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サード  作者: 篁頼征
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二、変容

「もし、お前さんたちが厭でなかったら、立会人に名を連ねちゃくれねぇか」

 亀蔵はそういってにい。と笑った。百五十年程生きている、この島々でも指折りの名士である。領主スカラは親友だが、本来は亀蔵にその任が回ってくるところを、「柄じゃねえよ」と断った話は有名であった。

「え……」

 思いがけず居合わせただけのアナは、戸惑うばかりであった。一方、一瞬迷うような顔つきをしながら、肯いたリウは、早速花婿の傍へと歩き出した。

「俺が居ても構わないなら」

 その言葉に、アナの胸がどきん。と高鳴る。居ることを許される。それは、何と甘美なことだろう。出ていけとはっきり口に出して言われた訳ではないが、祖父リオの言葉は、暗にそういわれているに等しい。アナはただでさえウミイグアナ族の誰とも似ておらず、肩身が狭い思いをしていた。しかし、リクイグアナ族の容姿かといえばそういう訳ではない。宙ぶらりんな自分が存在出来る場所はどこにもないと自覚していても、今はまだ祖父の庇護下に居ることが出来る。居場所が無くなる事を、彼女は酷く恐れていた。寄る辺なき身の上を、身の置場を、ずっと探していたといえる。

「私も……ご迷惑でなければ、是非」

 気がつけば、そう言いだしていた。その背後から銀色の月が煌々とした光を地上に投げかけている。おずおずとした自信なさげな口調とは対象的に、温かく柔らかい微笑みは、リウの心に深く刻み込まれた。逆光なのにそれがきらきらしく輝いて見えたのは、礁湖が月の光をはねかえしていたからだろう。リウはそう思いこむことにした。



 大騒ぎになるほどではないが、程良い喧騒に包まれたそこで、アホウドリ族のウドとホウのカップルは、晴れて夫婦となった。アホウドリ族は、一生涯番う相手を変えることはない。番の絆の強さは、鳥の仲間の中でも随一だろう。それを聞いたアナは驚いた。それは、今までアナが祖父リオから教えられていた価値観とは、百八十度異なるものだったからである。強い雄がハーレムを形成し、雌はそれに従うのみ。それが今までアナが教えられてきた価値観であった。強い雄と番い、強い子を産むことだけを良しとするそれは、アナには耐えがたい程に苦痛であった。それでも、ウミイグアナ族の一員として生きる以上、その枠から逃れることは叶わない。種族が違えば、そういう生きかたも許されるのか。とアナは密やかに涙を零した。



「あの」

 何時の間にか隣にリウがいた。鋭い爪で頬のあたりを軽くかきむしりながら、アナの顔色を窺っている。

「感動の涙とかならいいんだけど。女の子なんだからさ。でも、すごく淋しそうな顔をしてる。祝いの席にそれは失礼だと思う。ちゃんと、ウドとホウを祝福してあげないと。ああ、責めてるわけじゃなくて、そう見えたから気になって……。何言ってんだ、俺」

 黒っぽい皮膚に浮かぶような斑の模様が、血色が良くなったせいかよりはっきりと見える。

「ありがとうございます。羨ましくなってしまって、つい……。素敵なご夫婦ですよね」

「ああ、旦那はひょうきん者で、でも奥さんはしっかりしてて。いいコンビだと思うぜ。あ、サンキュー」

 最後のは、祝いの酒を渡されることに対するお礼の言葉で、リウとアナは顔を見合わせながらそっと微笑みかわした。その瞬間、互いの鋭い爪の先が、一瞬だけ触れた。まるで電流が走ったような衝撃を受けて、リウとアナは、改めてお互いを見つめた。それぞれ、一族からのはみ出し者である。そして、お互いに、一族の誰よりも、似ていた。まるでそう、親子か兄弟のように。



 一夜明けて、リウは一族のねぐらへ戻った。だが消しても消しても、脳裏からはずっとあの不思議なアナのことが頭から離れない。それは、特殊な接着剤か何かで貼り付けられたかのように、強くつよく頭に刻み込まれているようだった。そう、まるで深い覚悟のもとに彫りあげた、鮮やかな刺青のように。ねぐらで輾転反側しつつ苛々を募らせてみても、それでどうにかなるはずもない。暫くごろんごろんと転がっていたが、リウはウチワサボテンのある、あの礁湖へと足を向けていた。

 昨日のことが嘘のように、乾燥した空気がリウを迎えた。白い砂は彼が歩くたび、ささやかな抗議の音を立てている。いつも昼寝をしているウチワサボテンに爪をかけたところで、ふと視線を感じて振り向いた。

「リウ…様?」

 日の光の中で彼女を見るのは初めてだ、と妙なことを考えながらリウは彼女を見た。黒っぽい皮膚はウミイグアナ族の体を連想させる。しかし、その肌にある斑のような紋様は、寧ろリクイグアナ族のそれに似ていた。そして、それは彼自身と極めて良く似ている。

「いやあ、驚いた」

 驚きから立ち直ると、ようやくそれだけを呟く。他に言葉が思いあたらなかったのだが、かといって双方に共通する話題もあまり多くはない。

「こんにちは、いいお天気ですね。アナ様」

 にっこり微笑んでみると、アナは少し顔を赤らめたように見えた。

「リクイグアナ族の方で…ウチワサボテンに登る方を、初めて拝見しましたわ」

 リクイグアナ族は、爪が鋭くない。リウは一族の誰とも違った鋭い爪を持っていた。それでウチワサボテンをはじめとした樹木などに登ることが出来、サボテンの花や蜜も含めて堪能している。

