21.持続可能食糧、ポタリークラブのハサミ④
ウルリケにポタリークラブの鍋を作ってもらっている間に、町の手前まで戻って卵をわけてもらった。戻ってくる頃には巨大な鍋(というか壺)ができあがっていて、なんともありがたいことに水まで注いでくれている。
「ありがとなウルリケ! でもそんなにガンガン魔法使って大丈夫なのか?」
地面から粘土を選びとって壺の形にして、しかもそれを高温で焼き続け、防御魔法をかけて水を注ぎ、これからさらにその水を沸騰させようとしている。考えるだけで目が回りそうだが、ウルリケはジトローネをかじりながら「大丈夫!」と親指を立てた。
「さっきも言ったけど、このくらい朝スコン前だもん。それにこう見えて私って魔力量すごく多いんだよ」
やっぱり有能メイジなんじゃないか! 本当に人は見かけによらないな。
「でも疲れるには変わりないだろ――って頼んでる俺がいうのもおかしい話だけど……」
「気にしないでいいよう。でもちゃんとおいしいポタリークラブにしてね!」
それはもちろん、ウルリケ神へのお供え物ですから。
「実際、なにも心配することはない。ウルリケは体力はないが魔力量はあるし、本当に疲れると座り込んで動かなくなる。それより、ポタリークラブと卵で何をするんだ? 焼くんじゃないんだろう?」
「もちろん。……あの、アンネさんって、その気になれば大剣をぶん回すことができるだけで力加減はできるんですよね?」
「私が卵を持つと不安か?」
「いえそういうわけでは。よろしければこれをあの鍋の中に入れてもらっていいですか? あ、お湯が跳ねないように気を付けて」
「……これは……全部塩か?」
ズシリと重たい袋を目の高さまで掲げ、アンネさんは訝しんだ。
「こんなに入れるのか?」
「塩分濃度はちょっと高いくらいがいいんです。塩を入れたらポタリークラブも入れてください。大きいんで気を付けてくださいね」
「私を誰だと思ってる、お安い御用だ」
ウルリケが沸騰させてくれた湯の中に、アンネさんが軽々とポタリークラブのハサミを入れる。ごぽごぽとまるで沈むようにハサミが見えなくなった。うーん、つくづく巨大な鍋だ。
「で、その間にソースを作ります。ウルリケ、悪いんだけど――」
「さっき話してた65度?」
「そう。正確には火力じゃなくて、この小さい鍋で湯の温度を60度くらいに保ってほしいんだけど、できるか?」
「もちろん。ヴルカニ・ツァオバー!」
小さい片手鍋の下でボンッと火がはじける。ウルリケは「お水の温度は分かるから、ちょっと待ってねー」と見守るように隣に屈みこむ。
「でも、なんで沸騰しちゃだめなの?」
「100度のお湯でゆでると卵は固まっちゃうけど、今回は生卵を使いたいんだよ。高温で殺菌しつつ、でも卵が固まらないのがその温度ってわけ」
「ふーん?」
「生卵を食べて当たったら運が悪いと言うが、それを回避するという話か?」
「あ、生卵そのまま食う人いるんですね!」
確かに当たる確率は高くないとはいうが、恐ろしい世界だな……。ぜひともみんなに低温殺菌という手法を知ってほしい。
「私達は食べないし、ここらでもそんな食事は出ないがな。南東にある村では食べると聞いたことがある」
「へえ……。まあ自分で食うぶんにはいいですけど、いやイヤですけど、人様に出すものですからね」
そうしてウルリケに湯の温度を保ってもらいながら茹でること5分ほど、低温殺菌の完了だ。固茹で卵を用意するためにその鍋は引き続き火力を上げて使い、俺はスープ用の皿で卵を割る。とろんとした透明な白身とぷるぷるの黄身……見ているとすき焼きを思い出した。豚汁以外離れて久しい日本食、いつか食いたい、すき焼きも。
「本当だ、湯の中に入っていたのに固まってないんだな」
「でしょう。今回用事があるのはこの黄身のほうです」
作り方はしごくシンプル、黄身の中に酢と塩を入れてよく掻き混ぜ、適宜油を追加してさらに混ぜること。俺がせっせと混ぜるのを隣で見ていたアンネさんは、再び「ほおー」と感心した声を出した。
「なんだかとろっとしてきたな」
「はい。マヨネーズの完成です!」
