陽子のはなし
1.陽子の場合
陽子は朝食を摂ることにした。
いつまでも暖かい毛布の中に居ると罪悪感を味わう羽目になるからだ。陽子は自分が潔癖と言ってもいい程、根が真面目である事実に毎朝、心底落胆する。それは地面にでんと、大挙して居座る、大きな大根のように立派だ。それらを根こそぎ引っこ抜いてやりたい衝動に駆られる時が無いわけではない。しかし今朝も陽の光はてらてらとあって、それがベランダを真っ直ぐに突き抜けて、色白の痩けた陽子の顔を覆うから、ささやかな懺悔をせざるを得ない。
陽子はしなやかな身体を伸び縮みさせる。即ち毛布と共にベッドの上で、うんと背伸びをし、全身に血を神経を感覚を巡らせる。かと思えば運命共同体(陽子はそれ程に毛布をこよなく愛している。なんて事の無い、ただ真っ白の、ダブルサイズのそれだ)と化している毛布を蹴り飛ばし、抱き竦め、そのまま床にへたり込む。実はこの時だけ、猫背になる自分の身体を許している。真面目な陽子は姿勢が良いからで、しかしグレたり不良になったり、はたまた不貞行為を働きたいと願ってもいるのだ。
「不貞行為」そう呟くと、不貞行為とは具体的に何を指すのか、忽ち真剣に考える。陽子はとうの昔に終わったはずの、でもまた始めてしまうであろう既婚者の彼との情愛だの、母へ反抗して言い放ったあの時の、つまらない言葉に未だ囚われている自分だの、でも傷付けてしまった事が全てだという結論しか出せないでいる幼いままの自分だの、を逡巡させる。
陽子は毛布を抱き抱え、素早く洗濯機へ押し込む。大判であっても厚みはそれ程無く、だからやはりなんて事の無い毛布を今日もまた念入りに洗う。最後に洗ったのはおとといで、深夜から清々しく、朝日が昇るとやはり晴天だった。何故毎晩眠れないのか、陽子にも分からない。ただずっと、ベランダから動けずに座り込んでいた深夜の自分を、陽子は今日も慎重に取り扱う。
洗濯機のモーターが音を立て始めた事を確認してから歯を磨く。真面目な陽子は自分にいくつかのルーティンを課している。例えば歯ブラシを咥えてから窓を開ける事であったり、ポストに突っ込まれたチラシを分別する事であったり、それらが須くゴミ箱に放り込まれる運命にあったとしても、配達員の方を思えば、申し訳程度に目を通すべきであると信じている事であったり、ピカピカに磨かれたシンクを今一度確認する意味を込めて撫でる事であったりする。
けたたましい、陽子には到底出せそうに無い立派な足音と、ビニール袋の暴れる音と、あとはよく分からない、カチャカチャとか、シャカシャカとか、そういった摩訶不思議な音が玄関戸より外側から聞こえ始める。陽子がドアを開けるのとインターフォンが鳴るのとがほとんど同時に起きると、諦めと嬉しさ、悲しみと勇気が湧き上がる。
「サンドイッチ食べる?」
えりちゃん、陽子は依理をそう呼んでいる。眼前に突き出されたビニール袋には本当にサンドイッチが入れられており、半ば強制的に朝食を共にする事になると分かった時、陽子はひどく安堵した。ようやく時計の針が動きはじめたような、ルーティンを課している自分を放ったらかしに出来るような、そんな些細なものだけれど。
陽子は頭の中にあった、正しく冷蔵庫に保管してあるハムや卵やレタスを廃棄して、サンドイッチに執着する事を選択した。
「私さぁ、リリーって呼ばせてたの。あっちに行ってた時。」
また同じ話を繰り返す依理を愛おしく、目を細めるのが精一杯のもてなしであった。勿論、既に薬缶へ水を注ぎ、火にかけるところではあった。陽子は抜かりないのだ。恐らく依理は口を付けないであろう(ビニール袋の中にはサンドイッチの他に様々なものがあった。ペットボトル入りのミルクティーと、愛飲している煙草と、割り箸と、唐揚げまで!)ハーブティをこしらえる為の、いくつかの手順に対する、抜かりなさ。陽子は手を伸ばし、薬缶の直ぐ傍に灰皿を素早く、しかしコトリと備え付ける。依理はキッチンの、ピカピカに磨かれたタイルにもたれ掛かり、しかし小躍りしながら煙草を咥え(もたれ掛かりながら小躍りする芸当は、陽子には一生出来ない事のひとつかもしれないと毎回思う)、何度目かのライターの火花を散らして、ようやく火を着けた。
2.依理の場合
「えりちゃん、わたしね、寝ていたのよ。でもね、また眠れなかったの。孝広さんはそんな日本語は分からないって、そう言って、とても怒ってたわ。悲しんでいたのよきっと、何か辛いことがあったのかもしれないわ。かわいそうに。」
