第7話 学生寮
戻ってきた京子の許可を得て、宗次は保健室から退室し、そのまま校舎を出る。
夕日が赤く染めるグラウンドでは、光の刃によって刻まれた長大な溝を、数台のブルドーザーが埋めていた。
宗次はそれを横目に見ながら、校舎から少し離れた場所に建てられた、十二棟も並ぶ四階建ての建物に向かう。
これから三年間、彼が暮らす事になるエース隊員の寮である。
「大きいし多いな」
兵士(正確には自衛隊員だが)の暮らす寮ならば、もっと狭苦しい物だと想像していたのだが。
「これも理由があるのか?」
美人保健医なら知っているだろうが、喋ってくれるかは疑問であろう。
ともあれ、宗次は彼の部屋があると教えられた、校舎から一番遠い十二番棟に足を向けた。
「無事やったか、兄弟っ!」
寮の中に入った途端、玄関先の椅子に座っていた映助が抱きついてくる。
「俺達、兄弟だったのか?」
「天然かいっ! 頭打ってアホになったんちゃうか?」
「いや、勉強は出来る方だと思うが」
「うむ、その反応は間違いなく宗次やわ」
真顔のボケに、映助はむしろ安堵の息を吐く。
「しかし、あのスケコマシめ、ワテらを殺す気かっちゅうねん」
「怖かったな、あれは」
天から落ちてくる巨大な光の刃を思い出し、身震いする映助に宗次も同意する。
「意外やな、あんな勇敢に立ち向かってたやんか」
「いや、怖かったよ」
聖剣の威力や、自分の命を失う危険性には、そこまで恐怖は覚えなかった。
本気で怖いと思ったのは、あれほどの力を人間に向かって躊躇なく振り下ろした、天道寺英人という男の精神性。
「あいつは、怖いな……」
最初に切り込んできた時もそうだ。
誤解を招く言い方になるが、祖父と何度も槍を交えてきた宗次は、人を攻撃するという行為に慣れている。
そんな彼でさえ、いや彼だからこそ、刃の付いた本物の武器がどれだけ危険か分かり、人に向ける事を躊躇した。
だが、天道寺英人にそんな躊躇いはなく、全力で斬りかかってきたのだ。
宗次が受け止めなければ、幻子装甲という守りがなけば、死んでしまう攻撃を。
「戦士としては、優れた素質なんだろうが……」
武術を学んだ様子はなく、おそらく喧嘩とて慣れてはいまい。
なのに、迷わず人を攻撃できる精神性。
人を傷つける事に快感を覚える、変態の類ならまだ救いがあるが、天道寺英人はおそらく――
「まぁ、あんなスケコマシの事はどうでもええわ、それよりこっちの方が重要やで」
映助はそう話を切り替え、横を指さす。
玄関の横は広い談話室となっており、寮生の大部分が集まって、これから共に暮らす仲間達と親睦を深めていた。
「そうか、仲良くしないとな」
「あぁ、仲良うしたい子が沢山おるわ」
宗次が見ていたのは携帯ゲーム機で遊んでいる男子達だったが、映助が見ていたのは談笑する女子達であった。
「ほれ、あのセミロングの子とか、音姫ちゃんには及ばんでも、なかなかイケてるやろ? 隣の黒髪ロングも根暗っぽいけど爆乳やし、向かいの小柄なロリ体型もマニアックでええわ~」
「はぁ……」
あまり恋愛事に興味のない宗次は、気のない返事をしつつ疑問を抱く。
「そもそも、どうして女子がここに居るんだ?」
「自分、そっちの気があったんかっ!?」
慌ててお尻を隠す映助に、宗次は怪訝な顔を向けつつ丁寧に言い直す。
「男子と女子が同じ寮に部屋割りされているんだろ、それは問題があるんじゃないか?」
普通なら男女別々の寮にするものだ。建物の数が足りているならなおさらである。
「言われてみればそうやな」
女子がいる喜びで舞い上がっていた映助も、今更ながら異常に気付く。
「せやけど、これはチャンスやん! 風呂を覗いたり、夜中に押しかけたり、げへへへっ」
「やったら玉を蹴り潰すわよ」
「何や、怖い事を言わんとお前も――うげっ!」
後ろからの声に映助は振り返り、そして固まった。
そこに青筋を浮かべて立っていたのは、彼が先程まで注目していた、セミロングの美少女だったからだ。
