竜の花嫁と迷いの森
肩の下まで伸びた髪。
鏡の前でサラサラとした白い髪を手に取る。その艶やかさはまるで絹の糸。
右側と左側に三つ編みを作る。作った三つ編みを更に後ろで捻りながら一つに纏める。そして纏めた髪を逆さにピンで留めて、うなじが見えるようにする。
女の首筋とかうなじってなんかエロいな。そして俺、相変わらず可愛いな。
必要最低限の物を詰め込んだバッグを背負う。と、言っても荷物のほとんどはヴォルフラムが持ってくれるんですけどね。
夜明け前、みんなに気付かれる前に出発するぜ!!
「じゃあ、お父さん、お母さん、行ってくるね」
「ああ、道中にはくれぐれも気を付けるんだぞ」
「ヴォル、シノブをお願いね」
「もちろん。任せろ」
「お土産期待しててね!!」
そうしていざ流浪の旅に出発だぜ!!
★★★
人のいない、薄暗い町の中を歩く。
「背中に乗らなくて良いのか?」
「遠くに行くだけならアバンセや天空の城を使えば良いんだし。今回は基本的に自分の足で歩くよ」
今回の旅は目的も何も無い、急ぐ必要も無い。自分の足で大陸を回ろうぜ。
そして町を出る直前だった。
「ちょっとシノブちゃん酷いよ!! ベルちゃんはシノブちゃんが見たいんだよ? 置いてかないで」
ベルベッティアだった。
確かに、初めて会った時にそう言っていたな。
「みんなには言ってない?」
「もちろんだよ。言ったら全員が一緒に来ちゃうから。今回はなるべく人が少ない方が良いんだよね?」
「分かってるじゃん、ベルちゃん。一緒に行く?」
「にゃんにゃん」
そうしてベルベッティアを加えて再び歩き出すのだった。
★★★
整備された街道を歩く。
足元は整備されているが周りに建造物は全く見えない。緑の小高い丘が遠くに見え、街道は草原の先へとずっと延びていた。
旅人や行商の馬車とたまにすれ違う。
「一応アバンセには話したけどさ、本当に大変だったよー。エルフの町に怒鳴り込む勢いだったんだから」
町を出る前にアバンセには話をしといた。そしたらメッチャ怒っていたぜ。もうエルフの町を滅ぼすのかと思った。止めるの大変だったぞ。
「あはっ、さすが『竜の花嫁』だよね」
ベルベッティアは笑う。
「『竜の花嫁』? 何それ?」
「あれ、自分の事なのに知らなかった?」
「私の事?」
「そうだよ。もうシノブちゃんがアバンセちゃんとパルちゃんの二人に求婚されているのは有名な話だしね。そこで『竜の花嫁』なんて言う人もいるんだよ」
マジか……『竜の花嫁』……救国の小女神に次いで、また二つ名を得てしまったか……
二又に分かれる街道。
一つは整備された綺麗な街道。
もう一つは荒れて整備が放棄された街道、こちらは旧道になる。
俺は荒れた街道、旧道の方に進む。
ヴォルフラムは足を止めた。
「待て、シノブ。向かうのは帝国じゃないのか?」
「そうだよ、帝国の方が知らない場所が多いし」
「だったら道はこっちだぞ」
と、ヴォルフラムは言うが……
「『迷いの森』?」
「うん」
ベルベッティアの言葉に頷く。
この街道は王国と帝国を繋いでいる。旧道も帝国に繋がっており、距離的にはこちらの方が遥かに近く、時間的にも早い。
なのに旧道を誰も使わないのは、この旧道の先に『迷いの森』があるからだ。
「迷いの森は抜けられたり、抜けられなかったりする」
「ヴォルも知ってたんだ?」
「もちろん」
そう、迷いの森は近道であるが、すんなり抜けられたり、迷って抜けられなかったりする。そして迷ってしまう事の方が大半なのだ。
「もしさ、この森が安全に抜けられるならさ、我が商会にもきっと役に立つと思うんだよ!!」
うちのお店の商品は帝国にも卸している。やっぱりこの街道を使うのだが、もし旧道が使えるなら効率が上がる。ぜひ通りたい。
元々は使われていた旧道。迷いの森となった理由がきっとあるはず。それが分かれば……
「危険じゃないか?」
「大丈夫。幽霊は出るみたいだけど、具体的な被害は無いみたいだから」
「幽霊……」
「ヴォルちゃん怖いの? でも幽霊の正体は分からないけど、逃げ切る事は簡単みたいだよ」
「まぁ、そんなわけでいざって時はヴォルよろしく」
「はいはい」
そんなわけで俺達は迷いの森に向かうのである。
★★★
目の前に広がる森林。旧道は森の中へと続いている。
「見た目は普通の森と変わらないように見えるけど……どう、ヴォル?」
「異常、普通じゃない。シノブに分かりやすく説明するなら、森全体が鉛の霧に飲み込まれている感じ」
「どうする? 引き返す?」
ベルベッティアの言葉に首を横に振る。
「行ったるわい」
人が入らない鬱蒼とした森。
この中を一人で歩くのは昼間でもちょっと怖いが、今はヴォルフラムもベルベッティアもいるしな。ただの森、あんまり危険も無いように見えるけど。
しかしヴォルフラム。目と鼻で絶えず周囲に気を配り、その足が遅くなる。これだけの警戒をしているのだ、俺もただの森と思って安心するわけにはいかんな。
そうして森の中を進んで行くと……
「シノブ。スライムがいる」
「スライム!!? スライムってあのスライム!!?」
「あのスライム」
「うおぉぉぉぉっ」
テンションが上がる!!
