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誰も知らない物語  作者: 恵梨奈孝彦
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他愛もない話

…藤崎が、一瞬ポカンという表情をした。そして驚いたように緒方を見た。

「やっと最初の問題に帰ってきたな。このバカ女め、手間かけさせやがって。おまえが何回も言っていた通り、責任っていうのは行動した結果に対してしか負えないものだ。なんとなく考えてしまったとか、軍人の孫に生まれて育ったとか、そんなものに責任なんか取りようがない。おまえが誰に何を言われたか知らんが、死んだ人間だろうが生きている人間だろうが、取りようのない責任を負えなんて言う奴を信用するべきじゃない。確かにおれには幽霊がいるかいないかなんかはわからん。だけどいるんなら、自分に害を与えた奴のところに出るだろう。いないんならそいつを見てしまうのは、自分は祟られてもおかしくないっていう後ろめたさがある奴だけだ。あの地元の人がなぜおまえに塩をかけてくれたかわかるか? おまえにそんなものを見てほしくないからだ。だから美和子、絶対に見えるはずがないんだ……」

緒方が襟のボタンを外してネクタイを緩めた。隆い鼻に掛けられた眼鏡を外す。彫刻刀で彫りこんだかのような目じりと、くっきりとした眼が露わになる。「美男」とか「美少年」とか「美」という文字はどうしても女性的な印象を与える。「かわいい」と言うためにはどこかに隙のようなものがなければならない。本当にどうでもいいことなので今まで描写してこなかったが、この男の容貌は「かわいい」と言うには端整にすぎ、その印象は「美男」と呼ぶにはあまりにも精悍すぎるのである。

たたんだ眼鏡をなぜか藤崎に突きつけると、男はあくどく念を押した。

「おまえにはな!」

この二人の家は近所にある。幼なじみなのかもしれない。そして家庭調書などの書類で生徒の両親の職業は担任も把握しているが、祖父母のことまでは知らない。しかし家が近所なだけに緒方は藤崎の祖父がどんな人生を送ったかを知っていたのだろう。陸軍軍人の孫である藤崎のために多少強引でも日本軍の弁護をした。だけど藤崎は納得しなかった。そこで「取りようのない責任を負う必要はない」と説得する風に方針を変えた。最初からそうしなかったのは、それをすれば祖父の「罪」だけでなく祖父そのものと藤崎を断ち切ってしまうかもしれないと恐れたからだろう。

そこでそうと知らせず(知られたらうまくいかなかっただろう)三代にわたってからみついていた呪縛から、祖父を責め続けなければ自分も祖父と同じになってしまうという呪いから、藤崎をていねいに解き放った。

…この小僧、何をやってやがる。事後研修の時間だぞ。

由比藤が真っ赤な顔をして緒方と藤崎の顔をかわりばんこに見ている。女子のほとんどは、ぽーっとしたように緒方を見ている。男子のほとんどは、何が起きたのかわからないのだろう、首を傾げている。藤崎は変わらぬ表情で、緒方をじっと見ている。要するに誰もしゃべろうとしない。そして緒方は、やさしく微笑みながら女を怒鳴りつけるという器用なことをした男だが、同じ表情でいるのに耐えられなくなったのだろう、藤崎から視線を外し(藤崎は変わらず緒方を見続けている)、助けを求めるようにこちらを見た。

「結論が出たようだな。班長会議を解散する。各自部屋に戻れ。十時に点呼だ。」

おれがそう言うと生徒たちがバラバラと立ち上がった。弛緩と私語の時間が訪れる。

緒方がレストランの入口のそばで他の男子と、明日の班別研修の昼食はステーキにするかゴーヤーバーガーかを真剣に議論している。

そこへ藤崎がやってきた。

「恭輔、あんたに話があるの…。」

「なんだ美和子、おれの後ろに何か見えるとか言うのか? それじゃ今までの話は何だったんだよ…。まだそんなことを言うようだったらいくらおまえでも…。」

「違うわよ! そのっ、ごめんなさい!」

ペコッという音が聞こえてきそうだ。

「………おれを気持ち悪いとか言ったことか? さっきも言ったように思っているだけなら何の責任もないが、それを表現してしまえば責任が発生する。」

おまえ、いままでのことは理屈を言いたかっただけじゃないだろうな。

「なるほど、だから謝罪というのは筋が通…」

「あたしがあんたのことを! 気持ち悪いだなんて思うわけないでしょ! このバカァ!」

 バカだとは思っているようだ。

 藤崎が緒方の胸くらいの高さからその顔をジロリと睨め付ける。緒方が一歩引いた所で、回れ右をして肩を怒らせて歩いていった。

一流ホテルの廊下をドスドス歩くな…。

 廊下の角で藤崎を待っていた由比藤がニヤニヤ笑いながら緒方に手を振っている。

「はあ、ああいう頭がいい奴にバカとか言われるとマジで傷つくわ…。」

 だからそう思われてるんだって。

 渋い顔で由比藤に手を振り返している緒方を見て思う。

傷つくことを承知でやったんだろうが…。

「なんでおまえだけまだ制服なんだ。風呂には入ったのか?」

「いえ、班長会議がこんなに長引くとは…。」

 おまえのせいだろうが。

「さっきも言ったように十時に点呼だ。点呼後の入浴は認めん。違反したら廊下に正座させるぞ。」

「やべえ、急がなきゃ…。」

 …一流ホテルの廊下を走るんじゃねえ。


この後はもう些末な事だ。

次の日パイナップルパークに行った後、緒方が集合時間に3分遅れてクラスの女子全員から吊し上げられていたが、もちろん放っておいた。(他のクラスの女の子が宅配便を送るのに手間取っているのを見てつい手伝ってしまったらしい。)

他愛もない話。

どうでもいい話。

沖縄の暗く重い歴史に比べれば果てしなくどうでもいいことだ。

この物語は語られることはない。

だから知るはずがない。

そうだ。誰も知らない。

両手に重そうな紙袋を持った緒方を召し使いのように従え(遅刻したことの罰としてクラス全員がそれを望んだ)、国際通りを悠々と闊歩する藤崎を見た。

自らを傷つけた少年によって一つの魂が救われたことを、君は知らない。



筆力の不足から読み取れないかもしれませんが、この小説のテーマはあくまでも「男の子のわかりにくいやさしさ」であり、沖縄戦とそれに関係した人々に何らかの評価をしようとしたものではありません。

沖縄戦で犠牲になられた全ての人々の鎮魂と冥福を心よりお祈り申し上げます。


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