合で混ぜる。旨味の詰まった唐辛子の香りが鼻孔をくすぐった。
「混ぜ終わったらロツリーフも入れて絡めるんだ。本当は醤油もほしいんだけど、まだ見つけてないからな。多分米と同じところで手に入るんだろうから、お前が背中に乗せてあちこち連れて行ってくれたらいいんだけどな。ほら」
ホーンラビットの角を最後に削って、回鍋肉の完成だ。
俺のぶんは米とおかずの形に盛って、ブッセカーターのぶんは丼にした。ブッセカーターは鼻を近づけて匂いをかいでいるが、嫌がる気配はないので唐辛子も大丈夫なのだろう。
「さて、いただきますか」
俺もカウンターに座り、ブッセカーターの隣で手を合わせた。
久しぶりの自家製豆板醤は、相変わらずうまい。唐辛子の旨味が凝縮された辛味が癖になるし、なによりほのかに甘いロツリーフとの相性が抜群で、グライスと交互に次々と口に運んでしまう。レッドバイソンの肉は見た目のとおり噛み応えがあって脂は少なく、野蛮な味を楽しみたいときには物足りないが、最近は手に入れたマヨネーズの味付けを乱発していたのでこれで充分だ。
ブッセカーターは、隣で相変わらずガツガツ回鍋肉丼を食っている。なんなら顔を上げもしないので気に入ったようだ。
「そっかそっか、うまいか。よかったな、ブッセ、カーター……」
長いし呼びにくいな……。回鍋肉を口に運びながら、解体中に考えていた名前をおそるおそる口にする。
「……気に入ったか、シンバ?」
ピンとその耳が動いた。しかし小さな顔は器に突っ込まれたままだ。
「お前、化けるとライオンみたいだもんな。いやライオンみたいだからレオンとかレオンハートとか色々考えてみたんだけど、ちょっと分かりやすすぎるかなあって……。シンバもライオンの意味だけど、ちょっとひねりがある……気がしないか? そうでもないかな?」
ブッセカーター、もといシンバは無視して回鍋肉を食い続けている。
「もともと暑くて森林も多いところの言葉だから、アルモ密林の近くに出てきたお前にぴったりだし。なにより短くて呼びやすくてよくないか? な、シンバ」
器から顔を上げたシンバは、ぺろりと口の周りを舐めると、ぴょんと俺の膝の上に載った。もっと寄越せという意味かとも思ったが、ぐいぐいと尻で俺を押してカウンターとの間を作らせ、そのままそこに丸くなる。
「……名前、気に入ったのか?」
シンバは返事をせず、代わりに大きく口を開けて欠伸をすると、そのまま目を閉じた。
6/28追記
当作品がアース・スター・ノベル奨励賞をいただきました。読んでくださっている方々のお陰です、ありがとうございます。
現在、私生活の多忙さと味覚障害(嗅覚障害)のため更新できない日々が続いておりますが、しばらくお待ちいただけますと嬉しいです。




