九巻 甘酸っぱい彼女の微笑み
まずい…
これは非常にまずいぞ…
「あー…つまりね…」
一也は鋭い視線で俺を見ている。訝しげな疑いをかけた瞳をして。
「ほんとは保健室に行ってたんだよ…眠すぎて…」
俺はその視線からすり抜けようと、するりするりと視線を反らす。
彼を騙す罪の意識を感じながら。
「じゃあ、なんで始めから言わなかった?」
それを追うようにして、一也はじっと俺を見る。
「普通に言えることだろ?」
訴えるような痛い目をして。
一也はたぶん気づいている。
俺が昔から何かを抱えていて、それを必死に隠そうとしていることを。
「だから…」
俺が答えようと口を開いたそのとき…
「春人くんっ!」
ふいに少女の声がした。
聞きなれた、透き通った声。
「良かったぁ、見つかって。ずっと探してたの。」
彼女は教室の入り口の前に立ち、にっこりと微笑んだ。ウェーブのかかった栗色の髪がふんわりと揺れる。
「…あやの?」
一也が俺から視線を反らす。
「なんであ…文無月が…」
それから俺にもごもごと問いかけた。
「ハルを名前で呼ぶんだ?」
さっきよりも訝しげな、驚いた顔をして。
「俺が聞きたいよ…」
俺もぽかんっと、微笑む文無月綾乃を見つめていた。
◆
文無月綾乃。
俺たちと同じ豊穣学園高等部二年で、生徒会書記を務める活発な少女。
生徒会長の一也とは幼馴染みで、親しい仲。
よく共に活動しているのを見かける。
二人寄り添うようにして、柔らかな笑みを浮かべて。
俺はその光景を見る度に、甘くむずがゆい気持ちになった。
言い知れない憎悪と羨望。
一瞬にして、一也を嫌いになった。
「春人くん?」
その彼女が今、俺の名前を呼んでいる。
一也を呼ぶのではなく、俺を。
訳が判らない…
一也を呼ぶなら判る。
日常茶飯事なことだから。
だが、俺は彼女に呼ばれるような仲じゃない。
顔見知りではあるが、挨拶程度の会話を交わすぐらい。
それなのになぜ俺を『春人』と呼ぶのだろう…
一体なぜ?
なんだか春人が可哀想ですが、設定的にしょうがないんです〜(^_^;)
次回は葉詩も登場して、今よりどたばたになりそうです(笑)
またよろしくお願いします!