第80話 追憶・黒髪の少女
宮田司令と挨拶を交わした次の日、再び影山明彦に付き添って新田駐屯地に向かった保科京子は、そこでとても懐かしい顔と再会した。
「綾子先輩、どうしてこんな所にっ!?」
君達の世話役だと紹介された女性自衛官の顔を見て、驚愕の声を上げてしまう。
「それはこちらの台詞だぞ、京子」
少しきつめの美人・色鐘綾子はそう言って、懐かしそうに京子を見た。
「おや、京子君の知り合いかい?」
問いかけてくる影山を見て、綾子は慌てて敬礼した。
「これは失礼致しました、色鐘綾子三等陸尉です。京子とは高校の頃に同じ部活に所属していた仲でして」
「おや、いったいどんな部活をしていたのかね?」
「それは……」
宮田司令も興味を抱いて訊ねると、綾子は気まずそうに口ごもる。
だが、京子の方が悪気なく答えるのであった。
「軽音楽部です、先輩のボーカルは格好良くて人気だったんですよ」
「京子っ!」
「ほうほう、色鐘君が軽音楽とはまた意外な」
顔を真っ赤にして怒るまだ二十五歳の若い女性士官の姿に、宮田もつい笑みをこぼしてしまう。
「若気の至りです、忘れてください」
「えー、先輩が音楽の道に進まず、防大に入るって言いだした時、みんなビックリしたんですよ」
そう言う京子の方は、元から友達との付き合いで入部しただけであり、二年に進級してからは勉強の方が忙しくて、ろくに顔を出していなかったが。
懐かしさもあってからかうと、綾子は深い溜息を吐きつつ説明した。
「両親共に自衛官だったからな、強制された訳ではないが、元からこの道に進むつもりだったんだ」
それで、高校生活くらいは弾けた思い出を作ろうと、軽音楽部でバンドをやっていたのである。
「だいたい、意外と言うならお前が大学教授の助手をしている方が驚きだ」
「いや、先生は准教授ですし、私も助手ってわけじゃ……」
昨年から影山の研究室に配属しており、大学院に進んだ今年も世話になっていたが、CE出現による騒動で研究自体にはほぼ参加できていない。
おまけに、影山は大学を頻繁に休んで一人で何かしていたかと思うと、幻想変換器を開発したとか言い出し、京子をテストにつき合わせ、そのままこの新町駐屯地まで連れて来たりと、本人もまだ驚いている最中なのであった。
「思い出話はまた今度で、話を進めて貰っていいかな?」
「はい、重ね重ね失礼致しました」
影山が促すと、綾子はまた敬礼して謝罪した。
宮田はそれに微笑し、改めて彼女を紹介する
「この色鐘綾子三尉が君達の窓口となってくれる。今後、何かある時は色鐘君に相談してくれたまえ」
「えぇ、よろしくお願い致します」
影山は笑顔を浮かべて綾子と握手を交わした。
「では、申し訳ないが私はこれで失礼するよ。色鐘君、あとは頼んだよ」
「はい、お任せください」
背を向けて立ち去る間際、宮田は綾子の肩を叩いて労いながら、一瞬だけ鋭い視線を送る。
目の前に立つ悪魔的な天才が、国家に害を与えるような事を目論んだ時、そして国益のためであろうとも、あまりにも人の道を外れるような真似をした時は、手を汚しても止めてくれと。
責任は全て自分が背負うと、無言で覚悟を伝えてくる司令に、綾子も強く頷き返して見送った。
「それで、新兵器を使える子供を探すという話でしたか?」
「別に人さらいのような真似をする気はないから、安心して欲しいな」
