第59話 選択
午後の授業が終わり、学生食堂で少し早めの夕食を取った後、十二番棟の寮に戻った一年D組の面々は、一階の談話室に集まって雑談に興じていた。
話の中心はもちろん、転校生のイギリス人美少女である。
「シャロちゃん、アニメ好きなんだよな? 俺もロボット物なら結構詳しいんだぜ」
「そうだ、今度一緒に鑑賞会しようよ」
「本当でありますかっ!」
「シャロちゃん、間違っても一人でついていっちゃ駄目ですよ~。うちのスケベ共はジュースに催眠薬を仕込みかねないですからね~」
「失敬やな、今時の目薬が睡眠薬にならん事くらい知っとるわっ!」
「そうだ、十三歳以上の子に手を出すなんて、変態じゃあるまいし」
「二人とも、語るに落ちていますよ」
三二分隊の面々もシャロの表裏ない性格に触れて、すっかり打ち解けていた。
「そう、あれは英国式の挨拶だから、外人特有の忍者好きが爆発しただけだから、深い意味はないから……」
陽向だけは一人、宗次に抱き着いた一件を引きずっており、何やら自分に言い聞かせているが、だからといってシャロを嫌っているわけではない。
「陽向殿のおすすめアニメは何でありますか?」
「えっ、私? 小学生の頃に日曜朝の戦う女の子達は好きだったけど……」
「むむっ、サムライなのにサムライアニメを見ていないでありますか? それはいかんでありますっ!」
「いや、私も侍じゃなくて……」
陽向が剣道少女と知ったシャロは、彼女にも興味深々と目を輝かせて懐いてくる。
そんな子犬のように慕われては、邪険にできるはずもない。
「はぁ~、いっそA組くらい性悪だったら気楽なのに……」
「まぁまぁ、ライバルが居たほうが張りが出るってものですよ~」
心々杏に肩を叩いて励まされ、陽向は複雑な気持ちを飲み込んで、シャロと話し始めた。
そんな風に皆が楽しんでいるのを見て、宗次は静かに席を外す。
(悪い子ではないよな)
外国からの転校生という点がどうしても引っかかるが、無駄に心配したところで彼に出来る事はない。
宗次は余計な詮索をやめ、自室に戻って木の槍を取ると校舎裏に向かう。
そうして、いつも通り練るような突きの練習を、一時間ほど繰り返した。
(あともう少しなんだが……)
千の稽古より一の実戦という事か、命懸けの戦いを幾度も切り抜けた事で、田舎で祖父と槍を交えていた時とは違う、何かが掴めそうな感覚があった。
しかし、そこに到達するためにこそ、万の訓練が欠かせない。
石ころを積んで天を目指すような愚行を成し遂げてこそ、『空』へと至る奥義が開けるのだから。
そうして、鍛錬を再開しようとした所で、宗次は急に後ろを振り返った。
「はわわっ!?」
彼の視線を受け、慌てて校舎の影に隠れた金髪が誰かなど、言うまでもないだろう。
「クロムウェルさん、あまり見られると気が散るのだが」
「うぅ、申し訳ないであります……」
声をかけると、シャロは大人しく姿を現し謝罪した。
「ニンジャの極秘訓練をどうしても見たかったのであります。決して口外しないので、セプクだけは勘弁して欲しいであります……」
「別に忍者でも秘密でもないのだが」
外国人から見ると自分はそんなに怪しく見えるのだろうかと、宗次は首を傾げつつ否定する。
すると、シャロはパッと顔を輝かせた。
「では、見ていて良いでありますかっ!」
「いや、気が散るから――」
「修行が足りない証拠じゃないかしら?」
急に背後から声が響いて、宗次は振り向きもせず後ろに突きを繰り出した。
当然、そこに立っていた者は反撃を予想しており、軽やかに飛んで避けていたが。
「こうして、また簡単に背中を取られた所とかね」
「そうだな」
三日月のように口元を吊り上げて笑う少女、千影沢音姫に対して宗次は素直に頷き返す。
「あら、怒らないのね?」
「事実だしな。それに、殺気があれば当てている」
「ふふっ、怖い怖い」
茶化すように笑いつつも、音姫の瞳に彼を嘲る色はない。
