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A Dawn in Malaysia~マレーシアの夜明け

作者: 弘せりえ

さちと麻子と一緒に

ホテルの部屋へ戻ってきたのは

夜中の一時過ぎだった。

 

今までチャーリーたちと

地元のバーで

飲んでいたのだけれど、

明日帰国する私たちは、

とりあえずいったん

ホテルに戻って、

シャワーして荷物を

まとめることにしたのだ。

 

二時半にロレインが

ホテルの前まで私たちを

ピック・アップしに来てくれる。



ここはマレーシア、

ボルネオ島の先端にある

リゾート地。


 

夏の休暇を利用して

やってきた私たちは

すっかり現地の若者と

友達になっていた。

と、言っても、

麻子はもう三度目で、

ここではある程度

顔見知りになっていたのだけれど。


 

友達のほとんどは、

現地のホテルマンだった。


日本人にはまだあまり

知られていないこの田舎町では

私たちはとても珍しいらしく、

すっかり皆の

お気に入りになっていた。

 

麻子の勧めでこの地を

初めて訪れた

さちは難なくここが

好きになったようだった。


 

今夜が旅の最終の晩。


何が何でも遊びまくってやると

いう麻子の勢いに、

さちは意気投合していたけれど、

私はちょっぴりくたびれていた。


麻子ほどパワフルでもないし、

さちほど従順に人に

ついて行けない。

 

麻子のお気に入りの

チャーリーと

さちを気に入っている

エリックに囲まれて、

正直かなりうんざりしていた。


 

さちが先にシャワーしている間に

麻子は荷物をまとめながら、

ベッドの上でボーッとしている

私を見やる。



「なつめ、何してんの。

早く荷物片付けなさいよ」


 

私はリモコンでテレビの

チャンネルを変えながら、

あいまいに返事をする。

 

バタバタするのは嫌いだった。


それに、一人で盛り上がっている

麻子が何だか疎ましい。



「・・・私、いいからさ。

二人で行っておいでよ」


 

ボソッとつぶやいた私の言葉に、

麻子はバンッと片付けかけの荷物を

投げ出して立ち上がる。



あんたって、どうして

いつもそうなの? 

最後の晩くらい

エンジョイしようって思わないの?」



「そりゃ、麻子はチャーリーが

いるから楽しいだろうけどさ」



― さちにもエリックがいるし・・・―


 

私が冷ややかにそう言うと、

麻子もそんなことだろうと

思っていたらしく、

私のベッドに腰を下ろして、

親切気にこう言った。



「ロレインが他の友達

連れてくるって言ってたじゃない」



― あんたがあんまり

つまんなそうな顔してるから―


 

麻子の胸の内なんてお見通しで、

私は余計に気分を害して

そっぽを向いた。



― 私はあんたみたいに

男あさりに来たわけじゃないのよ―


 

長年親しくしている麻子にも、

私の真意はあっさり

読めてしまったらしく、

無言で立ち上がると行ってしまった。


 

子供じみた拗ね方をしている

自分が情けなかった。

でも、またこの二人と一緒に、

もうひとつ馴染みきれない

現地の友達と合流するのかと思うと、

ここで身を引く方が

いいような気がした。



― だって、私の居場所、

ないんだもん―


 

それに最後の最後に

素敵な男の子に出会えるとも、

また出会いたいとも思わなかった。

 

断じてそんな麻子的理由で

ここに来たのではない。



― もういいや。

一人でゆっくり風呂でも入って寝よう―


 

さちがシャワーを終えると、

今度は麻子がバスルームに

飛び込んだ。


 

私が行かないと言うと、

さちは不安気だったが、

やはり彼女の心も

はずんでいるようで、


バタバタと荷物を片付けると、

麻子と一緒に

あっという間に

洗い立ての髪をなびかせながら、

ロレインの待つホテルの

フロントに走って行った。



― 結局、女友達ってこんなもんね―


 

私は学生時代からの

親友たちの後ろ姿を

非難がましい視線で見送った。


 

置いてけぼりは

つまらなかったけれど、

私はもともと一人で

ゆっくり過ごす時間が好きだった。

 