陽子は孝広という既婚者と「お付き合い」していたらしく、でもそれは「健全」で「正しい交際」なのだと言う。依理にとっては陽子の幸せが世界の大半を占めてしまう(いつからそうなってしまったのだろう、と依理は考える。いつから?私の世界はいつからこうなってしまったのだろう、この朗らかな楽園に?)のだから、陽子が例えば何らかの犯罪に手を染めたとしても、笑って許すに決まっている、今となってはそう信じて疑わない。
買ってきたサンドイッチを振り回すと陽子は必ず依理をとても丁寧に咎める。サンドイッチしか食べないのは陽子の方なのに。それで代わりに言ってみるのだ。
「陽子はサンドイッチしか食べないのにね」
不眠症だとか、不倫だとか、そんな陽子の細々した陽子たる所以の事情は置き去りにして。
「ねぇまた洗ってんの?」
とも。
依理には、陽子が現在、孝広という男と一体どういう関係にあるか、まるで見当もつかない。それでも「小休止」した陽子の選択をただ尊重したいと依理は申し出た。依理にとっては少々歳上の、しかし如何足掻いても大人になれないままであろう陽子の選択を人生を薬缶に添えられる指先を、ただ尊重し、慈しみ、心から尊敬する他無い。
「ハーブティ、淹れるんだけれど。」
陽子はそれだけ言い終えて、一人分の「カップアンドソーサー」というやつをいそいそと準備し始める。冷め始めた唐揚げをわざわざ慎重に皿へ移し替えるのも、ミルクティーを温めるかどうかをこっそり尋ねてくるのも、そして仮に冷たいままでも、あるいは陽子が丁度良い塩梅で温めても必ず「えりちゃんのマグカップ」に注ぎ入れる(それはカップの下の皿が喧しいからやめてくれと頼んだ事があるからで、陽子は考えに考えた末、ある日マグカップをひとつ買ってきていた。上等なのよ、お店の方がね、上等だったもの。とも言っていた)のも、今や陽子の仕事だ。
「わたしね、抜かりないのよ。」
抜群のタイミングで陽子は誇らしく、得意げにぽつりと言うのだ。まるでとっておきの押し花を密かに自慢する少女のように、滑らかなまん丸の石ころを披露する少年のように。
依理も誇らしく思い、けれども同時に居ても立っても居られない感覚に陥る。だから肺に煙を入れ込み、身体の隅々まで不健康にさせる為だけの単純作業に集中する。この微笑みはそもそもの話、ハナっから、誰のものでもなかったのだから。
3.孝広の場合
手元の資料は全て英文で、おまけに随分小さい。誰かが注釈なのか、無駄な親切心なのか、走り書きもあるがやはり小さい気がする。目頭を揉み、もう一度読み返す。手首は夜の10時を少し過ぎたと言い、無骨な手の甲には僅かに乾燥と、加齢に伴うシミが浮き出ているように見える。
「赤西さん、きっと老眼ですよ」
果たして直属の部下だったかまでは把握していないが、いつだったかその女が、素っ頓狂な声でそう言った。聞き流すべきか、少し乗っかって話すべきか、判断に迷いながら
「オフコース」
とだけ伝えた。老眼かどうかを判断するのは医者の仕事だ。俺はあの女が何を言いたかったのかがまるで理解出来なかったし、未だに理解不能だ。荒唐無稽という四字熟語がぴったり当てはまるのではないか。あの手の女は邪魔でしかない。部下だったら配置換えすればいいし、そうでなければ部下にしなければいい。ただそれだけだが、しかし夜の10時を過ぎた今、業務の阻害要因としては十分だ。
手元の資料に集中させない人間ばかり居る事に、孝広はただ苛々していた。例えば今朝の妻の態度もその一つだ。
「妻」
声に出してみる。
妻、という存在も孝広にとっては目障りで、最早何がどうなっても良いと感じる存在の、ただ息をするのみで何の生産性もない人間で、それは即ち無価値な生き物に等しい、というのが孝広の見解だ。
「だから何だ」
孝広は思わずそう尋ねた。
益々苛々してきた。どいつもこいつも煩わせるし、様々な手法を巧みに用いては手間を掛けさせる。働いた経験の無い女共は、空気の読めない女共は。何故今日は陽子からの下らない連絡が無かったのか、先日の態度が気に食わなかったのか、一体何なんだ。
「何なんだ、全く」
また口を突いて出る。これは孝広の癖なのかも知れないし、やはり近日中に眼科を一度受診すべきかも知れない。手元の資料を放り投げ、胸ポケットからスマートフォンを取り出し、陽子とのメールを読み返す。陽子との、定型文と化したメールを。
「赤西さん
今日のお昼は何を召し上がるの?
