責任の所在
ただ、藤崎にさっきからあのようなことを言わせているのが、そんな表面的な思いではなく、もっと切実なものであることはわかる。
そしてその『切実なもの』が、きっと本人にとっていいものではないだろうということもわかっていた。
藤崎は…、言い終わった後顔を背けている。さすがに言い過ぎだと思っているのだろう、由比藤が、美男とは言えない、ましてかわいいとも言えない緒方の顔を焦ったように見ている。そして緒方は、そっぽを向いた藤崎の横顔を目をそらすことなくじっと見ている。
まずい。
さっきから外が気になって、この話を途中で止めさせようと思っていたが、そうはいかなくなった。
ここで無理に話を終わらせたら、この二人だけでなくクラス全体にしこりが残る。最後まで話させるほかない。せめて沖縄のホテルじゃなく、教室でやってくれよ…。
全員が押し黙った中、最初に口を開いたのは緒方だった。
「あのな藤崎、おれは無意識のうちに日本と自分を重ね合わせて強くなったような気になっているかもしれない。たとえそう意識していたとしてもおまえに言うつもりはない。おまえがさっき二回も言っていただろう。どう思っているかなんてどうでもいい。責任っていうのは行動の結果に対して負うものだと。心の内のことなんて責任を取りようがない。おまえがおれに対して責任を負わせることができるのは、何を思ったかじゃなくて、何を言ったかだ。おれが嘘をついたり、前後で矛盾するようなことを言ったりしたらそれを指摘すればいい。ガマの話にもどるぞ。」
右翼左翼が思想じゃなくてパーソナリティーだとか考えるより、よっぽど正しい態度だな…。
「緒方あんた、そんなことを言ってると本当に取り憑かれるわよ。あたしには見えたの。霊なんかいるわけないと心のどこかで考えてしまったとき、赤ちゃんを抱っこした若い母親の姿が…。」
「なんで赤ちゃんと母親なんだ。」
「あんた本当にガイドさんの話を聞いてないのね…。日本軍の部隊と民間人が一緒にガマの中にいた。敵に見つからないようにと全員物音を立てずにじっとしていた。だけど張りつめた空気に耐えられなくなった赤ちゃんが、火がついたように泣き出した!
敵に見つかることを恐れた隊長は、母親に赤ちゃんを殺すことを命令した!
母親は泣く泣くわが子を手にかけた…。」
藤崎がいつの間にか緒方を見て話している。
「ガマで死んだのは赤ちゃんなんだな。なんで母親も出てくるんだ。」
「…あんたって本当に人の気持ちを想像することができないのね。軽蔑を通り越して憐れみさえ覚えるわ。母親が自らの手で幼い我が子を殺したのよ! 自らの罪の恐ろしさとその時抵抗できなかった悔しさがものすごい念になってあそこにい続けたとしても不思議じゃないわ! まさかあんた、その母親が隊長に逆らえなかったのが悪いとか言うつもりじゃないでしょうね!」
「なんでその隊長の霊が出ないんだろうな…。」
「はぁ? そいつは母親に赤ちゃんを殺させるような奴なのよ!」
「敵に見つかったら全員殺されると思った。そんな時赤ちゃんが急に泣き出した。自分の部下も民間人も、その母親も赤ちゃんもみんな殺されるだろうと思った。被害を最小限に止めようとすれば赤ちゃんを死なせるほかない。もしかしたらガマに避難していた母親以外の人達も、殺してでも赤ちゃんを泣きやませてほしいと思っていたかもしれない。」
「その隊長は、自分が助かりたいと思っていただけかもしれない!」
「確かにな。だけどガマの中で一番階級が高いのが自分である以上決断をしなくちゃならない。隊長がその時どう思っていたにせよ、赤ちゃん以外の全員の命を救うためにはそうさせるしかなかったんじゃないか?」
「その隊長が全員の命を救った? バカ言うんじゃないわよ。そいつは誰の命も救っていない。下らないメンツのために部下や民間人に降伏を許さなかっただけだわ。軍人ほど弱い人間はいない。武器を持っていれば自分が強くなったような気がする。武器を手放せば弱い自分を露呈してしまう。武器を持ったまま死にたいのなら一人で死ねばいいのに!」
