春を突き抜けろ
親元を離れてやって来た。
やっと一人暮らし。
僕の恋もきっとこの都会で花開くに違いない。
そんな気がする。
僕は木村裕也。
高校までは文芸クラブ。でも、スポーツだって得意だ。カッコいいかどうかは別として。ただピアノを弾くから球技はできなかった。そう、僕はピアノも好きだった。けれど、ピアニストになるということは無理。だから音楽はあくまでも趣味。将来は、何になるかまだ何にも決めてい。親たちには一応いろいろ夢を語って田舎から脱出した。
だから、約束として一応は教職を取らないといけない。
僕が憧れている彼女は浮橋麗。
あれは一年前のこと。
図書館で学校案内を見ていたら分かったんだ。麗が東華大学を受けるって。
彼女は高校のクラスメート。ロングヘアをいつもポニーテールにして可愛いんだ。女子はロングヘアにしてる子は多いけど、髪ばかり触っている子ってなんか嫌なんだよな。その髪汚れてるの知ってる?って言いたいよ。まして垂らした髪を授業中触り続けて枝毛を探してるってたまらない寒気がするよ。
それに比べて浮橋麗。名前まで美しいなあ。髪もつやつやでそれをきりりとポニーテールにすると、項も白くてきれいなんだよなあ。足も速いんだ。体育祭のリレーでもアンカーだぞ。僕といっしょ。彼女からバトンを貰いたかったのに、僕は白で彼女は赤だったんだ。ホントにショック。。
声も綺麗で、音楽の授業で彼女が歌うとみんなうっとり。どこまでも伸びるソプラノ。僕だけではないんだ、彼女にあこがれる奴。アメージンググレイスなんて歌ったらみんな死ぬぞ。
その麗と、大学が一緒になるかもしれない。僕は入試に命を掛けることにした。
急に頑張ってる息子に両親とも驚いていた。
「やっとやる気になったのか」
「ホント、あの子は大器晩成と思っていたけどよかったわ」
だから合格した時はみんなで大喜びしたよ。京都にいる大学生の姉は約束と違うと文句を言ったけど。
「裕也、あんた京都に来るからって部屋もちょっと広いところを借りようって言ってたのに。どうして東京に変わったのよ」
「僕の進路を考えたら東京の方がいいかなって」
「変よ、大学より東京か京都で決めるって」
「まあまあ、そっちも一人の方が気楽だろ」
「それはそうだけど」
「知ってるよ、ときどき恋人来てるだろ」
「え? な、何よ。誰が言ったの?」
慌てるところはホントなんだな。かま掛けただけなのに。当たっちゃった。
学校で合格者の名前が張り出されてる。個人情報がとかいう割には、学校の廊下にはまだ出るんだよな。私立なら仕方ないか、宣伝にもなるしな。
東華大学のところに浮橋麗、隣に木村裕也、いい感じだ。でも、その次に富樫新之助。これは問題だ。富樫はバスケットボールのキャプテンで親も歯医者。兄貴が歯学部で、こいつも歯学部。僕と麗は教育学部。しかも、富樫は麗と幼馴染だって。くそ、そういうのはずるいよ。ときどき二人で話してるの見たよ。でも、恋仲だなんて噂はない! 断じてない! 妙に一人で興奮してきた。
「あら、木村君」
「あ、浮橋さん。お互い受かってよかったね」
「ええ、頑張ったもんね」
「ああ、もうしばらくは勉強はいいよ」
「これからが本番よ」
「そ、そうだね」
僕はもう一生分勉強したし、望みは叶ったんだけど。
「いつ行くの? 部屋決まった?」
「まだ、今週末決めてくる」
「私もよ。母と一緒に飛行機で」
「僕も。二時の便」
「わあ、おんなじ。偶然ね」
「そんなことあるんだねえ」
神様、この偶然は必然じゃないの?
そういう運命じゃないの?
「あら、木村君、鼻血が」
つーつーつー。鼻血なんてもう何年も出たことないのに。死にそう、恥ずかしくて。
「はい、どうぞ。拭いて」
差し出すティッシュ。これまたかわいいケースに入ってる。
一枚では収まらないほど出てくる鼻血。柔道部の林が通りかかって指差して笑った。
「お前、きれいな麗ちゃん見て鼻血って、なんだよぅ、笑えるう。おいおい、みんな来てみろよ」
最悪、向こうからサッカー部の団体が・・・。
笑い声が学校中に聞こえた気がする。
僕が廊下までこぼした血を麗ちゃんが拭いてくれた。
穴があったら入りたい。
「ごめんね」
僕は誰にも聞こえないほどの小さな声で謝った。
「大丈夫よ、そんなこと。来週はもう卒業よ」
「うん」
僕よりずっとお姉さんみたいだと思った。
そして紺のブレザーに赤のチェックのスカートの麗がまるでナイチンゲールのような白衣の天使に見えた。
麗は一言こう言った。
「ねえ、木村君、ピアノ弾いてくれない?」
「え? 知ってるの?」
「もちろんよ。中学校の音楽会を見に行って、あなたの伴奏でみんなが歌うのを聞いたわ」
「そうか、何弾いた?」
「あの時は聖者の行進」
「ああ、あれか。ちょこっと弾いたらみんながノリノリになるって言われて」
「よかったら聞かせて」
「い、いま?」
「うん」
予期しないことになった。
僕のピアノって、そうか、そうなんだ。やっぱり神様っているんだなあ。ここがチャンス。
今日は授業はないみたいだな。三年はテストが済んだ人しかいないし。
ひんやりした音楽室。ベートーベンやショパンの肖像画がずらっと並ぶ。みんな僕たちを見てるのか。妙に緊張するなあ。
まずは子犬のワルツから。
これ好きなんだ。麗は目をくるくるさせてすごいって呟く。
次は聖者の行進。ジャズっぽく。
喜ぶ麗。
弾き終ると、麗が言った。
「東京でも聞かせてね」
「いいともーーーーーー!!!」
今日二度目の鼻血です。
そして大学生になった今、麗は僕の部屋にきてピアノの音にうっとりしてる。
でもなぜか、これから富樫も一緒にランチに行くって。
気を利かせろよ。
春うらら 君の瞳に うつるのは 恋に目覚めたにきび面なり