26.出汁も残さず、ハマークレイフィッシュの殻②
猫……。思わず見つめ合ってしまった。どこからどう見ても猫だ。口からはみ出るような牙もないし、爪が異常に鋭いわけでもない。モンスターには……見えない。
「確かに馬と鶏は同じだもんな……そうか、異世界にも猫はいたのか……」
でも猫を飼っているのは見かけないから、きっとペットとしては浸透してないんだな。この猫も、長い毛は伸び放題でくしゃくしゃだし、毛先に小さな葉っぱをつけているし、きっと野良猫なんだろう。
「魚介出汁の匂いがしたから来ちゃったかあ。ごめんな、もう全部食っちゃったんだけど」
なんて話しても言葉が通じるはずもなく、そのペルシャネコもどきはフンフンと鍋の近くで匂いをかぐ。猫が食えるようなものがあったかなあと荷物の中を探したが、せいぜい生グライスと、木の実が何種類かあるだけだ。
「クキの実は酸っぱいだろうし……ヒノキノコ? 猫ってキノコ食っていいんだっけ? でもおいしいとは思わないだろうし……あっ」
悩んでいるうちに、ペルシャネコもどきはトトトとどこかへ歩き始める。後ろから見ると、おもちゃのバットのような巨大な尻尾がついていた。
飯を期待していたのに、どうやら何もないらしいと分かったので立ち去ることにした、そんなところだろうか。もうしばらく後ならリゾットをあげられたんだけどな、見知らぬ猫とはいえ、悪いことしちゃったな。
そのペルシャネコもどきはエサを探しているのか、ところどころで立ち止まり、フンフンと道端の匂いをかいでいた。たまに視線を向けて様子を確認しつつグリーンハーブオイルでグライスを炒め始めたが、米の匂いには興味がないのか、特に振り向くことはしなかった。
が、たっぷり油を吸ったグライスにハマークレイフィッシュの出汁を注いだ瞬間、タタタタタッと音が聞こえた。絶対さっきの猫だ……と思いながら顔を向けると、案の定、鼻息荒くフンフンと言いながら戻ってきた。
「そんなに腹減ってるのか? 悪いけど、まだできないぞ」
なんて話してもやはり言葉が通じるはずもなく、ペルシャネコもどきはフンフン鼻を鳴らしながら鍋と俺の周りをぐるぐる回り始めた。バットみたいな尻尾もぶんぶん揺れている。そんなに待ち遠しいなら早くやりたいところだが、あいにくとグライス自体は炊き始めたばかりだ。
「アンネさんが戻ってきたら俺のぶんの魚は少し分けてやるからな。これはまだ……あと二十分か三十分くらいかな。ほら、いまはグライスが硬そうだろ?」
なんて話しても言葉が通じないのは分かっているのだが、ついつい話しかけてしまう。もちろん、ペルシャネコもどきは興味なさそうに鍋と俺の周りを歩き続けるだけだ。
「グライスが出汁を吸うごとにちょっとずつ継ぎ足すんだぞ。気になるのは分かるけどかき混ぜ過ぎたらベチャつくから、焦げ付かない程度にな」
猫がリゾットを作るわけでもないのに、俺は何をしているんだ……。ふと冷静になって馬鹿げていることに気がつき、こっそりアンネさん達が帰ってきていないか周囲を見回してしまった。大丈夫だった。
「本当はチーズがほしいんだけどなあ、って身を蒸すときにも思ったな。お前、野良なら旅でもしてないのか? チーズが手に入るところを教えてくれたらすぐに行くんだけどなあ」
ペルシャネコもどきが立ち止まる。まるで完成を楽しみにするように、お行儀よく座り込んでパタンパタンと尻尾で地面を叩く。状況は理解している……ということか?
「……実は喋れるのか? そうでなくとも異世界の猫は知能が高いとか……。……これはリゾット、ハマークレイフィッシュで出汁をとったリゾットだぞ。分かるか、ハマー、クレイ、フィッシュ」
「……なにをしてるんだ、リュー」
「うわっ!」
急に出てこないでくれ! ペルシャネコもどきから視線をはずすと、アンネさんが怪訝な顔でこちらを見ていた。そりゃそうだよな、猫に話しかけてたんだもんな!
「いやこれは、猫が喋れると思ったわけではなく……」
「ネコ? これはブッセカーターだろう」
ぶ……なんだって?
「ブッセカーターも知らないのか……。まあ私も見るのは二度目だが」
「なんなんですか、そのブッセカーターって」
「なにかと言われても……」
うーん、と悩みながらアンネさんはペルシャネコもどきの隣に屈み、その顔を眺める。
「とりあえず、人を食うモンスターではない。ただ、気ままだし、あんまり愛想のいい連中でもないな。近くによってくることはあるが、人懐こくはない」
猫じゃないか……。
「人語は喋らないが、そんじょそこらのモンスターよりよっぽど知能は高い。それに、この大きさはまだ子どもだろうが、それでも化けると4、5倍のサイズにはなるぞ」
「……化ける?」
「化ける。さっき人を食うモンスターではないと言ったが、人に襲われてもそのままやられるという意味ではない。害意を向ければ牙は向けるぞ」
またおそろしいものが現れた……。ただの猫みたいな顔をしてるが、化け猫じゃないか。
ただ、アンネさんは「茶と黒の間だな、可愛いじゃないか」と珍しく笑みを浮かべてその顎を撫でている。ペルシャネコもどき――いやブッセカーターは無表情だが、抵抗しないし怒るわけでもないし、まあ、おおむね猫なのだろう。
「帰り道にハナイチゴを見つけたんだ、食べるか? ……よしよし」
アンネさんの掌にのったハナイチゴもガツガツ食ってるし。しかし、アンネさんが猫好きだったとは意外だ。
「で、ウルリケはどうした」
「フルーツを取りに行くって言ってました。そんなに遠くには行かないとも言ってたんでいいかと思って」
「ああ、あの子はじっとできないからな。小さい頃からそうだ、いつもチョロチョロ動き回っている。それより、調達してきたぞ」
「ありがとうございます!」
アンネさんは背中に担いでいた荷物を広げた。それを見て、お、と思わず感嘆の声を漏らしてしまう。見事なホタテ貝が6つ転がっていた。
「大きいからおいしいと思ったんだが、その反応は正解だな」
そういうわけじゃないんだが、おいしいのは正解だ。ブッセカーターは貝には興味がないのか、それともハマークレイフィッシュの匂いが強すぎるのか、ホタテ貝はチラ見するだけだった。