「おまえさっき、日本軍が先に避難していた民間人をガマの外に追い出したことを『虐殺』って言ってたよな。ガマの外は危険なのか、安全なのか?」
「危険に決まってるでしょ! 鉄の暴風っていわれるほどの爆弾と砲弾の嵐だったそうよ。
だけどアメリカ軍は日本軍とは違う。手を挙げている者は軍人だろうが民間人だろうが決して命を取らない。だけどみんな殺されるっていう日本軍の宣伝を信じて集団自決した人たちもいた! 全員の命を助けたいんだったら手を挙げて出ていくだけで良かった。だけどその隊長にはそんな勇気はなかった!」
「米軍を信じられなかったんだろうな。」
「民間人の中にはアメリカ軍がどんな軍隊かわかっている人もいた。仲間を説得して手を挙げて出て行き、全員が保護されたガマがあった!」
「アメリカ軍は民間人を保護する方針だったと?」
「もちろんそうよ。現にそういう例が…。」
「おまえさっき鉄の暴風みたいな砲撃と爆撃があったって言ってたじゃねえか。アメリカ軍の砲弾と爆弾には戦闘員非戦闘員識別ビーコンでも搭載されてたのか?」
「あんたふざけてんの?」
「大真面目だ。日本軍によってガマの外に出された人はアメリカ軍の無差別砲爆撃で死んだ。ここでの米軍は悪役だ。日本軍がガマの外に出さなかったからみんな死んだ。手を挙げて出ていけばアメリカ軍が保護してくれた。ここでのアメリカ軍は善い役だ。そして戦後沖縄にいるアメリカ軍は悪役だ。アメリカ軍の評価が二転している。日本(軍)をどの場面でも悪者として描こうとするからこんな矛盾が生まれるんだ。『日本軍がガマの外に出したから死んだ。ガマの外に出さなかったから死んだ。日本が安保など結ぶから悪い』って、怪談そのものがひどく政治的だ。あの隊長は、本当に赤ん坊を殺させたかったんだろうか? 軍人になった以上は敵を殺すことも自分が死ぬことも覚悟していただろう。だけど母親に赤ん坊を殺させる覚悟なんかあったはずがない。だけど米軍を信用していいとも思えない。空と海から民間人もろとも焼き尽くすような奴らだからな。泣く泣く赤ん坊を殺させた。そしてその隊長が戦後生き残ったとしたら、自分が赤ん坊を死なせなくてもよかったと知ったら? そのことをずっと周囲に責めつづけられたら? あのガマにその念が凝り固まっていてもおかしくない。」
「さっき、あんたの話の前後に矛盾があったら指摘しろって言ったわね! 責任を負うのはその時の気持ちにじゃなくて行動の結果に対してだってあんたは言ったわ。」
「確かにな。」
「隊長がその時どんな気持ちだったにせよ、そいつの命令で死ななくてもいい赤ちゃんが死んだ。これは動かせないことだわ!」
緒方がぽつりと言った。
「やっぱり、こっちでは無理か。」
「こっち」とか何の話だろうか。
「ガマの独占だけじゃない。日本軍による住民虐殺は、食糧の強奪もあった。」
「食糧を徴発する権利はどこの軍隊にもあるぞ。大体、軍隊による虐殺っていうのは『アラブの春』のエジプトみたいな、デモ隊に発砲して殺すようなのを言うんだ。沖縄での日本軍の振る舞いを虐殺と呼ぶのなら、当時のエジプト軍のやったことは『超虐殺』とでも呼ばねばならない。」
「フン、あんた幼稚園児? 先生に注意されて『ボクだけじゃないのに…』とか言ってるのとおんなじだわ。他人が同じようなことをしていても自らの罪と向き合う、それが大人ってものよ! 他人が何をしてもしなくても、自分たちの行いを糺すべきだわ!」
「美和子…、おまえにはその資格がない。」
「あんたみたいな甘ったれた奴にそんな風に呼ばれると虫酸が走るわ! ドサクサにまぎれて下の名前で呼ぶんじゃないわよ!」
「その必要があるんだ。もう一度言うぞ。美和子、おまえにはその資格がねえ。」
「はぁ? 何の資格よ!」
「他人が自分よりひどい罪を犯していたとしても、自分は罰せられるべきだと言えるのは、自分の罪に対してだけだ。日本人がしたことだろうが外国人がしたことだろうが、おまえ自身の罪じゃないからには、片方を断罪して片方を免罪するなど許されない。他者の中からある人のみを抜き出して、他の人はともあれおまえだけは罰するなんて言えるわけがない。当事者でも何でもないおまえに、そんな不公平なことをする資格はない。」
