しあわせ姫は、青い星を知らない
幸せの考察
わたくしは、赤ん坊の頃から殆ど泣かず、手のかからない、子供だっだそうです。皆様は、わたくしを「青い星の子」と呼んでくださいました。
「青い星」とは、わたくしの王国のある星で、最も有名な童話の中で描かれている桃源郷のことです。
「何をしても可愛いね、シャナは。」
そう言って、皆様は笑いました。わたくしは、わたくしに笑顔を向ける皆様を見て、わたくしは善い事をしているのだと思っておりました。
「そうよ、シャナは可愛いから何をしなくてもいいのよ。物語のお姫様みたいに小鳥とお洗濯していたら、本物の王子様が現れるからね。」
そう言って美しく笑うお姉様のお顔が、何よりもお綺麗で。だからわたくしはお姉様の言う通り、毎日小鳥とお洗濯しました。
「何を話していらっしゃるの? わたくし、よく分からないわ。」
「あら、これはシャナ様のお耳に入れるほどのことでも無いのですわ。知らない方が幸せでいられる事なんですもの。」
「そうなの……? では、聞かなかった事にいたしますわ。」
そう言えば、話し相手の令嬢は、クスクスと、リスが木の実を喰むように可愛らしく笑われました。わたくしは、その令嬢の笑顔を見て幸せになりました。
それからというものの、知らないことも、わたくしが知っているかどうか相手が気にならなくなるほどの笑顔で聞き流しました。
わたくしの周りには笑顔がさらに増え、「幸せ」が増えました。
わたくしの敬愛するお姉様は、
「シャナは生まれたての子鹿のように無知で、可愛いわ。」
と美しく微笑まれました。
わたくしは幸せでした。
わたくしは幸せでした。
小鳥達は食べ物の心配しかしていないことを悟った頃には、わたくしには「親友」と呼べるような人間のお友達は居ませんでした。
皆様、わたくしと話していらっしゃっても、急に「そうなのね、そうよね、シャナ様は知らないわよね。」とおっしゃって、クシャリと笑うと、どこかに行ってしまわれるのです。だから、いつでも話し相手は小鳥さんでした。
わたくしは幸せだと思っていたのです。
度々、一抹の「寂しさ」が頭の中を過っても。
この星の小鳥達は、皆青いので、「青い星の使い」と呼ばれ、幸せの象徴とされています。
小鳥と仲良しなのに「幸せ」でない、なんてことはあり得ないのです。
わたくしは「幸せ」なのです、
わたくしは、「幸せ」なんだと。
あの日は、わたくしの人生の中で五指の中に入るぐらい、記念すべき日でしょう。
あの日、いつも通り小鳥と話していたわたくしに声をかけたのは、第二王子様でした。当時、第二王子様は既にわたくしのお姉様の婚約者でいらっしゃいました。それは、王国では有名な話だったそうです。しかし、わたくしは、そんなことさえ知らなかったのです。
第二王子様は、たくさん、たくさんわたくしに話しかけてくださいました。わたくしは、とても幸せでした、それまでの「幸せ」を遥かに凌ぐほど。第二王子様は、「寂しさ」からわたくしを救ってくださったのです。
それは、わたくしの初恋で、一目惚れでした。第二王子様も、わたくしに愛の言葉を紡いでくださいました。わたくしは、この幸せが永遠につづくことを願いました。
やがて、わたくしのお姉様と、第二王子様の卒業パーティーの日になりました。わたくしは、在校生として送辞を述べる予定でした。
ところが、あろうことか、第二王子様が、卒業パーティーでお姉様との婚約破棄と、わたくしとの新たな婚約を宣言されたのです。
第二王子様は、「お姉様がわたくしを虐めていた、自分より弱いものを虐めるのは国母となるべき者にあるまじき行いだ」という事実無根の理由で。
わたくしは、肝を冷やしました。小さな声で、「こんな事をしても、誰も幸せにはならないわ。」と申し上げました。ですが、声が小さすぎたのか、誰もわたくしの言葉は聞こえていないようでした。
お姉様が、見たこともないほど悪い笑顔を浮かべて仰いました。
「第二王子殿下、それは事実無根です。わたくしにはアリバイがあります。」
そして、お姉様の後ろから現れる方々が、口々にお姉様のアリバイと、わたくし、そして第二王子様の悪行を証言されました。
