第57話 転校生
一時間目の数学を終えて休憩時間に入った途端、イギリスからの転校生シャーロト・クロムウェルの周りに、D組の生徒達は一斉に群がった。
「ねぇねぇ、シャロちゃんってイギリスのどこ生まれなの?」
「生まれも育ちもバーミンガムであります」
「好きな食べ物は?」
「定番ですが、クリームをたっぷり塗ったスコーンが大好きであります」
「イギリス料理は不味いって本当?」
「も、黙秘を貫かせて頂くであります」
物珍しさから質問攻めをしてくる皆に、シャロは嫌な顔一つせず、流暢な日本語で答える。
そんな中、男子の一人が意を決して訊ねた。
「シャロちゃんって、恋人とかいるのっ!」
「えっ、恋人でありますか?」
鼻息荒く迫る男子に驚きつつ、シャロは笑顔で告げる。
「いないであります」
「「「おっしゃぁぁぁ―――っ!」」」
「でも、好きな人はいるであります」
「「「ごはっ!」」」
一瞬で天国から地獄に落とされた男子達が、血を吐いて倒れ込む。
「そ、それで、誰が好きなの?」
また余計な心配をしている陽向が追及すると、シャロはやはり満面の笑顔で答えた。
「もちろん、軍曹殿でありますっ!」
そう言って両足の踵を揃え、右手を掲げて見事な敬礼をする。
この動作と語尾で分かるだろうと、自慢げに胸を張りながら。しかし――
「……誰?」
二〇一五年生まれの一年D組一同は、生憎と原作漫画もアニメの方も知らなかった。
ただ一人、オタク文化に詳しい巨乳少女を除いて。
「あ、アニメ、好きなの……?」
「はい、大好きであります! 日本語もアニメで学んだのです」
「ど、同志……っ!」
明るくアニメオタクだと言い切るシャロに、神奈は感激して思わず抱き着く。
「わ、私はやっぱり、中尉×伍長の兄弟カップルが最萌えなんだけど、シャロちゃんは……?」
「What? 何で人名を掛け算するでありますか?」
「あ~、転校生ちゃんは知らなくていい世界ですよ~」
「神奈、外国の子に何を吹き込もうとしてんのっ!」
首を傾げる純朴なシャロから、陽向達は慌てて腐臭の元を引き剥がす。
「でも、宗次君狙いじゃなかったんだ、良かった……」
「女房の妬くほど亭主はモテずって諺、知ってますか~?」
勝手に心配して勝手に安堵する陽向に、心々杏が呆れた眼差しを送る。
その横で、倒れていた男子達は復活を果たしていた。
「つまり、シャロちゃんは今フリーという事だな?」
「ふふふっ、どうやら俺達にも運が回ってきたようだ」
「悪いが、シャロちゃんのハートはワテのもんやで!」
金髪イギリス人美少女をかけて、男子達は早くも火花を散らし合う。
それを自分の席から眺めて、宗次は思わず呟く。
「まさか、これが目的ではないだろうが……」
「どうしました?」
「いや、何でもない」
彼と同様、騒ぎに加わっていなかった一樹に問われ、宗次は首を振って誤魔化した。
(D組に不破の種を撒いたところで、外国にメリットがあるわけもない)
しかし、開校から二年余り、幻想兵器という国家機密を扱う特高に、今までなかった外国の転校生を迎え入れたのだから、何らかの理由があるはず。
(幻想兵器の秘密を探るとか、そういう目的だろうか?)
それならば、わざわざ転校生など送らずとも、映画に出てくるようなスパイを送り込めばいい話であろう。
(分からんな)
戦闘の事ならばまだしも、政治の話までは流石に宗次も頭が回らない。
無駄な勘繰りに時を費やすのは止めて、ジャージの袋を持って立ち上がる。
「次ぎ、グラウンドで訓練だぞ」
「しもうたっ!? はよ着替えんと!」
遅れたら、またグラウンドを何十周も追加で走らされると、転校生に群がっていた皆も慌てて着替えを始めた。
そうして、どうにか遅れず校庭に集合したD組の一同であったが、ここでも男子達の視線はシャロに集中していた。何故なら――
「クロムウェル、一つ聞いていいか?」
「Yes sir!」
「何でブルマーなんだ?」
そう、大馬が指摘する通り、シャロの体操服は皆のジャージと違い、既に絶滅して久しいショーツ型の紺色ブルマーであったのだ。
「まさか生で見られる日がこようとは……」
「ありがたや、ありがたやっ!」
スケベな男子達は感激に打ち震えつつ、イギリス人美少女の白く長い太ももを拝む。
本人はその視線に気づいた様子もなく、不思議そうに首を傾げた。
「What? 日本の体操着はこれと違うでありますか?」
「いいや、シャロちゃんは正しいで!」
映助が鼻血を垂らしつつ肯定するも、それを見た大馬は溜息を吐きつつ、無常な指示を下す。
「クロムウェル、保健室に行って皆と同じジャージを借りて来い」
「Yes sir!」
「何でやぁぁぁ―――っ!」
素直に従うシャロを余所に、血涙を流して担任に襲い掛かる映助。
当然、いつも通り首を絞めて落とされたあと、グラウンドを三十周追加で走らされる事となった。
「お、鬼や、血も涙もない悪魔やで、あの先公……っ!」
「自業自得だろ」
逆恨みする親友にツッコミつつも、律儀に付き合って同じ回数を走り切った宗次は、既に走り終えていたシャロ達の方を窺った。
「シャロちゃん、足速いですね~」
「はい、これでもスポーツで鍛えていたでありますっ!」
「イギリスだと、やっぱりフェンシングとか?」
「て、テニスとか似合いそうです……」
明るく人懐っこい性格のおかげで、既にクラスの女子と打ち解け合っている。
(杞憂だったか?)