わたしはね、赤西さんのメニューを聞いてから、真剣に考えるつもりなんです。
お仕事、ご無理なさらず。陽子」
これがほとんど毎日届いていた。同じような文面のメールがほとんど毎日。それでも返信しない訳にはいかない、何故なら陽子の体躯は素晴らしいからだ。それである時はこう返した。
「赤西です。今日はキッチンカーが数台、会社の敷地に停まっているので、そこからチョイスするつもりです。聞くとタコス、ハラール、イタリアンの車が美味しいらしいです。また連絡します。」
何故あんな精神疾患を抱えたような、妙な女を抱いてしまうのか、何故今また求めてしまうのか、孝広は戸惑う。相も変わらず。
「陽子」
呼んでも来ない女の名を呟くと、どうにも身体を休める必要が生じた気がしてならない。それで孝広はもう全て納得し、満足する。デスクの上で暴れたであろう、書類や資料やファイルやら、雑多なものを全てデスクの中に仕舞い、タクシーで帰ろうと自分に提案する。いつかの陽子みたいに。
「タクシーに乗りましょうよ」
あれは何だったか、いつの出来事だったか、孝広にはもうずっと思い出せない。
4.亜希子の場合
亜希子の母は教育熱心だと亜希子自身も感じていて、しかし亜希子の伯母である陽子はそんな亜希子を可愛がると同時に、不憫に思っていたに違いない。亜希子の父は今朝のコーヒーを苦々しく飲み干すと、いつの間にかそんな事を思案していた。亜希子の母が引っ切りなしに電話を受けたり掛け直したり、パールがどうの、何時に始まって場所は何処でどうの、そういった物質的な事象を無機質な口調と動作で機敏に務めている。ストッキングを履いているという事は、そろそろ家を出る時間だ、という暗黙の合図を父はしかと心得ている。
きょうは、ママとパパが朝早くからパタパタと走り回っている。わたしはくまのちびちゃんに、おはようのごあいさつをする。これは毎日やるルールにしていて、それはよう子おばちゃんと決めたことだから。
よう子おばちゃんはとてもやせていて、色がまっ白で、8才のわたしとたいしてかわらない人だと思う。よう子おばちゃんはいつもわたしといっしょに、まじめにあそんでくれるから、とてもたのしい。おりがみをおったり、スケッチブックとサンドイッチをもって、公えんでおえかきをする大人はあんまりいない。それで決まってこう言い合った。
「あっ子ちゃん、長生きしましょうね」
わたしのことをあっ子ちゃんとよぶ人は、よう子おばちゃんだけ。むかし、そういうアニメがあったと言っていた。まほうつかいの、たのしいアニメ。だからあっ子ちゃんとよべば、いつかまほうがつかえるかもしれないから。そんなことを言っていた。かなえてほしいのよ、まほうで。そんなことも。
山口さんがおこしにきた。
おへやの外がうるさいからもう目はさめていたけれど、わたしをおこしたり、ねかしつけたり、お食じのしたくをするのが山口さんのおしごとだから、またおふとんに入りなおしてあげた。わたしをやっぱりおこしたら、くびがくるしい、白いブラウスをきせられて、かみの毛をらんぼうにひっぱられる。わたしはこのひっぱられるいたみをいつもたえている。だってこれらはやっぱり山口さんのおしごとだから。いつのまにか三つあみができあがっていて、ワンピースとタイツをはかされていた。山口さんのほうがよっぽどまほうつかいだと思うけれど、でもこれもおしごとみたい。
母は時折、一人娘の亜希子にうんざりする。何故車に乗ると酔うのか、何故綺麗な服を着せると決まって不貞腐れるのか、何故いつまで経っても小汚いくまのぬいぐるみを大切にしているのか(一刻も早く処分したいのだ)、考えても埒があかない。まぁどうせ神経質、あるいは繊細な子だろう、として片付ける事にしている。そのうち直るでしょうよ、亜希子の母は誰かにそう聞いた事を思い出して安堵する。今は多感な時期なんだわ、と思い込み、自家用車のレザーシートに身体を預ける。間も無くエンジンの掛かる音が、この地下駐車場を響かせる。
車の中はいつもくさいからきらいなのに、ママはいやなかおをする。
「なんでもっと早く言わないのよ」
「レザーのにおいじゃないの」
