27.出汁も残さず、ハマークレイフィッシュの殻③
が、アンネさんが「それとは別に」と別の袋を取り出すと、ブッセカーターの顔が素早く上向いた。俺も磯のにおいにつられて袋を見に行くと、中には小エビと、小さく刻まれたイカが入っていた。
「おお……!」
「小さいから大して腹の足しにはならないかもしれないが」
「いや、これはリゾットに入れます! 早速炒めましょう!」
ハマークレイフィッシュの出汁だけだと少し味が心もとなかったのだ。リゾットの隣にもう一口鍋を用意すると、アンネさんは不思議そうな表情に変わった。ちなみに袋はブッセカーターに狙われたので、ひょいと高く持ち上げられている。
「ロック鳥のときは全部一緒に入れていたじゃないか。いまさら入れるのは遅すぎないか?」
「いえ、最初から一緒に入れると火が通り過ぎて硬くなっちゃうんですよ。だからグライスのリゾットと仕上がりを合わせるために別で炒めておいて、後から入れるんです」
「ふーん、そういうもんなのか。私は最初から全部入れるんだがな」
ああ、アンネさんはそうだろうな……。聞くだけでも、大鍋に全ての材料を一緒くたにして入れる豪快な煮込み料理の図が浮かんだ。
「しかし、リューの食事を食べているとちゃんと順番にもこだわったほうがいいのかもしれないと思うようになってきた」
「そのとおりですけど、アンネさんなら俺に一生食事を作らせればいいと思ってるんだと思いました」
というか、半分そういうつもりで店を与えたのだとばかり思っていた。
が、アンネさんは口を閉じた。違うのか?
「……あ、別にイヤだとか思ってませんよ?」
「……イヤじゃないのか?」
「はい。俺は作った飯をおいしく食べてもらえたらそれでいいですし、アンネさんとウルリケはおいしく食べてくれますし」
「ああ、そうか、うん、そうだな、ウルリケと一緒にな。おいしくいただくとも。あっコラ!」
小エビとイカの入っていた袋がブッセカーターにとられてしまい、アンネさんはそれを追いかけて行ってしまった。お魚はくわえていないしドラ猫でもないし裸足でもないが、懐かしいメロディが頭に浮かぶ図だった。
「もうリゾットもできるし、そろそろ合わせて入れるか。ウルリケが帰ってきたらホタテも焼きたいな……」
「ただいまー!」
なんてぼやいていたら、アンネさんの代わりにウルリケが帰ってきた。その手には、珍しく枝でも木の実でもなく瓶を持っていた。
「ごめんね、遅くなっちゃった」
「いや、ちょうどよかったよ。でもそれなんだ?」
フルーツを採りに行ってくるはずが、なぜそんな人工的なものを。
「森に行ったら意外と珍しい木の実がたくさんあって、収穫し過ぎちゃったから途中で交換してきたの。イエロービス、ちょっと暑いからおいしいかなって」
「ウルリケは仕事ができるなあ!」
そうきたか! ロブスター出汁の海鮮リゾットの後にレモンサイダー……合わないわけではないだろうし、何よりここらは少し暑いのでちょうどいい。
「お姉ちゃんは? まだ戻ってないの?」
「いや、ウルリケと入れ替わりでネコ――ブッセカーターを追いかけて行って」
俺が顔を向けた先から、アンネさんが袋を振り回しながら帰ってくる。ブッセカーターはその後ろから小走りでついてきていた。
「あ、本当だ! ブッセカーターだ、珍しー」
「まったく、袋が破れてしまった」
まだエビの匂いが残っているのか、アンネさんが放り投げた袋にブッセカーターが飛びつく。フンフンと匂いをかいだり舐めたりしているのを恨めし気に見ながら、しかしアンネさんは隣に座り込んでその背中を撫でている。
「どうしたのこの子、お姉ちゃんが拾ったの?」
「まさか。拾ったというのならリューじゃないか?」
「俺が? 違いますよ、飯の匂いにつられてやってきたんだと思います」
猫を拾うならよくあるが、化け猫を拾うなんて聞いたことがないし。でも飯は分けてやろう。
グライスは、ハマークレイフィッシュの出汁をしっかり吸い込み、色の薄いトマトリゾットのようなオレンジ色になっていた。シーフードと合わせていい仕上がりになったのを確認してから火を止め、中心にバターの塊を落として余熱で溶かす。本当はパルメザンチーズがあれば完璧だったのに……また獲りに来よう。
「お待たせしました、できましたよ」
リゾットを4つの器に分け始めると、アンネさんとウルリケ、そしてブッセカーターまでが期待に満ちた眼差しで器を見つめる。ブッセカーターも黒っぽい毛の色をしているし、まるで猫の三人姉妹だ。オスかもしれないが。
「ハマークレイフィッシュの出汁で作ったシーフードリゾットです」
「もう匂いがおいしそう!」
舌の根も乾かぬうちにウルリケが叫んだ。相変わらずよだれを垂らしそうな勢いだ。
「さっき食べたハマークレイフィッシュの味が匂いになったみたいだな……しかも今回は姿がなくなっているのがいい」
「だからあれは虫じゃありませんって」
でもそれじゃ見た目が気持ち悪いことの反論にはならないか、そうか。
「ほらブッセカーター、お前も食っていいぞ。猫舌っていうから熱いと食えないかな?」
小さな器に入れたリゾットを鼻の前に置いてやると、フンフンと匂いを確認している。ウルリケとアンネさんが早速「いただきまーす」と手を合わせた。
「む……むむ……! おいしい、けど、ハマークレイフィッシュの味だけじゃない……?」
「野菜を色々入れたのは見ていたが、さっきの海の幸の味か? 複雑だが……」
「こんなにおいしい味付きご飯、食べたことない……!」
ひとくちずつ丁寧にすくって口に運びながら、2人は珍しく同じような表情を浮かべた。ちなみに、その2人の足下で、ブッセカーターはガツガツとリゾットを食っている。
しかし、今回のリゾットは我ながらおいしい。ハマークレイフィッシュの出汁がしっかり下支えになっていて、根菜と他の海鮮が混ざって妙に情報量の多い味となっているのに、なぜかバラバラだとは感じない。アンネさんが言うように、複雑だがしっかりまとまった味のリゾットだ。グライスの茹で加減もちょうどよく、少し芯の残ったアルデンテになっている。
「この隣でホタテも焼きましょう。食えます?」
「リューガさんのご飯ならいくらでも!」
「それならよかった。魚介類は鮮度が露骨に味に出るからなあ」
立派なサイズのホタテ貝を手のひらにのせ、平面を上にして切れ味の悪い短剣を入れる。貝柱をぐちゃぐちゃに切ってしまわないように気を付けなければならないが、こういうときこそ『剣豪』のスキルの使いどころだ。身に余計な傷をつけないで済む、なんていいスキルだ!
