第86話 追憶・賢者の蛮行
東京から帰った影山を迎えたのは、刹那の眩い笑顔であった。
「先生、お帰りなさい。ご飯にする? お風呂にする? それとも……わ・が・し?」
そう言って、手作りの抹茶カステラが乗った紙皿を差し出す。
「美味しそうだね、頂いておくよ」
「まさかのスルーっ!?」
渾身のボケを無視して皿を受け取る影山に、刹那はショックを受けて目眩を起こす。
そんなアホ娘に溜息を吐きつつ、京子も准教授を出迎えた。
「先生、会議の方はどうだったんですか?」
「今日は改めて幻想兵器の仕組みを説明した程度だよ、本格的な話はまた今度かな」
その本格的ではない話で、幻想変換器にCEコアの結晶が使われているという爆弾が破裂していたのだが、影山はあえて口にしない。
「こちらは特に問題もなかったかな?」
「はい、問題はありません。ただ――」
「ベルト型の変換器が欲しいですっ!」
刹那が元気よく手を挙げて告げると、影山は珍しく残念そうな顔をした。
「そうか、刹那君は東の映画派だったか、僕は円な谷派でね……」
「何言ってんですか?」
また普通の女子には分からない、オタク臭い事を言い出した准教授に、京子は思わずツッコんでから事情を説明する。
すると、影山は笑顔に戻って頷いた。
「分かった、では考えておくよ」
そう言って、抹茶カステラを持ったまま倉庫を出て、寮の方へと姿を消した。
「よかったじゃないか、刹那」
綾子が微笑しながら肩を叩くも、刹那は喜ぶどころか難しい顔で考え込んでしまう。
「う~ん、先生って抹茶が嫌いだったのかな?」
何かと思えば、影山が抹茶カステラに手をつけなかった事を気にしていたのだ。
「どうかしら、好みを聞いた覚えはないけど」
研究室の学生を誘って食事に行くようなタイプでもなかったので、京子も一緒に食事をした記憶がない。
仕事の都合で会食に招かれる事もあったので、人に食事を見られるのが嫌という事もないだろうが。
「食い物にこだわるタイプには見えんな」
「ちゃんと食べてるのかな……」
心配して顔を曇らせる刹那を見て、綾子はギョッと驚いた顔をする。
「まさか、あの男に気があるのかっ!?」
まるで父親のように心配して肩を掴まれ、刹那は苦笑して首を振った。
「それはないって、先生はイイ人だと思うけど、恋人には絶対にしたくないもん」
「貴方、サラッと酷い事を言うわね……」
そう言う京子も、人の都合を気にせず振り回す准教授を、彼氏にしたいとは微塵も思わなかったが。
「先生、私の事は凄く褒めてくれるし気にかけてくれているけど、『私』は見ていない感じがするんだよね」
「刹那のくせに難しい事を言うとは、熱でもあるのか?」
「なんだとーっ!」
からかわれて怒る刹那をあしらいつつ、綾子は心の中で同意する。
影山明彦という男は、刹那に限らず全ての人を、自分さえもゲームの駒のように達観して見ていると感じていたからだ。
(そんな計算で動く奴だからこそ、幻想変換器を政府に認めさせられたのだし、私利私欲に走る事もないと信じられるが……)
だからこそ、千のために一を切り捨てる方法を、平然と選択する怖さがある。
政治や軍事、果ては生き物という観点から見ても、大を生かすために小を切るのは間違いなく正しい選択であろう。
しかし、正しさだけでは生きていけないのも、人間という不完全な生物である。
「…………」
「綾子ちゃん、難しい顔しているけど、ひょっとして……太ったの?」
「それはお前が心配しろ」
綾子は胸の不安を溜息と共に吐き出し、アホで可愛らしい妹分の腹を叩いた。
「毎日毎日、菓子を作っては食いおって、豚になっても知らんぞ」
「大丈夫だって。私、脂肪は全部オッパイにいく体質だもんっ!」
