第78話 残照
「天道寺英人、撤退を開始しました」
何十回と聖剣の光を放って力を使い果たし、ようやく諦めてこちらの指示に従い、特高に向かって飛び始めた天道寺英人を見て、指揮所の教師達はほっと胸を撫で下ろす。
しかし、状況は全く好転していない。
五百体以上の六角柱型は殲滅できたが、肝心の天道寺刹那の姿をしたCE――英雄型とも呼ばれる事になる敵が、全くの無傷で残っていたからだ。
刹那CEはエース隊が居なくなると、まるで自分を監視する偵察衛星に気付いたように、暗くなってきた空を一度だけ見上げると、前橋市のある東に向かってゆっくりと歩き出していた。
「色鐘三佐、どうしますか?」
「…………」
オペレーターの不安に曇った呼びかけに、指揮官である綾子は俯き何も答えられなかった。
刹那の姿をしたモノが現れた。共にCEと戦う事になって、妹のように大切な存在となったのに、死なせてしまった少女が亡霊のごとく現れた。
それは彼女の罪悪感が抱かせる幻であり、あれは敵の生み出した偽物に過ぎないと分かっている。
分かっているのに、胸が切り裂かれたように痛くて、綾子は何も言えなかったのだ。
「色鐘三佐、しっかりしてくださいっ!」
三年A組の担任・日森健也が彼女に駆け寄って肩を揺さぶる。
彼は刹那が死んだ時は居らず、『機械仕掛けの英雄』計画のために増員された者達であったから、まだ動揺が少なかったのだ。
「敵がこちらに向かっています、このままでは街に被害が出てしまいますよ!」
「あ、あぁ、すまん……」
部下からの叱責を浴びて、綾子はようやく罪悪感の海から現実へと戻ってくる。
刹那CEの歩みは遅いが、それでも五時間もあれば前橋市まで辿りついてしまうだろう。
そうなれば日本は終わりである。エース隊が敗北した戦闘能力ではなく、その姿こそが猛毒であるがゆえに。
最初の幻想兵器使いであり、たった一人で何百体というCEを屠って、武器弾薬が切れかけていた戦争初期の自衛隊を支え、少女の身でありながら敵と戦うその勇ましい姿から若年層の憧れとなって、絶望に瀕していた人々の心を支えた希望の光。
それが天道寺刹那という英雄であり、姉の活躍があったからこそ天道寺英人は『英雄』の器として、人々の期待と願望を一身に集められたのだ。
だが、その刹那がCEの姿となって、人々を襲い始めたらどうなるか。
死んだ少女を利用するのかと、英雄の姿を愚弄するのかと、激怒する者の方が多いであろう。
しかし、あれは本物なのではと疑い、その強さに恐怖を抱き、そして気付いてしまう者が必ず現れる。
英雄がこちらに剣を向ければ、無力な市民に抗う術など無いのだと。
姉がそうなったように、弟までも敵対すれば、日本は滅ぼされてしまうと。
きっとそうなる、姉と同じく弟も人類の敵になるに違いないと。
救済願望の熱狂から覚めた人々の目は、今度は恐怖に濁って、自らが祭り上げた救世主を咎め立てるだろう。
石を投げつけ十字架に張り付け、ついには槍で突き殺せと。
いつだって、怪物を倒した英雄を殺すのは、自分達は被害者だという顔で成功者を引きずり落とす、一般市民という数の暴力なのだから。
そうなれば今度こそ終わる。今まで綾子達が利用してきたネットワークという情報の大海が、今度は敵となって英雄ごと日本を呑み込んで潰してしまう。
だから何としても、刹那CEが街に辿り着いて人々に知られる前に、跡形も残らず滅ぼさねばならない。
(あの子を、また殺せというのか……っ!)
