ちりあくた集めて神の作り出す人の形した泥の人形 人の命の儚さよ
みんな、、、、、、、、
どいつもこいつも
これから先
何十年も
生きるような顔して
肩で風切って
人生街道
闊歩しているが、、、、、、、、、、、、
そんなの
全部
絵空事で
明日
あなたが
まだ生きてる保証なんて
どこにも
誰にも
ありゃあしないってことなんだなあ。
「ちりあくた集めて神の作り出す人の形した泥の人形」 自詠
人の命の儚さよ
肉の子である人は被造物であり、
いわば作られた存在である。
あなたは自分で自分を作りこの世に送り出しましたか?
自身で自身を創造した人なんてありえないのです。
そんなことできもしない。神じゃないんだから。
あなたは誰かに作られた被造物
もっと
大仰に言えば
神によってつくられた存在、
つまり、、神が作った泥人形にすぎないのである。
それが人間である。壊れやすくて、、もろくて
しょっちゅう病気ばっかりしていて
いつかまた土に帰る(死ぬべき)存在です。
それが
そんな木偶人形の分際が
神のごときふるまいをしようなんて
傲慢な罪を犯す愚かしさよ。
人間よ、肉の子よ、
おごるなかれ、
お前なんて誰かに作られた存在でしかない。
その証拠には
毛一筋さえ、お前に作れるのか?
出来ないだろう?
お前はただ大きな力(神)によって
造られれて、、、かろうじて
生かされているだけなんだよ。
威張って『俺は自力で生きてます』
なんて言って偉そうにしてるけど、
そんなのは、
ある日無常の風が吹けば
ころりと死んでしまうような
哀れな被造物でしかないのだよ。お前という存在は。
お前が生まれたのも
又そうして
生かせれ続けているのも、
お前の力なんかじゃあないんだよ、
何かの力が
つまりもっとはっきり言えば
神意がお前を生かそうと配意している限りにおいては
かろうじて生きていられる哀れな
風前のともしび、、、有機三次元水銀電燈に過ぎないのだよ。
それが証拠には、、、、、、、
あんなに元気で病気ひとつしなかったほら、あの人が
ある日ぽっくり突然
倒れて実にあまりにもあっけなく、死んでしまうじゃあないか?
そういう例をお前もいくつも見てきたはずだよね?
命のはかなさよ、
昨日、可憐に咲いていた花々も
今日は踏みしだかれて
無残に枯れ果てている。
ところで少し話が変わるが、、、
今
エコだとか
自然保護だとか
森を守ろうだとか
盛んに言われていますが
究極のエコってなんだと思いますか?
それは人類がこの地球上から消え去ることなんですよ。
なぜって?
人類こそ地球環境の
最大の破壊者だからですよ。
人類がいなくなればこの地球には
うっそうたる森林が繁茂して
さまざまな動植物が
繁栄できるのです、
人類こそこの地球環境にとっての最大の悪なのです。
いまこそ
人類はおのれが神の作りし泥人形であることを
わきまえてもっと謙虚に生かされれていることを思い知るべきなのでしょうよ。
さて、、、、、、
私は60年以上、つまり半世紀以上生きてきました。
その間、そりゃあ、もう、実にいろいろなことがありました。
事件も,事故も病気も入院も手術も、
失望も挫折も、
誹謗中傷も、親しき人びととの永遠の別れも、
また、妻との結婚も、3人の子どもを授かったことも、
家を建てたことも、転任、左遷、転居、降格、
もう、数え切れないくらいの色々なことが生起し、
また、消失していきました。結局それらは、、、あとには何も残さずに消え去りましたが。
そう、まるで陽炎のように、それは突然、沸き起こりかつ一時だけ全盛を振るったかと思うまもなく、影も残さず消えていってしまったのです。
一体、人生のこうした諸事万端ってなんだったのでしょうか?
過去はもうつかみどころもないような、遠いおぼろな夢に過ぎないし、
現在は、それに毎日、振り回されるだけの雑然たるパノラマ大サーカス?
そして未来とは、やがて来るかもしれない、はかない幻想王国?
