第53話 人を断つ剣
宗次に少し遅れて追いかけてきた三二分隊の面々も、今までとは全く形状の異なる両刃剣のような敵を見て、戸惑いの声を上げた。
「あれ、CEよね?」
「昼間に人魂は出ないと思いますよ~」
「な、なんか怖いです……」
生い茂る木々の合間に浮かぶ、赤い眼球のようなコアの輝きは、まるでこちらを窺う妖怪のようで、見ているだけで怖気が走る。
「こっちが当たりだったようだな」
「ワテ、くじ運は悪い方なんやけどな……」
軽口を叩き合いつつ、宗次達は幻想兵器を呼び出して構えた。
幸い敵は一体しか見当たらず、映助が早期に発見してくれたおかげで、体勢を整える余裕もある。
新種というのは気がかりだが、退くにはまだ早すぎた。
「一樹、優太、頼む」
「はい、いきます」
「あぁ、任せてくれたまえ」
射撃武器の持ち主である一樹と優太が、先制攻撃を加えるため前に出る。
木々に当たらぬよう、慎重に狙いを定めた上で、二人は同時に射撃を放った。
一樹のスリング石はバロールを倒した光神ルーの石、撃てば必ず目に命中する。
優太の武器はウィリアム・テルの弓、リンゴ状の赤い球体に限り必中を誇る。
放たれた投石と矢は、赤い目のようなCEのコアに向けて、真っ直ぐに飛翔する。
だが、それがコアを貫く事はなかった。
両刃剣型は突然、縦方向に高速回転して、向かってきた投石と矢を弾き飛ばしたのだ。
「何っ!?」
驚愕の声を漏らす宗次達であったが、真の脅威はこの先である。
両刃剣のCEは回転したまま、獲物を狙う鷹のごとき速度で、こちらに向かって飛んで来たのだ。
「えっ……?」
CEは人間の歩行と変わらない、ゆっくりとした速度でしか動かない。
その先入観を覆す突然の強襲に、最前列に出ていた一樹は、驚きのあまり呆然と立ち尽くしてしまう。
そして、回転ノコギリのごとき結晶の刃が、彼の細い体を引き裂く――
「伏せろっ!」
寸前で、宗次が後ろから蜻蛉切で一樹の足を払って、無理やり転ばせた。
「うわっ!」
背中から地面に落ちる一樹の眼前を、結晶の回転ノコギリが通り過ぎていく。
両刃剣型は木の枝を切り落としながら、そのまま二十mほど突き進んだかと思うと、ゆっくりと弧を描いて旋回し、再びこちらに突撃してきた。
「な、何なんだよこいつっ!?」
CEと言えば人間の精神を、魂を奪うような光線を発してくるモノではないのか。
そんな非難を叫ぶ余裕すら、今はなかった。
「来るぞ、避けろ!」
両刃剣型が向かった剛史に向けて、宗次が叫ぶも間に合わない。
「くそっ!」
剛史は反射的に金太郎のマサカリを前に掲げ、攻撃を防ごうとするが、回転の力があまりにも強すぎた。
マサカリは弾き飛ばされ、結晶の刃が左肩を切り裂く。
「ぐわーっ!」
ブゥーッ!
幻子装甲のおかげで、肉体にまでダメージは通らなかったが、たった一撃で半分も装甲を削られて、警告のアラームが鳴り響く。
「ひぃ……!」
その光景を見て、女子の一人・前田真由里が悲鳴を上げる。
頭や理屈ではなく、心や感性で分かってしまったのだ。
人の精神、意識を奪う攻撃をしてきた、今までのCEとこの両刃剣型は違う。
皮を切り裂き、骨を断ち、血と内臓を撒き散らして、こちらを殺しにきている。
戦死とは言っても、実際には意識不明の昏睡状態であり、医学やCEの研究が進めば、ひょっとしたら目覚めるかもしれないという、僅かな希望が残っていた、今までの犠牲者達とは違う。
決して蘇る事のない、完全なる肉体の死が、彼らを襲おうとしているのだ。
「ま、また来たっ!?」
再び旋回してきた両刃剣のCEが、今度は避けようとした豊生の背中を切り裂きながら通り過ぎていく。
「こんなん、どうせいって言うねんっ!?」
反撃しようにも、真正面からでは回転の威力で弾かれてしまう。
そもそも、鷹のごとき速度で飛んで来る巨大な剣なんて代物と、どうやって戦えばいいのか。
このまま全員、無残に斬り殺されるのかと、皆がパニックに陥るよりも早く、宗次が動いた。
「鴉崎さん、手を貸してくれ!」