わたくしの悪行として述べられるものは皆、わたくしが皆様の幸せを願って取った行動ばかりでした。
わたくしはただただ混乱するばかりで、何も言えませんでした。
気がついた時には、わたくしと第二王子様は、王国の近衛兵によって床に組み伏せられていました。
お姉様はわたくしにだけ見えるぐらい、ほんのわずかに、唇の端を歪めて仰いました。
「シャナ、あなたは、良い子ね。本当に……扱いやすい、私にとって良い子だったわ。」
地面から見上げるお姉様の姿は、美しいのに、暗く、大きくて、どこか歪でした。
わたくしの頬を生ぬるいものがとめどなく流れました。
何故流れているのか分かりませんでした。
ただ、お姉様が美しかったから、わたくしは「幸せ」だったに違いありません。
その後わたくしは王国の辺境に捨てられ、第二王子様は星外に追放されました。
王国の辺境に捨てられて3日目。
わたくしは、嗅ぎなれぬ臭いに目を覚ましました。
見れば、目の前で二羽の小鳥が、激しく揉み合い、血潮を撒き散らしていました。
わたくしは、あまりの恐怖に動けませんでした。
二羽の内、片方はわたくしがことさら可愛がっているものでした。しかし、その小鳥は次第に劣勢に追い込まれ、やがて動かなくなってしまいました。
日が暮れる頃になって、わたくしはお腹が空いたのに気がつきました。そして、目の前の、小鳥だったものを食べました。
暫くして、わたくしは狩りを覚えました。
さらに一年ほどすると、わたくしのあばらやの前に、食べ物が供えられるようになりました。
ええ、そうです。あれです。まるで、狐さんが恩返しする童話のように。
きっとそれは、昔私が幸せにして差し上げた方達からの恩返しだったのです。
わたくしは、あり難くそれらの食べ物をいただきました。
懐かしいことです。
あれからもう十数年経ちます。
今も毎日、それらの食べ物は届きます。
今日も届いているでしょう。
さて、取りに行き……
その時、目が潰れるほどの閃光と、そして轟音が轟きました。
気がつけば、あばらやは無くなり、わたくしは地面に伏せていました。
驚く事に、無傷でした。
わたくしは、目の前に広がる光景に絶句しました。ただただ水平線が広がっていました。
何もありませんでした。
森も、山も、海も、街も、皆。
静寂を、懐かしい声が破りました。
「シャナ! 迎えに来たぞ、私だ、第二王子だ! 」
わたくしは、驚きました。愛しいあの人に、また会えた事を。
見れば、第二王子様は、ボロボロでした。
第二王子様は、仰いました。
「ああ、良かった、君が無傷で。君は、きちんと家の前に置いておいた食べ物を食べてくれたんだね。よかった。君は星を滅ぼす弾頭さえ通じないほど清いんだから。愛してるよ、シャナ……」
「第二王子様……名前を……」
わたくしの声は、第二王子様に届くことなく。第二王子様は、息を引き取りました。
わたくしは、愛しい人の名前さえ知らなかったのです。
わたくしは、ひとりぼっちになりました。
ひとりぼっちになって、気づきました。
知らないなら、誰かに尋ねれば良いと。
根気よく尋ねれば良いと。
だからわたくしは、決めました。
青い星に行く事にしました。
愛しい第二王子様の名前を知るために。
わたくしは、「青い星の子」と呼ばれていたのです。青い星に行けば、わたくしに知らない事を教えてくださる方がいるはずなのです。
ああ、わたくしはなんて幸せなんでしょう。
自分が無知である事に気づけたのですから。
青い星に行けば全て教えてもらえるのです。
行くだけで良いのです、幸せです。
あら、何故かしら、この星から立ち去り難いわ……。ああ、そうね、この星には、わたくしの美しいお姉様がいらっしゃるのだもの。当然だわ。
そういえば、わたくし、お姉様のお名前を知らないわ。
まあ、些細な事ね。
青い星に行けば、全てわかるのですわ。
気づけて良かった。わたくしは、幸せね。
シャナは青い星目指して宇宙を飛んで行った。
彼女がその星に戻ったという話は聞かない。
彼女が青い星に着いたという話も聞かない。
だけど、多分。
彼女はしあわせなのだろう。
おしまい
青い星≒地球