パパーン! 懐かしい黄色い液体に、俺の頭ではクラッカーがはじけた。これがあればまた食事の幅も広がる。特に、適当な名前のない飯を作るときの強い味方だ。いまはポタリークラブのソースを作るわけだが。
「これをポタリークラブにかけるのか?」
「そうといえばそうですし、そうでないといえばそうでないです。これに茹で卵と玉ねぎを混ぜます」
「リューガさん、ゆで卵できたけど、殻剥くなら私がやるよ?」
「ああ、やってくれると助かる」
ウルリケは茹でたての卵を魔法の杖で取り出し、これまた魔法で流水を出して冷やした。ここまで作業しているのに出し惜しみしないので、確かに魔力量には余裕があるのだろう。旅して初めて分かる、身近な人間のすごさ。そんなすごいウルリケ神は「これ、ぺりっと剥けるのきもちーんだよね」とにこにこしながら殻を剥いている。
「この隙に俺は玉ねぎのみじん切りを作ります」
「『剣豪』にとってはそれこそ朝飯前だろうな」
「みじん切りは慣れですよ、『剣豪』なんてなくても大丈夫です」
半分に切った玉ねぎにあらかじめ切り込みを入れてから縦に切るだけだ。サクリサクリ、トントントントン、軽快に包丁を動かしていると「おおー!」と二人が感動の声を上げてくれた。分かる、分かるぞ、俺も初めてはそうだった。“玉ねぎの構造上、理屈で考えればできるはずだな?”と頭でシミュレーションし、実行に移し、見事みじん切りができあがったあのとき、一人で感嘆の声を上げてしまったのだ。
「で、ウルリケが殻をむいてくれたゆで卵も同じようにみじん切りにして、さっき作ったマヨネーズと、酢と砂糖と塩と一緒に全部混ぜると……」
自家製タルタルソースの出来上がりだ。
「……また妙なものを作ったな」
「これだけ食べるものじゃないですけど、ポタリークラブが茹であがるまで少しありますし、味見してみます?」
タルタルソースをそのまま食うなんてデブの発想なのだが、不思議そうな二人はきっと食べたことがないのだろうから、ここではノーカンということにしよう。それぞれに一口ずつ差し出すと、今回は両方の顔が輝いた。
「あまい! お酢入れてるからすっぱいのかと思ったけど……ううん、お酢っぽい味もするけど、なんか……なんだろうこの味!」
「卵の甘みのせいか? これは……魚と一緒に食べてもおいしそうだな」
「アンネさん、分かってますね。白身魚のフライにはタルタルソース一択ですよ」
「リューガさん、このソースってソースだけもうちょっと食べてもいい?」
「いいけど、しょせんソースだからそればっか食べても飽きるぞ」
早くポタリークラブが茹で上がればいいんだが、なにせデカいからなあ。鍋に様子を見に行って、その経過を見守る。茹で始めてから一体何分経ったことやら、すっかり日は沈んでしまったし腹は減ったし、生でもなんでもいいから食いたいな……と思い始めた頃、殻の外側が鮮やかな朱色に変わった。
「ポタリークラブ、食えますよ。ウルリケ、これ出してもらって……」
この大きさの鍋じゃ引っ繰り返して水を捨てることもできない。そう振り返ると――……ウルリケはタルタルソースを食っていた。
「……待て待て、食い過ぎだろ! ほとんど残ってないじゃないか!」
「お、おいしかったから……」
「小学生みたいなことするな! いや、多少余ってるし、たまには素材の味を楽しむのも大事か……」
ポタリークラブが普通のカニの味とも限らないし。それに、ウルリケが魔法でポタリークラブを取り出すとき、その口の端にタルタルソースがついているのを見ると、まあウルリケが喜んで食ったならいいか……という気持ちにもなった。
「さて、この外殻をとって食うというわけだな」
巨大なハサミの前に仁王立ちしたアンネさんは、背の大剣に手をかけた。
「叩き壊すか? きれいに剥げば高く売れるんだが」
「あくまで目的は食べることなんで、殻があんまり細かく砕けないほうがいいですね。といっても、そんなにうまくはいかないですよね……」
いくら俺が『剣豪』って言っても、陶器を“斬る”ってのはなんかイメージが湧かないしな。悩んでいると、アンネさんがおもむろに屈みこんで素手でポタリークラブに触れ――パキッとその殻を取った。