何だかんだと、

この三泊四日の旅行は

私には慌ただし過ぎた。

最後くらいは

ゆっくりしようという気持ちと、

最後なのにひとりぼっちという気持ちが

入り乱れる中、

私はのんびり風呂に入り、

その後一人でラム酒を飲みながら、

ほろ酔い気分でベッドに

ころがっていた。


 


しばらく眠っていたのだろうか。


人の声がするので、

さちか麻子が帰って来たのかと思ったら、

テレビがついていた。


 

あれ、テレビつけたままだったかな、

と起き上がると、

窓辺のソファに誰か座っていた。



「ハロー、なつめ」


 

私はどういうわけか、

この非常事態にさして驚きもせず

目を凝らした。

 

見知らぬマレーシア人の

男の子が何か飲みながら

ソファに座っている。

 

私はたどたどしい英語でたずねる。



「あなた、誰?」



― ロレインの友達?―



「マリオ」


 

青年は屈託なく答える。


くるくるユーモラスに

動くまん丸い瞳や、

子供っぽい広めのおでこが、

ひどくあどけなく見えた。


見た目はどう見ても

マレーシア人だったが、

全く見覚えがない。



「なつめもこっちに来て

一緒に飲もうよ」


 

マリオは現地の人特有の

英語で言った。



私はパジャマ代わりの

Tシャツと短パンでフラフラと

窓辺に近寄る。

何だか懐かしい匂いがする。

この青年から漂っているのだろうか。



近くで見ても、

やっぱり見たことのない子だった。


でも、ちっとも警戒心がわかない。


もしかして夢の一部なのでは

という気がしてならなかった。



「どうしてなつめは、

皆と行かなかったの?」


 

青年はサラリとした前髪を

かき上げながら言った。

また香りが広がる。



「・・・どうしてかな・・・」



そう聞いてくるからには、

やはりロレインの友達なんだろうと思うが、

それを確かめるタイミングが

なかなかつかめない。



「・・・あなたは、

どうやってこの部屋に入って来たの?」


 

思い切って切り出した質問に、

マリオは目を丸くして笑う。



「やだな、なつめ、

何も覚えてないの?」



そう切り返され、

私はどう反論すればいいのかわからず、

ひきつった笑いでごまかしてしまう。


何も覚えていない。


でも、実際、何かあったんだろうか。



マリオの人なつっこい笑いが、しかし、

私を夢心地にさせてしまった。


ベージュのTシャツから

のぞく浅黒い腕は男らしいのに、

妙にしぐさが子供っぽい。


小汚いジーンズを

うまく着こなしている様子は

どこか欧米の若者のようだったが、

彼の英語がネイティブ・イングリッシュでないのは、

その平坦な発音から明らかだった。



私の方も流暢とは言えない

英語で話をしながら、

自分の中で波のように

押し寄せる疑問と戦っていた。


マリオはさちも麻子も

知っているふうだった。


ただ、具体的に名前を

挙げることはなかったけれど。


ロレインの友達でなければ、

チャーリーかエリックの友達だろう。


そういえば昨日、

エリックが友達を連れてくるような

ことを言っていて結局

来なかったことを思い出した。


彼がその友達なのかもしれない。



「ねぇ、マリオ、

エリックって知ってる?」



マリオは「うん」と

言ってうなづいた。


私はホッとする。


何だ、エリックが気を遣って、

友達をよこしたんだ。



でも、マリオの次の言葉はこうだった。



「僕、この歌、大好きなんだ。

エリック・クラプトンは

死んだ息子のために、

この曲を書いたんだって」



そう言われて気が付くと、

テレビではまさに

エリック・クラプトンが

Tears in Heavenを歌っているところだった。



― まるでナンセンスな夢みたい・・・―



狐につままれた様な

面持ちの私をよそに、

マリオは得意げに

その曲を口ずさんでいた。


 

マリオといろいろ話をした。


彼は片言の日本語を知っていて、

私に何度も聞いた。



「日本語の“わからない”は、

英語でなんて言うの?」


 

