表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/125

第59話 選択

 午後の授業が終わり、学生食堂で少し早めの夕食を取った後、十二番棟の寮に戻った一年D組の面々は、一階の談話室に集まって雑談に興じていた。

 話の中心はもちろん、転校生のイギリス人美少女である。


「シャロちゃん、アニメ好きなんだよな? 俺もロボット物なら結構詳しいんだぜ」

「そうだ、今度一緒に鑑賞会しようよ」

「本当でありますかっ!」

「シャロちゃん、間違っても一人でついていっちゃ駄目ですよ~。うちのスケベ共はジュースに催眠薬を仕込みかねないですからね~」

「失敬やな、今時の目薬が睡眠薬にならん事くらい知っとるわっ!」

「そうだ、十三歳以上の子に手を出すなんて、変態じゃあるまいし」

「二人とも、語るに落ちていますよ」


 三二分隊の面々もシャロの表裏ない性格に触れて、すっかり打ち解けていた。


「そう、あれは英国式の挨拶だから、外人特有の忍者好きが爆発しただけだから、深い意味はないから……」


 陽向だけは一人、宗次に抱き着いた一件を引きずっており、何やら自分に言い聞かせているが、だからといってシャロを嫌っているわけではない。


「陽向殿のおすすめアニメは何でありますか?」

「えっ、私? 小学生の頃に日曜朝の戦う女の子達は好きだったけど……」

「むむっ、サムライなのにサムライアニメを見ていないでありますか? それはいかんでありますっ!」

「いや、私も侍じゃなくて……」


 陽向が剣道少女と知ったシャロは、彼女にも興味深々と目を輝かせて懐いてくる。

 そんな子犬のように慕われては、邪険にできるはずもない。


「はぁ~、いっそA組くらい性悪だったら気楽なのに……」

「まぁまぁ、ライバルが居たほうが張りが出るってものですよ~」


 心々杏に肩を叩いて励まされ、陽向は複雑な気持ちを飲み込んで、シャロと話し始めた。

 そんな風に皆が楽しんでいるのを見て、宗次は静かに席を外す。


(悪い子ではないよな)


 外国からの転校生という点がどうしても引っかかるが、無駄に心配したところで彼に出来る事はない。

 宗次は余計な詮索をやめ、自室に戻って木の槍を取ると校舎裏に向かう。

 そうして、いつも通り練るような突きの練習を、一時間ほど繰り返した。


(あともう少しなんだが……)