綾子の固い表情から内心を察したのか、影山は苦笑して弁解する。
「幻想変換器は人の精神、感情、認識といったものが強く影響するからね、脅迫したりして無理やり戦わせても真の力は発揮できない。自ら進んで協力してくれる子供でないと駄目だね」
「そうでしたか」
子供を戦わせる事自体が問題なのだが、それはもう言っても無駄であろう。
綾子は内心で溜息を吐きつつ、具体的な案を尋ねる。
「それで、どのように探すと?」
「腕を入れて血圧を検査する機械があるだろう? あれに変換器を使えるだけの感情エネルギーや認識力――まとめて『幻子干渉能力』とでも呼ぼうか、それを測定する装置を仕込んだ物を既に用意してある。これを使って健康診断と称して調査を……そうだね、まずは避難所の子供から調べてくれればいい」
CEに襲われて故郷の長野から必死に逃げてきて、今も学校などの避難所で不自由な生活を強いられている子供達。
そんな彼らの中から実験台の兵士を選ぶ。
(ゲスめ……)
綾子は吐き気を覚えるが、それが効果的である事も理解していた。
CEの恐怖を知りながら、なお戦う事を選べる強い精神力。
それは幻想変換器の適正以前に、戦士として絶対に必要不可欠な資質である。
(そんな子供が居るとは思えんがな)
適正者が見付からず、この人でなしの計画など潰れてしまえばよいと綾子は思う。
もっとも、この時の彼女は幻想兵器の現物を見ておらず、その強大な力と可能性を知らなかったから、否定的な感想を抱いたにすぎない。
そして、奇跡の結晶のような少女が、直ぐ近くに居るなど思いもしなかったのだ。
新町駐屯地の近くから調査を始めて、四件目の小学校での事であった。
「私、何やってるんだろうな……」
校庭に立てたテントの中で、後方支援隊の医官達に混じりながら、老若男女さまざまな人達の血圧を測りながら、京子は小さな溜息を吐く。
影山の語る独創的な量子論は気に入っていたし、初めて幻想変換器と認識力の事を知らされた時は、科学者の卵として夜も眠れぬほど興奮したものだが、子供をCEと戦わせる手助けをさせられるとは思わなかった。
(幻想兵器か……)
人々の幻想、実在せずともそうだと思い込んでいる夢幻を集めて、巨大なエネルギーとする兵器。
京子のような大人では不可能な、感情豊かな子供でも適正が無ければ生み出せない、CEを倒すための切り札。
確実に歴史を変えるその偉大な発明を、この目で見たいと思うのは科学者の業であろう。
ただ、そのために子供を実験台にするような真似が許されるのか。
そこで悩み踏み留まってしまう辺りが、影山のような天才には至れない彼女の限界であり、人と怪物を分ける境界線でもあった。
「はい、次の方」
頭の中でゴチャゴチャと考え事をしながら、並んだ人達を機械的に検査していたその時であった。
中年の男性が席を立ち、次に現れた少女を見て、京子は時が止まったように固まってしまう。
「――っ!?」
腰まで届く艶のある長い黒髪、絹のような滑らかな肌、あまりにも整いすぎていて人形のような違和感すら抱く目鼻立ち。
天使のような、という表現がまさにピッタリなほど、その少女はあまりにも美しかったのだ。
「これ、腕を入れればいいんですよね?」
「は、はい!」
声まで綺麗な少女に、京子は思わず赤面しながら頷いた。
(何だろうこの子、アイドル?)