その残酷な現実に、綾子は破れそうなほど痛む胸を押えながら、自分に言い聞かせる。
あれは敵だ、偽物だ、そして自分は国民を守る自衛官なのだと。
泣き出しそうな感情を必死に殺して、理性が指揮官として命令を下す。
「新町駐屯地に連絡、エース隊が敗走した事を告げ、第12対戦車中隊で敵を撃破してくれるよう頼み込め」
「あの臆病者がこちらの要求に応えますか?」
「応えるしかない、奴も後が無いのだからな」
疑わしい顔をする日森に、綾子は強く頷き返す。
新町駐屯地の司令官・風見正紀一佐は、私心で特高への協力を拒むばかりか、妨害までしてアメリカの工作員につけ入る隙を与えたとして、査問を受けたばかりであった。
今は戦時中であり、最前線の司令官を替えると有事に問題が出ると、風見の後ろ盾をしている野党の有力者が手回しをした事もあり、今直ぐ罰を下されるような事はなかったが、このまま戦争が終われば間違いなく失脚する。
官職を解かれて役立たずと化せば、今は後ろ盾をしている野党も風見を見離すだろう。
駐屯地司令の椅子を守りたいのならば、ここで戦功を立てるしかないのだ。
そんな個人の感情を除いても、エース隊で止められず敵が街に迫っているとなれば、出撃するよう防衛省から命令が下る。
これに逆らって基地に立てこもるようなら、今度こそ国家への反逆として即座に逮捕されるだろう。
つまり、風見には戦う以外の道が残っていないのだ。
「しかし、対戦車隊で倒せますか?」
「…………」
日森の不安に、綾子は答えなかった。
第12対戦車中隊は本来、対戦車誘導弾を搭載したトラックで構成された部隊であり、機甲科でなく普通科(歩兵科)であったのだが、それだけではCEを抑えられぬため、10式戦車十二台が混成されており、もはや『対』ではなく戦車隊を名乗ってもよい戦力が揃っていた。
その他にも、CEの直接被害を受けていない北海道の北部方面隊から回された、自走榴弾砲の特科中隊が今も配備されている。
度重なる出撃で車両が疲労破壊した事と、二年前にエース隊が立ち上がってからは大量の戦力は不要となったため、開戦当時に比べればかなり減少していたが、それでも数百体の六角柱型ならば十分に殲滅できるだけの戦力が残されていた。
だがはたして、その程度で倒せる敵なのか。
「……岩塚幕僚長にも連絡、練馬駐屯地の第1師団を動かせるよう、準備を整えておいて欲しいと」
新町駐屯地の戦力が敗れても、特高のエース隊はその間に態勢を整えて、再び刹那CEに挑むつもりである。
しかし、それでも勝てる見込みはかなり低い。
綾子は最悪の場合に向けて準備を整えながら、体にも心にも大きな傷を負って特高に帰ってきた子供達を、再び戦場に向かわせるというゲスな手段を、吐き気を堪えながら考えるのであった。
「宗次君、本当に大丈夫なの?」
「あぁ、もう目眩もしない」
心配してくる陽向に、宗次は問題ないと笑い返しながら、一人で立ち上がって装甲車を降りた。
蹴り上げられた顎がまだ少し痛むが、幻子装甲のおかげで骨は折れていない。
「それよりも……」
宗次は険しい顔でグラウンドを見回す。
特高に戻った二十四台の装甲車から、三百名近い生徒達が次々と降りて来るが、その内の五十人以上が重傷を負っていた。
大剣で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられて、手足の骨折や全身打撲を負った彼らを、新田駐屯地から呼び出されていた第12後方支援隊の医官達が、急いで校舎の中に運んでいく。
特に重傷を負った者のために、近隣の病院から救急車も駆けつけており、戦場と変わらぬ騒がしさに包まれている。
宗次はその中から、生徒会長に肩を借りて歩く麗華を見つけ出す。
「無事ですか?」
「あぁ、君のおかげでね」
王子様に助けられて嬉しかったと、麗華は茶化して笑ったが、直ぐに腹の痛みで顔を歪めた。
「無理をせず、休んでください」
「すまない、そうさせて貰うよ」
麗華は苦笑し、愛璃に連れられて校舎の中に入って行った。
それを見送る宗次の耳に、大馬の大声が響いてくる。
「怪我のない者は寮に戻って待機だ。仲間を心配する気持ちは分かるが、ここに居ても治療の邪魔になるぞ」
他の教員達と共にそう叫び、困惑する生徒達の背中を押す。
一年D組の面々も大人しく寮に向かうが、顔には深い困惑が刻まれていた。
「あれ、やっぱり刹那ちゃんなんか?」
「そ、それは……」
「この後、どうするんでしょう……?」
「スケコマシ君も駄目だったみたいですしね~」
ヘルメスのサンダルで空から舞い降りてきたかと思うと、追いすがる一年A組の女子を振り払い、寮に戻る天道寺英人の姿を見て、皆の顔はさらに暗くなる。
