第55話 帰還
夏も直前となった五月下旬といえども、夜ともなれば気温はぐっと下がる。
支給された防寒ジャケットと、谷底で風が入ってこなかったお陰で、震えるほどの寒さではなかったが、陽向は眠れずにいた。
少し前まで何時間も気絶していたため、眠気が湧いてこないのもあるが、最大の原因は隣で眠っている宗次の存在であろう。
(やばい、心臓がバクバクして止まらない……っ!)
遭難して救助も来ず、いつCEが襲ってくるかも知れない危機的状況だというのに、不埒な事を考える自分の恋愛脳に呆れつつも、胸の鼓動は収まってくれない。
「……眠れないか?」
「う、うん」
目を瞑ったままの宗次に声を掛けられ、陽向はビクリと背を震わせつつ頷いた。
「俺もだ、体の節々は痛いが、体力が余っていて眠気がこない」
「そうね、いっそ運動……な、何でもないっ!」
「うん?」
何を想像したのか、真っ赤になって誤魔化す陽向を、宗次は目を開けて不思議そうに眺める。
その後で、木々の間から微かに覗く星空を見上げた。
「綺麗だな」
「うん、こんな時でもなかったら、ロマンチックな天体観測なんだけど」
陽向はそう言いつつ、夜空の星に向かって手を伸ばす。
麗華先輩も同じ事をしていたな――という感想を、胸の内だけに留めて声に出さなかったのは、宗次にしては珍しいファインプレイであった。
「そういえば、平坂さんとこんな風に、二人でゆっくりと話した事はなかったな」
授業や作戦ではD組の皆が居るし、休日などに遊んだりする時は、映助や心々杏達を含めた六人で居る事が多いから、完全に二人きりというのは本当に初めてであった。
「そ、そうだね」
改めて意識してしまい、陽向はさらに頬を染めつつ、照れ臭くて別の話題を振った。
「そういえば、宗次君の故郷ってどこなの?」
「あぁ、俺の故郷は――」
告げられたその名を聞いて、陽向は首を傾げる。
「あの県にそんな村あったっけ?」
「本当に山奥の田舎だからな、特産品も無いし、知らなくて当然だ」
「う~ん、どんな所か想像つかないわね」
「そう言う平坂さんは、どこの生まれなんだ?」
「私は千葉よ、千葉県千葉市」
「千葉か、都会だな」
「うん、まぁ、都会なのは否定しないけど」
むしろ、宗次が田舎と思うような場所はどこなのかと、陽向は疑問に思う。
「だが千葉だと、六年前は大変だったんじゃないか?」
長野県松本市に出現したピラーから、大量のCEが溢れ出てきた当初、一時は首都近郊の住民も避難が呼びかけられた事は、宗次もニュースで知っていた。
しかし、陽向は考え込んで首を捻る。
「どうだったかな、お父さんとお母さんがテレビを見ながら、心配そうに話していたのは覚えているけど、私は『学校が休みでラッキーッ!』としか思ってなかった気がする」
当時は十歳、小学校四年生である。
謎の結晶体が現れて襲ってくるなんて、まるで映画のような現実を真剣に受け止めろという方が酷であろう。
「そうか、俺はどうだったかな……」
「槍術の練習をしていたとか?」
「多分そうだろうな。平坂さんはその頃から剣道を?」
「その少し後からかな。CEの一件から犯罪率が高くなったとかテレビで見て、心配したお父さんに勧められたのが切っ掛けで――」
気が付けば陽向も緊張が取れ、うちとけて話し込んでいた。
故郷の事、両親の事、友達の事、好きな本やゲームの事と、様々な事を語り明かした。
そうして数時間が経ち、ようやく眠気が襲ってきて、二人は自然と口を噤む。
静かな、だが心地よい沈黙の中で、陽向は意を決して言葉を紡いだ。
「ねぇ、宗次君」
「何だ」
「あのね、私、私は……苗字じゃなくて、名前で呼んでくれるかな?」
マジヘタレです~っ!――というツッコミが、どこからか聞こえてきそうな、情けなくも切実な願い。
それに、宗次は優しく微笑んだ。
「分かったよ、陽向さん」
「うん、ありがとう」
呼び捨てじゃないのは残念だけど、今はまだこれで良いかと、陽向も満足そうに笑みを浮かべる。