彼女が宗次の背後を取れたのは、害そうという敵意が無かったからであるし、彼の攻撃はこちらが避けるとある意味で信頼している、挨拶代わりだと分かっているからだ。
そんな二人を見て、呆気に取られていたシャロがようやく口を開く。
「凄い、貴方もニンジャでありますかっ!」
「女の場合、忍者じゃなくてクノイチが正解ね」
「おぉ、ジャパニーズ・クノイチっ! ゲイシャ・サムライでありますな!」
「……この子、頭大丈夫なの?」
キラキラと目を輝かせて迫るシャロに、流石の音姫も鼻白んで頬を引きつらせた。
その珍しい光景に、宗次は思わず吹き出してしまう。
「ははっ、お前もそんな顔をするんだな」
「貴方の笑い顔の方が、ずっとレアじゃないかしら?」
「お前以外の前では、普通に笑っていると思うが」
「……何かムカつくわね」
普段の嫌らしい笑みを引っ込め、眉をひそめるその表情も珍しく、宗次はまた笑った。
「むぅ~……」
そのやり取りに何か不穏なものを感じたのか、シャロは警戒するように宗次の腕を引っ張る。
音姫はそれを見て、普段の笑みに戻りながら彼女を見詰めた。
「それで、イギリスは好色な英雄を諦めて、唐変木をスカウトしに来たのかしら?」
「スカウト……何の事でありますか?」
分からないと首を傾げるシャロに、音姫は変わらぬ笑みを向けたまま宗次を指でさす。
「だから、そこの空知宗次君を猪娘から寝取る気なのかしら、と聞いているの」
「ね、寝取っ!?」
「貴方、どこかのまな板と違ってスタイルも良いし、揉ませてあげたら彼も喜ぶと思うわ」
「な、ななな何て事を言うでありますかっ!」
音姫の直接的な台詞に、シャロは真っ赤になって声を張り上げた。
「結婚前のヤマトナデシコが、そんな事を言っては駄目でありますっ!」
「別にカマトトぶらなくてもいいのに。英国って十代の妊娠率が凄く高いし、貴方も故郷じゃ男をとっかえひっかえ遊んでき口でしょう?」
「失敬な、私はちゃんと神様の教えを守って、結婚まで清い体を守っているでありますっ!」
売り言葉に買い言葉と、思わず叫び返すシャロを見て、音姫は作り物めいた笑顔ではなく、本気で愉快そうに腹を抱えた。
「あはははっ! そんな力いっぱい処女だと宣言されたら、流石の唐変木も困るじゃないの」
「あっ……」
言われて、シャロはようやく隣に立つ宗次の事を思い出す。
彼女の視線を受けた唐変木な槍使いは、実に気まずそうに眼を逸らした。
「い、いやあぁぁぁ―――っ!」
シャロは堪らず真っ赤になり、悲鳴を上げながら校舎の影へと逃げ去った。
しかし、十秒と経たず戻ってくると、音姫を睨んで罵声を浴びせる。
「貴方なんかヘソを雷神に盗られればいいでありますっ!」
そう言い捨てると、今度こそ寮の方に駆け去っていった。
「あははっ! それを言うなら『ヘソ噛んで死ね』でしょうが」
最後まで笑わせてくれると、音姫はまた腹を抱える。
そんな彼女を見て、宗次は溜息を一つ吐いて空気を変えた。
「それで、クロムウェルさんの何を探りに来た」
「あら、気付いてたんだ」
音姫は不気味な笑顔に戻りつつ、宗次の指摘を素直に認める。
「英雄狙いの色欲丸出し三人娘と違って、あの子とイギリスの狙いが分からなかったから、少し鎌をかけに来ただけよ」
「そうか」
暗に転校生が外国からのスパイで、自分はそれを探る立場に居る、日本政府側の工作員だと告げているが、宗次は深く探ろうとはしない。
藪を突いて蛇を出すのは、彼の趣味ではないからだ。
しかし、毒蛇の方がむしろ楽しげに尾を絡ませてくる。
「知りたいのなら、教えてあげてもいいけど?」
「何をだ」
「全部」
言い切る音姫の瞳は、見た事も無い真剣な光が宿っていた。
宗次が望むならば、彼女は言葉通り知る限りの全てを話すだろう。
しかし、タダでとはいかない。
「貴方がこちら側に来るならね」
そう言って、音姫は右手を差し出す。