「俺は一族の中の変わり者だから」

 自嘲するように軽く鼻から息を吐くと、まるで申し合わせたように相手からも溜息が零れていた。

「お」

「あら」

 目を合わせると、どちらからともなく、笑みが零れる。

「嬉しいですわ。私も、一族の厄介者ですの」

 微笑みの中に潜む淋しげな様子に、リウの胸が高鳴った。

「俺たち、何か似てる?」

「ええ、外見だけではなくて」

 言葉さえも、邪魔になるような気がした。互いの瞳には、互いの姿が映りこんで、他には何も見えなくなりそうだった。もし、何も起こらなければ、そのままずっと動かずに双方とも化石になってしまったかも知れない。間近でフィンチの羽ばたきが聞こえて、我に返らなければ。心地よかった沈黙を突き破るには、ほんの少しの勇気が必要だった。だが、この偶然の出会いを、彼は自分にとって必要なものだと感じていた。

「アナ様。明日もまた、ここで会えないかな。俺は、あなたにまた会いたい」

 その言葉に、アナの心臓は早鐘を打った。緊張して、頭が真っ白になっている。

「……はい、喜んで」

 それだけでも答えることが出来たのは上々と言えるだろう。リウは彼女の手をそっと取って、軽く口付けをした。

「リ…、リウ様っ…」

 そっと見上げるように微笑む。

「では明日、また」

 相手が狼狽している隙に身を翻して立ち去ったのは、赤くなっている顔を悟られたくないからかも知れない。こうして、リクイグアナ族長の孫と、ウミイグアナ族長の孫は、約束を交わした。それが、ふたつのイグアナ族に大きな嵐を呼ぶことになるとも知らずに。



 リウとアナは礁湖の傍で毎日のように逢瀬を重ねていた。あっという間に双方の距離が短くなっていったのは、当然の成り行きと言える。リクイグアナ族とウミイグアナ族を隔てるはずの壁が、リウとアナの前では、まるで存在していないかに見えた。だが、その様子に気付いて懸念を抱いたものがいる。アナの親友であるアンジェと、リウの幼馴染であるバルである。当初、アンジェは無理矢理ハーレムに入れられそうになったアナが、それから逃亡をはかっているだけだと思っていた。だが、出掛けるアナが日に日に明るい表情になっているのに気付いて、彼女に何か異変が生じていることに気付いた。ハーレムに入らないのは、相手が気に入らないからだと思っていれば良い。いつか、気にいる相手に出会えるだろうとアナの祖父よりは鷹揚に構えていたが、それが甘かったことを自覚せざるを得なくなっていた。アナを尾行することを思いついたのは、アナの明るい表情の理由と、それを自分に隠す理由とを知りたかったからである。素早く迂回路を取るアナの行動に、当初は途中で撒かれていたアンジェも、五日続けて同じ道を辿っていることに気付き、その都度以前に撒かれた地点で待つようにしてようやく尾行に成功した。そこで、リウと親しげに話すウミイグアナ族長の孫娘を見て、あまりの衝撃にへなへなとその場に座り込んだ。親しげにアナの手を取り、微笑みを交わしているリウは、アンジェには悪魔か死神のように映った。

「アナに…、お嬢様に何をしているのっ?!」

 激昂したアンジェの様子に驚いたのは、アナである。

「アンジェ?! どうしてここに!」

 そのままウチワサボテンに登ってきそうな剣幕に、長の孫娘は慌てふためいた。

「こんなのに誑かされてはいけません! さあ、早く戻りましょう!」

「いやよ、アンジェ。私、リウ様のお傍に居たいの」

 突然のウミイグアナ族の登場に驚いたものの、アナの言葉に一瞬照れて顔を赤く染めたリウだったが、アンジェの言葉には精神の箍が外れかけた。

「誑かす?! アナは自分の意思で俺と一緒に居てくれるんだ」

「嘘おっしゃい。リウという名はリクイグアナ族の長の孫だと聞いています。リクイグアナ族なら皮膚の色は黄色っぽくて、斑なはず。あなたはリクイグアナ族の長の孫の名を騙っている偽者でしょう!」

 決めつけの言葉ではあるが、リクイグアナ族のはみ出し者である彼の胸には、鋭く突き刺さった。

「俺はリウだし、リクイグアナ族の長マキは俺の祖父だ。母は既に他界している。確かに俺はこんな形だが、マキの孫というのは俺以外にはいない。俺は誰の名も騙ったりしていない」

「何を言うの、アンジェ! 私だってお祖父様はちゃんとしたウミイグアナらしい容姿をしていらっしゃるけど、私自身はこんな斑でみっともない体だわ。リクイグアナ族にだって、リウ様のような姿の方がいらしてもおかしくはないでしょう?! リウ様を辱めるようなことを言わないで!」

 常ならぬ興奮したアナの様子に、アンジェは戸惑いを隠せなかった。必死にリウを庇おうとするアナの姿に、リウは深く感銘を受けていた。

「アナ…」

「私は自分自身の意思でここに来、ここに居ます。ウミイグアナ族としては妥当な行動とは言えないかも知れないけれど、お祖父様やお母様の名を辱めるようなことはしていない! それだけは胸を張って言えるわ」

 毅然としたアナの姿に、アンジェは目を瞠った。いつも自信なさげに俯いていた姿が、まるで嘘のようだった。

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