聖剣使いの英雄でも勝てなかった、そして最強の槍使いさえも敗北した。
そんな刹那の姿をしたCEを相手に、自分達が立ち向かえるわけがない。
もう一度戦えば、今度こそ生きては帰れないだろう。
その恐怖を感じていたのは生徒達だけではなく、声を張り上げる教師達も、無力な自分達への焦燥感で苛立っていようであった。
「…………」
「宗次君」
寮に行こうとせず、無言でその場に立ち尽くす彼を見て、陽向が袖を掴んでくる。
また無茶をするのではないかと、心配で顔を曇らせながら。
宗次はそれに微笑を返し、右腕を掲げて見せた。
「これが壊れそうだから、替えを貰おうと思っただけだ」
深いひび割れが入ってしまった幻想変換器を見せると、陽向も少し安堵した様子で胸を撫で下ろした。
「そっか、じゃあ先に戻ってるね」
「あぁ」
宗次は頷き返したが、直ぐに戻るとは言わなかった。
そのまま夜の帳が下りてきたグラウンドの隅に立ち、怪我人の搬入が一段落ついたのを見計らって、校舎の中に入って行く。
「保健室は使っているな」
一階の保健室や学生食堂は、臨時の野戦病院となって怪我人と医官で埋め尽くされている。
邪魔をしては悪いし、おそらくそこには居ないと踏んで、宗次は地下への階段を降りた。
地下一階にも求める姿はなく、地下二階に降りた所で丁度良く、探していた人物が廊下に現れた。
「空知君、どうしてここに居るのっ!?」
暗く沈んだ顔をしていた美人保険医・保科京子は彼の姿に驚くが、直ぐに生徒が来るべき場所ではないと先生らしく叱った。
それに頭を下げてから、宗次は右腕のひび割れた腕輪を見せる。
「ベルト型、貰えますか」
「あっ……」
彼女の顔が悲痛に歪んだのは、その腕輪を破壊した者であり、ベルト型の本来の持ち主であった少女の顔を思い出したからであろう。
「……ごめんなさい、直ぐに用意するわ」
京子は頭を振って動揺を振り払うと、ついて来てと背を向け歩き出す。
向かった先は意外にも地下一階の研究所ではなく、地下三階にある彼女の部屋であった。
「これよ、まだ完成とは言えないけれど」
アタッシュケースに収められた新たな幻想変換器を、宗次は重々しく受け取った。
しかし、部屋を出て行こうとはしない。彼女に聞かなければならない事があったからだ。
「天道寺刹那さんの事を教えてください」
「えっ?」
突然の事に戸惑い、そして言いたくなさそうに顔を背ける京子に、宗次は淡々と問いかける。
「刹那さんは、武術の経験がありませんね?」
「そうだけど……」
何故分かったのかと驚く京子に、宗次は詳しい説明は避けて端的に告げる。
「そういった、彼女の全てを知らなければ、あれには勝てません」
あの敵は宗次が今まで繰り出した技を全て知っている。
もちろん、まだCE相手に出していない空壱流の技は残っているが、奥義さえあっさりと攻略してきた相手に、そう簡単に通じるとは思えない。
だからこそ、敵の動きを、その元となった人物を知って、情報の差を埋めなければ絶対に勝てないのだ。
「もう、負けるわけにはいきません」
彼一人の命ならば、あれほどの強敵に敗れるのなら、武術家として本望と言ってもよい。
だが、背中には守りたい者達が、笑っていて欲しいと気付いた人が居るのだから。
「それに、いつか知りたいとも思っていました」
六年前、他の幻想兵器使いがまだおらず、たった一人で剣を手に戦っていた少女が、いったい何を考え思っていたのか。
世間のあやふやな噂ではなく、本人に会っていた者から偽りのない彼女を聞きたい。
それが、自分達を守ってくれていた英雄に送れる、唯一の手向けの花だと思えたから。
「何でも構いません、教えて下さい」
「…………」
真剣な眼差しで頼み込んでくる宗次を、京子は暫く無言で見詰めた。
天道寺刹那の話をする。それは胸の奥に仕舞った大切な宝箱を開けるのに等しい。
箱の中に入っているのは、宝石のようにきらめく思い出と、それを濡らす大量の涙。
けれども、開ける時が来たのだ。
刹那の姿をしたCEを倒すためではない。刹那の死を正面から受け止めて、五年前から止まっていた時計の針を進めるために。
「長くなるけど、いいわね?」
「はい」
宗次が頷いたのを見て、京子はベッドに腰かけながら、一つ深呼吸をして話し始める。
「刹那は、そうね……一言でいえばアホの子だったわ」
「はぃ?」
全く予想外な評価が飛び出て、驚き目を見開く宗次の姿に、京子は口に手を当てて楽しそうに笑った。
それは、英雄と呼ばれた一人の少女の物語。
見惚れるほど美しく、天才的な強さを発揮しながら、ちょっとお馬鹿で、意地っ張りなくせに弱虫で、いつも明るく笑っていた。
普通ではない才能を持った、普通な女の子の物語。