22.半自己完結、ホーンラビットのトマト煮込み
次の日の昼過ぎ、アルモ密林とその近くの集落を抜けてしばらく歩くと、真っ白い砂浜とエメラルドグリーンの海の前に出た。海岸線沿いにはほとんど建物がなく、人もあまり歩いていないのだが、理由はマーメイドの島を恐れているからだと聞いたことがあった。
そのマーメイドの島は、沖にぽっかりと浮かんでいて、島というよりはただの岩場だ。しかも岩は尖っているし、海流の関係でちょうど流れが激しいらしく岩肌に波が当たって砕ける音が断続的に聞こえるし、正直、鬼ヶ島だと言われても納得できる。アンネさんは警戒するように顔をしかめながら「今日は天気が悪いから余計に不気味に見えるな」と呟いた。空は雷でも鳴りそうな重たい雲に覆われている。
「しかし、さすがにマーメイド自体の姿は見えないな」
「マーメイドって夜行性なんでしょ? いまはお休み中なんじゃない?」
「夜行性というか、太陽が苦手なんですよね。だからいまはいてもいいはずなんですが……」
目を凝らすが、姿は見えない。マーメイドさんも昼時なんだろう。それか昼寝中だ。彼女達は意外とぐうたらなのだ。
「でもよかったあ、リューガさんがいるから大丈夫だとは思うけど、いきなり会ったら怖いだろうなって思ってたし……」
「マーメイド自体には会ったことあるんだっけ?」
「ないよう、会ったら生きてないよ」
「や、だからそんな危ない種族じゃないって……」
偏見なのか伝説なのか、この世界ではマーメイドといえば危険極まりない存在だと言われている。「この世のものとは思えぬ美声で歌い、人を惑わせ、海底に引きずり込む」と。そう聞いたときは俺だって怯えた、食いもしないのにそんなことをするなんてとんでもない愉快犯じゃないか。
「とりあえず、いま会えないなら仕方ありません、僕達も腹ごしらえをしましょう」
それはさておき、砂浜から少し離れ、地面が平らなところを選んで調理の準備をする。昼飯はアルモ密林で手に入れたホーンラビット、まるでユニコーンのように長く鋭い角の生えたウサギだ。色によって種類が全く違っていて、茶色の連中は角も短く大人しいのだが、白色の連中は角が長く、草食ではあるものの凶暴な性格で、人の肉を食いちぎるくらい顎の力も強い。
アンネさんがいまその手で角を掴んで持っているホーンラビットも、凶暴なほうの白色だ。なお、このホーンラビットは、今朝、アンネさんに襲いかかり(大剣で)ワンパンされるという不幸な最期を迎えたばかりだ。
ちなみに、二人とも食べたことがあるらしく、ウルリケは「ホーンラビットって蒸し焼きにするとおいしいよねえ」、アンネさんは「適当な野菜でも合うから便利なんだよな」とそれぞれ好きな味を想像しながらホーンラビットを眺めている。
「リューガさんはどうするの? どうやって食べるの? あ、水と火は任せてね!」
「それ本ッ当に助かるんだよ、ありがとな」
アンネさんがホーンラビットを捕獲した直後、血抜きを済ませたときに華麗に洗浄してもらえて感動した。特に、包丁を使ってすぐ洗えるのはありがたい。水量も水圧も自由自在にコントロールできるウルリケ様様、しっかり拝んだ。
「で、今回は煮込んで食べよう。アルモ密林で色々野菜も調達したし、曇ってるからそんなに暑くもないし」
これもウルリケのお陰なのだが、ウルリケは密林内で『採集』スキルを存分に発揮し、トマトとハーブが手に入っていた。汎用性が高いからと玉ねぎは持参しておいたし、これはもうトマト煮込みを作るしかない。
そしてホーンラビットの便利なところは、その角を削ると胡椒になることだ。胡椒とスパイスとチーズは料理するときに削れってばあちゃんが言ってた。
そんな角は、しかしさばくのに引っ掛かって邪魔なので最初に切っておく。次に足に切り込みをいれ、手で皮を剥ぐ。シュタールドラゴンの包丁を使って後足、前足をそれぞれ体から切り離し、肋骨を目安に胴体もふたつに分ける。