「何かしら、性犯罪者さん?」
「ま、待って、これは違うねん……」
「そうだ、君は誤解している」
「兄弟! 助けてくれるんかっ!?」
「まだ実行していないから性犯罪者予備軍だ」
「このどアホっ!」
援護射撃を背中に浴びせられ、映助は渾身の裏拳ツッコミを放つ。
だが、宗次はそれを容易く受け止め、そのままアームロックに移行した。
「ノーッ! ギブ、ストップや兄弟っ!」
「このように、反省しているから許してやってくれ」
「……ぷっ、あはははっ!」
二人の流れるような漫才に、少女も怒りが吹き飛び爆笑した。
「おかしな奴らね。いいわ、さっきのは聞かなかった事にしておく」
「ありがとう、えーと……」
「平坂陽向よ、漫才師さん」
「空知宗次だ」
少女こと陽向は笑顔で右手を差し出し、宗次もそれを握り返す。
「ワテは遠藤映助や、よろしくな陽向ちゃん!」
「聞いてないわよ」
「聞いてないって」
「二人して冷たすぎやろっ!」
映助は泣いて逃げ去るが、薄情な二人は特に追いかけたりもしない。
「しかし、本当に男女が一緒の寮なのか?」
「そうよ、寮長さんが最初に説明して――そっか、貴方は居なかったわね」
言いかけて、彼が遅れて到着した事を思い出す。
「あの騒ぎで模擬試合は中止になって、その後、住む寮と部屋の番号を割り振られたんだけど、男女の区別なくクラスごとに分けられたみたいなの。つまり、私と貴方はクラスメートってこと」
「そうだったのか、よろしく頼む」
説明の礼もかねて頭を下げる宗次の生真面目さに、陽向はまた笑みを浮かべる。
「エースとして活動する時も、クラス単位で動く事が多いから、一緒に暮らして親睦を深めておけって事らしいわよ」
「その言い分は理解できるが、やはり問題ではないか?」
年頃の男女が同じ屋根の下で過ごせば、いくら監視を厳しくしたとしても、隠れて不純異性交遊を行う者は必ず出てくるだろう。
エース隊員同士での恋愛関係など、戦場では面倒事の種でしかないと思うのだが。
「そうよね、普通に考えれば良くないわよね……」
陽向もそれに気付いており、寮長に訊ねてみたのだが、「そう決まっている」と取りつく島もなく話を切られてしまった。
「一応、女子と男子はなるべく別の階になっているけど、お風呂は大浴場を時間毎に分けて使えって話だし、明らかにおかしいわよ」
「…………」
宗次も黙って同意を示す。
この対CE特殊隊員養成高等学校は、単なる共学高校としても、自衛隊員を養成する学校としても、どうにも不可解な点が多すぎるのだ。
(だが、これも計算尽くなのか?)
京子は言った、人類にはもう幻想兵器に頼る以外の道は残されていないと。
そんな何十億もの人命を左右する兵器の使い手達を、何の管理もせず放し飼いになどするだろうか。
(意図は分からない。だが、意図がある事は分かる)
何にせよ、これが本当に人々を救う道に繋がるのなら、拒む事もできない。
「皆でルールを決めて、問題が起きないように注意するしかないんじゃないか?」
「それしかないか……うん、皆と相談してみる」
陽向も素早く頭を切り替え、仲良くなった女子達の元に戻ろうとする。
だが、途中で立ち止まり振り返った。
「そうだ、言い忘れてた」
「何だ?」
「助けてくれてありがとう。その……格好良かったぞ」
そう言って照れ笑いを浮かべると、恥ずかしがって駆け去った。
「助け……あぁ」
数秒の間をおいて、宗次は何の事か理解する。
天道寺英人が振り下ろした光刃の落下軌道に、彼女も居たのだ。
彼にヤジを飛ばしていたグループを止めようと、注意していた女子がおそらく陽向だったのだろう。
「そうか、役に立てたか」
無様に負けたが、誰かを助ける事は出来ていたのだ。
それが嬉しくて笑みを零す宗次を、物陰から睨む瞳があった。
「女子とあんなイチャコラと……兄弟の裏切り者っ!」
そうやって僻んでいるからモテないんだよ――と映助にツッコミを入れる者は、残念ながらいなかった。