「え、えっ……!?」
驚く神奈の手を引いて、宗次は皆の前に出る。
(あれは単純に、一番近い相手に突撃している)
旋回を終え、またも向かってくる両刃剣型を睨みながら、太い木の前に神奈を立たせ、自分はその後ろに控える。
「一瞬でいい、耐えてくれ」
「は、はい……っ!」
神奈は言われるまま、木の幹に押し付けるように盾を構えた。
そんな彼女に向けて、回転ノコギリと化したCEが襲い掛かる。
結晶の刃は太い木の幹さえ、容易く真っ二つに切り裂いた。
だが、最強の矛以外には決して破れぬ、最強の盾までは断ち切れない。
「ひぅ……っ!」
衝撃に負けて倒れる神奈の前で、己が切り裂いた木に挟まれる形で、両刃剣型の動きが一瞬止まる。
それだけあれば、槍使いには十分な隙であった。
木に柄を引っ掛けぬよう、槍を短く握りながら、素早く敵の横に回り込み、近距離からの突きを放つ。
空壱流槍術・横胴貫
中心部のコアを貫かれた両刃剣型は、今までのCEと同様に欠片となって砕け散った。
「悪いが、回転技の相手はもう慣れた」
「おぉ、流石は兄弟やでっ!」
「やっぱり格好良いな……」
「陽向ちゃん、こんな時まで惚気るのは止めてくれます~?」
宗次の勇姿に見惚れる陽向に、心々杏はツッコミを入れつつ、斬られて倒れた剛史や豊生に声をかける。
「二人とも大丈夫ですか~」
「な、何とかな」
「だけどもう、幻子装甲が限界――」
立ち上がろうとした豊生が、中腰の姿勢で固まった。
「あ、あれ……」
声を震わせながら、指を差したその先。
木々が陽光を遮る、薄暗い森の奥には、血のように不気味な赤い輝きが一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……。
数えるのも馬鹿らしい、狂える剣の群れが、血を求めてこちらに押し寄せてきていた。
それを目にした、皆の答えは一つである。
「あんなん相手にしてられんわっ!」
「走れ、逃げるぞっ!」
元来た西の方向に向けて、一斉に駆け出した。
『京子先生、ルートの指示を!』
「待って、今出すわ」
大沼の前に停めた指揮者の中で、京子は慌ただしく手元のノートパソコンを操作する。
その横で、指揮官の綾子は苦渋の選択を迫られていた。
(どうする、ヘリを救助に回して間に合うか?)
大沼から宗次達の現在地まで、直線距離なら三㎞もなく、時速二五〇㎞を超えるUH-60Jならば、二分と掛からず到着可能である。
だが問題は、救助にかかる時間であった。
森の中であり、丁度良く着陸できる広場がない以上、空中にホバリングで浮いたまま、ワイヤーを下ろして一人ずつ吊り上げる事になる。
どんなに急いでも、一人あたり三分は必要であろう。
三二分隊は十二名、UH-60Jが二機だから六名ずつにしても十八分、難度は上がるがヘリの両側から同時に二人ずつ吊り上げるにしても、九分はかかる計算だ。
その間、CEが大人しく待っているはずもない。
しかも、黒檜山に現れた新たなCEは、従来とは全く異なる物理的な攻撃を仕掛けてくる相手。
つまり、救助中のヘリを落とされるという、最悪の危険性が高かった。
(人類の有利が、また一つ無くなったか)
足元を切り崩されていくような悪寒を、綾子は必死に耐える。
CEは脆そうな結晶状の見かけに反し、戦車砲でもなければ砕けない、異常な固さが厄介なものの、攻撃の破壊力が低いという弱点があったからこそ、人類は六年間も耐えられていた。
人を意識不明の昏睡状態にする光線も、装甲車や戦車ならば容易く弾けるし、ビルなどの中が狭く頑丈な建物に立てこもっていれば、隠れてやり過ごす事も可能であった。
実際、六年前に長野県松本市にピラーが現れた時、一度はCEに占領された長野市を、自衛隊が決死の作戦で取り戻した所、逃げ遅れてビルの中にずっと隠れていた女の子が保護されたという事があった。
そんな、厚い壁や装甲に守られていれば安全だ、という昨日までの常識が、両刃の剣によって切り裂かれたのだ。
(何故、こんな急激に進化した?)