開いたホタテの中身は、別に巨大な目がついているわけでも手が出ているわけでもない、俺のよく知っているホタテと同じだった。食べられないウロとエラだけ取り外し、ヒモ、エラ、生殖巣を取り出せば、大きな貝柱がとれた。まとめてバター焼きにすると、ブッセカーターが再びぐるぐると周囲をまわりはじめた。
「あー、この子、おいしそうって分かってるんだね」
「俺もおいしそうって思いながら焼いてるからな。いいよ、俺の貝柱を1個分けてやるよ」
「お前、モンスターにまで優しいのか? あんまり優しくすると食い物をくれると勘違いしてずっとついてくるかもしれないぞ」
「別に、俺は困ることないですし、コイツが飯に困らないならいいですよ。あ、でも化けるし……」
「あ! リューガさんのご飯!」
「え?」
悲鳴に振り向くと、化け猫姿を想像していた俺の後ろで、ブッセカーターが器に顔を突っ込んでリゾットを食っていた。
「俺のリゾット……!」
慌てて器を掴んだときにはもう遅い。空っぽの器を前に、ブッセカーターは満足そうにぺろりと舌で口の周りを舐めた。
「おいしかったのに……!」
「すまない、私はもう自分のものを食べてしまって……」
「……リューガさん、私の……少し残ってるから食べる……?」
「いや……それはウルリケが最後の一口まで食べて幸せになってくれ……」
一度あげたものを、しかも年下の子からとるなんて真似はしないが、それでもショックはショックだ。中身のない器を前に溜息を零してしまった。
「……まあ、そのくらいお前にとってもうまかったってことか」
ミッ、と短い返事が返ってきた。
「……それならいいか……」
「いいのか? お前は本当にお人好しだな」
「僕はまたここに来ればハマークレイフィッシュをとって食べれますけど、この子はそうじゃないですからね」
いいんだ、俺にはホタテのバター焼きがあるし……。ブッセカーターが器を舐めている横で、今度はとられないよう、慎重に皿に移した。巨大な貝柱はハマークレイフィッシュの身に負けず劣らずぷりっぷりで食べ応えがある。
「海を見ながら海鮮料理に舌鼓を打つ……いいですねえ……」
「ああ、こんなにおいしいものがあるとは思っていなかった。この辺りの食堂でも食べるのは干物ばかりだったからな」
「リューガさんと一緒に来たお陰だね」
「ミーッ!」
安寧を取り戻した食卓に抗議が舞い込む。ブッセカーターはなぜか俺の膝に前足をかけ、寄越せといわんばかりに唸っていた。
「……少しくらいならいいけど、なんで俺なんだ?」
「そりゃ、リューガなら言えばくれそうだからだろ」
そっとヒモを渡す俺を見て、アンネさんは半分呆れながら鼻で笑った。ウルリケも頷く。
「ブッセカーターは知能が高いからね。この人には甘えれば食べ物がもらえるんだって覚えるんだと思うよ。私はあげないもん」
「まあ、舐められているともいうがな」
「猫になめられるなんて、心外です」
しかし今日限りだからな、ホタテのバター焼きも人間がいないと食えないだろうからな、そんなに俺の作った飯がうまいなら好きに食べればいい。
――そんな寛大な気持ちで求められるがままに与えていたのだが。
エクスの麓に戻る道中、俺はつい、後ろを振り返ってしまった。
「……このブッセカーター、いつまでついてくるんでしょう」
「んー……」
じっと俺を見上げながら、トットットとひたすら後ろを歩いている。アンネさんが苦笑いする隣で、ウルリケは小首を傾げた。
「多分、リューガさんについていけばずっとご飯が食べられるんだって覚えちゃったんだねえ」
かくして、そのブッセカーターは、なんとエクスの麓までついてきて店に居座るようになったのであった。




