第47話 戦術
五月十五日の木曜日、綾子は草壁洋太の実家がある滋賀県まで赴き、両親に息子が昏睡状態になった事――実質の戦死を伝え終え、日も沈んだ頃になって、ようやく特高に帰ってきていた。
「責められないというのも、辛いものだな」
自室でベッドに寝転がり、綾子は重く溜息を吐く。
草壁洋太の両親は立派な人物で、息子の戦死を告げられても、静かに涙を流しただけで、綾子や担任の月岡亜紗美を責めたりはしなかった。
父親にいたっては、「わざわざご足労頂き、ありがとうございました」と頭を下げてくれたほどである。
滋賀県は直接CEの進行は受けなかったが、長野県やその周辺から逃れてきた人々が、多く流れてきていたので、沖縄や北海道という遠方よりも、CEの恐怖とそれと戦う事の重要性が、肌で感じられたという理由もあるだろう。
だが、それを差し引いたとしても、草壁洋太の両親は珍しい立派な人物であり、だからこそ余計に、彼らの愛する息子を奪ってしまった事に、深い負い目を感じるのだった。
今日はもう酒を飲んで寝てしまおうかと、綾子が自堕落な事を考え出した頃、枕元の通信機が音を鳴り響かせた。
『色鐘三佐、よろしいでしょうか』
「日森か、どうした?」
三年A組の担任・日森健也の声に、綾子は直ぐに指揮官らしい顔つきとなって応じる。
『お疲れの所申し訳ありませんが、急ぎ見て貰いたい物があります』
「分かった、直ぐに行く」
綾子は通信を切ってベッドから起き上がると、冷蔵庫の中で冷えているビールに少しだけ後ろ髪を引かれつつ、自室を出て指揮所に向かった。
「それで、見て貰いたい物とは」
「先山麗華から提出された作戦の立案書です」
「作戦の立案書?」
訝しみつつ、綾子は差し出されたA4用紙を受け取る。
そこには、麗華の几帳面な性格が窺える、パソコンで綺麗に整えられた図形や文字で、ある戦術の有用性が説明されていた。
「これは……」
「検討の余地は十分あると思います」
読み進めるうちに驚きを浮かべる綾子に、日森は強く頷いてみせる。
熱心に説明してきた教え子の姿に、情でほだされた訳ではない。
自衛官として冷静な目で見て、その作戦が有効だと判断したのだ。
綾子も同じ思いだったが、つい顔を手で覆って溜息を吐いてしまう。
「まったく、腑抜けていたのは私達の方だな」
先日の正二十面体型が出現した戦いで、即座にこれを思いついていたら、草壁洋太を死なせずに済んだかもしれないと、無為な後悔が胸を突く。
もちろん、仮に作戦を思いついた所で、準備の時間があまりにも足りなかったあの状況で行えば、余計な混乱を招いて、むしろ被害が拡大した可能性の方が高いだろう。
ただ、二年近くも快勝を続けていたせいで、真正面からの力押しか考えない、視野狭窄に陥っていた事実は否めなかった。
「しかし、これを先山がな」
その事にも綾子は驚きを隠せなかった。
三年A組の分隊長であり、現場での指揮官を任せられた、エース隊の要と言える生徒・先山麗華。
彼女は戦闘、学問ともに優秀な生徒であり、皆を惹きつけるカリスマ性にも溢れていたが、どちらかと言えば慎重な性格であり、このように大胆な作戦を思いつくタイプには見えなかったのだが。
そう疑問を浮かべる綾子に、日森が苦笑しながら説明する。
「いえ、先山は細かい詰めと書類の作成をしただけで、作戦の骨子を考えたのは一年の男子だと」
「一年の男子?」
ふとある槍使いの顔が浮かび、綾子は少し離れた席で聞き耳を立てていた親友の顔を窺う。
すると、自分の事でもないのに嬉しそうにニヤケていた京子は、恥ずかしさと気まずさから急いで顔を逸らすのだった。
「なるほど、教師だけでなく上級生も射落とすとは、大した槍捌きだ」
「はぁ?」
訝しむ日森に、綾子は苦笑して誤魔化す。
(だからこそ『英雄』を喰っては困るのだがな)
綾子の頭に懸念が浮かぶが、彼の個人戦闘能力や、今回示された戦術眼は確かなだけに、『退学』という不穏な選択肢は引っ込める。
「大して予算の掛かる作戦でもない、整備班に必要な物を調達させて、急ぎ準備させろ」
「了解!」
日森は張り切って返事をすると、校舎の横にある倉庫の中で、装甲車の点検をしていた整備班を呼び集めた。
