第14話 人間国宝
団子を食べ終えた進は店を出る。用事も全て済ませたため、江戸の景色を眺めながら帰っていく。
少し寂しい気持ちと、みたらし団子の余韻に浸りながら歩いていると、前方には先ほど見た元人間国宝の男がいた。元国宝は両脇の男二人に支えられながら歩いていた。
(すごく酔ってんな)
進はその程度にしか思わず、追い越そうとしていた。
「元人間国宝〜。今じゃ誰も俺ぁを止めない。誰も彼もが通り過ぎてきやがらぁ!」
「飲み過ぎですぜ兄貴ぃ」
「もっと飲むぞ! 朝までハシゴだ!」
「もうそろそろ昼ですぜー」
元国宝はどこか辛そうな目をしていて、その様子は進にとって虚無に近いものに感じられた。
すると少し先から子どもの声が聞こえる。進は元国宝らの前をよく見ると、歳がまだ二桁もいかない程の少女が道端で泣き叫んでいた。
その傍らにいた二十代後半の程の若い男は少女の父親だろう。物心がついた子をどう対処するか模索している、というよりずいぶんと慌てた様子だった。少女の大泣きが止まず困っているのだ。
少女が持っていたのは壊れた赤い風車。泣いている理由はそれに違いない。
町の中心からは外れているとはいえ、大きな泣き声には変わりはない。道を通る人は皆、ちらちらと視線を向ける。少女を過去の自分と重ねたり、懐かしんだり、可愛さを覚えたりと様々だ。しかし父親にとっては注目の目も、ひそひそ話さえも、焦り慌てさせるには十分な材料になっていた。
「満智、大声で泣くな! 人様のご迷惑になるでしょうが……」
それでも泣き声は増すばかり。進でさえも少女の元へ近づくにつれて少し耳が痛くなっていた。
(元気な子だな)
その程度だが進も少女が少し心配だった。
「……んだよ、うるせぇなぁ!」
それは元国宝の声。
進の前の元国宝の男達は前方にいる少女に道を譲る気はなく、あと四、五歩歩けばぶつかるところで立ち止まる。
周りの人も、進も、この後の展開は読めないが、
(まずい……)
ということは嫌でも分かった。
「チッ、こんなガキもあやせねぇのかよ。なんて不甲斐ねぇ親父だ……」
元国宝はそう呟くと、唐突に恐ろしい形相をしだし、
「おいおいおいおい! 誰の領分で、この俺ぁの道を塞いでんだ! ええッ?」
歌舞伎さながらの迫力で怒鳴る。さすがは元国宝と言ったところだが、プライドだけはまだ国宝のようでこちらも手に負えなさそうだ。
「あ、いや、本当すいません。うちの娘が――」
「おじさんには関係ないでしょ!!」
興奮状態の少女は、一言だけで更に不穏な空気にさせた。それを急いで娘を叱ろうとする父。
「こら! 満智ィ!」
「――俺ぁを誰だと思ってるッ!! この侮辱、親子共々斬り捨てねば気が済まんぞッ!!」
元国宝は先程の酔いから一瞬で醒めたらかのように目にも止まらぬ速さで抜刀した。
「ひっ、ご、ご勘弁を!」
父親は直ぐさま土下座をする。額を地面にねじ込むほど強く打ちつけた。
「何とぞ、何とぞお許しを!」
「駄目じゃ。殺す。この国宝の儂の道を阻んだばかりか、その泣き声で耳を腐らせ、その言葉で顔に泥を塗った!!」
その怒れっぷりに付き添いの男二人はそっと後ろに下がり、「や、やっちまえー!」「怖いぞ兄貴ぃ!」と場を盛り上げる。
周りは少し距離を置いて見物の人集りが徐々にできかけていた。
元国宝の刃を前にし、少女はすぐに泣き止んだ。というより、声も出なかった、が正しいだろう。
「どちらから先に殺してやろうか」
怯えることもできない少女、それを震えながら庇う若い父親。
「た……っ……たすけ」
(ここを見過ごして、どうすれば“侍”を名乗れようか――ッ!)