「あたしは当事者よ! あたしの持ち物は全て罪によって出来ている。今着ているものさえも罪で出来ている。あたしの体さえも罪によって作られている。多くの死と犠牲によって作られている! だってあたしのお爺さんは職業軍じ」
「先生のお子さんは何人でしたっけ。」
緒方、急におれに振るな。おれは社会の教師じゃないからわからないことの方が多いぞ。
「小学校六年生の息子と、三年生の娘の二人だ。」
「先生のご両親は戦争中何をしていたんですか?」
「母親は女学校の生徒だったけど勉強を教えてもらえずに、登呂の工場でゼロ戦のプロペラを作っていた。父親は高等専門学校の学生で、理系だったから兵隊には取られなかったけど、毎日毒ガスを作っていた。」
「先生は自分の両親の作った兵器が戦争に使われたという理由で、自分のお子さんが責任を取らされるのを許せるんですか?」
これにははっきりと答えられるな。
「許すはずがないだろ。」
当たり前だ。
「何で先生の子供の話になるのよ…。」
「ちょうどおれたちがそういう世代だからだ。おれたちの祖父母の世代はどんな形であれ戦争に協力している。おれたちの両親は自分たちの親が戦争に協力したという理由でおれたちが責任を取らされるのを許すだろうか。」
「………………ママが許してくれないからボクにはできないって、やっぱりあんたはお子ちゃまね!」
「おまえは日の丸を自分の国旗だと思うか。」
「思うわけないでしょ! 日の丸の白は白骨の、赤は鮮血の色よ。」
「なんだかマンガっぽい言い方だな。」
ところでさっき教育界に左翼っぽい人が多いと書いたが、おれが知っているほとんどの教師は、自分をインテリだなんて思ってない。
「なら建国記念日はいつだと思う?」
「一九四五年八月十五日に決まっているわ。二月十一日の根拠なんて何にもないもの。」
「ならおまえは、かつての日本と自分とをはっきり切り離してるじゃねえか。だけど太田少将は、沖縄の今後を恃むことができる日本が残ることを信じていたんだろうな。」
「日本に価値があるような言い方はやめなさい。さっきエジプト軍が民衆に発砲したって言ってたけど日本軍は沖縄で同じことをしたわ。」
「ガイドさんはそんなこと言ってなかったぞ。」
「これに書かれてるわ!」
藤崎は一冊の本を取りだした。新書版でかさばらなかったためだろう。旅行にまで持ってきたらしい。
「『沖縄ノート』ねえ……。」
緒方が眉間に皺をよせて首を傾げた。
「この本の信憑性について議論されていることは知ってるな。」
「軍から集団自決の命令が出たと書いたことに対して名誉棄損で訴えられていた件でしょう? 大江さんは無罪になった。しかも軍が自決を命令したことは歴史的事実だって判決文にも出ていたわ。つまりこの本は裁判で徹底して検証されているのよ。」
「そういう言い方もできるが…、なんていうかこの本は恐ろしく主観的なんだよな…。課題図書だから読んだけど、しょっぱなに本土復帰運動の運動家を反日の闘士みたいに描いているけど、本土復帰っていうことは沖縄を日本にもどそうっていうことだろ? 最初から最後まで沖縄の人はヤマトを拒絶してるっていう前提で書かれているが、地元の人だって実際に考えていることはもっと複雑だろう。それに『沖縄の人』って十把一絡げにしていいのか? 運動家だけが沖縄人じゃない。いろんなことを考えている人がいて当たり前じゃないのか?」
この本を課題図書にしたのは失敗だった。提出された感想文が全て同じ内容なのだ。
「あのねえ、大江さんはノーベル文学賞受賞者よ。世界で最も評価されている日本人の一人なのよ!」
「ノーベル賞作家が書いているなら事実なのか? だったら川端康成の『眠れる美女』も本当にあったことなのか?」
「『眠れる美女』って…、どんな話よ。」
「……………。」
緒方てめえ…、こっちを見るんじゃねえ。おれに説明させるつもりか?
