第62話 災禍
宗次達がタクシーに乗って特高に帰り着いた時、寮に残っていた一年D組の面々は、既に装甲車に乗って軽井沢方面に出撃した後であった。
しかし、彼ら以外にも外出していた生徒が数名おり、その者達を後から運ぶため、数台の装甲車がグラウンドで待っていた。
その一台に飛び乗った宗次は、中に居た先客の姿を見て僅かに目を見開く。
「生徒会長?」
「今日は残念でしたわね」
「まったくだよ、無粋にも程がある」
生徒会長・神近愛璃は宗次に軽く会釈をしつつ、彼の背後から現れた不機嫌顔の麗華を見て、からかうように苦笑した。
「君もお出かけの邪魔をされて、おかんむりのようだね」
「えぇ、今日は名犬牧場でワンコ達と戯れようと思っておりましたのに、無念ですわ」
優雅にドリル状の黒髪を弄りながら、犬をワンコと呼ぶ愛璃は、容姿と台詞が噛み合わず、若干シュールながらも微笑ましい。
そんな彼女の対面席に座りながら、宗次はふと気付く。
「生徒会長」
「何ですの?」
「靴下、裏表が逆です」
「……失礼致しましたわ」
指摘された愛璃は羞恥で頬を染めつつ、靴下を脱いで履き直す。
その際、ロングスカートの合間から覗いた白い太股に、同乗していた男子達から思わず歓声が漏れる。
「愛璃、君は時々サービスのしすぎだね」
「何がですの?」
麗華に注意されても気付かず、小首を傾げるその姿は、初見の時に抱いた大人っぽい女性という印象とは真逆であった。
しかし、こちらの方が親しみやすく、宗次はつい微笑してしまう。
「確かに、生徒会長は可愛らしい人ですね」
「お褒めに預かり恐縮ですけれども、私が親友に刺されかねない発言は、慎んで頂けますかしら」
愛璃はまた頬を染めつつ、向かいの麗華が怖い目をしているのに気付いて、笑顔を強張らせた。
そんな雑談をしている間に、満員となった装甲車は軽井沢方面へと発車する。
「ところで先輩、あの記者ですが」
「少なくとも、ボクがインタビューを受けたのは初めてだね」
宗次の意図を読んで、麗華は難しい顔でそう答えた。
「これでも二年間、この前橋市で暮してきたからね、街の人に興味本位で声をかけられた事はあるけれど、今日のように雑誌記者に取材を受けた事はなかったよ」
「記者に会ったんですの?」
話を聞いていた愛璃や他の生徒達も、驚いた様子で顔を見合わせる。
「そういえば、テレビの取材とか来たことねえよな」
「ちょっとくらい、私達の頑張りを報道してくれてもいいのにね」
「そのままアイドルデビューとか……流石にないか」
「いや、マスコミとか来ても邪魔なだけだろ」
皆それぞれ抱く感想は違うものの、マスコミの取材には会った事がないと口々に告げる。
(政府が取材を規制していたとか、そういう事か?)
幻想兵器という国家機密を扱うエース隊員である、そこから秘密が漏れぬよう、報道機関に規制をかけていたとしても、当然の対応であろう。
では、どうして今まで抑えられてきた雑誌記者が、今日に限って取材をしてきたのか。
(単純にあの男が暴走しただけか?)
政府や会社の意向を無視して、スクープ目当てで先走った、それが一番無難な回答であろう。
ただ、記者が求めたのが、天道寺英人の話というのがどうにも引っかかる。
宗次は下手に考えるよりもと、ヘッドセットを被り通信機のスイッチを入れた。
「京子先生、聞こえてますか?」
『えぇ、大丈夫よ』
「実は――」
外出先で雑誌記者から取材を受けた事を語ると、京子は僅かに沈黙してから、落ち着いた声で答えた。
『分かったわ、こちらから雑誌社に抗議しておくから、後でその名刺を提出してくれるかしら』
「了解しました」
宗次はそう言って通信を切ったが、胸の内では納得していなかった。
(話を聞いても、驚きも呆れもしなかった……想定済みだったのか?)
