第51話 前哨戦
放課後、そろそろ終了となる罰当番のトイレ掃除を済ますと、宗次は直ぐに特高を出て、前橋市の駅前に向かうバスに乗る。
その横には、同行を申し出てきた陽向の、嬉しそうな姿があった。
「宗次君は何を買うの?」
「軍手、帽子、ライト、救急セット、ナイフ、ライター、固形燃料だな」
「凄い重装備ね」
「遭難する事はないと思うが、念のためな。平坂さんも軍手と帽子くらいは買っておいた方がいい」
「うん、そうしておく」
宗次と二人きりで出かける事ばかり考えていたので、何を買うかまで頭が回っていなかった陽向は、素直に頷き返した。
(どうせなら服とか買って、その後でカラオケに行くとか、デートっぽい事をしたいんだけど……)
生憎と部屋着以外は着る機会もなく、買ってもタンスの肥やしになるだけである。
それに、エース隊員も一応は高校生なので、二十二時前には特高に戻らないと補導されてしまうため、遅くまで遊ぶのは不可能であった。
そもそも、二人きりのカラオケに誘うなんて、ヘタレな彼女には難易度が高すぎた。
「はぁ~……」
思わず溜息を吐いていると、ポケットに入れたスマホから着信音が響いてきた。
「心々杏からだ、どうしたの?」
『陽向ちゃん、ちゃんとゴムを買ってから――』
「死ね」
親友からの電話を、陽向は三秒と聞かずに切った。
「今の、いいのか?」
「大丈夫、心々杏は後でちゃんと絞めておくから」
心配してくる宗次に、陽向は清らかな笑みで答える。
そうしていると、再びスマホが着信を知らせてきた。
「今度は神奈か、どうしたの?」
『ひ、陽向ちゃん、実は今日、発売日だった本があって……』
「買って来て欲しいのね。いいわよ、何て本?」
『お、男だらけの奴隷ハーレム! 女なんてもういらな――』
ピッ。
陽向は無言で電話を切ると、スマホの電源を落としてポケットの奥深くに仕舞った。
「大丈夫か?」
「平気よ、どんな世界に旅立っても、あの子は私の友達だから」
疲れた顔で笑う陽向の肩を、宗次は心配して叩くのであった。
そんな事をしている内に、バスが駅前に到着し、二人は降りると少し先のデパートまで歩く。
最初に向かった先は、大概の物がワンコインで買える場所、百円ショップである。
「凄いな、何でも揃っている」
「宗次君、まさか百円ショップまで初めてとか言う?」
「いや、これで二回目だ」
「う、うん……」
本当にどんな田舎で育ったのだろうかと、陽向は改めて疑問に思いつつ、宗次の隣に並んで一緒に商品を探していった。
(百円ショップっていうのが残念だけど、二人で買い物ってやっぱりイイな)
周りからは彼氏彼女のように見えているのかと思うと、自然と頬が緩んでしまう。
しかし、彼女の幸福は長く続かない。
「おや、奇遇だね」
性別詐欺なイケメンボイスと共に、先山麗華が笑顔で現れたのだ。
「麗華先輩、こんにちは」
「…………」
「こんにちは、宗次君。それと子猫ちゃん、女の子がしちゃいけない、殺し屋みたいな目で睨むのは勘弁してくれないかな」
マイペースに挨拶をする宗次の横で、苦虫を噛み潰したような顔をする陽向に、麗華は苦笑を浮かべるのであった。
「先輩も黒檜山に行く準備で?」
「うん、軍手と虫よけスプレーくらいは用意しておこうと思ってね」
ついでに、分隊の仲間から頼まれたと思しきスナック菓子が、カゴの中に大量に放り込まれていた。
「おやつは三百円まででは?」
「いや、これは普段食べる分だと思うよ」
マジなのかボケなのか、判断に困る宗次の問いに、麗華はまた苦笑しつつも、彼と話せた喜びから、頬には少し朱色が差す。
それを見て、陽向が無言で頬を膨らませていたのに、隣の鈍い槍使いは気づかない。
しかし、イケメンな先輩の方は流石に気付いた。
「さて、お邪魔虫になる趣味はないから、この辺で失礼するよ」
「はぁ、そうですか」
「ほっ……」
直ぐに背中を見せた麗華に、陽向は安堵して胸を撫で下ろす。