わたしはのるまえにきちんと言うのに。
「ママ、くさいの」
「ママ、そうじゃないの」
お空は、はい色。雨がふりそう。
もうついたのだけれど、ほんとうなら、お出かけはおことわりするつもりでいた。でも今日はよう子おばちゃんがいるみたい、よう子おばちゃんがしゅやくだってパパが言っていたから。ママはないているけど、うそなきだってことくらいわたしでも分かる。なんでうそなきなんか、するんだろう。
とてもきれいな、まっ白いたてものと、森みたいなところで、パパが車からおりるのを手つだってくれた。わたしは気分がわるくならないように、車のまどをあけていたのに。レザーがどうの、ってママは言う。あたまがおかしくなった人みたいに、レザーをふいていたから。雨にぬれるのはいいことだってよう子おばちゃんは言ってたのに。
「ママとあっ子ちゃんは、ちがうほしの人だから、ことばはつうじないわ、ざんねんだけれど。でもね、わたしとあっ子ちゃんは、同じほしの人だと思うの。だからね、いっしょに長生きしましょうね。」
たてものの中は少しだけ、人がいた。みんなくろいおようふくをきている。わたしは小さな木のハコが気になった。ママに見つからないように、こっそりのぞいた。
よう子おばちゃんがねていたけど、たぶんしんでいる気がした。だってはなの中に、わたがつまっているんだもの。これじゃいきが出きなくてしんでしまうわ。ママに見つかるとおこられてしまうから、いそいでにげた。やっぱり、しんでいる!走りながら、わたしはピンとひらめいた。
まわりの大人は
「すいみんやく」「じさつ」「よう子のいしょは?」「そんなにくすりをのんでたの?じさつなの?」「もともとおかしかったんだよ」「かねはどうすんだ」「べんごしは」
みたいな、むずかしそうなおはなしをしている。わたしは8才だけれど、じさつがどんなものなのか、それくらいは分かるわ。そしておくすりは、びょう気をなおすためのものだから、しぬためにのむものじゃないこともしっている。だからよう子おばちゃんはじさつじゃないの、大人ってどうしてそんなこともしらないのかな。
よう子おばちゃんは、びょう気がなおったからしんだのに。生きていくことがびょう気だったのに。
ママとパパはどこかへ行ってしまったから、あとでもう一ど、よう子おばちゃんをのぞいておこうと思う。ハコごとやかれちゃうなんてしらなかった、とてもきれいなのに。わんわんないている、き色いかみの毛の女の人がいる。おいしゃさんにおこっているおじさんもいる。よう子おばちゃんのお友だちかな、だったらうれしいな。よう子おばちゃんは、大人の付き合いってものをきっとできない人だもの、わたしだってできるのに!
「あっ子ちゃん、わたしね、ねむれないのよ。だからね、おくすりをのんでいるの。でもね、それでも、あっ子ちゃんみたいに、ねむれないの。分かる?すこやかにねむれないのよ。なおるかしら、わたし。」
「よう子おばちゃん、ちゃんとおくすりをのんだら、きっとなおるよ。でも、一ばんいいのは、つかれるといいよ。体をうごかすとつかれて、ねむたくなっちゃうから。」
よう子おばちゃんがわらって、それから言った。二人で土手にすわっていた。もちろん、すぐにねころんだけれど。
「ねぇあっ子ちゃん、だれにも言わないっておやくそくしてちょうだい!いつかまほうでかなえてほしいことがあるの!あっ子ちゃんがそうね、20才になったら、今日のことを言ってもいいわよ!それまで、二人だけのひみつにしましょうよ!」
だから、だれにも言わない。
だってよう子おばちゃんがたのしそうにわらってたんだもの、きっとたのしいことにちがいないと思う。あれはなんだったんだろう、8才のわたしには、まだ分からない。よう子おばちゃんが、小さくて、くらい、としょかんみたいなところで、何をかいていたのか、わたしにはよめなかったし、わたしはそのあいだ、きれいなおねえさんが出してくれた、ショートケーキを食べていたし、そのあとは、土手の草むしりに二人でむ中になっちゃったから。
「これはね、ぺんぺん草なの。ほら、あっ子ちゃん、きこえるかしら?」
よう子おばちゃんは、やせっぽちのくせに、ものしりだった。