第5話 決意を胸に
進は走る大和について行く。その道を進はよく知っていた。道場へ向かう道だ。
道場に近づいていく度に、進も嫌な予感を感じ始める。
そして道場が目と鼻の先の所まで来た。そこには数十人の人集りができていた。大和はそこで立ち止まる。進は急いで何があったか聞き回った。
「何があったんですか!!」
すると人集りの中から、進がよくお世話になっている道場の近所の住人が出てきた。
「進!! ……無事で何よりだ。……これも不幸中の幸いというやつか」
住人は進の顔を見てとても喜んだが、すぐに寂しげな表情に変わる。
「……心して聞いてくれ。道場にいた師範から門下生までが殺された。美千代ちゃんが来た時にはすでに斬り殺されていたらしいんだ」
進は顔面蒼白で道場へ振り向くと、師範の孫――美千代が泣き崩れているのが目に入った。進は居ても立っても居られずに道場へ駆け込み、大和もそれを追った。
「……惨いな」
先に声が出たのは大和だった。
その光景は地獄そのものだった。鼻に付きまとうような血の匂い、腐敗が始まる肉の塊の数々、天井から壁にかけての返り血。床には血溜まりができていた。
(相当な手練れだな。夜や早朝であれ声を出せば何人かは気付くだろうが、誰も気付かなかったということは、敵は声すら上げる間も与えなかったか。……壁に刀傷でもあるかと思ったが、どうやら斬り返すことも敵わなかったみたいだな)
大和は床に散らばる肉片を見つめる。
(そして、銃火器のような音の出る武器を使っていないということだ。血の飛び散り方からして恐らく刃物だろう。仮にも武術の習う者たちがこんな一方的に……)
大和は冷静に状況を精査していた。一方、進には他を気にする余裕はなく脱力する。
ドンッ。
全身の力が地に吸い取られたかのように膝から崩れ落ちた。
進の頭の中では、ここでの鍛錬の日々が何度も繰り返されていた。家族が弟のみの進にとっては、道場での日々は辛いことも多かったが、それ以上に大切な居場所だった。弟を取られ、仲間や師を殺され、居場所すらなくなった進は――
「うああああああァァァ……!!」
ただ泣き叫んだ。大和から声を掛けることはなく、見つめるだけだった。しばらくして進は右手で胸を力強く叩くと、感傷に浸るのをやめた。
「必ず殺す。……俺がもっと強くなって、一人残らず敵を討ちます」
進の目は憎悪に満ちていた。
「進、憎しみが正義に変わるなど絶対に思うな。憎しみはどこまで行っても憎しみだ。そこから生まれる行動は決して正当化などできない。道理の通らぬ自己満足だ」
止めどなく溢れる涙に視線を向けることはなく、大和は淡々と言葉を吐いた。
(……分かっているとも。俺は説教をしたいわけじゃない。俺の方こそ自己満足で話している。だが、やはりお前には道を間違えてほしくはない)
大和は自分のために言葉を放つ。進の心に想いを伝えたいという身勝手な自己満足のために。
「俺は“憎悪”という言葉が好きだ。憎悪とは悪を憎むと書く、俺は本来そういう意味だと思うんだ。……憎むべき対象は“悪”以外には存在しない」
優しくも凛々しい言い方だった。
大和は自分なりに言葉を選んで話していく。彼には共感して一緒に泣いてやることなどできない。それほど器用ではないから、こういう話し方になってしまうのだ。
「悪を憎むことと、仇討は全くの別のものだ。仇討はただの感情に任せたものだ。憎むべきものを間違えるな。悪行を憎め、だが人は憎むな。……正義とは悪を憎むことだ。しかし、人を憎むことは新たな憎しみしか生まない」
大和は今まで暴力で命のやり取りをしてきた。何人もの尊い命を奪ってきた。どんな理由があれそれを正当化をするつもりはなく、その重みをできる限り背負おうとしてきた。奪ってきたからこそ、誰よりも命の尊さを理解しようとしてきた。
だからこそ、“殺す”という意味を、その重みを分からず、知ろうともせずに殺す者を好きにはなれなかった。自己満足を承知で、進には理解してほしかったのだ。