しかし、イケメンな先輩は数歩先で振り返り、満面の笑顔で告げたのだ。
「ところで宗次君、今度ボクと一緒に夜明けのコーヒーを飲んでくれるかな?」
「さっさと帰れっ!」
お邪魔する気満々じゃないか、と怒鳴る陽向に、麗華はクスクスと笑って退散していった。
その横で、宗次は不思議そうに首を傾げる。
「麗華先輩はコーヒーが好きなのか?」
「うん、そう、でも絶対に付き合わなくていいよ」
真面目な彼が間違っても誘いに乗らないよう、陽向は念入りに釘を刺しておくのだった。
百円ショップで小物の購入を済ませ、続いてアウトドア用品を扱っている店に向かおうとした所で、またしても陽向に受難が訪れた。
「あら? 空知君達も買い物に来てたのね」
向かいから歩いてきた美人保険医・保科京子とばったり出くわしたのだ。
「こんにちは」
「京子先生も何か買い物ですか?」
「えぇ、礼服を新調しておこうと思ってね」
「へー、何か良い事あったんですか?」
特に深い意味もなく、聞いたその質問が拙かった。
京子は急に虚ろな目をして、遠くを見詰めながら呟く。
「大学時代の友人がね、結婚するって……」
「…………」
そこで「京子先生は結婚しないんですか?」と地雷を踏み抜くほど、宗次も陽向も馬鹿ではない。
「……ごめんなさい、奢るから、ちょっと付き合って貰っていいかしら」
「……はい」
暗い顔の美人保健医に誘われて、それを断れるほど二人は非情でもなかった。
「聡美の奴、『今時、男に養われる女なんてダサい』とか言ってたくせに、いきなり結婚するとかどういう事よっ!」
デパート内のコーヒーショップに入り、頼んだキャラメルマキアートを一気飲みしながら、京子は盛大に愚痴る。
「しかも、相手は十歳年上の実業家とか、養われる気満々じゃないのっ!」
「そ、そうですね」
「…………」
陽向は曖昧に相槌を打ちつつ抹茶クリームを飲み、宗次はアイスコーヒーを飲みつつ、ただ無言で耳を傾けていた。
「なにが『京子もそろそろイイ人を捕まえたら?』よっ! 私だって結婚を考えた事はあるけど、出会いが無いんだ仕方ないでしょ!」
「は、はぁ……」
「周りは既婚者か、歳が離れたオジさんばかりだし、機密があるから下手に部外者と付き合えないし、もうどうしろって言うのよっ!」
「京子先生、もうちょっと抑えて……」
周りの客から送られてくる、訝し気な視線にそろそろ耐えきれなくなり、陽向は恐る恐る注意した。
すると、京子は二杯目のキャラメルマキアートを飲み干して、ようやく普段の落ち着いた顔を取り戻す。
「ごめんなさいね。同僚や先輩に言ったら、余計に飛び火しそうだからって、生徒の貴方達に愚痴るなんて」
「いえ、それで京子先生の気が晴れるのなら、いつでも言って下さい」
「ふふっ、これじゃあ君と私、どちらが大人か分からないわね」
宗次がようやく口を開き、気にしないでくれと微笑むと、京子も嬉しそうに笑い返した。
(えっ? まさか京子先生も……)
嫌な予感を抱く陽向を余所に、京子は親し気に話を続ける。
「愚痴のお詫びって訳でもないけど、何か質問とかして欲しい事はある? 教師として問題のない範囲でなら何でもしてあげるけど」
「そうですね……」
問われた宗次は、顎に手を当てて少し考え込む。
幻想兵器や幻子装甲の事は、前にもう聞いているし、一応周りに一般人が居る以上、あまり機密に関わる話もできない。
そう考えながら、何気なく腕時計を見て、ふと思いついた。
「幻想変換器って、腕以外には着けられないんですか?」
「……えっ」
その質問を告げた途端、京子はまるで幽霊でも見たかのように、目を見開いて固まった。
「すみません、拙い話でしたか」
「い、いえ、大丈夫よ、人に聞かれたからって、どうなる話ではないし」
周囲を見合わす宗次に、京子は慌てて手を振って否定する。
そして、気持ちを落ち着けるように、深呼吸してから訊ねた。
「腕以外に着けたいって、その理由を教えて貰えるかしら」
