最初の試練と直後の出来事
再び流浪の旅。
新たに加わったハリエットに最初の試練が訪れる。
「あ、あのですね、シノブ」
「ん、どうしたの?」
「その……」
「もしかしてトイレ?」
「そうです……」
俺は周囲を見回す。
人や馬車で踏み均された道。片側は平原だが、片側は木々の茂る森。おっ、良かったじゃん、隠れる所があって。
「じゃあ、向こうでしちゃおうか。私が一緒に行ったげるから」
「えっ?」
「ちなみにどっち? おしっこ?」
「えっ? えっ?」
ハリエットはヴォルフラムとベルベッティアにも視線を向ける。
「旅の基本。外だと隠れてそのままする」
「そうだね、それと一人だと危険だから、誰かが必ず付き添うようにしているよ」
「えっ、ええっっっ!!?」
森の中に入って、木の陰に隠れるハリエット。
「あの……シノブ、本当にここでするのですか?」
「そりゃもちろん。町中と違って整備されている所なんて無いし」
「そうですか……」
衣服がズレる音がする。
「お兄様も外でするのですか?」
「するよ。私が付き添う事もあるし」
「シノブが!!? お兄様のお小水を!!? そんな趣味が!!?」
「趣味じゃないんだが」
「もしかして聖水……どっちがどちらに対しての聖水なのでしょうか……」
「おおっ、意外と馬鹿だね、この子。早くしろ」
「でも……その……外だと思うと少し緊張してしまって……」
「はいはい」
「……」
「……」
「……している時の音とか聞こえてしまうと思うのですが、耳を塞いでもらえますか?」
「駄目でしょ。警戒の為に一緒にいるんだから。耳を塞いでどうすんのさ」
「そ、そうですね……」
音が聞こえてくる。
相当に我慢してたようだな。まぁ、皇女だしな。野ションなんて初めてだろうし、なかなか言い出せないか。
「ああっ、シ、シノブ!! その、お小水がそちらの方に……」
「……本当に我慢してたんだね……」
俺の足元の方にまで……
「ううっ……申し訳ありません……」
「大量だ」
「言わないでください!! 恥ずかしい……」
やがて全部を出し終わって……俺は胸に抱いていたコノハナサクヤヒメをハリエットの方に行かせる。
「ほら、終わったらヒメで綺麗にしちゃいなよ」
「……はい、ありがとうございます」
「うちはヒメがいてありがたいよ。普通なら水を使ってなんて綺麗にできないんだから。ちなみに大きい方の場合は穴を掘って埋めるからね」
「わ、分かりました」
★★★
その直後の出来事。
子供のような歳若い女性が二人、子犬が一匹、猫一匹。
これだけのメンバーで旅をするのだ。その様子を見て、邪な事を考える不埒者もいるだろう。
「戻って来ている。こちらの様子を窺っているぞ」
ヴォルフラムは言う。
「私達が目的でしょうか?」
ハリエットの言葉に俺は頷く。
「だろうね。全くこの世は幼女趣味が多過ぎる。まぁ、私のこの容姿なら当然だがな!!」
「自分で言うのですね」
「いや、ハリエットも可愛いよ」
「と、当然です。お兄様に釣り合うよう努力もしていますから」
ほんの少し前、すれ違った一台の馬車。それを護衛するように傭兵の男が数人。その視線に俺も気付いていた。そして俺達を見て笑みを浮かべたのだ。
「でもさ、怪しいと思わない? 子供だけで旅なんて普通はしないでしょ。私が逆の立場だったら怪しさ爆発だし近付かないよ。まぁ、家出とか旅の途中ではぐれたなんて可能性はあるけどさ」
「どうする? ヴォルちゃんの足で一気に逃げる?」
ベルベッティアはそう言うが……
「ここは私に任せてもらえませんか?」
ハリエットだ。
「ハリエットが相手するって事?」
「はい。逃げるのも簡単だと思いますが、彼等を放置しては他の誰かが犠牲になるかも知れません。だから少し反省をしていただきます。それに皆さんに私の力をお教えする良い機会だと思うので」
★★★
どんどんと近付いて来る気配。
俺達は森の中に駆け込んだ。
「ではここからは私が」
「気を付けて」
「何かあったら俺達がすぐ助けに入る」
「ハリエットちゃん、あんまり無理はしないでね」
「はい」
ハリエットは笑みを浮かべるのであった。
元の姿に戻るヴォルフラム。俺とベルベッティアはその背中に乗り、少し離れてハリエットの様子を見守る。
まぁ、屋敷での事を考えれば罠を駆使するんだろうけど。後方支援寄りって言ってたし。
草木の影、木々の根元、ハリエットが何かを設置している。罠と言っても屋敷の時のように鈍器を設置しているようには見えない……っていうか、紙?