彼女の手を取るという事は、特高の裏側に、世界の闇に身を置く事を意味する。
英雄という輝かしい光によって生み出された、どす黒く腐臭を放つ暗闇に。
「どこかのギリギリ二十代も、喜んでくれると思うけど?」
「…………」
差し出された白い手を、宗次は無言でじっと見詰める。
だが、ほんの数秒だけ考えて、静かに首を横に振った。
「やめておく」
「何故?」
音姫の短い問いに、宗次は言葉を探すようにゆっくりと答える。
「俺は、皆を守りたくてここに来た」
祖父母や隣近所の人々という、故郷の親しい人たちを守りたくて。
「戦いたくて、戦っている気持ちもあるが」
磨き上げた槍技を、己の力を存分に発揮できる事に、戦士の悦楽を感じている自分も否定はできないが。
「なにより、皆を守りたくてここに居る」
特高に来て出会った、陽向や映助という同じクラスの仲間達、京子や大馬という先生、麗華達という先輩。
他にも、街で出会ったラーメン屋の店主と娘、谷底まで助けに来てくれた自衛隊員。
そんな人々を守りたいと、そのために槍を振るいたいと思ったのだ。だから――
「余計な物を背負うと、穂先が鈍る」
世界の裏を、闇を抱えればその分、手が鈍って守りたい者を取りこぼす。
だからそちらには行かないと、宗次はハッキリと告げたのだ。
「……そう、残念ね」
音姫は乾いた無表情で、差し出した手を下ろした。
しかし、直ぐに普段の表情に戻る。
「貴方があのヴァージン娘を監視してくれるか、いっそ誑し込んで英国を裏切らせてくれると、私の仕事が減って助かったのだけど」
「そんな器用な真似を、俺に求められても困る」
「うん、知ってる」
だからわざと口にしたのだと、また性格の悪い笑みを浮かべる。
そして背を向けながら、最後に一つ忠告を残す。
「あの子に裏はないわ。けれど、あの子の裏には何者かが居る。注意だけはしておいた方がいいわよ」
「覚えておく」
感謝を込めて頷く宗次に、音姫は何を言わず姿を消した。
その背を見送った後、夜空の星を見上げながら、彼は少しだけ心残りを口にする。
「クロムウェルさんとなら、仲良くなれそうだったのにな……」
恋に狂った少女を演じて皆の憎しみを一身に集め、月の下でも露悪的な笑みしか浮かべない彼女。
普通の友達を作って、普通の少女のように笑えばいいのに。
そう告げればきっと、またチャシャ猫のように嫌らしく笑って拒否するのだろうと思い、宗次は小さく頭を振ると、鍛錬を切り上げ寮へと足を向けた。
「うぅ~、なんてハレンチで嫌な奴でありますっ!」
羞恥で真っ赤になりながら、寮の自室へと駆け戻ったシャロは、音姫への文句を呟きながら左腕の幻想変換器を外した。
そして、腕輪の内側に空いた穴にコードを差すと、もう片方の先をノートパソコンのUSBポートに差し込む。
「しかし、わざわざパソコンで充電する必要があるなんて、面倒でありますな」
コンセントに直接差せる充電プラグを用意してくれればいいのに、と変換器を作ってくれた本国の博士に愚痴りつつ、お風呂に入る準備を始めた。
アニメが好きでパソコンは普通に使えても、機械オタクでもプログラマーでもない彼女は、決して気付く事はない。
変換器の中にカメラやスピーカーが密かに組み込まれており、彼女が特高の中で見聞きした全てを記録している事を。
そして、充電のために繋げられた途端、自動的にデータがパソコンに移され、特高の情報員に悟られぬよう、何百にも分割した上で暗号化と偽装をかけ、慎重に少しずつイギリスのある研究所に送られていた事を。
まる一日かけて送られてきた分割データが、復元されて元の映像となる。
それを、研究所の最も奥深くにある地下室で、一人の男が眺めていた。
「皆、元気そうだ」
慈しむように、懐かしむように呟きながら、癖なのか机を指で軽く叩く。
カンカンッと妙に甲高い音が、映像の音声と混ざりながら、暗い部屋の中に響き続けた。