それで気が緩んだのか、彼女は瞼を閉じ、静かに寝息を立て始めた。
宗次もそれを見て、ゆっくりと意識を睡魔にゆだねていった。
宗次が浅い眠りから覚めたのは、まだ空が白み始めたばかりの午前四時頃であった。
「ん……宗次君、もう起きるの?」
固い地面の上ではやはり深く眠れなかったらしく、彼の動いた気配で陽向も目を覚ます。
「あぁ、怪我の痛みも引いたし、体力が落ちる前に動き出そう」
食料は無く、水筒の水もほぼ飲み尽くしてしまった。
時間が経てば歩く事も不可能となる。その前に森を抜ける必要があった。
(本来であれば、救助を信じて待つべきなんだろうが……)
谷底に転落してから半日以上が経つが、救助が来る様子はない。
CEがいつ襲ってくるかも分からない状況で、ただ餓え渇きながら他人を当てにして待つというのは、流石の宗次でも精神的にきつかった。
そのため、危険を承知の上で、自力での脱出に賭けたのだ。
「どっちに行くの?」
「まずは西だな」
宗次達が落ちた谷の底は、西から東南の方向に伸びている。
ならば、探索の出発点であった大沼のある、西方向に進むのが最善であろう。
しかし、そちらに向かった彼らの歩みは、五分と経たず断崖絶壁によって遮られてしまった。
「これは登れそうにないな……」
三十m以上はある急な岩壁を見上げて、宗次は早々に諦めた。
「じゃあ、反対方向に行く?」
「……それしかないか」
東南は両刃剣型のCEと遭遇した方向である。
危険なため出来れば避けたかったが、他に道がない以上は仕方がない。
そう覚悟を決め、谷底を二十分ほど歩いた頃であった。
「待った」
宗次は急に立ち止まり、横を歩いていた陽向を手で制する。
「どうしたの?」
「前方に、何か違和感がある」
言われて陽向も目を凝らし、十秒ほどかかってようやくそれに気づいた。
「あそこだけ、妙に綺麗なような……」
ゴツゴツと張り出した岩壁が続く谷の中で、一か所だけ妙に平らな岩肌があったのだ。
周りの岩と同じ土気色ながら、上空から差し込む僅かな光を、まるで磨いた鏡のように反射する美しいそれは――
「まさか、ピラーっ!?」
「そのようだ」
自分達が探し求めていた物を、最悪の形で発見してしまい、宗次は額に冷や汗を浮かべつつも感心する。
「どうりで見つからないわけだ」
木々によって隠された、狭い谷の側面に半分埋もれて、擬態なのか周囲の岩と同じ色をまとっている。
これでは、衛星写真をいくら精査しても、見つからないわけである。
(偶然ではない、これを狙ってやったとするならば……)
ピラーには知能がある。葉っぱに擬態する昆虫のような、生存本能と言うべき簡素なものだとしても。
「宗次君、どうするの?」
「…………」
声を潜めて訊ねてくる陽向に、宗次は即座に応えられなかった。
こちらに気付いていないのか、または昨日、両刃剣型を大量に生み出したりして余力が残っていないのか、ピラーからCEが出てくる様子はない。
しかし、こちらが近づいたり刺激を与えたりすれば、大人しくしている保証はなかった。
とはいえ、谷底を這い上がる手段はなく、脱出路はこの先にしかない。
運を天に任せて駆け抜けるか、引き返して西側の絶壁を無理に登るか。
どちらの方がまだマシか、真剣に検討を始めた時であった。
『空知宗次君っ! 平坂陽向君っ! 居たら返事をしてくれっ!』
上空から拡声器による大声と共に、激しいローダー音が鳴り響いてきたのだ。
「えっ、救助が来たっ!?」
「見捨てられてはいなかったか」
半分諦めていた救いの手に、宗次も思わず胸を撫で下ろす。
「おーい、ここですーっ!」
木々の隙間から僅かに見える空に向かって、陽向は大声を上げながら手を振った。
その声が聞こえたから、というよりは、救助ヘリに乗って何名もの人間が高速で接近してきた事に反応したのだろう。
今まで土気色に染まっていたたピラーが、新たな手下を生み出さんと、擬態を解いて七色の光を放ち始めた。