この頃から六年後まで胸囲がほぼ変化しなかった、どこかの猪娘やイケメン女子が聞いたら、血の涙を流しそうな事を言って胸を張る。
そんな彼女にカロリーを消費させるためでもないが、翌日に出撃命令が下りたのだった。
十二月ともなれば群馬も雪が積もり、砲弾の穴だらけとなっていた軽井沢の地も、白く化粧されて戦争の爪跡が見えなくなっていた。
とはいえ、ここが戦場には変わりない。
新町駐屯地から出撃した10式戦車の中隊は、一列になって行進して雪を踏み固めていく。
もちろん、これは戦車のためではなく、大剣を手に戦う少女の舞台を整えるためである。
その少女こと刹那はというと、黒いセーラー服に黒ストッキングという、誰かの趣味でも反映されたような恰好で、寒そうに戦車隊を眺めていた。
「うぅ~、変換器に暖房機能があったら良かったのに……」
「無茶言わないの」
そうツッコミを入れる京子の方は、コートを着込んで防寒対策はばっちりである。
戦闘になれば防寒着は邪魔であるし、何より戦っている姿を撮影し、後で動画サイトに配信する関係上、見た目のために厚着できない刹那とは違うのだ。
「寒いな~、早く来てくれないかな~……」
「お望み通り、来たようだぞ」
刹那が体を温めるためにスクワットを始めた頃になってようやく、自走砲の射撃を逃れたCEの集団が姿を現した。
「十五体といったところか」
「よし、行ってくるね」
刹那はすっかりと戦いにも慣れた様子で笑みを浮かべ、戦車隊が作ってくれた雪の舞台に歩いていった。
「嬢ちゃん、今日も頼むぜ」
「うん、任せて!」
「刹那ちゃんのおかげで、最近は俺達の出番がなくて暇でな、少しくらい取り逃がしてもいいぞ」
「あははっ、残念ながら今日も10式ちゃんの大砲はお休みだよ」
戦車隊の面々と軽口を交わしながら、雪の舞台に立った彼女の元に、二台の動画撮影用ドローンが飛んでくる。
「ちゃんと映ってる?」
『映ってるから気を抜かないでね』
カメラに手を振る刹那に、通信機越しに京子が注意し、続いて影山が声をかける。
『ところで刹那君、そろそろフラガラッハを使ってくれるかな?』
「えっ、もうですかっ!?」
刹那は意外な命令に驚き、遠くのCEに目を凝らした。
前は百mくらいまで引き付けてから投擲していたのに、今日はまだ八百m以上も離れている。
「流石に届かないんじゃ……」
『大丈夫だよ、今の君が本気で使えば届くはずだ』
「…………」
全てを見透かす声で断言され、刹那は黙り込んだ。
羽のように軽い光の剣は、鉄をも切り裂く刃『クルージーン』として振るう分には疲れないが、フラガラッハとしての自動追尾能力を発動させると、幻子干渉能力を消費してどっと疲れが出る。
そうなると白兵戦に支障が出るため、刹那は能力をあまり使わず、接近戦主体で戦う事が多かった。
実際、野生動物顔負けの俊敏さを持つ彼女なら、それで十分にCEを倒せてきたのだ。
そのため、刹那はここ最近、本気でフラガラッハを発動させた事がない。
もっとも、それは体力の温存だけが理由ではなかった。
無意識の内に恐れがあったのだろう。この『力』を使えば、何か取り返しのつかない事になるのではと。
『頼むよ、政府を納得させるのに必要なんでね』
「……分かりました」
影山に重ねて頼まれれば、刹那に否応は無い。
弟を安全な場所に連れていってくれた彼の恩に応えるため、彼女は戦場に立っているのだから。
「武装化」
刹那は輝く大剣を呼び出して振りかぶり、六百mほどまで近づいてきたCEに向ける。
そして、光の剣が持つ属性の一つ、光神・ルーの持つ『フラガラッハ』としての力を解き放つ。
剣自らが意思を持って動き、必ず敵を切り裂く応答弾を。