さらに糸を周囲に張り巡らせていく。糸と紙らしきものを繋げているようだけど……
「ヴォル、ハリエットが貼ってる紙みたいの何だか見える?」
「見える。魔法陣みたいだぞ」
魔法陣?
魔法を使うのに魔導書を使うのではなく、至る所に設置した紙を見ながら発動させるとか?
……糸……糸……
……えっ、ちょ、ちょっとまさか……そういう事? 嘘? マジで?
その時、俺の頭の中に一つの可能性が思い浮かんだ。
やがてハリエットの前に傭兵の男が現れる。数は四人。
「よぉ、お嬢ちゃん。こんな所にいたんだな」
「私達を探していたのですか?」
「ああ、そうなんだ。実はこの付近で野盗が出るって話があってな。さっきすれ違った時に危ないと思ったんだよ。子供の家出にしては危ないだろう?」
「子供の家出ですか……」
「違うのか? 大人の姿は見えなかったようだが」
「ご心配ありがとうございます。でも私達は大丈夫ですので」
「大丈夫、って……殺される事だってあるんだぞ。それに一緒にいた子はどうした? 一緒に家まで送ってやるから連れて来な」
「いえ、お気遣い無く。あなた方はそのまま旅を続けてください」
そこで別の男が一歩前に進み出る。そして他の傭兵仲間を振り返った。
「おい、保護者がいないのは分かってんだ。もういいだろ、やっちまおうぜ」
「そうだな、面倒臭ぇよ。なぁ、お前、結果は同じなんだが、そこまでの過程が違うんだよ。黙って俺達の言う事を聞くか、痛い目に遭わされて俺達の言う事を聞くか、どっちが良い?」
また別の男が言う。
「私達をどうするつもりなのでしょう?」
「お前ぐらいの歳なら、もう想像はできるだろ?」
そう言って傭兵達は笑うのだった。
「あなた達のような方がいるから安全に旅ができないのでしょうね」
ハリエットは小さく呟いて手を前に出した。そして指先で何かを弾く。
風を切る轟音に草木が激しく揺れる。
そして質量を持つような打撃音。
傭兵の一人が弾き飛ばされた。見えない衝撃波が叩き飛ばしたのだ。
「ま、魔法!!?」
「もう一人の奴か!!?」
「くそっ、向こうにいるぞ!!」
傭兵二人が衝撃波の放たれた方向へと駆け出して行く。
残った一人がハリエットを睨み付け目を剥く。
「お前、黙って俺達の言う事を聞けば良かったと後悔させてやるからな。お前達みたいな若い女は奴隷として良い値段で売れるんだ。もう二度と家に帰れると思うなよ」
「人身売買……した事があるのですか?」
「何度かな」
直後である。
また衝撃音。
響き聞こえる悲鳴。
目の前の傭兵の顔付きが怒りでさらに変わる。その変化を平然と受け止めるハリエット。
「だったら許すわけにはいきませんね。来なさい。相手をしてあげます」
「何様だ、てめぇ!!」
傭兵は長剣を鞘から抜きながらハリエットに突進するのだが……
「っ!!?」
その突進が一瞬だけ止まる。その一瞬でハリエットは傭兵の懐へと潜り込んでいた。そして次の瞬間に傭兵は動きを封じられ、その場に引っくり返される。
「なっ、こ、これは、てめぇこの野郎、何をしやがった!!? くそっ、何だ、この糸、動きが、くそっ!! ふざけんな!!」
糸だ。
罠で使っている透明な糸が巻き付き、傭兵の体を拘束していた。