 千の稽古より一の実戦という事か、命懸けの戦いを幾度も切り抜けた事で、田舎で祖父と槍を交えていた時とは違う、何かが掴めそうな感覚があった。

 しかし、そこに到達するためにこそ、万の訓練が欠かせない。

 石ころを積んで天を目指すような愚行を成し遂げてこそ、『から』へと至る奥義が開けるのだから。

 そうして、鍛錬を再開しようとした所で、宗次は急に後ろを振り返った。


「はわわっ!?」


 彼の視線を受け、慌てて校舎の影に隠れた金髪が誰かなど、言うまでもないだろう。


「クロムウェルさん、あまり見られると気が散るのだが」

「うぅ、申し訳ないであります……」


 声をかけると、シャロは大人しく姿を現し謝罪した。


「ニンジャの極秘訓練をどうしても見たかったのであります。決して口外しないので、セプクだけは勘弁して欲しいであります……」

「別に忍者でも秘密でもないのだが」


 外国人から見ると自分はそんなに怪しく見えるのだろうかと、宗次は首を傾げつつ否定する。

 すると、シャロはパッと顔を輝かせた。


「では、見ていて良いでありますかっ!」

「いや、気が散るから――」

「修行が足りない証拠じゃないかしら?」


 急に背後から声が響いて、宗次は振り向きもせず後ろに突きを繰り出した。

 当然、そこに立っていた者は反撃を予想しており、軽やかに飛んで避けていたが。


「こうして、また簡単に背中を取られた所とかね」

「そうだな」


 三日月のように口元を吊り上げて笑う少女、千影沢音姫に対して宗次は素直に頷き返す。


「あら、怒らないのね?」

「事実だしな。それに、殺気があれば当てている」

「ふふっ、怖い怖い」


 茶化すように笑いつつも、音姫の瞳に彼を嘲る色はない。

 彼女が宗次の背後を取れたのは、害そうという敵意が無かったからであるし、彼の攻撃はこちらが避けるとある意味で信頼している、挨拶代わりだと分かっているからだ。

 そんな二人を見て、呆気に取られていたシャロがようやく口を開く。


「凄い、貴方もニンジャでありますかっ!」

「女の場合、忍者じゃなくてクノイチが正解ね」

「おぉ、ジャパニーズ・クノイチっ! ゲイシャ・サムライでありますな!」

「……この子、頭大丈夫なの?」


 キラキラと目を輝かせて迫るシャロに、流石の音姫も鼻白んで頬を引きつらせた。

 その珍しい光景に、宗次は思わず吹き出してしまう。


「ははっ、お前もそんな顔をするんだな」

「貴方の笑い顔の方が、ずっとレアじゃないかしら?」

「お前以外の前では、普通に笑っていると思うが」

「……何かムカつくわね」


 普段の嫌らしい笑みを引っ込め、眉をひそめるその表情も珍しく、宗次はまた笑った。


「むぅ~……」


 そのやり取りに何か不穏なものを感じたのか、シャロは警戒するように宗次の腕を引っ張る。

 音姫はそれを見て、普段の笑みに戻りながら彼女を見詰めた。


「それで、イギリスは好色な英雄を諦めて、唐変木をスカウトしに来たのかしら?」

「スカウト……何の事でありますか?」


 分からないと首を傾げるシャロに、音姫は変わらぬ笑みを向けたまま宗次を指でさす。


「だから、そこの空知宗次君を猪娘から寝取る気なのかしら、と聞いているの」

「ね、寝取っ!?」

「貴方、どこかのまな板と違ってスタイルも良いし、揉ませてあげたら彼も喜ぶと思うわ」

「な、ななな何て事を言うでありますかっ!」


 音姫の直接的な台詞に、シャロは真っ赤になって声を張り上げた。


「結婚前のヤマトナデシコが、そんな事を言っては駄目でありますっ!」

「別にカマトトぶらなくてもいいのに。英国って十代の妊娠率が凄く高いし、貴方も故郷じゃ男をとっかえひっかえ遊んでき口でしょう?」

「失敬な、私はちゃんと神様の教えを守って、結婚まで清い体を守っているでありますっ!」


 売り言葉に買い言葉と、思わず叫び返すシャロを見て、音姫は作り物めいた笑顔ではなく、本気で愉快そうに腹を抱えた。


「あはははっ! そんな力いっぱい処女だと宣言されたら、流石の唐変木も困るじゃないの」

「あっ……」


 言われて、シャロはようやく隣に立つ宗次の事を思い出す。

 彼女の視線を受けた唐変木な槍使いは、実に気まずそうに眼を逸らした。


「い、いやあぁぁぁ―――っ!」


 シャロは堪らず真っ赤になり、悲鳴を上げながら校舎の影へと逃げ去った。

 しかし、十秒と経たず戻ってくると、音姫を睨んで罵声を浴びせる。


「貴方なんかヘソを雷神トールに盗られればいいでありますっ!」


 そう言い捨てると、今度こそ寮の方に駆け去っていった。


「あははっ! それを言うなら『ヘソ噛んで死ね』でしょうが」


 最後まで笑わせてくれると、音姫はまた腹を抱える。

 そんな彼女を見て、宗次は溜息を一つ吐いて空気を変えた。


「それで、クロムウェルさんの何を探りに来た」

「あら、気付いてたんだ」


 音姫は不気味な笑顔に戻りつつ、宗次の指摘を素直に認める。