「貫け、フラガラッハ!」
雄叫びと共に、全身のバネで大剣を投げ放つ。
彼女の手を離れた瞬間、大剣は眩い光の線を描いて宙を駆けた。
それはまるで、輝く腕が伸びたように見えたため、『長腕』のあだ名をつけらた光神・ルーの再現。
音速を突破した大剣は、一瞬で最前列にいたCEのコアを貫き、衝撃波が結晶を粉々に吹き飛ばす。
だが、そこで終わらない。
斜め後ろにいた敵、そのまた後ろの敵と方向を変え、応答弾の異名に相応しい生物のごとき軌道で、瞬く間に三体のCEを破壊する。
そして、唖然とする持ち主の手元に、ゆっくりと飛び戻ってきたのだった。
「嘘……」
『嘘じゃない、これが君の力だよ』
刹那の耳に、影山の賞賛と拍手が鳴り響く。
射程は五倍、撃破数は三倍、単純計算で十五倍ものエネルギー向上を果たした訳だが、准教授にとっては予想通りの結果であった。
幻想兵器やその使い手である少女の事を、誰も知らなかった数ヶ月前とは事情が違う。
例えそれが偽物だと疑っていても、刹那の動画を見た者達は彼女を、CEと戦う英雄という存在を知ったのだ。
今はまだ数万人程度の少ない認識でも、束ねればこれだけの力となるのは必然。
『まだまだ余裕だよね、残りも蹴散らしてくれるかな?』
「は、はい」
刹那は命じられるまま大剣を振りかぶり、再び光剣の能力を解き放つ。
その日、彼女は一度も接近戦をする事なく、遠距離から一方的に十五体のCEを撃破した。
その活躍に京子達や戦車隊の皆は喝采を上げ、この日の動画は剣の聖女・天道寺刹那の名をさらに広める切っ掛けとなる。
しかし、当人である刹那だけは、声をかけても愛想笑いを返すだけで、心あらずと何事か考え込んでいる様子であった。
勉強は出来なくとも勘は人一番鋭い彼女は、おそらく気付いていたのだ。
かつて、自分の両親や大勢の市民を蹂躙した、CEという結晶の怪物。
それを輝く幻想の大剣で、一方的に屠る自分。
人々は自分を『英雄』と褒め称えるが、それは『怪物よりも強く恐ろしいモノ』と同義なのではないかと。
ただ、気付いた所で、彼女は戦場という舞台から降りる事はできない。
そして、他にも気付いた者は居たのだ。
某国某所、盗聴防止のため窓がなく、狭苦しく感じる部屋の中で、数名の男達がテーブル越しに顔を見合わせていた。
いずれも国の安全保障に携わる重鎮であり、決断を誤れば何百万人という国民が死ぬという重責を担っている。
CEとの戦いが続き、その有効対策が一分一秒でも早く求められている今、男達が手元のタブレットPCで見ていたのは、結晶体に関する資料ではない。
それを輝く大剣で屠る、美しい黒髪の日本人少女。
「発端はウェブサイト上の怪しい動画とはいえ、スパイ衛星による写真と、潜り込ませていた工作員の目撃証言が集まっては、信じぬ訳にはいきませんな」
「結晶のモンスターが現れたのだ、今更この程度では驚かんよ」
国防を担う優秀な男達である。誰もがただ冷静に事実を受け止める。
そして、冷静に論点を口にした。
「問題は、『幻想変換器』とやらを開発したのが我が国ではなく、彼女も我が国の国民ではないという事だ」
男達は再び動画に目を向ける。
少女の投げ放った大剣が、誘導ミサイルよりも自在に飛び回り、次々とCEを貫いていく光景。
これがアクション映画であれば、ポップコーンを片手に鑑賞したい所だが、動画が現実である以上、楽しむ余裕など欠片もない。
「危険だな」
「あぁ、危険すぎる」
一人も異論を上げることなく、男達は頷き合った。
戦車クラスの装甲でもなければ防げない、CEの光線攻撃さえ防ぎ、拳銃弾なら何百発とて耐えられるという幻子装甲。
そして、戦車装甲さえ貫く切れ味と、ミサイルを超える誘導性能を持った幻想兵器。
