第69話 無ノ一
人の形をしたCEは、倒れ呻き声を上げている少女達には、もはや興味が無いとばかりに、新たに現れた槍使いに向かって、左腕を前に突き出した半身の体勢を取る。
それはまるで、空手の有段者を思わせる、巌のように静かでありながら、業火の如き荒ぶる力を秘めた構え。
(まずいな……)
蜻蛉切を構えた宗次の額に、冷たい汗がひとすじ浮かぶ。
正二十面体型、両刃剣型と様々なCEと槍を交えたが、死の恐怖を感じた事はあっても、常に勝機の光は見えていた。
だが、目の前の敵は初めて、月すら照らさぬ夜のように、勝利への道が全く見えない。
(どうする……)
一手でも間違えば、一瞬でも臆せば、彼もA組女子と同じように、血に塗れてとなって地面に転がる事だろう。
宗次は湧き上がる恐怖を呼吸と共に飲み干すと、静かに精神を研ぎ澄まして、すり足で距離を詰めてくる人型CEの一挙一投足に、全神経を集中させる。
だから、周りを窺う余裕などなく、反応が遅れた。
「何だこれはっ!?」
原子力発電所の西側から駆けつけた二年D組の生徒達が、人型のCEと血まみれの少女達という凄惨な光景に、驚愕と恐怖の混じった叫び声を上げる。
だが、流石は一年間もCEと戦い続けてきただけあり、一年生よりも肝が据わっており判断も早い。
射撃隊の六名が前に出て弓を構えるが、それがまずかった。
ドンッ、と地面が破裂する音と共に、宗次と向き合っていた人型が、一瞬で二年D組に飛び掛かったのだ。
「何っ!?」
驚愕しながらも放たれた六本の矢を、人型CEはスライディングするように身を屈めて回避しながら、射撃隊の足元まで滑り寄る。
そして、硬直した一人の少年に向けて、飛び上がるようなアッパーを顎に見舞った。
「あが……っ!」
ブゥーッというアラーム音と共に、少年は脳震盪を起こして崩れ落ちる。
人型CEその結果を見ようとすらせず、次の標的に向けて正拳突きを放っていた。
「ぐはっ……!」
鳩尾を打ち抜かれた男子は、くの字に折れ曲がって苦悶の声を漏らすが、幻子装甲はまだ半分残っている。
だからこそ、人型は容赦なく追撃のローキックを放って、彼の左足をへし折った。
「ぎゃあぁぁぁ―――っ!」
幻子装甲が切れたアラーム音さえ掻き消す、痛々しい叫び声。
それを耳にして二年生達の体が恐怖で竦んでも、人型の凹凸が無いのっぺりとした顔に表情など浮かばない。
ただ淡々と射撃隊を殴打して沈めていく。
「慌てるな、皆で囲んで攻撃するんだっ!」
クラスの代表である小隊長が、即座に正気を取り戻し、怯える皆に指示を出したのは流石と言えよう。
射撃隊六名が一瞬で倒され、時間を稼ごうとした勇敢な盾役三名までも崩れ落ちた頃には、残された二十八名で円状に包囲を完成させていた。
ただ、人の輪に遮られてしまい、宗次が人型CEに近づけなくなってしまう。
何より、あまり大勢で囲んでいては、味方に当たる危険があるため、長物の槍を自在に振り回す事ができない。
(まずい……)
二年生D組の先輩達を侮るつもりはない。
ただ、あの人型CEは数で押せば勝てるなんて、生やさしい相手ではないのだ。
その程度の相手であれば、一年A組の女子達がこうも一方的に敗れはしない。
数の力が決定的な差となるのは、個体の力量差が少ない時であり、多数側の連携が上手く取れている時だけである。
常に集団で戦ってきたエース隊員は、連携する事自体には慣れているが、常にこちらより多数のCEを相手にしてきたため、一体を大勢で攻める術には慣れていない。
「行くぞっ!」
正面から突撃する小隊長に合わせて、人型CEの左右と背後からも一人ずつ突進していく。
それは一見、完璧な連携に見えたかもしれない。