元国宝の後ろにいた進は、全速力で風を切りながら、父親を庇う形で前へ。
地を擦る音が両者の間を割って入り、砂埃が舞う。
しかし元国宝は瞬きせず、目を細めながら進を睨みつける。
「なんだァ、お前」
前から見る元国宝は、浴衣を少しはだけさせるような着方をしていて、見える肌からは何やら紅い刺青が顔を出していた。
強そうだが、それ以上にガラが悪そうだ。
「鞘に収めてください」
「ぁあ?」
図体の大きさ自体は進と元国宝にそこまでの大差はない。それでも見下ろすかように高くそびえ立つ元国宝。威圧感は半端なものではない。
「俺の名は進。見ちまったからには見過ごせない」
「…………」
「――人斬りはさせないっつッてんだ!」
進の本意としては荒事にはしたくない。もちろん斬り合いもしたくない。そのため下手に願いでようと思ったが、元国宝の眼光が凄まじく、つい威嚇のような力強い物言いをしてしまった。
「ほう……」
低く落ち着いた声。
その声は静かな怒り、そして強さをも物語る。進の足は今にもすくみそうだ。
相手は武士、明確な身分制度は差別を助長するため公には存在しない。しかし、人々には確実に“差”が存在した。
進は刀を持っていても公的な武士ではない。本当の武士と、刀を持っただけの人間とでは品格が違う。
それも元国宝ともなれば、格の違いは歴然だった。
(親父に言われたことがある。『差別はされてると思う方が差を感じて区別してることが多い』と、だから俺は気にしない! でも、分かってるのに足が――)
汗が垂れる。刀の柄に手を添えていいのかさえも悩ましかった。掴めばきっと斬り合いになると分かったからだ。
「お前、無能か」
(見破られたッ)
元国宝はせせら笑う。進の表情は、返答せずとも自らが無能だと言っているようなものだった。
元より国宝級の観察眼の持ち主にとって、敵の能力の度合いを見極めることなど造作もないことだ。
「無能風情が、この国宝様に物を申すとはな」
「くッ……」
「お前のような弱者が刀を持つことすら武士に対しての無礼であり侮辱であるというのに」
彼は国宝を剥奪されてから武人としての面影を見せることはなかったという。だが彼の中にある武人の誇りが消えることはなく、こうして侍を前にして湧き出る風格があった。
格上が怖いのは当たり前だ。逃げ出したい気持ちもある。だがそれ以上に進には怒ることがある。
「貴方の剣は何のためにある」
「あぁ?」
「人を守るためか、それとも、罪なき人を斬るためか」
「どうもこうも、俺の勝手だろうが」
「国宝にまで上り詰めたそれは、たかが人を斬る如きのためにあるのか! その非道で己が剣の在り方を穢す気か!」
元国宝は黙り込み、グッと刀に圧を加える。国宝を背負った剣士の在り方を無能力者風情に語られ、腸が煮え返るような憤りを感じていた。
「国宝になったのは、そんなことのためか! 国宝だからと言って非道が許されるわけではない。むしろその名に恥じぬように尽力すべきではないのか! そんなことも分からぬとは、国宝も地に落ちたものだなァ!」
「国宝の在り方は、国宝が示す。……俺ぁ、敵討ちの又五郎だぞッ――!!」
元国宝の怒りは頂点に達する。後ろに控える二人の男は何も口を出せず、逃げたいと思うほどであった。
「……貴様は、剣も誇りも愚弄《愚弄》した。生きては返さぬ」
たかが正義気取りの少年一人に「はいそうですか」と引き下がれる元国宝ではない。侍であれば尚更だ。
「ふん、あんたはまず男じゃねぇ」
ここまで言い切ってしまえるほど、進の頭の中は真っ白だった。その行動は良く言えば勇敢、悪く言えば周りが見えていない。これほど緊張するとは思わず、心臓は今にも破裂しそうだった。誰かを守るということはこういうことなのだと深く実感する。
引くに引けないのが二人の男の性である。
故に、戦わなければならない。
気高き武士。プライドがあるからこそ、格好が悪くなるくらいなら死を選ぶ。それが彼らの生き様だ。
――ひと休みの後日談ズ――
『女将と親父さん』
二人は色々あったらしい。
本編には重要ではないので語られないが、二人には子どもがいない。そしてこれからも血の繋がった子の姿を見ることはないだろう。
だからこそバイトの子達を本当の子ども同然に愛する。子どもの幸せこそが二人の願いだ。