「まずい、逃げよう!」
宗次は陽向の手を引き、即座に元来た方へと走り出す。
「せっかく救助が来たのにっ!」
後ろを振り向く様子もなく、二人はひたすら前方へと走る。
そして直ぐに、天から垂らされた救いの糸を見つけた。
「こっちだ、早くっ!」
足が森の木々に触れそうなほど、ギリギリの地点でホバリングをしている救難ヘリ・UH-60Jから、ロープで降下してきた二人の自衛隊員が、彼らを手招きしていた。
「助かった!」
走りついた陽向の体に、自衛隊員がチューブ状のサバイバスリングを着け始めるのを見て、宗次は後ろを振り返る。
そこには、ピラーから生み出されて後を追ってきた、数体の両刃剣型の姿があった。
特に先頭の一体は、あと数mで攻撃を開始する距離まで迫っていた。
このままでは、上昇中にヘリか自分達が切り刻まれてしまう。
「少しだけ待ってください!」
「おい、君っ!?」
自衛隊員の制止を振り切り、宗次は迫るCEに向けて、幻想兵器を呼び出しながら走り出す。
「宗次君っ!」
陽向の悲鳴と同時に、両刃剣型は回転突撃を開始した。
迫る結晶の回転ノコギリに対して、宗次は蜻蛉切を短くもって身構える。
そして、刃が彼を切り裂くかと見えた瞬間、紙一重で右に避けながら、すれ違いざまに突きを放った。
空壱流槍術・横胴貫
何度も両刃剣型の突撃を間近で見て、その速度を覚えたとはいえ、あまりにも精巧な妙技でコアを貫く。
急所を貫かれた結晶の剣は、そのまま数mを回転飛行しながら、空中でバラバラに砕け散るのだった。
「凄い……」
陽向だけでなく救助に来た自衛隊員達も、鮮やかな槍術に思わず見とれた。
そんな彼らの元に、宗次は素早く駆け戻ってくる。
「出してくださいっ!」
「分かった、上げてくれ!」
サバイバスリングを装着する余裕はもうなく、しがみ付いてきた宗次を自衛隊員も全身を使って挟み返し、パイロットに合図を送る。
するとUH-60Jは即座にローダーを唸らせ、急上昇を開始した。
「うひゃぁーっ!」
ロープ一本で宙吊りになりながら、空を飛び回る浮遊感に、陽向が思わず悲鳴を上げる。
そんな彼らの眼下で、目標を失った数体の両刃剣型は、恨めしそうに谷底をうろついていた。
「はぁー、死ぬかと思った……」
CEから十分に距離を取った所で、ヘリの機内に引き上げられて、陽向は腰を抜かしたように座り込む。
「まったく、君は無茶をするな」
「すみません」
助けてくれた自衛隊員に軽い口調で叱られて、宗次は深く頭を下げた。
両刃剣型に突っ込んだ事よりも、救助を信じて待たなかった事が、申し訳なかったからだ。
「しかし、どうして俺達の居場所が分かったんですか?」
通信機を内蔵したヘッドセットは壊れ、転落地点からはそこそこ離れた場所に居たのに。
その疑問に、自衛隊員は彼の右腕を指さしながら答えた。
「それの電波を探って来たんだよ。微弱な物だから、見つけるのに手間取ってしまったが」
「なるほど」
宗次は納得し、再び命を救ってくれた幻想変換器を撫でた。
(そういえば、バイタルデータを取っていると言っていたな)
ヘッドセットの通信機ほど強力な電波ではないので、谷底から山を越えた先までは届かずとも、上空のヘリなら感知できたという事だろう。
「それにしても、遅くなってしまい悪かったね」
自衛隊員はそう謝りつつ、救助が遅れた理由を語ってくれたが、それはおおよそ宗次の推測通りであった。
彼らが谷底に転落した後、後を追っていた三十体あまりの両刃剣型は、谷の少し北に降下していた、生徒会長率いる第〇分隊を襲うが返り討ちにされる。
それと同時に、衛星写真からでもハッキリと分かるほど、大量の六角柱型、および少数の正二十面体型、両刃剣型を含むCEの大軍が出現。
山中での戦闘は不利であるため、指揮官の綾子は救援に集まろうとしていたエース隊員全員の撤退を命令。
