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第83話 戦乙女

 日が落ち、月と星々の明りだけが照らす暗い軽井沢の大地を、少女の形をしたCEがゆっくりと歩いて行く。

 一㎞以上も離れた林の中から、隠れてそれを観測していた自衛隊員は、驚愕と悲しみの混じった声を漏らした。


「本当に、あの子なのか……?」


 暗視装置のズームを使った不鮮明な映像でも、その姿を見間違うはずがない。

 長い髪をなびかせ、大剣を手に堂々と歩くその姿は、五年前まで共に戦っていた天道寺刹那そのもの。


「やめろ、あの子は死んだんだ」


 同じ観測班の一人が、苦悶を浮かべて仲間の肩を叩く。

 そう、天道寺刹那は死んだ。戦場では勇ましく戦い、駐屯地に帰れば手作りクッキーを皆に配ったりして、誰からも愛されていたあの子は死んだ。

 だから、夜の闇を歩くあの姿は亡霊。

 人に裏切られ、CEにまで利用されてしまった、哀れな少女の亡骸に過ぎない。


「今度こそ、ちゃんと弔ってやろう」


 そうとでも思わなければ、あまりにも悲しすぎる。


「……あぁ」


 観測班の二人は頷き合い、敵の詳細な位置を報告する。

 それを元に照準を定め、四㎞ほど後方に布陣していた自走砲の中隊・十六台あまりが、一斉に砲火を轟かせた。

 威力範囲は三十m以上とも言われる155㎜りゅう弾砲の雨。

 普通の人間なら即死し、CEとて結晶がひび割れて動きを止め、二度目の砲撃でコアを砕かれる面制圧火力。

 だが、刹那CEは砲撃の瞬間、榴弾が降り注ぐよりも早く走り出した。


「何っ!?」


 大剣を背負いながら、百m六秒を切る勢いで走り出した敵に、観測班は驚愕の声を上げる。

 榴弾は敵の通り過すぎた後に着弾し、飛び散った破片がいくつか背中を襲うが、それも背負った大剣に阻まれてダメージを与えるには至らない。

 無傷で榴弾の雨を掻い潜った刹那CEの姿に、観測班は唖然としながらも慌てて通信を送る。


「外れた、いや、避けられた。目標は急に走り出し、速度は――」


 改めて速度と位置を知らせ、未来の位置を再計算して二度目の射撃を試みる。

 だが、刹那CEはそれさえも予測していたように、発射の瞬間に真横へと急に方向転換する。


「嘘だろ……」


 観測班の二人は唖然と口を開き、榴弾を完全に回避しきる、透き通った髪の少女を見詰める。

 信じられない、いや信じたくないと思ったのは、敵の異常な強さにではない。

 自分達の知る彼女なら、天道寺刹那という戦闘の天才ならば、あの超常的なまでの回避を実現できると分かってしまったから。


 もちろん、人間の天道寺刹那であれば、あんなチーターと互角の速度で走るのも、それを維持し続けるのも不可能である。

 しかし、今彼らの敵として立ち塞がったモノは、生きたタンパク質の塊ではなく未知の結晶体。

 強靭で疲れを知らぬ怪物の体に、英雄の持っていた天賦の才を注ぎ込んだ、ハイブリットな融合個体。


(無理だ、倒せるわけがない……)