私は最初、親切に答えてやる。



「わからない、は、”I don’t know”」



するとマリオは真顔で繰り返す。



「なつめは日本人なのに、

どうして“わからない”が、

“わからない”の?」


 

何度かこの押し問答が続いて、

私はやっとからかわれている

ことに気付いた。


質問を鼻であしらい始めると、

マリオはニッと笑った。



「One hour joke!」



こんなネタで一時間も

ひっぱられる人はいないだろう

というところに、笑いを誘われた。


 

カーテンの隙間から

二人してバルコニーをのぞくと、

まだ外は薄暗かった。


午前五時三十分。



「なつめ、

朝ごはん食べに行こう!」



唐突にマリオはそう言い出し、

強引に私をひっぱって、

ホテルの部屋を出た。



正面のロビーを避けて

早足で駐車場に向かうマリオに

手を引かれて、私は小走り

しなければいけなかった。


マリオの手は意外に

ひんやりしていて、

私の熱い手には

ちょうど気持ちよかった。

 

マレーシア人で、

あまり長身の人を見たことは

なかったけれど、

マリオも私とあまり背丈が

変わらないことにその時気付いた。



ホテルの横手の駐車場に

マリオは黒い車を止めていた。



「朝食って、どこ行くの?」



マリオは答えず、

ちょっと気障に微笑むと、

車に乗るよう目で合図した。




車は海岸線を走って、

ホテルから少し離れた屋台に

さしかかった。

 

夜、観光バスから見る屋台は

とても賑やかだったけれど、

朝の屋台は祭りの後のようだった。


ガランと散らかった数々の店。


辺りは食べ物と生ごみの匂いが

入り混じっていた。


この何とも言えない甘たるい腐敗臭は、

ここに来て以来、

ホテルを一歩出ると

ずっと鼻先につきまとっていた。


そしてこの匂いが妙に

アジアを感じさせた。


 

マリオはその屋台村を

グルッと一回りすると、

一番海の近い車道で車を止めた。


車から降りると、

海岸に面した石段まで歩いた。


マリオはゆっくり海を見つめる。



「Look, it dawns」


 

午前六時十分。

東の海が赤く染まり、

マレーシアの夜明けが

マリオと私を包んだ。



「きれい・・・」


 

思わず日本語でつぶやいた私に、

マリオはうなづいた。


 

マリオは地元の庶民的な

飯店に連れて行ってくれた。

リゾートホテルとは打って変わった、

生活感あふれる軽食店。窓も壁もなく、

どちらかと言えば屋台に近い感じだった。



「ホテルなんかじゃ、

本当のマレーシアは味わえないよ」


 

マリオは店の人にマレーシア語で

何か注文した。


そして私を振り返って

英語で言った。



「ここのヌードルは

とびきり美味しいんだよ」


 

まず運ばれてきたのは、

温かいインディアン・ティ。

ミルクたっぷりの紅茶みたいで、

時々日本でも

お目にかかるものだった。


私が喜んで飲んでいると、

マリオはもう一杯頼んでくれた。


 

それから薄いトーストの

サンドイッチみたいなものが来た。

甘くておやつのようだった。


 

最後にヌードルが来て、

マリオは店の人に何か言った。

店員はウエット・ティッシュを持って来る。


何かと思って見ていると、

マリオは私のお箸を取って、

ウエット・ティッシュで拭いてくれた。



「万が一、のためにね」


 

彼の気遣いに、

胸の奥がズキンとした。


私が気付く前にマリオは、

日本とマレーシアの違いを

意識していたのだ。

何だか複雑な思いがした。


 

ヌードルは日本の焼きそばの

味がないものみたいだった。

マリオがタバスコのようなものを

かけているのを見て、

私もかけてみる。

これが死ぬほど辛かった。


私の顔を見て、マリオは

すぐに水を頼んでくれた。


 

ヌードルの食器もさることながら、

水の入ったコップも

あまりきれいではなかった。

ゴクンと一口飲んでから、

絶対現地の水は飲むな、

とガイドブックに書いて

あったのを思い出す。


が、マリオの気遣いを思うと、

断るくらいなら

下痢する方がよっぽどマシだ、

と思った。




朝食が終わると、

マリオは馴染みの店員に

お金を渡して立ち上がった。

 