「……え?」
この人……、剣でも斬れない硬さの外殻を、いくら茹でたからって、素手で剥ぐほど怪力なのか……? 困惑してたじろぐと、「いや待て、いまは大して力は入れていない、これは仕様だ」となにやら言い訳をされた。
「……でもパキンッて」
「本当に全く力は要らない。まるで載せられているだけのように――おっと」
言いながら、アンネさんはまたパキンッと外殻を割った。しかしやはり「簡単に剥げるんだ、やってみろ!」と熱弁するばかり。
「本当に、そんな簡単にとれますかねえ……」
疑う心9割、信じる心1割。アンネさんの隣にウルリケと一緒に並んで手をかけた――途端、パキンッと外殻が剥げ、この手の感触を疑った。
「え……え? すごい、本当に簡単に剥げる!」
「ほんとだ! ポタリークラブの殻ってあんなに硬いのに!」
それこそ、まるで卵の殻を剥ぐようにポロッと塊が簡単に取れるのだ。しかもなにがびっくりするって、剥いだ殻の厚さは優に5センチあり、まるで陶器の破片のようなのだ。その名のとおり、陶器に覆われたカニらしい。
そしてその陶器の殻の中身は、見慣れた真っ白い、しかし肉厚な身だ。ナイフで切り出すと、まるで棒つき肉のようなサイズになってしまう。
「……これ、食べられるんだよね?」
「もちろん、そのために茹でたんだからな」
「虫を食べるのは初めてだが……、リュー、アンタが勧めるものだからおいしいと信じているぞ」
「え、やめてくださいよ、ちょっとハードル上がってきたじゃないですか。というか、虫じゃありませんってば!」
これはカニ。いくら巨大で呻きながら水鉄砲とハサミで攻撃してくるといっても、カニはカニ。
「百聞は一見に如かず、いただきましょう!」
ガブリと、巨大なカニの身にかじりついた。
「……あまい……!」
カニなのに、肉厚、そしてジューシー! もちろん肉の味ではなくカニの味なのだが、口の中いっぱいに頬張った身から、他の食べ物にない独特の甘みが広がる。カニをこんな風にぜいたくに食っていいのか!
「んー、やわらかいし、噛めば噛むほど味が出る! おいしいねえ」
「これはさっきのタルタルソースにも合うな。甘みの種類は違うが、お互いに喧嘩しない。ポタリークラブの身にしっかり濃い味をつけてくれる」
残り少ないタルタルソースを大事そうにつけるアンネさんとは裏腹に、ウルリケはポタリークラブとタルタルソースを1:1の割合でつけて口に入れる。二人の好みが段々分かってきた。
「おいしいし、つか何よりいいのが、殻をむくのが面倒くさくないことですね!」
パキンパキンッと軽快に剥がれる殻は、楽ちんとおりこしてちょっと快感だ。なにせ、カニといえば食うとみな静かになるほど殻剥きが面倒くさい。まあポタリークラブも巨大な鍋でゆでるのが面倒くさいけどな。
「となると、ポタリークラブを食糧にするのはいいことづくめだな。外殻は簡単にきれいに剥がれるから売りやすいし、中身はおいしいし、なにより……」
ポタリークラブの身にかじりつきながら、アンネさんはしみじみと頷いた。
「連中のハサミは再生するから、一体目を付けておけば永遠に食べられる」
「……え? 再生するんですか?」
「うん、他の似たようなクラブは再生しないんだけど」
ウルリケは、なけなしのタルタルソースを一生懸命ポタリークラブの身ですくっている。
「ポタリークラブだけ、しかもそのハサミだけは斬っても再生するんだよ」
「マジか……」
今度からサステイナブル・クラブって呼ぼうかな、ポタリークラブ。
「でも今日はなんだかお得だったね。ポタリークラブとタルタルソース、二種類も新しいご飯食べさせてもらえるなんて!」
「ウルリケ、タルタルソースはソースだ。飯じゃない。あれは飯のように食うものじゃないんだ。よく覚えておけ」
だが、卵を低温殺菌できると分かったのは大変な収穫だ。エクスの麓に戻ったら、ウルリケには“おとおし”のノリでタルタルソースを出してやろう。
元ネタはストーンクラブです。獰猛そうな顔ですよね。