 絶望に支配されながらも、観測班は厳しい訓練で刻み込まれた通りに、敵の位置と進行方向を報告し続けたが、全て徒労に終わった。

 刹那CEは榴弾を回避しながら距離を詰め続け、自走砲の曲射では狙えない所まで接近してしまう。

 だが、そこに待ち構えていた10式戦車の中隊が、集中砲撃をかけようとする。

 しかし、敵はそれすら予想していたようで、今度は大剣を前に構えながら、まるで雷のごとく不規則に左右へ飛び跳ね始めたのだ。


「くそっ!」


 戦車の砲手は舌打ちしながら引き金をひくが、元から人間サイズの的を、それも野生動物より素早く賢い敵を戦車砲で狙うなど無理がありすぎる。

 砲撃は次々と空を切り、刹那CEはどんどん距離を詰めてくる。

 後退して距離を取ろうにも、生憎と戦車隊の後ろは山で下がる余裕がない。


 それでも、半円に近い陣形で包囲し、十字砲火を見舞った事が功を奏したのだろう。

 目前まで迫られた所で、ついに一発の砲弾が目標を捉えた。

 貫通力の高い徹甲弾(APFSDS)は大剣を真ん中から砕き、その後ろにあった左手の前腕を吹き飛ばす。


「やった!」


 思わず歓声を上げるが、それも一瞬の事。

 刹那CEは折れた大剣を投げ捨て、残った右手と両足で大地を蹴って、まさに獣となって加速してきたのだ。

 もはや近すぎて主砲は使えず、副武装の7.62mm機関銃が火を噴く。

 しかし、それよりも早く刹那CEが小さな唇を動かした。


「――――」


 声にならぬ声に応え、キィーンッと甲高い音が鳴り響き、機関銃の弾幕から刹那CEを守るように極小ピラーが五本も出現する。


「何だとっ!?」


 驚愕する戦車隊の前で、極小ピラーの一本が砕け散り、中から結晶の大剣が現れる。

 刹那CEは右手でそれを掴み取りながら、ついに正面の車両に取りついた。


「ひぃ……っ!」


 悲鳴を上げる操縦士の前で結晶の大剣が煌き、44口径120mm滑腔砲を両断する。

 そのまま車体に乗り上がり、主砲横の7.62mm機関銃、砲塔上面の12.7mm重機関銃M2を切り裂き、後ろに回ってエンジンを貫く。


「馬鹿な……っ!」


 一瞬で武装と機動力を奪われ、鉄の棺桶となった戦車の中に、車長の虚しい呟きが響く。

 そこから先は、ただの繰り返し作業であった。

 刹那CEは倒した戦車を盾にして射線を防ぎながら、別の戦車に肉薄して武装とエンジンを切り裂き、増えた盾を利用してさらなえる獲物を狙う。

 それでも戦車中隊は粘り、肉薄されないよう逃げ回りながら戦い続けたため、最後の一両が倒されたのは戦闘開始から一時間以上も後の事であった。

 彼らの奮戦により、後方に居た自走砲の中隊は無事に撤退していた。


「終わったか……」


 最後まで粘った一台の車長は、重い溜息を吐き出すとハッチを開けた。


「曹長っ!」


 砲手の叫びも気にせず外に身を乗り出し、敵の姿を探す。

 少し離れた所に立っていた刹那CEは、新たに生み出した極小ピラーに、肘から先の無くなった左腕を当てていた。

 七色の光が左腕の方に集まっていき、ピラーの結晶は灰色にくすんでひび割れる。

 すると、砕けた結晶の中から完全に復元された左腕が現れた。


 刹那CEは調子を確かめるように数回手首を振ってから、戦車の上に居る車長を見上げてくる。

 黒い髪は透き通った青色となり、瞳の色が胸のコアと同じ赤色に変貌していても、その美しい造詣は五年前に失った者と何一つ変わらない。

 惜しむらくは、彼らの操る戦車の上で両手を広げて、とても楽しそうにしていたあの無邪気な笑顔ではなく、人形のような能面である事か。


「俺らの死神としちゃ、上等すぎるな」


 苦笑して静かに最期の時を待つ車長に、刹那CEは結晶の大剣を背負い、ゆっくりと足を踏み出して――





「天才だ」


 ノートPCで刹那の戦闘記録を見せて貰い、宗次が浮かんだが感想はそれしかなかった。


「空知君からでもそう見えるのね」


 京子から見ればこの恐ろしく強い槍使いも、天才にしか見えないのだが。

 少し驚いた顔でそう告げると、宗次は静かに首を横に振った。


「俺の力は爺ちゃん達、空壱流を伝えてくれた先達のお陰ですから」


 物心もつかない三歳の頃に交通事故で両親を失い、引き取られた祖父母の家で、遊びのつもりか木の槍を握ったのが始まりで、気が付けばもう十三年近くも槍術を学んできた。

 その努力を卑下するつもりはない。だが同時に、師匠である祖父が導いてくれなければ、ここまで辿りつけなかったのも事実である。


「だが、彼女は違う」


 液晶画面の中で生き生きと動き回る刹那は、時に野獣のごとく荒々しく、時に流水のごとく滑らかに、自然な動作で次々とCEを切り倒していく。

 それを眺め、宗次は改めて確信する。


「やはり、武術家の動きではない」


 武器による武術から素手格闘技、果ては百m走のようなスポーツまで、身体運動の技術を磨くという事は、肉体の持つ反射を殺す作業である。

 一番分かりやすいのはボクシングのジャブであろう。

 人はパンチをしようとすれば、拳の前に肩が自然と動いてしまう。

 慣れた者はそれを敏感に察知し、放たれてからでは回避不能な高速のジャブを、事前に予知して避けてみせる。


 だから、ボクサーは鏡の前で肩が動かぬよう確認しながら、何千回、何万回とジャブを繰り返して、察知不能のパンチを体に刻み込むのだ。

 つまり武術とは、肉体の自然動作を殺して、不自然だがある目的に特化した体に作り替える術なのである。

 人間という自然な生物を、武術という効率の良い機械に作り替えると言ってしまってもよい。


「あの人間型CEは、まさにそれだった」


 人の磨いた武術というプログラムの結晶。

 そうであるからこそ、同じく武術を学んだ宗次には、ある程度動きの予想がついて噛み合ったために、強敵ではあったが倒す事ができた。

 しかし、刹那CEは全くの別物。


「これは天才の動きだ」


 誰かに教えられたモノではない、自らの考えによりただ自然と繰り出される動き。

 天賦の才能に頼っているため、技として誰かに受け継がせる事は不可能だが、故にどんな技を学んだ武術家にも予測のつかない天然自然の剣。

 だからこそ、宗次はあっさりと顎を蹴り抜かれて敗北してしまった。


「もう一度戦って、勝てるの?」

「…………」


 恐る恐る質問する京子に、宗次は沈黙を返す。

 刹那の動きは体系化された武術ではないといっても、個人の癖はどうしても出てくる。

 今見せて貰っている戦闘記録のおかげで、ある程度はそれを把握できたから、前ほど一方的に負けはしないだろう。


 ただ、あの刹那CEは人間よりも遥かに高い身体能力を持っており、幻想兵器が無いという事を差し引いても、人間の天道寺刹那よりも遥かに強い。

 十回戦っても一回勝てるかどうか、正直に言えば自信がない。

 しかし、宗次はたった一つだけ光明を見つけていた。


 それはあまりにも儚く、人に語れば馬鹿げていると一蹴されそうな可能性。

 けれども、命のチップを賭けるには十分な希望でもある。

 だからこそ、宗次はノートPCから顔を上げ、話の続きを願った。


「刹那さんは、それからどうなったんですか?」

「えぇ、二ヶ月もすると随分と慣れて、厨房を借りてお菓子を作ったりとか、本当に好き勝手し始めてね――」


 京子は乞われるままに、微笑して昔語りを再開する。

 その先に待っているのが惨い破滅でも、あの少女と共に過ごした半年間の思い出は、今も色あせず宝石のように輝いていたから。

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