大和は人を殺す術だけを教えるつもりはなく、人を生かす術を教えようとしていた。
生き延びる力は勿論のことながら、心や気持ちの面でも“人”として死ぬために必要なことを教えたかったのだ。
「人の命は誰であれ、どんな理由であれ、奪ってしまえばその罪は何をしても償うことはできない」
残念ながら、この世界では生きるために人を殺さなければならないこともあるだろう。しかし、殺す目的で人を殺すのと、生きることの過程として人を殺すのとでは、どちらも罪は拭いきれないものの、後者であれと大和は思う。
大和は、進のように仲間を殺される辛さを経験したことがある。胸の痛みが分かるからこそ、感情だけで人の道を外れてほしくなかった。
「憎しみは連鎖を生み、それからも続いていく。時代や世代を跨ぐことだってある。憎しみほど下らないものはない」
「じゃあ、俺はどうしたら……」
「長く続くべきは感謝の連鎖だ。助けられた者は感謝をし、また誰かを助け、また感謝をする。一人一人の役目は簡単なことながら、人はした恩に見返りを求め、された恩をすぐに忘れる癖がある。それでは感謝の連鎖は生まれない」
大和は決して心まで冷酷な侍ではない。
進は目蓋を閉じ、頷く。力強く握られていた拳は少しだけ緩んでいた。
「感謝を忘れれば憎しみだけが残る。……お前には、敵討ちなんかよりも先にしなきゃいけないことがあるだろう?」
「俺は、お世話になった皆さんに、感謝を伝えることができませんでした。……お礼を言えずに別れるなんて……。もしいつも通りに俺が朝早く道場に行っていたら――」
「人の命は無慈悲だ。そこに何も意味はない。……だが、その運命に意味を与えられる者もいる。生き延びたお前がこれから何を成すかだろうよ」
そう言って、座り込む進に手を差し伸べた。進はその手を握ると強く引っ張られて起き上がる。するとまた一滴の涙が落ちた。「泣きすぎだバカ」と言って大和は進の頭をワシャワシャと撫でた。
そして二人は道場を出る。涙を拭った進は道場へ振り向く。
「それと、礼ならちゃんと伝えれるだろ?」
大和は進の腰を軽く叩くと、進は晴れ渡った空の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「今までお世話になりました! 何の因果か、弱い俺が残ってしまいましたが、必ずッ、皆に誇れる強い剣士になります。……本当にありがとうございました!!」
憎しみは大声に消され、そこには感謝だけが残る。
まだ心の中の整理がついたわけではない。思い出せばまた泣いてしまうだろう。けれど、憎しみは進む力に変えていくことができる。
「さあ、稽古行くぞ」
大和は進の様子に安心するかのように、穏やかな声でそう言った。
進はひとまずは美千代やお世話になった近所の方々に江戸を離れることを伝えた。その間に大和は、
(進以上の剣術の使い手たちが一人も逃げる間もなく秒殺された。そんなバケモノを雇ってるのは……それに進との接点を考えるとやはり――)
「進、お前はこの国を敵に回したのかもしれないぞ……」
そう呟いた後、丁度進も帰る用意ができ、大和の元へ戻ってきた。そして二人は昨晩寝た林の方へ帰っていく。
「弟を取り返す」
「いいか。守りたいものがあるのなら、どんなに傷つこうが、倒れようが、それでも前へ進め。全身全霊で進み続けろ」
(辛いことの全てが、必ずお前の力になる日が来る。俺はそう信じている)
進は覚悟を、大和はそれに全力で応えると、心に決めた。
物語がやっと始まった気がします。
――ひと休みの後日談ズ――
『階級制度2』
前回の続き。
各地の統治者は二十四人(日本でいう県知事)。それを『二十四天』と呼び、その下の四十四人の集団を『獅子隊』、更に下の二十八人を『虎子隊』と呼ぶ。
虎子隊以上は超エリート階級。武勇だけでなく、知恵や統制力、適性など全てにおいて最高値でなければ選ばれない。
剛健が虎子まであと一歩なのかは自称である!
この階級制度はまだまだ掘り下げられるが、それは作者が忘れていなければ本編で書かれるだろう。