エース隊員が取材されるような事態を、特高の教師達は事前に知っていた、または許可を出していたと見るべきだろう。
しかし、何のためにそんな事をしたのか、そこまでは宗次も考えが及ばない。
(……やめよう、槍が鈍る)
胸に引っかかる物があったが、これから向かう戦場では不要だと、宗次は余計な詮索をやめ、静かに集中力の刃を研いでいった。
そうしている内に、装甲車は戦い慣れた長野県御代田町へと辿り着く。
「宗次君、無事だったのね!」
装甲車から降りた途端、ソワソワと落ち着かず待っていた陽向が、急いで駆けつけてくる。
「大丈夫だよね!? 食べられてないよね!?」
「別に何ともないが……」
「子猫ちゃん、人を肉食獣扱いするのはやめてくれないかな?」
戸惑う宗次の後ろから降りてきた麗華が、思わず苦笑を浮かべる。
「けれど、君に食べられる覚悟ならいつでも出来ているよ」
「はい?」
「寝言は寝て言えっ!」
色っぽく流し目を送ってくるイケメン先輩に、宗次は戸惑って首を傾げ、陽向は猫のように威嚇しながら、彼の腕を掴んで三二分隊の方へと引っ張っていった。
それを見ていた心々杏は、思わず口笛を鳴らす。
「陽向ちゃん、今日はヘタレず頑張ったですね~」
「というか、麗華先輩には妙に強気ですよね」
「た、多分……何でもないです……」
胸のサイズが近いから、と言いかけた神奈だが、友情のためにその言葉は呑み込んだ。
そんな分隊の仲間達に遅れた事を詫びつつ、宗次は黒馬に乗ったシャロへ声をかける。
「緊張してないか?」
「大丈夫であります。大英帝国の名に恥じぬよう、一生懸命戦うでありますよ!」
「あぁ、頑張ってくれ」
グルファクシスに跨った足は少しだけ震えていたが、宗次は気付かないふりをして声援を送る。
それから改めて辺りを見回し、小首を傾げた。
「一年A組の姿が見えないが、来ていないのか?」
「おらんで、校舎待機やと」
宗次の疑問に、映助が呆れた口調で答える。
黒檜山のピラーを破壊したとはいえ、また新たな小型ピラーが出現し、街が攻撃に遭う危険性があるため、特高には最低でも三クラス分の部隊を残す事になっていた。
今回は一年A組、一年B組、二年B組が留守を預かっている。
その方針自体には、映助を含め誰も不満は持っていない。
しかし、一年A組の聖剣使い、天道寺英人が戦場に出てこない事には、皆が不満と疑問を抱いていた。
「あのスケコマシ一人で、パーっと片付ければええやん。そしたらワテら遊んでられたのに」
「……そうだな」
愚痴交じりの冗談だと分かっているから、宗次は真面目に叱ったりせず同意してみせる。
だが、胸には引っかかるものが生まれていた。
(天道寺英人が居れば、俺達は不要……確かに、戦力だけを考えればその通りだ)
CEの大軍であろうと小型ピラーであろうと、上空から聖剣の光で薙ぎ払う英雄の力が、エース隊員全員よりも上回っている事は、どう言いつくろっても事実である。
だからこそ、不安が募る。
(天道寺英人が戦えなくなった時、いったいどうなる?)
今まで通り、エース隊員だけで戦い続けても、直ぐに負ける事はないだろう。
しかし、CEは正二十面体、両刃剣型と短期間で劇的な進化を遂げてきた。
それがこのまま続くのならば、いずれエース隊員では太刀打ちできない、真の化け物が出現するのかもしれない。
(その時こそ、人類の終わりか……)
――我々は勝ち続けているのに敗北に向かっている。
入学当初、担任の大馬が告げた言葉が、今になって悪寒と共に実感された。
宗次が深い懸念を抱いていた頃、指揮所の綾子は額に無数の青筋を浮かべていた
。
「あいつらの状況は?」
「あと十分で東京駅に到着しますが、そこから一時間かけて戻ってきても……」
間に合わない、と告げるオペレータの報告を聞き、綾子は盛大に溜息を吐く。
「あのバカとアホ娘共め、こうなるから遠出は許さんと散々言ったろうが!」
怒りのあまり机に拳を打ち付けるが、指揮所に集まった教員達は、それを咎めたりはしない。
皆、綾子と全く同じ気持ちであったからである。
何故なら、特高の最大戦力である英雄・天道寺英人が、転校生の外人三人娘と連れだって、新幹線に乗って東京まで遊びに出てしまったからだ。
おかげで、今回の戦闘にはどうあっても間に合わなくなった。
『止められず、誠に申し訳ありません』
「気に病むな、お前達に落ち度はない」