見ず知らずの彼に

奢ってもらうのは申し訳なくて、

何か言いかけたが、

彼の後姿にそんな些細なことに

構ってはいけない雰囲気を感じた。

 

私が小声で

「ありがとう」と言うと、

マリオは後ろ手に軽く応えた。




「飛行機は何時?」



「十時。

だからホテルを

八時には出なきゃいけないの」



「大変、もう、七時だ。

早く君をホテルに送り届けないと」


 

車を飛ばしてそう言いながら、

何を思ったかマリオは

もう一度屋台村に車を回した。



「なつめ、ランブータンって

食べたことある?」



「オラウータン?」



「ランブータン! 

ちょっと待ってて」


 

あっという間に車を止めて、

マリオはポツンポツンと

開き始めた朝市の屋台に走って行った。


 

私が助手席の窓からのぞいていると、

袋を提げて手を振りながら戻って来た。



「ハイ、これ、食べてみて。

おいしいよ」


 

ウニのような形をした南国のフルーツが、

袋いっぱいに詰め込んであった。



「こんなにたくさん、いいの?」



「日本の家族にも、どうぞ」


 

マリオにランブータンを

ひとつ割ってもらって食べた。


ライチのような味がした。

とてもおいしかった。


 


 

マリオとはホテルの

駐車場で別れた。


何だかまたすぐにでも

会えるかのような別れ方だった。


 


部屋に戻ると、

まださちも麻子も帰ってなかった。


私は一人で荷造りを始める。

 

そして二人が帰ってきた頃、

ベッドの上でウトウトしていた。


  


そのあとは、もうドタバタで

ホテルをチェックアウトし、

シャトルバスで空港まで駆けつけた。

 

ぎりぎりセーフで

飛行機に乗り込んだ三人は、

それぞれの夜の疲れでぐったりで、

すぐに眠り込んでしまった。


 

とかく旅の終わりとは無口に

なりがちなもので、

さちと麻子が地元の

ディスコでチャーリーたち夜通し

踊っていたことを聞かされたくらいで、

後は殆んど会話がなかった。

 

ディスコがあまり楽しく

なかったのかも知れないし、

楽しすぎて疲労困憊なのかも知れない。


ちらにして昨夜

寂しく過ごしたはずの私に

何か尋ねようとは、

二人とも敢えてしなかった。


それに私も聞かれもしないことを

語る気はなかった。

 

そして飛行機の着陸直前に

深い眠りからフッと

目をさました時、

ああ、と思った。


 

すべて夢だったんだわ。


昨夜、さちと麻子と別れてから

ずっと眠っていて、

きっと長い夢を見たんだわ。


見ず知らずの青年が

いきなり部屋に現れて・・・

なんて話、ありえるはずないもん。


 


日本の空港に

たどり着いたのは夜だった。


この頃、もうすっかり現実に

戻ってしまった私たちは

気分も重い。



「明日からまた仕事かぁ」



「本当、楽しい時間は短いよね」


 

たわいもない会話の後、

来週の日曜日に

互いの写真を交換しようと

約束して別れた。



家に帰ると、

もう九時過ぎだった。


疲れていたが、

とりあえず洗濯物くらい出しておこうと

トランクを開ける。



・・・南国の香り。



袋いっぱいに入った

ランブータンが、

今朝の屋台の匂いを

文字通り私の元に運んで来た。


 

やっぱり夢なんか

じゃなかったんだ。


マリオと過ごした一夜、

マレーシアの夜明け、

屋台での朝ごはん。


 

私は思わず南国の果物に

手を伸ばし、

そっと触れてみる。


胸が高鳴り、

息が詰まりそうになる。

 

マリオの匂い・・・。


 

もう一度行こう。


もう一度必ず、

マリオのいたあのマレーシアの

小さな田舎町を訪れてみよう。 


 

私はその果物の香りを

胸いっぱいに吸い込んだ。


マレーシアの夜明けの匂いが

再び胸の中で広がった。




               了

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