実に、簡単に終わってしまう。だからこそハリエットの圧倒的な強さが際立つ。
「皆さん。もう良いですよ」
「ちょっとハリエット、マジ強いじゃん。ハッキリ言って速過ぎてよく分かんなかったんだけど、ヴォルは見えてた?」
「ハリエットの目の前に糸が蜘蛛の巣みたいに張ってあった。それに引っ掛かったように見えたぞ」
「さすがヴォルさんですね。人間より格段に目が良いです」
「おいっ!! この糸を解け!! 殺すぞ!!」
「『殺すぞ』って、この場合、殺されるのは自分でしょ」
俺は傭兵を見下ろす。
「お、お前に人が殺せるのか?」
「ヴォル」
大口を開けるヴォルフラム。巨大で鋭い牙がギラリと光る。
「うおっ、わ、悪かった、殺さないでくれ!!」
いや、殺さないけどさ。
★★★
その後の話。
傭兵が護衛していた馬車。持ち主の商人がそういう幼女趣味をお持ちらしく、傭兵達をけしかけたそうだ。コイツももちろん糸でグルグル巻きさ。ついでに護身用として持っている魔法封じの縄でもグルグル巻きさ。
そして拘束したまま近くの町まで連行してやる。そこにも帝国兵はいるので、後はそこで処理してくれるだろ。ハリエットの話だと帝国でも人身売買は重罪なので、有罪ならそれ相応の刑が科されるらしい。
「では改めて。私の武器はこれです」
そう言ってハリエットは巻かれた糸と、小さく畳まれた数枚の紙を取り出した。畳まれた紙を開くとそこに書かれていたのは魔法陣。やっぱりこれは……
「設置型魔法陣の罠だよね?」
「そうです」
竜の罠と同じ、条件によって発動するタイプの魔法陣じゃねぇか。一番多いタイプは魔法陣に魔力を持つ者が触れると発動するタイプ。全ての動物は大なり小なり魔力を持っているからだ。
「その糸……魔力を通すんでしょ。それと魔法陣の罠を繋げる」
「さすがシノブです……説明しなくても分かっているなんて」
従来の設置型の罠は、正確な魔法陣を刻む為に場所を選ぶ必要があった。例えば木や岩や壁に刻む、放置しても魔法陣が崩れないようにだ。
こうして紙に書いて設置しても良いが、室内ならともかく、自然の中では罠として目立ち過ぎる。
そこでハリエットは考えたのだろう。魔法陣に接触しなくても罠が発動する方法を。魔力を通す糸を使う事により、糸に引っ掛かれば、その先に繋がる魔法陣が発動するという仕組みだ。
傭兵の一人目を倒した時、ハリエットは指先で糸を弾いて罠を発動させた。つまり糸を使う事により、待ち一辺倒だった罠を、自らの意思で発動させる攻撃的な罠へと変化させたのだ。
「凄い……発想が凄い……やり方によっては糸に一つでも引っ掛かれば複数の罠を一気に発動させる事も可能じゃん……ちょっとハリエット、マジ? 自分でそのやり方を考えたの? ちょっと凄くない?」
「部屋にあったランタンが発想の原点になりました。魔力を通して明かりが付くのなら、糸などにも魔力を伝わせる事ができるのではないかと」
そこでハリエットは魔力を通す糸を完成させたのだそうだ。帝国の開発力も侮り難し。
「ごめん、甘く見てたわ。しかも糸を普通に使って戦ったり拘束したりできるんでしょ? 一緒に旅ができて嬉しいよ」
「ありがとうございます」
そう言ってハリエットは笑うのだった。