六年間、全く変化のなかったCEに、正二十面体型という新種が現れてから、まだ一ヶ月も経っていないのに。
(考えられるとすれば……いや、今はそんな事を悩んでいる場合ではない)
必死に逃げ続けている三二分隊の生徒達を救うため、綾子は余計な思考を追い出し、素早く決断を下した。
「北ルートを探索中の第〇分隊をヘリで回収、第三二分隊の救援に送る」
生徒会長・神近愛璃の率いる〇分隊は、天道寺英人を除けば最強の幻想兵器使いの集団である。
レーヴァティンやミョルニルという伝説の中の伝説ならば、追ってくる両刃剣型のCEとて容易く蹴散らして、救助や逃亡の時間を稼げるだろう。
それまで、三二分隊が逃げ切れるかは、難しい所であったが。
(天道寺英人も呼び出すか? ……駄目だな、あいつでは三二分隊ごと吹き飛ばしかねん)
彼女が審判を担当した、リベンジマッチの事を思い出して、綾子は額に冷たい汗を浮かべる。
英雄の看板を傷つけぬため、自らを囮とするような真似をして、槍使いの足を引っ張ってまで、聖剣使いに花を持たせたあの一件で、天道寺英人は敵を倒すためなら、平然と味方を巻き込むとよく分かっていた。
(味方殺しとあっては、流石に庇うのが難しい)
政府の中には『機械仕掛けの英雄』計画に反対している者も多い。
ただでさえ、米露中から厄介者が送られて来るというのに、同じ日本人にまで足を引っ張る材料を与えるわけにはいかない。
(せめて、第12ヘリコプター隊のミサイルが残っていれば……いや、無い物を強請っても仕方あるまい)
黒檜山の焼き払いを却下した、政府連中への怒りも今は飲み込んで、綾子は今できる最善を尽くすため、大声で指示を飛ばした。
森の中を西へと、必死に逃げ続ける三二分隊の面々であったが、背後から迫る赤い光の群れは、引き離すどころか徐々に距離を縮めていた。
(やはり、きついか)
木の根や岩が邪魔をする森の中では、毎日何十周も校庭を走って鍛えたエース隊員の足でも、とても速度を出せる場所ではない。
(それに、体力も厳しい)
宗次は隊の最後尾につき、皆の疲労度を窺っていたのだが、中学の時に文系クラブで運動をしておらず、元々の体力が少なかった一樹と神奈、それと前田真由里の足が遅れ始めていた。
今は下り道を走っているからいいが、登りとなれば一気に体力が底を突き、背後のCEに追いつかれるだろう。
「…………」
「宗次君、また馬鹿な事を考えているでしょ」
いつの間にか横に並んでいた陽向に、非難の視線で睨まれて、宗次は驚いて顔を上げる。
「どうして分かったんだ?」
「それは――」
いつも見ているから――と言いかけて、陽向は赤くなって頭を振った。
「と、とにかく、またあの時みたいな真似は許さないからね!」
「しかし、このままでは拙い」
宗次は走り続けながら、一瞬背後を振り返る。
森の影で輝くCEの数は、おおよそ三十体程度とそこまで多くはないが、全て新種の両刃剣型である。
このまま追いつかれれば、誰かが確実に斬り殺される。
ならば、被害を最小限に抑えなければならない。
「けど、宗次君が死んだら、私――」
泣きそうになる陽向の声を、宗次は笑いながら手をかざして遮った。
「大丈夫だ、死ぬつもりはない。そもそも、あれと正面から戦う気もない」
「えっ?」
「囮になって、あいつらを誘導する」
両刃剣型はその攻撃方法と威力こそ脅威だったが、知能は正二十面体型に劣るようで、ただ一番近い相手に突進するだけだった。
その習性を利用し、宗次が敵の群れを別方向に誘導して、皆が逃げる時間を稼ぐ。
「俺一人なら、逃げ切る自信はある」
子供の頃から山の中を駆け回り、遊んできた田舎者の槍使いは、都会育ちの仲間達と違って、体力も脚力も十分に余裕があった。
そう言い切る宗次の笑顔から、決意が変わらぬ事を見抜いたのだろう。
陽向は軽く溜息を吐くと、真っ直ぐに彼の目を見詰めた。
「分かった、でも私もついて行くから」
「しかし――」
「一人じゃ囮として足りないかもしれないでしょ?」
「むっ……」
痛い所を突かれて、宗次は黙り込む。
CEは基本的に、大勢の人間が居る方に進む性質がある。
近くに居るのが宗次だとしても、彼を無視して遠くの十一人を追う可能性はあった。
「だが……」
彼女を危険な目に付き合わせたくなくて、何とか説得しようとする宗次の言葉を、陽向は無視して通信機に叫ぶ。