これの使い手に命を狙われれば、生き残れる者など居ないだろう。
例え、無数の警護に守られた一国の元首であろうとも。
「最悪のテロリストだ」
唯一の欠点は、幻想変換器がなければ無力な少女という点だが、それは拳銃等でも同じであろう。
むしろ、一目でそれと分かる拳銃よりも質が悪い。
映像の幻想変換器は目立つ腕輪の形状をしているが、他の形に変えてしまえば良いだけの事。
ベルトや携帯電話型、または体内に埋め込むなど、隠す方法はいくらでも思いつく。
CEのせいで湾岸警備が万全ではない今、使い手ともども国内に持ち込まれるのを防ぐ手はない。
「それに、内通者からの報告が本当ならば、あれはピラーを破壊可能になるという」
男達が苦渋の決断を下し、現実も見ず反対してきた国民達を黙らせて、ついに使用する事を決めた原子爆弾。
自国を放射能汚染するという蛮行と引き換えに、ようやく破壊できた巨大結晶柱・ピラーを、この少女と幻想兵器は単独で破壊できるようになるというのだ。
それが何時かは分からない。十年では遅すぎて日本が持つまい、五年なら経過を見守ってもよい。
しかし、一年以内で達成可能というなら、何があっても見逃す事は許されない。
彼らの国は原子爆弾の力で数本破壊したとはいえ、放射能汚染の関係でこれ以上は使えず、ピラーはまだ何本も残っており、CEの脅威はまだまだ続いている。
なのに日本が、たった一本しかピラーが出現せずに被害の少なかった先進国が、それを破壊して真っ先にCEとの戦争を終えたらどうなるか。
「消耗した我が国に、国力を増した日本が侵略してくる、そんな未来を許す訳にはいかない」
もしも、この会話を当の日本人が耳にしたら、何の冗談かと苦笑を浮かべた事であろう。
今の日本人にそんな気概は残っていないと、八十年前の敗戦で懲りたと、そもそも覇権主義など時代遅れで無意味だと。
男達とて日本が侵略戦争を始めるつもりだなどと、本気で考えている訳ではない。
だが、日本の意思は関係ない、出来る実力を得る事こそが問題なのだ。
例えば、底なしの善人が拳銃を持っていたとしよう。
普通の人は「彼は善い人だから、自分を撃つはずがない」と安心し、気にせず接するだろうし、それで構わないのだ。
しかし、国防を担う男達は、何千万という命を背負った彼らには、万に一つのミスも許されない。人の心なんて簡単に変わるモノを信用するなど有り得ない。
絶対に拳銃で撃たれないように、物理的に確実な手段を取らねばならない。
つまり、善人から拳銃を取り上げるか、それとも――
「開発者の方はどうする?」
「出来るなら取り込みたい。それが不可能でも、研究を続けさせて成果を奪う方が我が国のためになる。始末するのは惜しい」
「あぁ、始末するのはまだ早いな」
しかし、このまま日本の計画を進めさせる訳にはいかない。
「最低でもあと四、五年はCEと戦い続けて貰おう」
「余計な欲を抱く余裕もないくらい、疲弊するまではな」
それだけの期間があれば、男達の国も幻想変換器の開発に成功し、日本の優位は消える。
だから、今は計画を阻止せねばならない。
拳銃を奪うのではなく、拳銃の開発者を殺すのでもない方法で。
「気の毒だが仕方がない」
「あぁ、これは仕方がない事だ」
全く心もこもらない言葉を交わし合い、男達は結論を下した。
自国の利益を守るという一点において、彼らの決断は正しい。
ただ、日本やそれ以外の小国といった、自国以外の民が流す涙を全く考慮しておらず、弟のために怖くても戦う道を選んだ、弱虫で馬鹿で優しい少女の事など、欠片も思っていない。
賢く正しく、そして人の道を外れた愚かな決断だった、それだけのお話。