一年A組に転校してきた三人から、どこか不穏な気配を感じたので身構えていたが、シャロは見た目通りに善い子なのだろうか。
そんな事を考えていると、タブレットPCを手に大馬が歩み寄ってきた。
「ではこれから、普段通り二人組になって練習をして貰うが……空知、クロムウェルの相手をしてくれ」
「はい」
「何で兄弟やねん、ずるいでっ!」
練習中の事故(故意)による胸タッチでも狙っていたのだろう、映助が騒ぐのも気にせず、宗次は転校生の元に歩み寄った。
「クロムウェルさん、俺と幻想兵器を使った練習試合をして貰うが、大丈夫か?」
そう言いつつ、彼女の左腕に填められた金色の腕輪を見る。
宗次達が填めている黒い物より、一回りほど大きく形も違うが、間違いなく幻想を現実と化す変換器。
「はい、お願いしますであります」
シャロは彼の視線に気付いた様子もなく、また元気に敬礼しながら申し出を受け入れた。
そうして、二人は二十mほどの距離を取って向き合う。
「シャロさん、どんな武器を使うんでしょう?」
「パンジャンドラムとかじゃないですか~?」
少し離れて観戦する皆の前で、宗次は己の愛槍を呼び出す。
「武装化」
右腕の幻想変換器から溢れ出した光が、天下三名槍の一つ蜻蛉切と化す。
「おぉ、綺麗なジャパニーズ・サムライスピアであります」
シャロは鋭い槍の輝きに感嘆の声を漏らしつつ、自らも左腕を掲げて叫んだ。
「Come on Gullfaxi!」
金色の腕輪から放たれた光の放流が、彼女の横で巨大な塊となって姿を現す。
大地を揺るがす四本の力強い脚、燃えるような黄金の光を放つ尻尾とたてがみ。
前足を掲げ、いななくように太い首を揺さぶその姿は――
「「「馬っ!?」」」
「はい、北欧神話の名馬・グルファクシスでありますっ!」
驚愕するD組の面々に向けて、シャロは愛馬を紹介しながらその背に跨った。
「これは凄いな……」
流石の宗次も驚いて、巨大な黒馬を見上げる。
体高は二mをゆうに超え、体重は二トンに届くかというサイズ。
世紀末覇王が乗っていてもおかしくない、伝説の名馬に相応しい風格であった。
「それでは、参るでありますっ!」
シャロはグルファクシスの手綱を引くと、見上げていた宗次に向けて突進した。
地響きを上げて時速五十㎞近い速度で向かってくる、約二トンもの巨大生物。
それはもはや、大型のジープが走ってくるのと変わらない。
「くっ……」
轢き飛ばされては堪らないと、宗次は大きく横に飛んで黒馬の突進をかわす。
それと同時に、馬の横腹に向かって蜻蛉切を突き出した。
体重が乗り切っていない、腕だけで放った突きとはいえ、普通の馬であれば内臓を破られ絶命する一撃。
しかし、相手は幻想より生まれし神話の名馬。
分厚皮に浅い傷が付いただけで、グルファクシスは痛みに怯える事すらなく、平然と通り過ぎていった。
「流石はサムライ、やるでありますね」
シャロは感嘆しつつ黒馬を大きく旋回させ、再び突進してくる。
(やるしかないか)
向かってくる巨体を前に、宗次は覚悟を決める。
黒檜山で戦った薄い両刃剣型のCEと違い、巨大な黒馬は紙一重で避けて反撃する事は難しい。
ならば、相手の突進力を逆に利用して、真正面から急所を突き貫くしかない。
宗次は足を止めて槍を構え、傍から見れば自殺行為としか思えない、捨て身の体勢で待ち構える。
そして、グルファクシスが槍の射程に入ろうとした直前。
「はっ!」
シャロの合図と共に、黒い巨体が大地を蹴って宙を飛んだ。
「何っ!?」
上空から降ってくる二トンの塊を前に、宗次は放つ寸前だった突きを中断するのではなく、むしろその勢いを利用して前に転がり飛ぶ。
その判断が功を奏し、グルファクシスを追い越す事で、紙一重で巨体の踏みつけを回避する。
だが、黒馬の攻撃はそれで終わりではない。
前転して動きが止まった宗次の背に向けて、後ろ足の蹴りが放たれた。
「ぐぅ……っ!」
それを予期していた宗次は、蜻蛉切の柄を背負う形でからくも馬の蹄を防ぐが、人の頭など簡単に粉砕する蹴りの衝撃は殺しきれない。
まるで車に跳ねられたように、グラウンドを何mも転がった。
