覚悟と寸前
左腕を潰されたバスティアン。
振り返って言う。
「お前さんにまだちょっとここは早ぇなぁ」
その視線の先にいたのは、バスティアンから見ればまだまだ子供。ハリエットである。
「左腕の使えない今なら、少しは自分に勝機があると思って出て来たんだろうが……甘ぇよ」
「勝機なんて……ほとんど無いのは分かっています。でもあなた達を自由にさせたら、大陸が混乱する事になります。私は大陸、そしてこの帝国を絶対に守ります」
「そんな事はシノブに任せりゃ良いんじゃねぇか?」
「何より、目の前に倒れた仲間がいるのに、それを無視する事なんてありえない」
ハリエットはチラッとヴォルフラムに視線を向けて構える。その指先から見えない糸が伸びているのだろう。
「面白ぇ。その覚悟が本物かどうか、付き合ってやる」
ハリエットは紙の束を取り出し、それを空中に放り投げる。一枚一枚には魔法陣が描かれていた。それはハリエットの動きに合わせて、意思を持つよう一斉にバスティアンへと向かう。糸で操っているのである。そしてこの特殊な糸は魔力を通す。つまりハリエットの任意のタイミングで魔法陣の魔法を発動させる事ができるのだ。
無数の紙が一斉に爆発。轟音。辺りが炎と煙に包まれる。
視界の端、バスティアンは炎と煙の向こう側にハリエットの姿を捉える。その場から素早く移動するハリエット。
『誘導か。乗ってやろうじゃねぇか』
バスティアンは笑った。
ハリエット自身は誘導を隠すつもりなど全く無い。
鬼はわざわざ自分達から出向いたのだ。この状況で追わないはずはない……そう考えていた。
狭い、入り組んだ路地を行く。そして進んだ先の行き止まりを背にしてハリエットは立つ。
「どうした? 追いかけっこは終わりかい?」
バスティアンは足を一歩前に進める。それは常人なら全く気付かない僅かな感覚。
「ん、何だ?」
足が糸を引っ掛ける。その瞬間……ドシュッ、ドシュッ、ドシュッ、ドシュッ……四方八方から撃ち出される氷の礫。それは石畳の地面にめり込み、建物の外装をも貫通する。
右腕一本で金棒を回転させ礫を弾き返すバスティアンだが、その金棒が別の糸へと引っ掛かる。今度は別方向から礫がバスティアンに向けて撃ち出された。
それを避けるように後方へと飛び退くのだが……
『こっちもかよ』
背中にも糸が触れる。全方向から絶え間なく撃ち込まれる氷の礫。そのうちのいくつかはバスティアンの体に突き刺さる。
狭い路地、そこは短時間で糸を張り巡らし、罠を仕掛けるには最適の場所だった。
「止まりなさい。動けば動く程に傷を負います。大人しく拘束されなさい」
そこでバスティアンは大きな溜息。そして呆れたように言う。
「付き合ってやったのに、この程度とはな」
「……」
「まぁ、分かってはいたんだ。街中で人のいる可能性、短時間での仕掛け、それを考えたら大掛かりな事なんてできねぇ。それでもと期待したんだがな……」
バスティアンが糸を無視してハリエットに近付く。
撃たれる氷の礫。バスティアンは致命傷だけを防ぎ、他を無視する。
ハリエットは後退るが、その背後は石壁。両側も建物の壁で逃げ場は無い。
「おいおい、自分の逃げ場くらい確保しとけよ」
バスティアンは苦笑いを浮かべて迫る。
「どうする? 降参するかぁ?」
ハリエット自身も分かっている。自分は罠を駆使しての遠距離攻撃型。糸を使って近接戦闘もできるが得意というわけではない。
だから対峙する敵は自分との距離を詰めようとするだろう。
攻撃魔法も使えるが近距離では有効に使えない……だが、防御魔法ならば?