だが、慣れぬ行動に加え、間違って向かいの味方に武器が当たるかもしれないという不安が、無意識の内に個々の動きを鈍らせる。
人型CEはそれを見逃さず、最も早く動きだした小隊長に向けて、自ら飛び掛かった。
「くらえっ!」
小隊長は怯まず、上段に構えていた剣を真っ直ぐ振り下ろす。
だが遅かった。人型CEは剣の切っ先よりも早く懐に潜り込み、肝臓をアッパーで突き上げる。
「ごはっ……!」
真上に浮いた小隊長を追い越しながら、人型は背中から体当たりをかます。
それは間違いなく、八極拳の技・鉄山靠。
アラーム音を響かせ吹き飛ぶ小隊長の体が、背後から迫っていた味方に衝突する。
「くそっ!」
その光景に驚愕しながらも、左右から迫っていた二人は、同時に突きを繰り出す。
狙いは当然、CEの弱点であり、胸で赤く輝いているコア。
しかし、伸びてきた二本の剣の腹を、人型は両手で裏拳を放って弾き飛ばし、そのまま二人の顔面に正拳突きをめり込ませた。
「何だ、あれは……っ!?」
宗次だけではない、包囲していた二年生も、遅れて到着した三年D組も、陽向達一年生も全員が思わず恐怖も忘れて見入ってしまう。
空手、ボクシング、ムエタイ、八極拳。
人型CEはあらゆる武術の打撃技を駆使していたのだ。
それもにわか仕込みではない、全て上位の有段者なみに使いこなしている。
人間であれば一人が一つしか修められないレベルの技を、幾つも同時に身に着けている。
まるで、武術家の記憶を幾つも集め、混ぜ合わせたかのように。
(そういうカラクリか)
宗次は直感的に理解する。あれはCEが今までに奪い集めてきた、人々の精神や記憶という巨大なプールから、武術に関する情報だけを抽出して作り上げた怪物なのだと。
言わば長野県民を中心とした、二百万人を超える犠牲者達の中から、選りすぐられた武の結晶。
(勝てるのか……?)
再び恐怖に襲われながらも、宗次は人型CEの動きから一瞬たりとも目を離さない。
だからこそ、一つの事実に気付く。
「うわぁぁぁ―――っ!」
悲鳴のような雄叫びを上げながら、二年生の男子がレイピアで突きかかる。
彼の狙いも当然、CEの弱点であるコアであったが、人型は左腕の回し受けでレイピアを逸らし、返す右拳で男子の顎を打ち砕く。
(やはり、コアを囮にしている)
CEはコアを砕かぬ限り動きを止めない、だからエース隊員はコアを狙う。
しかし、どこを狙うか分かっている攻撃など、目を瞑っていても避けられる。
誘って相手を思うように動かし制する、それが出来るレベルの達人級。
だからといって、仮に手足や胴体を狙っても、簡単に当たってくれる相手ではなく、多少損傷しても生物ではないため動きは鈍らない。
(強い……だが、戦うしかない)
図らずも二年生達は、敵の技を暴き出してくれた。
彼らの功績を無にしないため、これ以上の被害を出さぬため、包囲の輪が緩んだ所を見計らって、宗次は猛威を振るう人型CEに、自ら飛び込み槍を見舞う。
空壱流槍術・全方撃
打つ、払う、突く、槍で可能な全ての攻撃を流れるように繰り出す。
しかし、人型は最初の撃ち落としを横に避け、足元への薙ぎ払いを飛んでかわし、最後の突きも拳で払う。
だが、避けられるのは宗次も承知の上、休まず次の技を繰り出す。
空壱流槍術・絶三段
本来であれば心臓、喉、眉間という急所を狙う三連突きを、最も避けづらい腹に向かって放つ。
今までの相手と違い、コアを狙ってこない事に少し戸惑ったのか、人型CEは大きく後方に跳躍して突きを避けながら、警戒するように再び半身の構えを取った。
「怪我人を連れて下がってっ!」
残った二年生達に向かって叫びながら、宗次は人型と睨み合う。
(やはり強い……っ!)