「英雄狙いの色欲丸出し三人娘と違って、あの子とイギリスの狙いが分からなかったから、少し鎌をかけに来ただけよ」

「そうか」


 暗に転校生が外国からのスパイで、自分はそれを探る立場に居る、日本政府側の工作員だと告げているが、宗次は深く探ろうとはしない。

 藪を突いて蛇を出すのは、彼の趣味ではないからだ。

 しかし、毒蛇の方がむしろ楽しげに尾を絡ませてくる。


「知りたいのなら、教えてあげてもいいけど?」

「何をだ」

「全部」


 言い切る音姫の瞳は、見た事も無い真剣な光が宿っていた。

 宗次が望むならば、彼女は言葉通り知る限りの全てを話すだろう。

 しかし、タダでとはいかない。


「貴方がこちら側に来るならね」


 そう言って、音姫は右手を差し出す。

 彼女の手を取るという事は、特高の裏側に、世界の闇に身を置く事を意味する。

 英雄という輝かしい光によって生み出された、どす黒く腐臭を放つ暗闇に。


「どこかのギリギリ二十代も、喜んでくれると思うけど?」

「…………」


 差し出された白い手を、宗次は無言でじっと見詰める。

 だが、ほんの数秒だけ考えて、静かに首を横に振った。


「やめておく」

「何故?」


 音姫の短い問いに、宗次は言葉を探すようにゆっくりと答える。


「俺は、皆を守りたくてここに来た」


 祖父母や隣近所の人々という、故郷の親しい人たちを守りたくて。


「戦いたくて、戦っている気持ちもあるが」


 磨き上げた槍技を、己の力を存分に発揮できる事に、戦士の悦楽を感じている自分も否定はできないが。


「なにより、皆を守りたくてここに居る」


 特高に来て出会った、陽向や映助という同じクラスの仲間達、京子や大馬という先生、麗華達という先輩。

 他にも、街で出会ったラーメン屋の店主と娘、谷底まで助けに来てくれた自衛隊員。

 そんな人々を守りたいと、そのために槍を振るいたいと思ったのだ。だから――


「余計な物を背負うと、穂先が鈍る」


 世界の裏を、闇を抱えればその分、手が鈍って守りたい者を取りこぼす。

 だからそちらには行かないと、宗次はハッキリと告げたのだ。


「……そう、残念ね」


 音姫は乾いた無表情で、差し出した手を下ろした。

 しかし、直ぐに普段の表情に戻る。


「貴方があのヴァージン娘を監視してくれるか、いっそ誑し込んで英国を裏切らせてくれると、私の仕事が減って助かったのだけど」

「そんな器用な真似を、俺に求められても困る」

「うん、知ってる」


 だからわざと口にしたのだと、また性格の悪い笑みを浮かべる。

 そして背を向けながら、最後に一つ忠告を残す。


「あの子に裏はないわ。けれど、あの子の裏には何者かが居る。注意だけはしておいた方がいいわよ」

「覚えておく」


 感謝を込めて頷く宗次に、音姫は何を言わず姿を消した。

 その背を見送った後、夜空の星を見上げながら、彼は少しだけ心残りを口にする。


「クロムウェルさんとなら、仲良くなれそうだったのにな……」


 恋に狂った少女を演じて皆の憎しみを一身に集め、月の下でも露悪的な笑みしか浮かべない彼女。

 普通の友達を作って、普通の少女のように笑えばいいのに。

 そう告げればきっと、またチャシャ猫のように嫌らしく笑って拒否するのだろうと思い、宗次は小さく頭を振ると、鍛錬を切り上げ寮へと足を向けた。





「うぅ~、なんてハレンチで嫌な奴でありますっ!」


 羞恥で真っ赤になりながら、寮の自室へと駆け戻ったシャロは、音姫への文句を呟きながら左腕の幻想変換器を外した。

 そして、腕輪の内側に空いた穴にコードを差すと、もう片方の先をノートパソコンのUSBポートに差し込む。


「しかし、わざわざパソコンで充電する必要があるなんて、面倒でありますな」


 コンセントに直接差せる充電プラグを用意してくれればいいのに、と変換器を作ってくれた本国の博士に愚痴りつつ、お風呂に入る準備を始めた。

 アニメが好きでパソコンは普通に使えても、機械オタクでもプログラマーでもない彼女は、決して気付く事はない。


 変換器の中にカメラやスピーカーが密かに組み込まれており、彼女が特高の中で見聞きした全てを記録している事を。

 そして、充電のために繋げられた途端、自動的にデータがパソコンに移され、特高の情報員に悟られぬよう、何百にも分割した上で暗号化と偽装をかけ、慎重に少しずつイギリスのある研究所に送られていた事を。

 まる一日かけて送られてきた分割データが、復元されて元の映像となる。

 それを、研究所の最も奥深くにある地下室で、一人の男が眺めていた。


「皆、元気そうだ」


 慈しむように、懐かしむように呟きながら、癖なのか机を指で軽く叩く。

 カンカンッと妙に甲高い音が、映像の音声と混ざりながら、暗い部屋の中に響き続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