「…おまえらは小説家に何を期待してるんだ。
文芸作品に描かれているのはあくまで自分だ。
沖縄ノートは小説ではないが一種の文芸作品だ。ここで描かれているのは日本人であることを恥じる自分。つまり『自分が嫌いだ』っていう誰でも考えそうなことにすぎない。」
小説家や歌人や詩人が普通の人とそれほどかけ離れたことを考えているわけじゃない。他人と全く違うことを考えていたら読者の共感など呼べないだろう。
啄木の「じっと手を見る」だって、金が無い、金を稼げない、金を稼げなくて家族を養えない自分が情けないっていう誰でも考えそうなことを詠んだにすぎない。
日本に和歌が生まれて何首の歌が詠まれたか知らないが、その何割かは「おまえが好きだ」以外のことは言ってない。
だけどただ「おまえが好きだ」と言ってもその気持ちが伝わらない。「さびしい」って言うだけではさびしさが伝わらない。だからそれを伝えるための技術が要る。
小説を描く才能っていうのは、誰もが思うようなモヤモヤしたものを言葉で表す技術にすぎない。だけど結局それを持つことができず、小説家になりたいなどと言いながら、気がついたら国語の教師をやっている奴もいる。
おれのことはどうでもいい。
「『山月記』の李徴は自分の気持ちを表現する技術を持ちながら他人に伝えたいものが無かった。だから詩人になれなかった。語り手が李徴を『詩人』と呼んだのは李徴が『虎になった悲しみ』というギリギリの気持ちをその技術によって完璧に『詩』の形にすることができてからだ。
小説家が『空が青い』と表現したら、『空が青いと感じている自分』を描いているんだ。
それは『あんなに空は青く澄み渡っているのに、なんと自分は汚れているんだろう』っていうことを言いたいのかもしれない。ここで『汚れた自分』と対照化するために『青い空が必要なんだ。だから自分がどんどんブレていくことを表現するためには空は不動の色でなければならない。自分さえ表現できれば空そのものは青くても赤くてもいい。ここで『空っていうのはただ青いだけじゃない、もっと複雑な色をしている』なんて言っても意味が無い。小説家にとっての『事実』なんてそんなもんだ。」
この「沖縄ノート」に描かれている自分だって大して珍しいわけじゃない。だけど加害妄想じみたおどろおどろしい迫力は物凄い。
まさに怪談だ。
緒方がおれから藤崎に視線を移した。
「だってさ。」
「緒方…あんたまさか、大江さんが嘘を書いているって言いたいの? これは文芸作品だけどノンフィクションだわ。」
「確かにその本の169ページに『集団自決の強制と、抗命による日本軍からの射殺』って書いてあるけど、この本はそういう事実があったことの証拠にはなり得ないんだよ。」
「理由っ!」
「奥付を見るとこの本が出版されたのは70年の9月だ。プロローグが描かれたのさえ69年の1月、さっきの集団自決と抗命についての下りがある『戦後世代の持続』の章が書かれたのは70年2月だ。あきらかに戦後に書かれている。つまり大江健三郎が戦後にこれを書く前に参考にした資料があるはずだ。検証すべきはその一次資料だ。史実を検証するためには後世書かれたものじゃなく、当時の資料が必要だ。例えば軍の公文書だとかそういった…。」