整備班が急いで機材を集めて、どうにか作戦の要が形になった土曜日の昼、見計らったようにCE襲撃のサイレンが特高に鳴り響いた。
「休日に出撃とか、最悪やな……」
装甲車に乗り込んで愚痴る映助の声は、普段よりも精彩に欠けていた。
先の襲撃からまだ四日しか経っていないのだ、心の整理が付いていないのは彼だけではない。
それに、気の落ち込むような事件がもう一つ起きていた。
草壁洋太の恋人、雨宮水樹が特高を去ったのだ。
「私も転校、するべきなのかな……」
女子の一人・前田真由里が弱音を漏らすが、誰もそれを咎めなかった。
皆も一度ならず考えていたからだ。卑怯者、臆病者と謗られようと、戦って死ぬ前に特高から逃げてしまいたいと。
英雄・天道寺刹那に憧れて、五千人に一人の特別な存在だと舞い上がり、深く考えずに特高へ来た者ほど、上級生の戦死という現実を前に、心が折れかけていた。
そんな弱気に追い打ちをかけるように、通信機から凶報が届く。
『御代田町のピラーより、正二十面体型が二十八体出現、長野より進軍中の六角柱約六百体と合流する動きを見せています』
「――っ!?」
三二分隊だけでなく、軽井沢に向かっているエース隊員達の殆どが、悲鳴も出せず恐怖に震えた。
草壁洋太を殺した悪魔の狙撃手が、再び戦場に現れた。
それは即ち、また誰かが死ぬかもしれないという事なのだから。
「ひ、陽向ちゃん……っ!」
「…………」
涙目で抱き着いてくる神奈の頭を、陽向は無言で優しく撫でるが、その顔には厳しい表情が浮かんでいた。
それを見たから、という訳でもないが、宗次は努めて穏やかな声を出して、皆に語りかけた。
「大丈夫だ、もうやつらの好きにはさせない。皆で無事に帰れるよう、ちゃんと作戦を用意してある」
「何やてっ!?」
落ち込んでいても驚きのリアクションだけはキッチリ取ってくれる親友に、宗次は笑みを返す。
「本当は、今日にでも練習してから行う筈だったんだがな」
ぶっつけ本番になるが、それほど難しい動きをするわけでもないので、問題なく完遂できるだろう。
「そんな作戦、いつの間に……ってまさか、あのイケメン先輩とかっ!?」
「何だ、知っていたのか」
なら話は早いと頷く宗次に、映助はいつもの裏拳ツッコミを入れる。
「いや、自分が放課後、あのイケメンと食堂で仲良く話とるの、めっちゃ評判だったんやで」
「そうなのか?」
「せや、B組やC組の女子ファンが、えらい目で兄弟を睨んどったわ」
「…………」
また知らぬ間に、宗次は多大な恨みを買っていたらしい。
「二年生の件があったから、皆そんな元気なかったから良かったものの、平時なら背中から刺されとったで」
「いや、流石にそれは――」
「この前、宗次さんの部屋の前に、藁人形が落ちていましたよ」
「…………」
気味が悪いから捨てておきましたけど――という一樹の思いがけない告白に、宗次だけでなく装甲車の全員が言葉を失った。
「それより、あの人とは作戦の話をしていただけで、何もなかったのねっ!」
「あぁ、そうだが」
急に真剣な顔つきで身を乗り出してきた陽向に、宗次は少し驚きつつも頷き返す。
すると、彼女は目に見えてほっとし、薄い胸を撫で下ろした。
「よかった、付き合ってたどうしようかと……」
「だから、この時期にそれは無いって言ったじゃないですか~」
頑張る発言をしていたくせに、早速いじけて体育座りをしていた陽向の姿を思い出し、心々杏は呆れてツッコミを入れる。
そんな風に、普段の空気を取り戻してきた皆を見て、優しく微笑む宗次に、映助が本題を切り出す。
「それで、どんな作戦やねん?」
「あぁ、そろそろ先生達から詳しい説明があると思うが、先に言っておくと――」
宗次は一度言葉を切り、親友の肩を叩く。
「映助、お前が作戦の要だ」
「何やてえぇぇぇ―――っ!?」
全く予想外の答えに、映助は絶叫を上げる。
その時、丁度良いタイミングで、指揮所の京子から作戦の説明がなされた。
ヘッドセットのディスプレイに、分かりやすく画像を映したその説明を聞き、誰もが宗次の発言に納得して頷いた。
確かに、この作戦の要を果たせるのは、エース隊員の中でこの愛媛県民だけだと。