そうして、人は毎日繁忙な現世の夢に振り回されこき使われて押し流されていくばかり。
ある日気がつけばこうして野垂れ死にもせず、余命をつなげて、半世紀以上がたっていた。
親しき友の幾人かは、すでに早々と現世から去ってもいた。
ある友は35歳でスキルス胃がんでたった3ヶ月入院しただけで他界した。
男気のある良い友だった。あとには妻と子が残された、
もうひとりの友がいた、彼は40代で胃がんでなくなった。
大学を出て地方公務員だった。あまりにも早い死だった。
そして私は両親の死も見送った。
父は80歳でなくなった。母は89歳でなくなった。
二人とも故郷の自宅での老衰死だった。
今、私は妻と3人の子と暮らしている。
そうしていずれは、やがてはこの私が真っ先に行く番なのであろう。
そして妻もやがて、、、人生は順番だ、
誰もかれも、いずれは行くのである。
冥途へ、大霊界へ、はるかなる虚空の彼方へ、
確かに宇宙時間から見たら、30歳で死のうが。100歳で死のうが、
それこそ50歩100歩であろう。
大した違いはない、
いずれ瞬時の夢の世には相違あるまい。
「有漏路より 無漏路に帰る 一休 雨降らば降れ 風吹かば吹け」 一休宗純
では、そんな夢のシャボン玉人生を人はかくも、哀れにもがいて、苦しみ、まろびながらも
なぜに生きるのか?
いきなければならないのか?
それは神から命が与えられたからに他ならない。
神がこの泥人形を作ったのだ、そしてつかの間の命を与えたのだ、
命は生成を発展を躍動を奔出を求める。それが命の本質だからだ
そうして命は自分を燃やして、やがて燃え尽きていく。
生命の残光を残して。
だから燃えるが良い。パッと輝くが良い。
なぜなら命はそれを欲しているのだから。
くすぶってばかりではいけない。命の炎を輝かせることも重要だ。
貴方はなにをするためにこの世に生まれてきたのか?
それはスミレは野でけなげに咲くことを。
向日葵は夏の熱火のもとで大輪の花を咲かせるために、
それぞれの使命を持って生まれてきたのだ。
どんな人にも産まれてきたその人の使命がDNAに組み込まれている。
それに気づかないで一生終わる人もいるし、
ひょんなことから気付いていき方を大転換させる人もいる。
貴方はスミレだろうかそれとも大輪のヒマワリだろうか?
いずれにしても、その使命を果たして死ぬ人生こそ本当の人生なのである。
「玉の緒の、人の命のはかなさよ、触れなば落ちむ、カタクリの花」 自詠
人は、みな、それぞれ夢がある。
ああしたい。
こうしたい。
こうなりたい。
あれが欲しい。
あそこに行きたい。
こうして自己実現したい。
でも、
人はみんな、
日常生活の雑用に追われて
それらの夢を先送りしているのが、悲しい現実ですよね?
しかし、よく考えていただきたい。
人生は無限でしょうか?
そしてあなたはいつまでも健康でいられるのでしょうか?
いいえ、
いつ人生が、突然終了するか、、、シャットダウンするか
それは今回の「東日本大震災」や、「コロナウイルス」死でも身につまされましたよね?
あるいは今現在いくら健康であっても、
明日あなたがくも膜下出血で倒れて半身まひになり寝たきりにならないと断言できますか?
人の命なんて、明日は知れません。
それが命のはかなさなのです。
捨て台詞に、『足元が明るいうちに帰んな』というのがありますが
まさに万人が、その通りなのでしょうね。
誰もいつ足元が暗闇になるか知れたものではないからです。
あなたにもしも夢があるなら
いつ実現しようとするのでしょうか?
あした?
1か月後?
1年後?
10年後?
そうして結局実現せず仕舞いなのでしょうか?
奇蹟でも起こるのをただ待っているんですか?
実は奇跡の時は今そのものなのですよ。
今しかないのですね。
今やらなかったらおそらく永久にそれは実現できないのでしょう。
人生ってそんなものですよ。
いつやるの?
それは今でしょ?
今しかないでしょ?
ことさらに、急かすわけではありませんが
悠長なこと言ってたら
人生なんて、あっという間にもう、おしまいですよ。
人生なんてそんなもんです。
ことわざには、こうありますよ、
『日の暮れぬうちに帰れ』
『足元が明るいうちに帰れ』
『光あるうちに光の中を歩め』
それはまさに人生行路の指針というか
人生の灯台であるのですよ。
いたずらな先送りはいけません。
それは人生という有限の時を無駄にするだけだからです。
やるなら今です。
今すぐやるのです
(といって、法律に触れるようなことはやめてくださいよ)
法的にも
倫理的にも
許されることであるなら
そしてあなたが
それを本当に望み
実現したいなら
今すぐやるのです。
なぜって
もうあなたには明日という日は
ないのかもしれないからです。
人生とは
そんなもんですよ。
「エホバ、土の塵を取りて人の形を作り、命の息を吹き込みたり、すなわち人、生ける者になりたり、
これアダムなり」創世記 2の7
「汝は額に汗して食物を喰らい、ついにはやがて土に帰らん、汝は土より作られしからなり。」創世記3の19
「神は地面の塵で人を形造り、その鼻孔に息を吹き入れられた。すると、人は生きた魂になった」(創世記2:7)
「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついには地面に帰る。あなたはそこから取られたからである。あなたは塵だから塵に帰る」(創世記3:19)