「京子先生、聞こえてたでしょ? どっちに誘導すればいいの?」
『……北よ、他の分隊が集合して、そちらの救援に向かっているわ』
話を振られた京子は、溜息交じりにそう答えた。
ヘリに乗り込んでいる最中の第〇分隊以外の面々も、各個撃破されぬよう集まりつつ、三二分隊の居る南方向に移動していたから、北に向かえば彼らと合流する事ができた。
ただし、それには山中を一時間あまりも逃げ切る必要がある。
『止めてもやるんでしょう、絶対に生きて帰るのよ』
「はい」
心配しながらも認めてくれた京子に、宗次は力強く頷き返す。
それから、隣の陽向をもう一度見詰めた。
「いいんだな?」
「うんっ!」
貴方と一緒なら怖くないと、笑顔で頷いて見せる彼女に、宗次も微笑み返す。
そして、先頭を走る親友に向かって叫んだ。
「映助、俺達が囮になって敵を引き剥がす。後は任せたぞ!」
「ちょっ、いきなり何言い出すねんっ!?」
「心配しないで、だから止まらず走って!」
「えっ、陽向ちゃんまでですか~っ!?」
驚く皆が止めようとする前に、二人は西から北へと走る方向を変える。
そして、迫るCEを引き寄せるために一度足を止めた。
「京子先生、皆は?」
『……大丈夫、ちゃんと逃げているわ』
説得の真っ最中だったのだろう、京子は少し遅れて、問題なしと返事を寄こす。
下手に助けに戻ろうとすれば、宗次達の邪魔となって、むしろ命の危険が増すだけである。
それに、生徒会長達が直ぐ救援に向かうから大丈夫だ――と言い聞かせたので、映助達十人は後ろ髪を引かれつつも、しっかりと西方向に逃げ続けていた。
「なら、俺達も逃げ切るだけだ」
「そうね」
頷き合う二人の方に、狙い通り両刃剣型のCE達が向かってくる。
そして、約二十mまで近付いたところで、先頭を進んでいた一体が、回転しながら突進してきた。
「平坂さん」
「任せて!」
槍を両手で構え、太い木の前に移動した宗次の背後に、陽向は張り付くように隠れた。
それに気付かず突っ込んできた両刃剣型は、再び木を真っ二つに両断するが、蜻蛉切の柄で受け止められて動きを止める。
その瞬間、陽向が宗次の背から飛び出して、霞をまとう村雨の刃でコアを両断した。
「行こう!」
結晶が砕け散る姿には目もくれず、二人は再び北に向かって走り出す。
仲間がやられて怒ったわけでもなかろうが、残る三十体あまりの両刃剣型は、全て宗次達の後を追ってきた。
「……あと四回程度だな」
宗次が走りながら蜻蛉切の柄を見ると、結晶の回転ノコギリを受け止めたせいで、薄い切り傷が刻まれていた。
一度破壊された幻想兵器は、再び呼び出せるようになるまで十分前後はかかる。
その間、無手で逃げ続けるという状況は、出来れば避けたかった。
幸い、先頭と後続の距離が開いていたおかげで、他の両刃剣型まで攻撃を開始してくる事はなく、宗次と陽向はつかず離れずの距離を保ちつつ、山の中を走り続けた。
「はぁ、本当にしつこいっ!」
十分以上も走り続けているが、変わらず同じ速度で追ってくるCE達に、陽向は軽く息を荒げつつも悪態を漏らす。
(まだ余裕はある、何とかなりそうだな)
生徒会長達の〇分隊がヘリに搭乗を終え、この先で降下して待ち構える手筈になっている。
そこまで誘導できれば、とりあえず追ってくる三十体あまりの両刃剣型は撃退できるだろう。
もちろん、森に隠れて見えないだけで、まだ大量のCEが潜んでいる可能性が高く、急いで撤収する必要はあったが。
そう、希望が見てきた時であった。
「――っ、眩しい」
背後から迫るCEに急き立てられ、必死に走り続けていた陽向は、目の前が急に明るくなって、思わず手を掲げて視界を遮ってしまう。
追われている状況で余裕がなく、前方の確認がおろそかだった事も良くなかった。
気が付けば、彼女は突然現れた崖の淵に、身を乗り出していた。
「えっ……」
何が起きたのか理解する暇もなく、陽向の体は重力に引かれて落下を始める。
「平坂さんっ!」
宗次が蜻蛉切を投げ捨て、咄嗟に彼女の手を掴めたのは奇跡といってよい。
だが、幸運はそこまで。体を半分以上も乗り出した体勢で、二人分の体重を支えられるはずもなく、直ぐに崖を転がり落ちていった。
宗次は咄嗟に陽向を抱きしめて守ったが、いくども岩にぶつかって体が跳ねる衝撃の中で、意識は深い闇の中に消えていった。