ハリエットの詠唱、その体を赤く淡い光が包む。それは炎の防御に特化した魔法だった。そして服の下に隠された魔法陣。そこに繋がる糸へ魔力を流す。
その瞬間、ハリエットの服は燃え上がり、その体を中心に炎の渦が巻き起こる。
「お前さん!! この場所、最初からこれが狙いか!!?」
狭い路地、両側の建物、背後の壁、狭い空間だからこそ炎は広がらず火力が集中する。
「無傷であなたを倒せるとは思っていません!!」
「相打ち覚悟とはな!! だがそうはいかねぇぞ!!」
金棒を回転させ、炎を巻き取るように分散させる。ダメージもあまり受けていないように思えたが……
バスティアンは眩暈に膝をつく。
『な、こ、これは……』
狭い空間での炎の燃焼。
ハリエットの真の狙いは酸欠。自身の防御魔法は酸欠によるダメージを軽減させる効果もある。
このままならば、バスティアンを倒せるはずだった。
しかし……背後を塞ぐ壁。古く、脆くなっていたのかも知れない。
ガララララッと石が崩れる音。
「っ!!?」
ハリエットは背後を振り返る。激しく燃え上がる炎に石壁は崩れ落ちた。それは津波のようにハリエットを直撃する……寸前。
バスティアンは膝をついた状態から、金棒を投げ捨て、ハリエットへと飛び掛かる。そしてその体を守るように抱え込んだ。
二人は崩れた石壁に完全に埋まってしまうのだった。
★★★
フレアとキーズの戦いは完全に膠着状態。
お互いに決め手が無い。
「フレアさん、時間稼ぎだねぇ?」
その言葉にフレアはニコッと微笑んだ。
キーズの金棒の一撃。
それを受け止めたのは、飛び込んだホーリーだった。
その防御と同時にフレアはすでに攻撃態勢、防御動作を省いた攻撃はその分だけ手数が多くなる。拳が顔面、喉元、心臓部、腹部へと叩き込まれた。そして後ろ回し蹴り、踵が側頭部を蹴り抜く。
フレアの攻撃、ホーリーの防御、同時に繰り返される完璧な連携。微妙に当たり所をずらすキーズだが、それでも小さなダメージが積み重なる。
「全く面倒だよ!!」
その連携を崩そうとキーズは自らのダメージを無視して強引に攻め込む。
しかしフレアとホーリーは同時に防御態勢。こうなったら二人にダメージを与えるのは不可能に近い。
そんな攻防の中、キーズは待っていた。
ホーリーが防ぎ、フレアが攻撃の為に前へと飛び出す。二人が前後に重なる瞬間。
キーズは強引に金棒を下から振り上げた。力を込めた渾身の一撃。もちろんそんな大振りの攻撃は当たらない。
ブオンッという風を切る音。フレアは急停止してその攻撃を避けるのだったが……
その一撃にフレアのスカートが派手に捲り上がった。そして捲り上がったスカートは、一瞬だけ後方のホーリーの視界を遮る。
狙いはホーリー。キーズの突きが繰り出された。
「ホーリー!!」
フレアは叫ぶが、視界を遮られたホーリーの動きが一瞬だけ遅れる。
反射的に上半身を後ろへと反らすホーリー。その左肩をキーズの金棒が打ち抜いた。
ドンッ、という打撃音。鎖骨、肩の関節は砕かれ、肉をゴッソリと削ぎ落とされる。ホーリーはその場に崩れ落ちた。
防御を無視したフレアの特攻。
キーズは金棒を振り下ろす。
『冷静さを失っちゃ駄目だよ。これで俺の勝ちだ』
勝利を確信するキーズ……しかしフレアとホーリー、二人の覚悟を見誤っていた。
キーズの金棒がフレアの頭を叩き潰す寸前、その金棒は盾のように展開された防御魔法に止められた。
『だ、誰が!! ホーリーさん!!?』
左腕から滴り落ちる大量の血液にホーリーの顔は蒼白。本来なら気絶する程の激痛の中、それでも歯を食い縛り防御魔法を展開していたのだ。
予想外の展開にキーズの気が一瞬だけ逸れる。
そしてそんなホーリーを信じたフレア。
フレアの右拳が、キーズの顎の先端を右から左へと打ち抜く。さらに踏み込み、今度は肘打ちが左から右へと打ち抜いた。
左右に揺れるキーズの頭部。結果、脳震盪。
糸が切れた人形のようにキーズは崩れ落ちた。
フレアとホーリー、二人の勝ちである。
★★★
崩れた石壁、その瓦礫の中から起き上がったのは……
「命を賭けるには若すぎんだろうが」
呆れたように言うバスティアン、そしてその腕の中には気を失ったハリエット。
「……だが強くなるぜ。お前さんは」
バスティアンは小さく笑う。
「……それにしても……このまんまにはできねぇなぁ」
ハリエットは服が燃え尽き、全裸なのであった。