「宗次君っ!?」
「何やあの馬、強すぎやろっ!?」
観戦していた陽向達から悲鳴が上がるなか、宗次は土埃で汚れながらも素早く立ち上がる。
(次をくらえば終わりだな)
幻子装甲の残りを冷静に計算する彼に、旋回を終えたシャロが馬上から声をかけてきた。
「まだやるでありますか?」
「無論だ」
ただ一言返して槍を構える宗次に、シャロは満面の笑みを浮かべる。
「それでこそ、ジャパニーズサムライであります!」
そう告げると、前を向かせたままグルファクシスを後退させていった。
さらなる助走をつけ、今度こそ仕留ようという意思の表れ。
そして、三度目にして最後の疾走を開始した神話の黒馬に対し、宗次は自らも前に向かって駆け出した。
「無茶だっ!?」
誰かの悲鳴が聞こえたが、宗次は前に出す足を止めない。
そして、人と馬の距離が五mを切った瞬間、グルファクシスは再び大地を蹴って宙に飛ぶ。
だが、飛んだのは彼女達だけではない。
宗次もまた蜻蛉切を大地に突き立て、棒高跳びの要領で宙を舞っていた。
「Whatっ!?」
驚愕に目を見開くシャロの前で、宗次は右拳に全ての意識を集中して突きを放つ。
集中幻子拳
バリアさえ砕く何重ものバリアをまとった拳が、あらゆる生物の急所である眉間を打ち抜いた。
「――っ!?」
あくまで幻想、人の意思エネルギーが生み出したモノに過ぎないグルファクシスは、痛みに悲鳴を上げたりはしない。
ただ、殴られた衝撃も合わさって、重力に引かれ落下していくだけである。
それに一拍遅れる形で落下を開始しながら、宗次は左手を右腕に伸ばす。
カチカチカチッ。
「武装化」
一度消し、再び生み出した蜻蛉切を両手で握り、黒馬に向けて全体重をかけて落下する。
何の特殊な能力もない、だが停まった蜻蛉が切れるほど鋭利な矛先は、黒馬の眉間を突き貫き、幻子の光へと変えていった。
「brilliant……」
呆然と見とれていたシャロの体が、跨っていた黒馬の消滅と共に、地面に向かって落下する。
それを、先に着地していた宗次が慌てて受け止めた。
「大丈夫か?」
「…………」
両手でお姫様だっこされた形のシャロは、まだ夢を見るように呆然としていた。
しかし、地面に下ろそうとした瞬間、宗次の首に抱き着いて歓声を上げた。
「凄いであります、感激であります! 宗次殿はニンジャだったでありますねっ!」
「……はぁ?」
「父親は『ニンジャなんて存在しない、いいね?』と言っていたけど、本当は居たであります。しかも、サムライでニンジャなんて最強でありますっ!」
「いや、俺は侍でも忍者でもないんだが……」
誤解を解こうと説明するが、目をキラキラと輝かせたシャロはまるで聞いていない。
「分かっているでありますよ。ニンジャは忍ぶ者、正体を秘密にするのは当然であります」
「……とりあえず、離れて貰えるか?」
真正面から首に抱き着かれて、形の良いふくらみが胸板に当たるのは、朴念仁の槍使いとて流石に照れ臭い。そして何より――
「兄弟、またワテらのお星様を奪うんかいっ!」
「スケコマシに三人盗られ、シャロちゃんまで盗られるくらいなら、いっそ……っ!」
「行くぞ、全員で囲めば仮令宗次相手でも、一発くらい当てられるはずだ!」
嫉妬に狂った男子達が、早くも幻想兵器を構えて攻撃を開始しようとしていた。
その後ろでは、ヘタレな剣道少女が光を失った瞳で、青い空を見上げている。
「心々杏、女房の妬くほど亭主は……何だって?」
「申し訳ありませんでした」
「ま、まだそうと決まったわけじゃ……」
土下座する心々杏と、必死に慰めようとする神奈の声も聞こえない様子で、陽向は外人美少女ライバルの出現という厳しい現実から、必死に逃避するのであった。
そんな大騒ぎをする生徒達を、担任の大馬は珍しく叱らない。
ただ、手に持ったタブレットPCのカメラで録画した、今の映像を指揮所に送りながら、疑惑の眼差しを向ける。
「あれはいったい……」
シャロの左腕にはめられた、金色の英国製・幻想変換器。
それは明らかに、黒い日本製の変換器を上回る性能を示していた。