「随分と大袈裟」
「だってベルちゃん、スライムだよ!!」
スライム……それは小説の中でも、漫画の中でも、ゲームの中でも、基本的には最下層の弱い魔物とされる。しかしその存在は竜と並ぶ、ファンタジーの象徴。
スライム見ずして冒険は始まんねぇんだよ!!
……って感じなのだが……実はこの世界では希少種なのである。俺も実物を見た事は無く、文献の中でしか知らない存在。まぁ、最弱である事は一緒なんだけどね。
そしてその存在がとうとう俺の目の前に!!
「どこ、どこなの、ヴォル?」
「静かに。この道の先。そこを曲がった辺りに気配とにおいが」
「ちょっと見てくる!!」
そうして俺はヴォルフラムが言う旧道の先、カーブの先を隠れつつ静かに覗き込んだ。
ふおぉぉぉぉっ、あれがスライム!!
大きさはサッカーボール程度だろうか。薄い緑をした水飴のような丸いスライムがそこにいた。しかも群れてやがる。
スライムには目も口も何も無い、しかし微妙に色が違っていたりする。青く見える個体もあれば、赤み掛かって見える個体もある。しかしそのどれもが半透明。
本物やぁ……心の中で呟く。
スライム……その生態は希少種である事も相まって、ほとんど解明されていない。感情も意思も持たない本能だけの生物と言う学者もいれば、ある程度の知識を持ち集団として行動する生物と言う学者もいる。
食性は肉も草も食べ、果ては石まで食うと言われる。しかしそこにも体色と同じように個体差が存在するらしく、やっぱりよく分からないのだ。
分かっている事は、その半液体状の体内に硬い核を持つ事。その核が砕けない限り、スライムが死ぬ事は無い。
ちなみに核は決まった場所に存在しない。そして体と同色なので、いくらスライムの体が半透明でも、核を外から判別する事は不可能。そこでスライム退治は全身を一気に押し潰したり、焼き尽くしたりが基本となる。
そして見た目は綺麗なスライム達が遊んでいる……ように見える。
サッカー、いや、ピンボールみたいだな。
その丸い体を弾ませ、無色透明な一匹のスライムを弾き飛ばしている。弾かれた真水のようなスライムは、また別のスライムに弾き飛ばされる。
「何だ、あれ?」
「さぁ……分からないよ」
ヴォルフラムもベルベッティアも一緒にスライム達を覗き込む。
「遊んでるのかな?」
無色透明スライムは地面の上を転がる。そして今度は茂みの中へと移動しようとするのだが……その進行方向を別のスライムが塞ぐ。そしてまた体当たりされ、無色透明スライムは弾き飛ばれるのだった。
その光景はまるで……
「ねぇ……あれってさ……あの透明の奴、イジメられてんじゃない?」
「イジメって……スライム同士の中で……そんな事があるのかな……」
「でもさ、そう見えない? ヴォルだってそう思わない?」
「ある程度に知能のある魔物なら、弱い個体を苛める事はある。でもスライムは分からない」
「そっか……」
まぁ、俺もスライムじゃないからな。生態なんか分からんし。
……とりあえず。
「悪い子は居ねぇがー!!」
俺は短剣片手にスライム達の前に飛び出した。
文献によるとスライムは臆病で、他の生物を見ると途端に逃げ出すとの事。まぁ、イジメられてるかどうかは分からんけど、あの透明の奴はこの場から移動したいらしいからな。
何より、この先を進まなくちゃならんので邪魔。
スライムは蜘蛛の子を散らすようにその場から……あれ?
逃げるどころか、スライムは俺に向かって体当たりするため飛び跳ねた。
「シノブちゃん!!」
ベルベッティアは跳躍し、空中でスライムを蹴り返す。
そしてヴォルフラムは俺の前に素早く立ち、牙を剥いて唸り声を上げる。それと同時にスライムは一斉に茂みの中へと逃げていくのだった。
「ちょっとシノブちゃん。どうして勝手に飛び出しちゃうの? 危ないでしょ?」
「ご、ごめん。でもほらスライムって弱いからすぐ逃げ出すって……」
確か文献にはそう書かれていた。
「相手が自分より強いなら逃げ出す」
「ちょっとヴォル、私ってスライム以下なの!!?」
驚愕!!
スライム以下の人間!!?
「数の問題もあるけど、シノブは自分達よりも弱い……スライムがそう判断したのは確か」
「そ、そんな……ん?」
その時に一匹だけ逃げなかったスライムに気付く。
それはあの無色透明、真水のようなスライム。
「まさか死んでる……わけじゃないよな、スライムだし」
そのスライムに近付く。僅かに動いて、その場から離れようとしていた。死んではいないが、ダメージとか受けているんだろうか……
……
…………
………………
俺はバッグの中から小瓶を取り出す。これは市販されている回復薬。体力、そしてちょっとの怪我を治す程度の液体だ。
……効くのかね?
小瓶を空けて、スライムの目の前に転がす。まぁ、どっちが前で後ろかは分からないんだけどね。
「じゃあ、行こうか」
そうして俺達はまた旧道を歩き出すのだった。