「右腕にだけ装備していると、重心がズレるので」
幻想変換器の重量は約五百g、文庫本三冊程度とそこまで重くもない。
とはいえ、僅かながらも左右のバランスが崩れれば、刹那の差ではあるが体の動きが鈍り、真の一突きが遠くなってしまう。
そうでなくとも、武器を振るう腕に余計な重りを負うのは、誰でも嫌なものだ。
「確かに、片手だけ小手を着けているみたいで、ちょっと気持ち悪いよね」
宗次と同じく武術経験者の陽向も、強い同意を示す。
幻想変換器とはこういう腕輪状の物だ、という先入観があったので、別の場所に装備しようという発想は浮かばなかったが。
せいぜい、左腕にも同じ物を着けて、バランスを取ろうと考えたくらいか。
「あと、幻想兵器を消す時に、常に両手が塞がるのも少し気になって」
右腕の変換器についたスイッチを、左手で三回押す。
一秒程度で済む動作だが、戦場では致命的な隙になりかねない。
蜻蛉切を一度捨てて身軽になり、距離を詰めて集中幻子拳で殴ってから、再び蜻蛉切を呼び出して突く、という動作をよく行う宗次にとっては、わりと深刻な悩みであった。
「重心がズレないよう丹田の辺りにくる、ベルト状の物だと都合が良いのですが」
そう告げた宗次を、京子はまた驚きの目で見つめてから、懐かしむように、儚むように寂しく笑った。
「……あるわ、ベルト状の幻想変換器」
「既にあるんですか?」
「えぇ、君と同じように、片腕だけ重くなるのは嫌だからっていうのと、ベルト状の方がヒーローみたいで格好良いって言う子が居てね、試しに一つだけ開発を進めていたの」
元々、腕輪の形状にしていたのは、手首から脈拍などのバイタルデータを取り、使用者に異常が無いか調べるため、という意図でしかない。
幻想兵器と幻子装甲を出す機構だけなら、腕輪状でもベルト状でも、それこそヘルメット状でも容易く作れた。
「せっかくだから、別の機能も追加しようかって話になった所で、色々あって完成前で放置されていたんだけどね」
「それ、借りる事はできませんか」
真剣な眼差しで身を乗り出してくる宗次に、京子は申し訳なさそうに首を振る。
「ごめんね、私の一存では決められないわ」
「そうですよね」
当然かと、宗次は肩を落としつつも納得する。
彼一人だけ、特別な幻想変換器を使うなんてエコヒイキは、認められるはずがない。
ただ、京子が懸念していたのは、彼が思っていた事とは違う。
空知宗次という稀代の槍使いが、死せる英雄の残した遺産を受け継ぐという『特別』を認めれば、それは聖剣使いの英雄性を薄めてしまう事になりかねない。
そう分かっていても、目の前で残念そうな顔をする少年を見て、京子はつい助け舟を出してしまう。
「保証はできないけど、君に渡してもいいか聞いてみるわね」
「いいんですか?」
「えぇ、埃を被ったままよりは、使われた方があの子も喜ぶと思うから」
「ありがとうございますっ!」
宗次は珍しく感情を露わにして、身を乗り出して京子の手を両手で掴んだ。
年下の少年に息が掛かるほど詰め寄られ、美人保険医の頬が自然と赤くなる。
「ごほんっ!」
当然、それを見た陽向は不機嫌になり、わざとらしく咳払いをした。
「あっ、すみません」
「いえ、いいのよ」
気付いて手を離した宗次に、京子は微笑み返しつつも、名残惜しそうに手を撫でた。
そうしてから、急に恥ずかしくなって話題を逸らす。
「平坂さんは何か聞きたいが事あるかしら?」
「そうですね」
陽向は少し考え込み、真顔になって告げる。
「京子先生はいつになったら結婚するんですか?」
「貴方、結構イイ性格してたのね」
年上が相手だろうと負けない、若いからって調子に乗らないでと、二人の女は火花を散らし合う。
そんな女の争いを前にして、男である宗次に出来る事など一つしかない。
「……お代わり、貰ってきます」
即ち、戦略的撤退である。
コーヒーショップでの胃が痛くなる攻防を終え、京子と分かれた後、アウトドア用品店で買い物を済ませた宗次と陽向は、最後の目的地であるドラッグストアに来ていた。