京子や麗華、一年D組の面々は反対したが、生死も不明なたった二人のために、残る四百名余りを危険に晒すのかと言われれば、口を閉ざすしかなかった。
そして、エース隊は大沼の手前まで引き返し、引き寄せられて集まったCEの大軍は、山中の踏破で疲れ切った彼らの替わりに現れた、天道寺英人の聖剣によって沼ごと吹き飛ばされた。
しかし、ここで日が地平線に没してしまう。
山中に両刃剣型が残っている危険性も踏まえ、その日の探索は打ち切ったが、太陽が顔を出すと同時に救助を再開し、こうして無事に救い出せたという事であった。
そんな事を話している内に、ヘリはあっという間に黒檜山や大沼、さらに前橋市を飛び越えて、特高のグラウンドに到着した。
「宗次さんっ!」
「ひ、陽向ちゃん……っ!」
救助ヘリから降りてきた二人の姿を見て、知らせを聞いて校庭に集まっていた、D組の面々が飛びついてくる。
「どうしてあんな無茶をしたんですかっ!? 宗次さんの身に何かあったら、僕……」
「う、うぇぇ、良かった、良かったよ……っ!」
「心配させてすまん」
「ごめんね、もう大丈夫だから」
泣きつく一樹と神奈を、宗次達は深く謝罪しながら慰める。
「まったく、昨日は心配で飯が三杯しか喉を通らなかったんやで?」
「十分食ってるじゃないですか~」
笑って漫才をする映助と心々杏も、昨夜は心配で眠れなかったのだろう、目には深いクマが出来ていた。
優太や剛史といった他の皆も、不安で憔悴していた顔に、今は笑顔を浮かべて二人の帰還を祝ってくれた。
「本当にすまなかった」
「全くだ、寿命が十年は縮まったよ」
D組と共に待ち構えていたイケメンの先輩・先山麗華が頬を膨らませながら近づいてくる。
「このお詫びは、いつかキッチリ返してくれたまえ」
「はい」
普段通りの颯爽とした物腰ながら、目尻に涙を浮かべた麗華に、宗次は笑顔を返す。
そこに美人保険医・保科京子も歩み寄って来た。
「無事に帰って来たから許すけど、また罰当番は覚悟しておきなさいね」
「すみません」
目の下に出来たクマを隠す余裕もなく怒る京子に、宗次は頭を下げて謝罪すると、直ぐに顔を上げて告げた。
「それより、ピラーを発見しました」
「本当なのっ!?」
驚く京子に陽向も頷いて見せる。
「はい、私もしっかり見ました」
「彼らの後からCEが追って現れましたし、間違いないかと」
救助に来てくれた自衛隊員も同意するのを見て、京子は即座に顔色を変えた。
「場所はどこなの?」
「俺達が落ちた谷底を、東南に進んで……」
「この辺りですね」
宗次が開いた地図を見て、自衛隊員が即座に指でさし示す。
「昨日、CEの大軍が発生した辺りとも被るわね」
これなら間違いないと、京子はヘリのパイロット達も連れて校舎の中に駆け戻って行った。
「遭難してもピラーを発見するなんて、流石は宗次さんですっ!」
「転んでもタダでは起きないですね~」
「いや、ただの偶然なんだがな」
褒めてくれる一樹達に、宗次は苦笑を返す。
丁度その時、隣に立つ陽向のお腹から、グ~と可愛らしい音が鳴り響いてきた。
「あっ……」
「説教は後でいくらでも聞くから、まずはご飯を食わせて貰えるか?」
真っ赤になる陽向を見て、宗次は微笑みながら自分の腹をさする。
それを見て、集まった皆も一斉に笑みを浮かべた。
「はい、もう直ぐ朝ご飯の時間ですし、食堂でお話しましょう」
「そうや、二人きりの夜を過ごしたんやから、何があったかキッチリ話して貰うでっ!」
「ほぉ、それはボクも詳しく聞きたいね」
「は、ハレンチです……っ!」
「何もあるわけないでしょっ! 何も、あるわけ……」
「はいはい、私は陽向ちゃんのヘタレ力を信じてましたよ~」
皆にからかわれながら、宗次達は特高の中へと帰っていった。
それから約二時間後、聖剣の光によって黒檜山の山中に埋まっていたピラーは破壊されたが、心配が晴れて腹も満たされたD組の面々は、英雄の活躍も気にせず、寮の自室で安らかに眠り込んでいたのだった。




