24.二度おいしい、ハマークレイフィッシュ②
ジルヴィアさんの白い手に捕まれ、黒いザリガニはもぞもぞとその尾を動かす。体に対して大きなハサミは海藻で縛られて動かないようだ。
「これね、ハマークレイフィッシュっていうのよ。甲羅が硬いから食べられないんだけど、リューガならきっとどうにかしてくれるんじゃないかと思って。どうかしら?」
確かにその名のとおり、見るからに力の強そうな、まるでハンマーのようなハサミだ。しかし海藻で適当に縛られただけで開かないということは、ハサミを開く力自体は弱いのだろう。ワニの顎を開く力が弱いのと同じだ。
しかし、ハマークレイフィッシュ……。ぼやぼやと記憶を探っていると、隣のアンネさんが後ずさりした。
「……それは……、それはなんだ。虫か?」
「あら、陸の剣士さんには馴染みがないかしら?」
「キャアッ!」
ジルヴィアさんがぽいとハマークレイフィッシュを放り投げ、アンネさんが悲鳴を上げながら俺の後ろに隠れ、ジルヴィアさんがキャハキャハと甲高い笑い声を上げた。二人の間にボテッと落ちたハマークレイフィッシュは、バシンバシンとまるで抗議でもするようにその太い尻尾で桟橋を叩いている。
二人のよく分からない争いに巻き込まれて可哀想に。拾ってあげると「リュー! お前そんな得体のしれないものを触るのか!」アンネさんがまた悲鳴を上げた。
「得体のしれないって。ほら、この甲羅を見てください。昨日食べたポタリークラブの仲間みたいなもんですよ」
「動きが気持ち悪いじゃないか!」
まあ……分からなくはない。このウヨウヨしたヒゲといい、不気味な黒い目といい、モゾモゾ動く足といい、苦手な人はいるだろう。かくいう俺も、オガクズでいっぱいの木箱を初めて渡されたとき、突っ込んだ菜箸でエビを探りあてた瞬間にバタッとナマモノが動くのを感じて「なんか跳ねた!?」とビビった。もちろん、その後はおいしくエビフライにしていただいたのだが。
「あらあら、剣士さんはリューガと趣味が合わないのねえ」
「リューも食べるとは言ってないじゃないか」
「いや食べますよ」
「お前は本当にゲテモノ好きだな!」
「いやいや、ゲテモノだなんて失礼な。これも高級品ですよ」
手の中にいるハマークレイフィッシュと熱い視線を交わしてしまう。俺にはお前の正体が分かったぞ。その薄黒い甲羅、ザリガニのような見た目、巨大なハサミ、なによりハマー――ハンマーという名前……お前はロブスターだな!
「お前、本当に一体どんな村から出てきたんだ? こんなものが高級品だなんて……」
「リューガってば、どんなに聞いても、故郷のことは教えてくれないんだものねえ……なんでも食べるからさぞかし貧しい村なんだろうと思ったら、そのわりに妙に手が込んでるし……」
不審げな目で見られても気にならなかった。まさか異世界でマーメイドにロブスターを捕獲してもらえる日がくるとは……!
「さっそく食いましょう。火を使うんですけど、ジルヴィアさん、どうします? さすがに桟橋で火を扱うのは怖いんで、海岸まで戻りたいんですが……」
「そうねえ、仕方ないからここで待たせてもらうわ。剣士さんが話し相手になってくれてもいいのよ」
「なんで私が。でも調理風景は見たくないからあっちでやってくれ」
ハマークレイフィッシュの軌跡を慎重によけながら、アンネさんは桟橋の上に立って待つ構えを見せた。グロさでいえばロック鳥の解体のほうがよっぽどだったと思うのだが、アンネさんの機微はよく分からない。
でもアンネさんが無理ならウルリケも無理なのかな……と心配しながらハマークレイフィッシュを持って戻ったが、ウルリケは「なにそれ? お魚の仲間?」と興味津々に覗き込んできた。
「魚……ってよりは昨日のポタリークラブの仲間だな」
「じゃあおいしいね!」
「うん、これも絶対おいしい。アンネさんは気持ち悪がってたけど、ウルリケは平気なのか?」
新しい鍋を準備しながら尋ねると「うん、虫が怖くて木の実の採集なんてできないしー」と意外と現実的な回答がきた。それは確かにそうかもしれない。二人の性格的には真逆に思えるんだけどな。
「てか虫じゃないって、これはザリガニ」
「海の虫?」
「違うよ……って言ってもなんて言えばいいんだろうな……ザリガニはザリガニなんだけど……」
でも、寿司屋で隣にいたおっさんが「シャコって何の仲間だろうなあってずっと考えてたんだけど、見た目こんなだし、強いし、正体は昆虫だな」って話してるの聞いたことあるし……甲殻類って分類がない世界だと虫なのかな……。いや、考えるのはやめよう。
「昨日、タルタルソースって作っただろ。あれに使ってたマヨネーズで別のソースを使って焼くとおいしいんだ」
「あれ! あれね、おいしかったね! もっとおいしいのができるのかな」