天道寺英人達について行くのは成功したものの、東京行きを阻止できなかった千影沢音姫から、謝罪の通信が届いたが、綾子は叱らずむしろ労った。
英雄の警護、そして監視を任務とする音姫を筆頭としたA組の女子は、東京へ遊びに行きたいと言い出した転校生達と、大喜びでそれに乗った天道寺英人に、当然ながら猛反対して止めようとした。
しかし、天道寺英人があまりにも強固に遊びに行くと言って聞かず、どうしても止められなかったのだ。
彼女達の役目は、天道寺英人をひたすら持ち上げ褒め称え、気持ちよく『英雄』をやらせる事である。
あまり強く反対して彼に嫌われれば、その任務が達成できなくなってしまう。
ただでさえ、今は外国からの転校生という工作員が入り込み、自国の手先とするためハニートラップを仕掛けている真っ最中である。
天道寺英人の好感度を損ねる行為は、国家の行く末すら左右しかねなかった。
「たった一人の、しかも感情的で短絡的なアホに力を持たせれば、こうなるのは当然だがな……」
計画当初から懸念されていた事だが、やはり現実となると頭痛が止まらなかった。
「もういい、今日はそのまま東京で遊んで、英雄様のご機嫌でも窺ってくれ」
『よろしいのですか?』
「迫っているCEの数は多くない、あいつが居なくても何とかなる」
衛星写真を見る限り、厄介な新種の姿も無い。
だから、綾子の判断はこの時点では妥当なものであった。
「アホ娘共が余計な事を吹き込まないか、引き続き監視だけは怠るな。あと、可能性は低いと思うが、雑誌記者などにも捕まらないよう注意しろ。本人へのインタビューなんてされて、金メッキを剥がされてはかなわん」
『了解しました』
それだけ聞くと、音姫は通信を切って、天道寺英人の監視に戻って行った。
「神輿の頭は軽い方が良いと言うがな……」
綾子は三度目の溜息を吐くが、そこまで深刻な事態とは思っていなかった。
その考えが崩れ去ったのは、約十分後の事である。
「来ましたね」
地平線の彼方から現れた結晶体の群れを見て、一樹が緊張した声を上げた。
宗次も目を凝らし、迫るCEの姿を観察する。
「全て六角柱型だけか?」
「みたいやが……ちょい待っとき」
映助はそう言うと、隊列の後方で控えていた装甲車の元まで走り、運転手から双眼鏡を借りてくる。
「えーと、確かに六角形しか居らんな」
「そうか」
宗次は頷き返すも、気を抜いたりはしない。
戦死者が出たあの戦いでは、甲高い音と共に突然小型ピラーが現れ、そこから正二十面体型が出現したのだ。
今回もそれと同じ事が起きない保証はない。
「うん? 何やあれ?」
「どうした」
「いや、何かあれ変やないか?」
映助が急に戸惑った声を上げたかと思うと、CEの方を指さしながら、双眼鏡を手渡してくる。
「どこだ?」
「あれ、最前列の真ん中辺りや」
宗次は双眼鏡を覗き、言われた通り中央付近を観察する。
そして、映助の言った異常を発見した。
一見、ミリ単位の違いすらないように見える、五百体近い六角柱のCE達。
その先頭を進む個体も同じく六角形なのだが、結晶体の中央で輝く赤いコアが、他の物より二倍以上も大きかった。
「確かに、変だな」
「なっ、目玉のお化けみたいで気持ち悪いやろ?」
「どうしたんですか~?」
「私も見せて貰っていい?」
見間違いかと思い、心々杏や陽向達にも確認して貰ったが、やはり一体だけ巨大なコアを抱えている。
「とりあえず、京子先生に連絡を――」
そう思い、通信機を繋げようとした時点で、誰もが気付く異変が起きた。
数mの間隔を取りながら、一定速度で進んできたCEの群れが急停止し、まるでゲームで使うへクスマップかハチの巣の如く、隙間なく密着し始めたのだ。
「何しとんのや?」
まだ五百m近く離れているが、肉眼でも明らかに分かる異常。
それに首を傾げるエース隊員達の見る前で、扇状に集合したCE達の後方で赤い光が灯る。
「――っ、伏せろ!」
怖気を感じた宗次の忠告は、残念ながら間に合わなかった。
後方のCEから放たれた光線は、密着した前方のCEに、そのまた前の物へと、バトンを渡すように繋がっていく。
無数の赤い光線は、扇の要にあたる最前列に陣取った、巨大コアの結晶に吸い込まれて収束し、そして放たれた。
五百mの距離をまさに光の速さで駆け、呆然と立ち尽くしていた一人の生徒に向けて。
「えっ……?」
「青木っ!?」
誰かの上げた悲鳴に一瞬遅れて、ブゥーッと不吉なアラームの音が鳴り響いた。