内心の動揺を必死に隠しながら、血圧と共に幻子干渉能力を測定する。その結果は――
『決まりだね、この子にしよう』
テントから離れた車の中で、測定結果をモニターしていた影山が嬉しそうに声を上げる。
耳に隠して付けていた、小型通信機でそれを聞きながら、京子は驚きと共に少女の顔をまじまじと見詰めた。
「どうかしましたか?」
不思議そうに小首を傾げる姿も愛らしく、一枚の絵画のようである。
それが、後に剣の聖女と呼ばれる英雄、天道寺刹那との出会いであった。
身辺調査のため二日ほど時間を置いてから、京子達は再び天道寺刹那と対面した。
「私がCEと戦う、ですか?」
健康診断の事で話があると、校庭に停めた人員輸送車に呼び出された刹那は、大人達から告げられた予想外すぎる話に、目を丸くして驚いた。
「あぁ、機密だからまだ詳しい内容は教えられないけれどね、君にはCEに対抗できる秘密兵器を扱える、人にはない類い稀な才能があるんだよ」
影山はニコニコと満面の笑顔でそう告げる。
君は特別だと、選ばれた人間だと、年頃の少女には耳障りが良いであろう台詞を計算して。
しかし、刹那は心を動かされた様子もなく、首を傾げて戸惑った。
「運動は得意ですけど、戦えなんて急に言われても……」
「確かに急な話で申し訳ない。けれど、君が戦ってくれないと、もっと大勢の人が死んでしまうかもしれないんだ」
「それは……」
「ご両親のように、誰かが亡くなる姿はもう見たくないだろう?」
「……っ」
CE襲撃の渦中で彼女達を逃がすため、囮となった両親の事を持ち出されると、刹那は辛そうに顔を歪めた。
(ゲスめ……)
情に訴え親の死まで利用する影山に、綾子は懐の拳銃を抜きたくなる衝動を必死に堪えながら、彼らの話を見守り続ける。
「あと、失礼ながら調べさせて貰ったが、君達は頼る親戚もないようだね?」
「…………」
刹那は黙って頷いた。
頼る相手が居るならば、こんな最前線の避難所からはとっく離れている。
そして、故郷をCEに占領され、逃げるので精いっぱいだった彼女には、手元に何の財産も残ってはいなかった。
「協力してくれるなら、お金には苦労させないよ」
影山はそう言いながら、懐から取り出した分厚い茶封筒を刹那の膝に置いた。
置いた拍子に中から、百万円の束が三つも飛び出してくる。
「こんなに……っ!?」
「手付金だよ、頷いてくれたらこの十倍は払おう」
准教授の給料に加え、ちょっとした特許の収入がある影山は、本当にそれだけの額を払える貯蓄があった。
「それに、この計画が成功すれば、君は間違いなく英雄だ。日本中の人が君を褒め称えてくれるよ!」
芸能人やアイドルなんて目ではない、歴史に残り教科書に載る大人物。
その言葉に嘘はない。だからこそ、悪辣だと思っても京子と綾子は口を挟めなかった。
「さあ、ピラーを滅ぼし日本を救う、英雄になってくれるね?」
影山はまた満面の笑みを浮かべ、手袋に覆われた右手を差し出す。
全ては彼の計算通りに動くと、人間の心を操るのなんて、物理の数式を解くよりも簡単だと確信して。
だが、顔を上げた刹那は、影山の手を握りはしなかった。
それどころか、膝に置かれた三百万円を彼の手に突き返す。
「有名になれるとか、そういうのはいらないです」
刹那はそう断言しながら、視線をバスの外に移す。
彼女が見たのは、校庭で遊んでいる十歳の元気な少年。
戦争の事など忘れて、友達とサッカーボールを蹴り合って笑っている、彼女に残された最後の家族。
「弟を、英人を安全な所に連れていって下さい」
頼み込む刹那の顔が辛そうに歪む。
弟と別れるのが悲しいのもある。だがそれ以上に、他にも辛い思いをしている避難者が沢山居るのに、身内だけを救おうとする自分の醜いエゴを嫌悪し、身内一人しか救えない無力な自分を嘆き。
けれど、それでも救いたいのだと、刹那は背筋を伸ばして影山を真っ直ぐ見詰めた。
「そのためなら、戦います」
「…………」
よろしくお願いします、と深々と頭を下げるその姿に、影山だけでなく京子も綾子も、見惚れて言葉を失った。
そして確信する。これは英雄の器だと、彼女ほど人々の幻想を集めるに相応しい者はいないと。
ただ、それは大きな誤解であったと、直ぐに判明するのだが。
まるで聖女のような凛々しい姿は、単純に見知らぬ大人達の前で緊張していただけであり、本当の彼女はもっとアホで残念で、英雄なんてモノにはもったいない、ただの可愛らしい少女なのだと。




