19.持続可能食糧、ポタリークラブのハサミ②
そうしてアルモ密林に入った後、陽が暮れる前に野営の準備を始めることにした。予定よりもかなり進んでいるので、この調子なら食糧の心配もない。せっかく二人もついてきてくれたことだし、少し豪勢な夕食にしよう。
なににしようかな、と荷物の中身を吟味していたとき、ガサガサと背後で葉の揺れる音がした。適当に薪を拾ってきてほしいと頼んだのだが、もう帰ってきたのか。
「なんだ、二人とも早かっ――」
が、ズン、と地面に沈み込む足を見て固まった。
「……え?」
そこにいたのは巨大なカニだった。
林の中にいても目立ってしまうその巨体、ざっと3メートル。こちらに向いている腹は白っぽいが、少し見える甲羅は赤黒い。俺の体より太いハサミをカチカチと鳴らし、いかにも獰猛そうな顔でこちらを睨んでいる。
確かコイツの名前は……ポタリークラブだ。赤黒い甲羅とその巨大なハサミと、体に対して小さくギュッと潰したような浅黒い顔が特徴だ。マーメイドの島周辺の海域に棲息していて、動きは速くないが気性が荒い。食いもしないのに人を見るとそのハサミで容赦なく攻撃してくる……。
「うおっ!」
頭の中で情報を整理しているうちにズドンとハサミが降ってきた。油断しきっていたせいでゴロゴロッと転がり間抜けな避け方をしてしまった。しかも俺を仕留め損ねたせいでそのブサイクな顔が余計にブサイクになった。これは機嫌を損ねたに違いない。
「やばいな、あのハサミ……ハサミなのに斬られるより先に叩き潰されるぞ。アンネさんと同じじゃないか……」
しかし、まるで巨大な金づちを振り下ろされたかのような重たいハサミだ。俺の体より太いだけある。しかも地面が抉れて土煙まで上がるということは、その密度も相当なものに違いない。
ということは、身がギッシリ詰まっているに違いない。ぐう、と腹が鳴った。
「今日の晩飯が決まった!」
しかも、今の俺にはデニスのおっさんから買った剣がある! 追撃から逃げつつ、ホリゾンソードを掴んで向き直った。
ただ、ポタリークラブの脅威は、巨大なハサミと圧倒的な硬さを誇る外殻だ。まず間違いなく刃は通らないし、俺はアンネさんと違って外殻を叩き割れる力を持っているわけでもない。
どうしたもんかと思ってしまいそうになるが、ちょっと落ち着けば答えは簡単だ。どんなに硬い外殻に覆われているとしても、関節だけは無防備そのもの。鎧の弱点と同じだ。
「そこを斬れば、コイツを食える!」
林の中に逃げ込めば、ポタリークラブが小さな黒い目をこらして俺の姿を探す。問題は腕の関節の位置が高すぎて届かないことだな……と観察していると、怒り心頭のポタリークラブは、ハサミをこれでもかと前に突き出して草を掻き分けはじめた。なんて好都合なんだ。
こういうときは音で注意を逸らすのも定石だな。手近な石を拾って放り投げ、ポタリークラブの足に当てる。コオンッといい音が響き、ポタリークラブがまるでその足元を確認するかのように、間抜けに止まった。
その隙に、反対側から関節を斬りおとす。ビュッと風を切って一閃した刃は、まるでキュウリでも斬るように軽々と、ポタリークラブの左側のハサミを斬りおとした。さすがデニスさんが売ってくれた剣なだけある、斬る感触も斬った後の刃の様子も、いままでの鈍とは段違いだ。
ズドンッと巨大なハサミが地面に落ち、ポタリークラブは、ギギギギだかブブブブみたいな奇声を発しながら八本の足でガタガタと落ち着きなく足踏みし始めた。まるで掘削機械のような動きに巻き込まれないように距離を取り、右側のハサミも切り落とす。
「グギギギギ……」
ポタリークラブはさらなる呻き声を上げ、なんなら泡まで吹き始めた。もしかして……痛かったのかな。関節を斬られたんだからそりゃそうだよな。なんかごめんな……。
見上げながらそう反省していると、ポタリークラブは「グムムム」と呻りながら……、向きを変え、ズンズンズンズンと林の中に帰って行った。ハサミの落ちた、なんとも間抜けな姿でだ。
「そういえばポタリークラブって、ハサミを落とすと戦闘意欲を失うんだっけ? よかったけど、甲羅の中も食いたかったな……」
いやでも、この大きさだとハサミだけでも三人分には充分だ。贅沢は言うまい、ありがとう、ポタリークラブ。
去っていく側面を見送っていると「リュー、すごい音がしてたが、無事か?」「地響きもしてたよ?」と、反対側から二人が帰ってきた。ウルリケは薪を抱えているが、アンネさんは丸太を背負っているので、おそらくここで薪割りを始めるつもりなのだろう。
「あ、おかえりなさい。大丈夫です、晩飯が決まっただけです」
「なになに? あっ、ポタリークラブだ!」
薪をおろしながら、ウルリケが目を輝かせる。やっぱりポタリークラブはうまいのか。
「じゃあ今日の晩ご飯は豪華だね!」
「ああ、なにせ――」
「マーメイドの島とは反対側になっちゃうけど、町まですぐだし。カラを売っていい食材買っちゃお!」
……ん? なんだかいまミスコミュニケーションがあったぞ。ポタリークラブの殻を売る……。
「……売るのか?」
「知らないのか? ポタリークラブの外殻は硬くて丈夫で、しかも艶もあってきれいだから高く売れるんだ」
「いやそうじゃなくて、食わないのか?」
おそるおそる尋ねると、アンネさんとウルリケが「出たよ」みたいな顔になった。
「またリューガさん、そうやってグロテスクなもの食べて……」
「こんなモンスター、魚か虫かも分からないじゃないか。というか小さいクラブを見る限り虫だな」
「やめてくださいよ! カニはカニですよ、高級品です!」
でも言われてみれば、カニを最初に食おうとした人って勇気があるよな。一体何をどうしてコイツを食えると思ったんだろう。
さておき、ポタリークラブは俺も食ったことがない。どう見たって聞いたってカニなので茹でれば食えると思うのだが、こんな巨大なハサミを茹でられるような鍋がないのが問題だ。
内容に全く関係ないことなのですが
「ポタリークラブ」という字面がタイトルにあるのを見ると、なぜかト〇コを思い出さずにはいられません。しかし考えてみると、あれはある種の異世界×グルメなので、もしやこのジャンルの先駆はト〇コなのでしょうか。というのがここ数日くすぶっていてどうしても言いたかったことです。