「ついでだし、シャンプーとか買ってくるね」
「あぁ、俺は薬品の所に居るから」
陽向は日用品の補充に、宗次は救急セットを求め、それぞれの置き場に向かう。
そして、携帯に適した小型の救急セットを見つけ、レジに向かおうとしたその時であった。
「あっ」
宗次を見て驚いた声を上げたのは、美少女揃いの一年A組の中でも、トップクラスの美少女こと千影沢音姫。
今日は珍しく一人のようで、天道寺英人だけでなくA組女子の姿もない。
それでも、人に見られては拙いと思ったらしく、音姫は素早く周囲に目を配り、そして遠くでシャンプーを吟味している陽向の姿に気付く。
すると彼女は、月光の下だけでしか見せない、あの口の端を吊り上げた、性格の悪い笑みを浮かべるのだった。
(いったい何を思いついた)
嫌な予感がして身構える宗次だが、音姫は意外にも彼から目を逸らし、近くの棚に手を伸ばした。
そして、綺麗な箱を一つ取ると、歩み寄って来てそれを彼の手に押し付けた。
「はいこれ」
「何のつもりだ?」
「この前はヅカ顔の味方をしたし、今度は猪娘を手伝わないと不公平でしょう?」
「何を言っている」
「修羅場って、余所から見ている分にはとても愉快よね」
クスクスとまた性悪に笑うと、音姫は背を向けてサッサと立ち去ってしまった。
「あいつだけは、本当に分からんな……」
「宗次君、どうかしたの?」
一人困惑していると、背後から買い物を終えた陽向に声をかけられた。
「いや、何でもない」
そう言って誤魔化す宗次の手に握られた、綺麗な箱を見て、陽向は首を傾げる。
「宗次君、マニキュア使うんだ」
「えっ?」
宗次は驚き、改めて箱を見るが、それは確かに爪化粧品であった。
「訓練が厳しいから、爪が割れると大変だもんね」
「あっ、いや、これは」
陽向は特に不審がる事もなく受け入れるが、宗次は慌てて弁解した。
野球の投手など、指先が重要なスポーツ選手なら、男でもマニキュアを使うのは珍しくない。
また、ビジュアル系のバンドマンなら、ファッションとしても使うであろう。
ただ、田舎者の宗次はそういう事を知らず、無骨な武術家の祖父に育てられたため、男が化粧をするなんて恥ずかしいと、昔風の考えをしていた。
そのため、彼は誤解を解こうとし、ただ音姫の事を説明するのもはばかられ、悩んだ末に思いついた台詞は、ロマンを解せぬ彼にしては、奇跡的なホームランであった。
「平坂さんに、プレゼントしようと思って」
「えっ、私にっ!?」
驚きながらも嬉しそうな顔をする陽向を見て、宗次は嘘を吐いてしまった事を心苦しく思いつつも、それを呑み込んで改めて告げた。
「いつも助けられているから、そのお礼に」
「そんな、助けられているのは私の方よっ!」
初陣の時だって、二十面体型との戦いだって、いつでも宗次が先陣を切ってくれたおかげで、陽向だけでなくD組の皆が生き残れたのだ。
そう告げられても、宗次はゆっくりと首を横に振った。
「君や映助達が横に居てくれるから、俺は戦えるんだ」
ただ一人の槍使いとして、命のやり取りに興じたい。
その想いに取り込まれ、戦を望む修羅に堕ちれば、必ず破滅が訪れる。
そうならずに踏み留まっていられるのは、守りたい仲間が、帰りたい場所があるから。
それを教えてくれたのは、馬鹿をやった彼を助けに来てくれた、陽向達なのだから。
「お礼に、受け取って欲しい」
微笑み重ねて告げると、陽向は頬を真っ赤に染め、そして太陽のように眩しく笑った。
「うん、ありがとうっ!」
「――っ、じゃあ、会計を済ませてくる」
彼女の笑顔に一瞬見惚れてしまった宗次は、照れを隠すようにレジへと向かった。
しかし、そこで一つの事実を思い知る。
「お会計、12032円になります」
「…………」
あの性格が悪い少女は、彼の財布を考慮するどころか、積極的に打撃を与えてくる奴だという事を。