目を輝かせながら、ウルリケはハマークレイフィッシュの頭をつついた。ハマークレイフィッシュは尻尾をばたつかせてやはり抗議している。ごめんな、おいしくいただくからな。
「昨日のマヨネーズは……使い切りだな。ワイトクレイヴァンを入れて……チーズもほしかったんだけど、適当にクキの木の実でも入れとくか、コイツ入れれば大体おいしいし……」
チーズの産地を見つけるのが喫緊の課題だな。今まで通ったところでは見つけられなかったから、新しい場所を探す必要がある。それ自体はいいのだが、いかんせん徒歩移動は日数がかかって困る。移動手段もなにか考えなくては。
「これでソースはオッケー。ハマークレイフィッシュを……平気なら一緒に解体するか?」
「やるやる!」
ハマークレイフィッシュの頭と胴体を包丁で切った後、尻尾をウルリケに渡す。
「後で殻も使うから、中から身を取り出すようなイメージで。まあ適当でいいんだけど、指だけ入れて内側から殻を開く感じだな。怪我しないように気を付けて」
腹側から指を入れて身と殻を剥がすように取り出す。白いプルプルの身で、これを見るとエビの仲間だなと思う。なお、偉そうに指導した俺がちょっと殻を割ってしまって、ウルリケのほうが器用に殻を壊さず身を取り出した。
「取り出したらもう一回殻に載せて、鍋に入れてソースをかける」
薄黒い殻の器と白い身の上にマヨネーズベースのソースをたっぷりかけ、蓋をして蒸し焼きにする。ちなみに、ジルヴィアさんはご丁寧に4匹捕獲してくれた。
そうして蒸すこと十数分、鍋の蓋を開けると、豹変している彼らにウルリケが目を丸くした。
「え、すごい、色変わったね!」
薄黒かったハマークレイフィッシュの殻は、鮮やかな赤色に変わっていた。やっぱりお前はロブスターだな!
「それに、すっごいいい匂い……」
「うんうん。匂いだけで飯が食えるな……」
深く息を吸いながら、ちょっと失敗したことに気が付いた。パンがなかったのだ。鍋に残ったこのソースも余すことなくおいしくいただきたいというのに……やはり移動手段を確保して、店でハマークレイフィッシュを調理するしかない。
まあ、今はそんなことを言っても仕方がないので、ハマークレイフィッシュテールを載せた皿をウルリケと一緒に桟橋まで持っていく。アンネさんとジルヴィアさんはさっきと変わらない距離のまま「骨まで食えるのか」「まさか、喉に刺さって歌えなくなったら困っちゃうわ」とよく分からない話をしていた。
「お待たせしましたー、焼けましたよ」
「あら! おいしそうな匂いがするって思ってたのよねえ」
ジルヴィアさんの位置からは皿の上が見えないせいで、その体は海の中で背伸びをする。
「海にいると生魚と海藻くらいしか食べられないし、でもぜーんぜん気にしたことなかったんだけど、前にリューガが“ふらい”をくれたでしょ? あれ以来、なんだか飽き飽きするようになっちゃって」
「火が使えないと料理の幅が狭まりますからね。はいどうぞ、アンネさんも」
差し出しつつ、俺もワクワクしていた。なにせ匂いだけでこんなにおいしそうなのだ、食べたらどんなにおいしいか……!
「じゃ、さっそくいただくわ」
ジルヴィアさんは指先がソースで汚れるのも構わずに身をつまみ、ためらいなく口に運ぶ。
「ん! すごい、口に入れた瞬間にすっごい、濃厚な味ね!」
「……じゃあ私も」
アンネさんは「色が変わっている……」とぼやきながらおずおずと、ウルリケは目を輝かせながら、それぞれ串で身を口に運んだ。
「……おいしい」
「ぷりぷりで歯ごたえがあるー! お肉じゃないし、お魚とも昨日のポタリークラブとも違って……ていうか味濃い!」
俺も口に入れて――頬がだらしなく緩むのを感じた。うまい。ソースもうまくできたが、ハマークレイフィッシュの身の味がおそろしいほどに濃い! こんなに濃厚なエビは食べたことがない。なんなら濃厚すぎるので、間にパンでも食べて口をリセットしたい。
「これは……これはやっぱりパンが必要だった……!」
それに予想通り、皿に残ったソースも食い尽くしたい……! くっ……と悔しがる俺の隣で、ウルリケが一生懸命串でソースを掬っていた。しかし――曇り空なのは残念だが――エメラルドグリーンの海を眺めながら桟橋で蒸したてのロブスターを食う……なんて贅沢なんだ。
「もう……こんな味知っちゃったら、生魚ばっかり食べてられないのよねえ……」
「あっ涙!」
ジルヴィアさんが感涙している! ハマークレイフィッシュを堪能しすぎて忘れていた!! 慌てて瓶を差し出すと「ああそうね、私の涙目当てだったわね」ちゃんと溜めてくれたが、涙を流しながらそんなことを言われると悪いことをしたみたいなので勘弁していただきたかった。
ロブスター(英語)=オマールエビ(フランス語)で、オマール=ハンマー由来の名でした。そしてロブスターはエビでなくザリガニの仲間なんですよね。私は食べるまで知りませんでした。