槍を持った祖父にも劣らぬ威圧感に、手に汗が滲み槍が滑る。
そんな彼の焦燥を煽るように、人型CEはゆっくりとすり足で距離を詰めてきて、突如爆発するように突進してきた。
「しっ!」
当然、予想していた宗次は、下段からすくい上げるように突きを放つ。
胴を狙った高めの突きと違い、下を潜って回避する事は不可能。
だから、人型CEは地面を蹴って跳躍し、そのまま飛び回し蹴りを放ってきた。
しかし、宗次とてそれは予想済みであり、跳躍攻撃はグルファクシス相手に散々懲りていた。
突きの勢いに任せて屈みながら前に飛び、人型CEの蹴りを潜り抜け、着地の隙を狙って振り向きざまに槍を片手で薙ぎ払う。
空壱流槍術・柳風車
細い腰を叩き折ろうと繰り出された殴打を、人型CEはあえて左の脇で受け、胴体にヒビが入るのも気にせず、槍の柄を左腕で挟み取る。
「くっ……!」
宗次は咄嗟に蜻蛉切から手を離し、変換器のスイッチを三回押して一度消す。
約一秒程度の短い動作だが、それを見逃してくれる甘い相手ではない。
武器を失った彼に向けて、人型CEは素早いジャブを見舞ってきた。
(隙がない……っ!)
武装化、その一言を叫ぶ余裕すらなく、宗次は必死に攻撃を避け続ける
「兄弟っ!?」
「駄目よっ!」
友の窮地を救おうと、駆け寄ろうとした映助を、陽向が強く掴み止める。
激しく動き回る宗次と人型CEの間に、下手に割り込んだりすれば、手助けどころか彼の足を引っ張りかねない。
だから悔しくて歯噛みしながら、見守るしかない陽向達の前で、宗次は必死に繰り出される攻撃を避け続ける。
このまま体力を削り取られて敗れるのかと、絶望と焦燥が這い上がってきたその時、宗次は視界の端に映った姿を見て、思わず硬直した。
「――っ!?」
驚く彼の姿を、人型CEは好機と捉えたのだろう。
牽制の左ジャブから、一撃必殺の右ストレートを打とうと振りかぶり――不意に真後ろに向かって蹴りを放った。
「なっ……!?」
戦いを見守っていた誰もが、その瞬間まで気付かなかった。
まるで空気のように存在感を消していた千影沢音姫が、人型CEの背後に迫っており、蹴りを受けて吹き飛ぶ姿を。
「……っ!」
辛くも左腕で防御したが、骨からミシッと嫌な音を立てて、顔を苦痛に歪める彼女に、宗次は目をくれもしない。
作ってくれたチャンスを潰す方が、彼女の思いを無にするからだ。
「武装化っ!」
蜻蛉切を再形成しながら、無理な体勢で蹴りを放ったため、硬直していた敵を突く。
だが流石に、急所を貫かせてくれるほど甘くはない。
人型CEは右肩を少し削られながらも、仰け反って攻撃をかわし、そのままバク転して距離を取った。
二十歩ほどの距離を空けて、一人と一体は再び睨み合いとなる。
宗次は怪我こそないが、死に至る攻撃を避け続けたため、体力と精神の消耗が激しい。
対する人型CEは左脇と右肩に傷を負ったが、動きが鈍った様子はない。
(やはり、コアを貫くしかないのか)
相打ち覚悟の攻撃ならば、手足の一本を奪うのは不可能ではない。
だが、宗次が敗れた後、四肢の一つを失っても、この強敵は暴れ続けるだろう。
三年生も残っているため全滅はないだろうが、壊滅的なダメージは免れない。
陽向や映助達が血まみれになって倒れる、そんな未来は許されない。
(ここで、突き貫くっ!)