「馬鹿ねえあんた、そんな都合の悪いことを公文書に書くわけないでしょ!」
「確かにな。例えばの話をしよう。現在ではツタンカーメン王の墓を作った人々は奴隷なんかじゃなく、労働者として扱われていたと考えられている。なぜか? たとえ当時の資料に当時の王様がとても慈悲深いとか書いてあったとしても、それを鵜呑みにして奴隷なんかいなかったと考える研究者はいない。だけどツタンカーメン王の墓を作った人々の当時の出勤簿が出てきたんだ。それにはナントカさんが二日酔いで仕事を休んだとか書いてある。奴隷が二日酔いで仕事を休めるわけがない。」
その理屈だとおれも奴隷になるぞ…。
「それ以前に奴隷が二日酔いになんかなれるわけがないな。ならその出勤簿は当時の王が奴隷など使っていないことを後世に伝えるために作られたものなのか? それはちょっと考えられない。出勤簿なんてただの事務記録だ。史実を検証するためには当時の事務記録、つまり公文書などを照合して分析する必要があるっていうのはそういうことだ。あの名誉棄損の判決文も戦後だいぶ経ってから出された。あの文章自体には何の証拠能力もない。」
「あのガイドさん、いくつだっけ。」
「今十八歳で、来月十九になるそうだ。地元の高校を去年の春卒業して今のバス会社に就職した。水瓶座のAB型だそうだ。趣味はピアノを弾くこと。特技はお菓子作りだそうでクッキーぐらいかと思ったら結構本格的で、チョコレートムースとかパウンドケーキとか作れるらしい。彼氏はいない。どうだ、おれもガイドさんの話をちゃんと聞いているだろう?」
「………。」
「…すまん調子に乗った。そんな目で見るんじゃねえ。」
「…あんたはさっき、『ガイドさんは日本軍が民衆に発砲したと言わなかった』って言ってたけど、あのガイドさんはどう見ても戦後生まれよ! ガイドさんのあの説明だって当時の資料なんかじゃない。大江さんの本よりずっと新しいわ! なんでガイドさんの今日の言葉が大江さんより信憑性があるのよ!」
「ガイドさんは『日本軍の虐殺』と言っていながら『民衆を射殺した』とは言わなかった。そう言えば『虐殺』だという説得力が決定的に増すのにあえて言わなかったのは、今はそのことについて議論がなされている最中でまだ結論が出ていないから、正確を期すために避けたんだろう。どちらにしろおれたちは一次資料を検討したわけではない。そんなことをしたことのある人間はこの部屋の中に一人もいないだろう。」
だからおれは社会の先生じゃないってえの。
「その本について今おれたちがわかっているのは、紙に字が印刷されているっていうことだけだ。」
「確かにこの本についてはそうかもしれない。つまり沖縄戦についてのわたしたちの知識は又聞き、又聞きの又聞きでしかない。だけどわたしたちがこの沖縄に来て直接知ることができたことがあるわ。それはガマに霊が出るっていう話を『沖縄の人々が語り伝えてきた』っていうことよ。これはわたしたちが自分の耳でしっかりと聞いた。この『語り伝えられてきた』っていう事実は、日本軍の仕打ちを沖縄の人々がどう思っているかのはっきりとした証拠になる。沖縄の人たちは自分たちにひどいことをした奴らに、不幸な死に方をした人たちの霊を見てほしかったのよ!」
「だからおまえには見えるはずがないんだ。」