人殺しの娘は
私の父は人殺しだ。
殺したのは名前も知らない男。ちょっとした事で揉め合い、酔っ払っていた父は勢い余ってその男を殴り殺した。
父は何度も何度も男を殴った。
どんなに抵抗されても逃がさず何度も。
その拳がずたずたに傷ついても何度も。
部屋中が返り血で真っ赤に染っても何度も。
その様子を10歳の子供が見ていても、何度も。
何度も
何度も
何度も
何度も、殴って。
その男の顔も父の拳も“ねちゃねちゃ”になったとき、ようやく父はその振り上げられた真っ赤な“ねちゃねちゃ”から力を抜いた。それから父はしばらくその場を動かなかった。名前も知らぬ男はもう動かなかった。私も、動けなかった。
それから父は自首した。警察を呼び、自分が行った罪を吐露した。しかし父は決して謝罪の言葉を口にしなかった。“これは罪だが、謝るつもりは無い”。そう言い放った父を多くの人間が軽蔑した。そうして私も軽蔑された。
人殺しの娘はどうしたって奇異な目で見られる。クラスで散々いじめられて、近所では冷ややかな目で見られて避けられた。母は気がついたらいなくなった。私を置いてどこかに消えた。母がいなくなってから名無しの封筒が毎月届き、そこにいつも無けなしのお金が入っていた。
それを使って私は生きた。
1人、雑草みたいに。
踏み潰されては背伸びして、踏みにじられては顔上げて、
私は生きた。
そんな時間を過ごして20歳になった私は、父に会いに行った。父はもう寝たきりの状態で息も絶え絶えだった。癌にかかっているのだとか。警察病院のベッドで寝込む父に面影と呼べるものはほとんどなく、正直この人は本当に父なのか分からなかった。しかしその人のその左右の腕の“先っぽ”を見た時、私は確信した。
“お父さん”と呼びかける。
その人は微かに、本当に微かに目を開ける。その隙間から見える黒い潤んだ玉に語りかける。
“お父さん”
“ねぇ、お父さん”
この10年間、私は沢山苦しんだ。生きていたいと思った日は数えられるほど。自分でも何故死ななかったのか不思議。だけれど“死”というワードを思い浮かべるだけで想起されるあの真っ赤な画。あれが“死”であるならば私には手を伸ばせる代物ではないように思ったのだ。あそこまで私は行けない。ああなれない。
“白馬の王子様、なんて言うけれど、王子様に白は似合わない。私はね赤だと思うんだよ。ねぇ、お父さんーーー”
息を吸う、大きく、うっとりと。
「赤い塊に跨ったあなたを、私は10年経っても覚えてるんだよ」
私はその“よぼよぼ”の塊に跨る。拳を振り上げる。今はまだ“拳”であるものを、高く、高くーーーーーー
アア。
キレイダナア。