しかし、あえて囮として晒す事で、徹底した回避と防御に守られたコアを、貫く手段などあるのか。
答えは然り、たった一つだけ存在する。
回避も防御も許さない、至高の一突きが。
だが、それは外せば即死に繋がる、捨て身の一槍。
(……やるか)
宗次は静かに覚悟を決める。
そもそも、槍とは、突きとは、当たれば敵を屠る強力な一撃である代わりに、外せば無防備な姿を晒して命を取られる危険な攻撃。
だが、命を賭けてでも守るべき者達が居る、命を賭けねば到達できぬ領域がある。
宗次は強く決意を固めながらも、槍を構えたまま体と心の力を抜き、己を『空』に近づけていく。
「えっ、宗次殿……?」
まるで背後の景色に溶け込んでいくような彼に、シャロが思わず戸惑いの声を上げる。
それが引き金になったのか。いや、集積された武術家達の記憶が、警告を鳴らしたのだろう。
人型CEは大地を蹴り砕き、音速に迫る速度で突進した。
「宗次君っ!?」
陽向の悲痛な叫びも、今の宗次には聞こえない。
無限にまで伸びた刹那の間に、師である祖父から教えられた言葉が蘇る。
――槍は、突くためにある。
棒のように叩く事も、剣のように払う事もできるが、それらは余技にすぎない。
――ただ早く、強く、鋭く、一つの突きで敵を貫く。
それを収めれば、あらゆる技は不要と化す。
無の拍子ゆえ回避は不能、無の意識ゆえ予測は不能。
ただ最短最速にて、一の字を描くように放たれる一つの突き。故にその名は、
空壱流槍術奥義・無ノ一
目撃した全ての生徒達は、数秒の間、何が起きたのか理解できなかった。
凄まじい速度で突進してきた人型CEを前に、宗次は無防備に棒立ちしているようにしか見えなかった。
そして、彼に向かって結晶体の拳が振り上げられた時――槍の間合いに入ったその時、蜻蛉切が胸のコアを貫いていた。
まるで映画のフィルムを切り落としたように、何の予備動作もなく、何の激しい音もなく、ただ静かに槍が敵を貫いていたのだ。
急所を貫かれた人型CEも、何が起こったのか分からぬように、拳を振り上げた姿勢で固まっていた。
そのまま、時間が停止したように数秒が過ぎ、ふと風が吹いて、人型は振り上げていた腕をゆっくりと下げ、腰の高さで止めた。
まるで、健闘を称え握手を求めるように。
――見事だ。
そんな声が聞こえたのは、宗次の幻聴だったのだろうか。
武術家達の記憶が残したものか、それともこのCEが発したものか、それとて分からない。
ただ、彼は差し出された腕に誘われるように、己の手を伸ばそうとして蜻蛉切を離す。
当然、槍は重力に引かれて落下し、石突が地面を叩く。
それが停まった時を動かしたのだろう、真芯を貫かれたCEのコアはひび割れ、人の形をした結晶体は粉々に砕け散った。
まるで粉雪のように舞う結晶の前で、宗次は全身の力を使い果たしたように座り込む。
「宗次君っ!」
陽向は今度こそ躊躇わず彼に駆け寄って、その肩を強く掴んだ。
「大丈夫? 生きてるよねっ!?」
「……勝った、のか?」
「うん、勝ったよ。宗次君が勝ったのっ!」
今まで意識を失っていたかのように、実感が湧かずに呆然とする宗次に、陽向は喜びの涙を浮かべて抱きついた。
そこに、他の仲間達も駆け寄ってくる。
「兄弟、信じとったで!」
「Fantastic! これが噂のゼンでありますなっ!」
はしゃぐ皆の声で、宗次はようやく現実に意識が戻ってきて、苦笑しながら告げた。
「俺の事より、怪我人の救助を手伝ってくれ」
「そ、そうでした……っ!」
「A組はいけ好かないけど、死なれたら気分悪いですしね~」
皆は慌てて宗次の元を離れ、三年生達と協力して怪我人の手当を始めた。
既に京子達の指示により、救護ヘリも向かってきている。
一年A組と二年D組、合わせて四十人以上が酷い怪我を負っており、最低でも数カ月はまともに動けないであろうが、命にまで関わる深刻な重傷者は居ないようであった。
宗次はそれに安堵しながら、地面に散らばった結晶の欠片を見詰める。
あまりにも強く、恐ろしい敵であったが、偉大な武術家でもあった結晶体。
その遺骸を弔おうと、伸ばした彼の手を遮るように、細い足が結晶の欠片を踏み砕く。
「これは敵よ」
咎めるように睨んできたのは、左腕を赤黒く晴れ上がらせながらも、平然とした表情を作る千影沢音姫。
太陽の下でありながら、月夜と同じ素顔を見せた彼女に、宗次は小さく頷き返す。
「分かっている」
CEは全人類の敵、それはどう足掻こうともう覆せない事実。
仮にCEが人間と同等の知能や人格を得たとしても、共存共栄など有り得ない。
あまりにもお互いを殺し過ぎてしまった。もはやどちらかが滅びるまで戦う以外の道はないのだろう。
実際に目の前で傷つき苦しんだ、A組の女子や二年生達の姿を見ても、異種族との友好なんて世迷言を吐けるほど、宗次は子供でも聖人でもない。
ただ、立ち上がって皆の元に向かいながら、一度だけ振り返る。
言葉も交えず、ただ槍と拳をぶつけ合った、名も無い一人の強大な敵。
その存在を、宗次は生涯忘れる事はないだろう。