「相変わらず華麗な包丁さばきだな」
「リューガさんの手の動き見てると、もしかして私でも解体できちゃうのかも……とか思っちゃうよね。できないんだけど」
「体の構造さえ頭に入ってたら簡単だよ。デニスさんの包丁も使い勝手がいいし」
特に、ホーンラビットはその構造が見たままなので楽な部類だ。肉を細かく切り分けていると、ウルリケは「そうやって簡単に言われるから、それも簡単に思えちゃうんだよねえ」と眉を八の字にしながら杖を動かす。
「でも、体の構造なんて分からなくなーい?」
「一回やってみるといいんだよ。手の感覚でも覚えられるし」
「それが適切なアドバイスかどうかは別として、アンタはなにかを観察するのが上手いんだと思うよ。普通なら流すようなことを、リューは立ち止まって観察して考えて自分のものにしている。だから色々妙な食材の調達ができるのかもな」
そうだろうか? はて、それこそ考えたこともなかったので首を傾げてしまった。マーメイドさんに依頼する味噌といい、確かにいろいろとこの世界にはない調味料を発見してはいるが、それが俺の観察眼というか思考力というか、そういうもののお陰だと言われてもあまりピンとこなかった。
「どちらかというと、珍しいものをくれたり、教えてくれる人達のお陰のような気がしますけどね。マーメイドの涙もそうだし、ジャイアント・セファロータスの茎も……」
「あー、リューガさんは人たらしだよねー」
「そん……なことはない、そんなことはないはずだ」
マンジョッサバが自生していた村の長の顔が頭に浮かんだせいで、一瞬背筋が震えた。ヒント不充分とはいえ手配書も回ってるみたいだし、絶対捕まらないようにしなければ。
気を取り直して、ウルリケに火をつけてもらい、鍋の中でグリーンハーブのオイルを熱する。そこにユリネギを加えて炒めると、それだけで飯が食えそうないい匂いがし始める。そこにホーンラビットを入れて炒め、ほどよいタイミングで玉ねぎを半分投入する。玉ねぎが飴色になったら、残りの玉ねぎとハーブとトマト、そしてホワイトクレイヴァンを入れて、あとは煮ておくだけ。煮込み料理って本当に楽でいいな。外でなければ待っている間にもう二品くらい作れるのだが。
「あー、いい匂いがするう」
蓋の隙間から出てくる蒸気を吸い込もうとでもするように、ウルリケは鍋の前に屈んで頬杖をついた。
「お腹空いてきちゃう……まだできてないのに」
「リューの食事の欠点だな。作っているところからいると耐えがたい空腹に襲われる」
「素直に褒めてくださいよ」
ぼやく二人をあしらいながらしばらく煮込み、最後にホーンラビットの角を削って、塩で味を整えて、完成だ。
三人で鍋を囲みながら「いただきます」と手を合わせ、熱々のホーンラビットの肉を口に運ぶ。
ホーンラビットの味は淡泊で、鶏肉に似ている。なんならロック鳥が濃厚なぶん、この世界で一番鶏肉に近い味はホーンラビットかもしれない。それにたっぷりとニンニクとトマトの味がしみ込んでいて、上品なトマトシチューのような味がする。
「んー、トマト味でさっぱりしてるのに、ホーンラビットはちょっと甘い……おいしい……」
「暖炉の前で食べたいな。エクスの麓に戻ったらまた作ってくれ」
「もちろんです。でも今回はうまくできた気がしますね……というか、今回はトマトがおいしいです。ウルリケがいいトマトを見つけてくれたお陰ですね」
「出掛けるときはいつでも言ってね、一緒に行ってあげるからね!」
おいしいおいしい、そうやって食い続けていたときだった。アンネさんが素早く顔を上げると同時に、ザパァと水音が響く。
「……マーメイドのお出ましじゃないか?」
「え? ……あ、本当だ」
俺も視線をやると、ぷかりと海の中にグリーンの頭が浮かんでいた。マーメイドなのに海坊主みたいな登場をするな。




