第46話 星屑
草壁洋太の死に衝撃を受け、多くの生徒が部屋で眠れぬ夜を過ごしている頃、宗次は普段より少し遅れて校舎裏に来ると、木の槍を振るっていた。
練るような突きを終え、二十面体を倒した我流の技を改めて練習し始めた所で、ふと槍を下げて振り返る。
「こんばんは」
音もなく背後に迫っていた音姫に向けて、先んじて挨拶を告げる。
すると、彼女は心底嫌そうに顔を歪めた。
「うわっ、可愛くないのね」
「可愛いと思われても困るが」
「そう? 引きこもりの構ってちゃんより、可愛げのある子の方が私は好きよ?」
「……それで、何の用だ」
夕方の憂さ晴らしに、また井戸の替わりに愚痴を漏らしに来たのか。
そう表情で告げる宗次に、音姫はハズレだとでも言うように、口の端を吊り上げて笑った。
「はい、これあげる」
ポケットの中から取り出した銀色の物を、宗次に向かって放り投げる。
受け取り、掌を開いて見てみると、それは『屋上』と書かれた札のついた長い鍵だった。
「棒手裏剣かと思った」
「欲しいならプレゼントするけど?」
持っているのか、と驚く宗次の顔を見て、音姫はまた意地悪に笑う。
「それで、これは何のつもりだ」
「だからプレゼント、君がどう動くかなって悪戯心と、功労者へのちょっとしたお節介を込めて」
「…………」
「別に使わなくてもいいのよ、私は困らないし」
あからさまに警戒する宗次に、音姫は挑発するように言って背を向けた。
「けど、また誰かを泣かせたくないなら、どうにかした方がいいと思うけど?」
「何っ?」
「でも、どこかの猪娘には泣かれちゃう事になるかな?」
その方が私的には面白いと、また性悪に笑って去ろうとする音姫の背中に、宗次は僅かに迷ってから声をかけた。
「お前は、大丈夫なのか」
「……何が?」
「無理をしていないか」
「…………」
無言で振り返った音姫の顔から、笑みは消え去っていた。
だが、そんな自分の表情を悟ったのか、直ぐに歯を剥き出しにして、チャシャ猫のように不気味に笑った。
「そういう優しい台詞は、あの猪娘に言ってあげたら?」
音姫はそう言うが早いか、闇に溶け込むように消えてしまう。
「やはり、忍者だな」
変な所で感心しつつ、宗次は掌の鍵を見ると、明りの落ちた校舎に向かう。
CEの襲撃がある事や、地下施設で教師達が幻想兵器の研究などを行っているため、夜中でも特高の校舎は鍵が掛けられていなかった。
誘導灯の薄い光だけが照らす不気味な校舎の中を、宗次は迷わず階段を上っていく。
最上階の四階からさらに階段を上ると、普段は鍵を掛けて閉鎖されている、屋上に続く扉の前に辿り着いた。
宗次は貰った鍵を差そうとドアノブを掴んで、直ぐ違和感に気付いた。
「開いている?」
彼より前に、既に誰かが来ていたらしい。
特高の中に不審者が入り込むような事はないと思うが、鍵の渡し主が性格の悪い音姫だけに、宗次は最大限に警戒し、音を立てないようゆっくりと扉を開いた。
既に五月を迎えたとはいえ、夜ともなれば肌寒さを感じる風が吹く屋上に、足音を殺して忍び込む。
そして、直ぐに先客の姿を発見した。
屋上の中心で寝転がり、夜空の星を眺めていたのは、そんな姿も絵になるイケメンの先輩。
「こんばんは」
「やあ、こんばんは。今日は星が綺麗だね」
歩み寄り話しかけると、麗華は少しだけ驚いた顔をしたが、直ぐに笑顔を浮かべて、自分の隣を手で叩く。
宗次は誘われるまま彼女の横に寝転がり、眩い夜空を見上げた。
「都会の星は、もっと少ないのかと思ってました」
「ふふっ、君は冗談も上手なんだね」
素直な感想だったのだが、麗華は思わず吹き出してしまう。
そんな彼女に、宗次は静かに問う。
「先輩は、どうしてここに?」
「ボクは一応、生徒会の役員だからね、屋上の鍵くらいなら貸して貰えるんだ。君こそ、どうしてここに来たんだい?」
「魔女に鍵を貰ったので」
「ふふっ、君は本当にジョークが上手いな」
宗次としては限りなく正解を言ったつもりなのだが、麗華はやはり声を出して笑う。
そこでふと会話が途切れ、二人は暫くの間、無言で星々を見上げ続けた。
「昔から、落ち込むことがあると、よく星を眺めていたんだ」
吸い込まれそうな錯覚を覚える、無限に広がる宇宙と、その中で煌く無数の星々を見ていると、自分の悩み事がちっぽけに思えてくる。
麗華はそう言って、届かぬ星に手を伸ばす。
「先輩も落ち込む事があるんですね」
「酷いな、ボクだって可憐な乙女だよ?」
オトメという単語で、全く可憐ではない魔女の方を連想してしまい、宗次はつい苦笑を浮かべてしまう。
それを誤解したのか、麗華は拗ねたように頬を膨らませてから、急に声のトーンを落とした。
「前にここを訪れたのは、もう二年も前になるかな」
彼女達が入学した当初、エース隊員の誰もが戦闘を知らぬ新兵で、手探りでCEと向かい合い、そのせいで忘れられない後悔を生んだ時の事。
「灰原君はC組で、ろくに話す機会もなかったんだ」
初陣のさい、自衛隊の戦車隊に砲撃を加えて貰い、CEの数を半数以上も減らし、十分安全と思われる状態で挑んだというのに、攻撃を受けてパニックを起こした男子生徒が、撤退を呼びかける通信の声を無視して突撃し、集中砲火を浴びて意識不明の昏睡状態となった。
「牛尾君はB組でね、少ししか話した事はなかったけど、厳つい外見に反して、穏やかで優しい人だったよ」
実家は北海道の農家で、補助金で家の借金を返すためという、どこかの愛媛県民と同じ理由のために、争い事は苦手だけれどもエース隊員となった彼。
しかし、灰原の死による動揺が消えきっていない、二回目の出撃のさいに、同じ分隊の仲間を庇って彼も精神の死を迎えてしまった。
「林田さんはボクと同じA組でね、少しドジな所があったけど、それも笑って許せるような、元気で可愛らしい子だったよ」
灰原、牛尾という二人の死を無駄にしないために、懸命に鍛錬と研究を重ねて、誰の犠牲も出さずに勝てるようになってきた頃の事。
幻子装甲が半減し、前線から下がろうとした彼女は、地面のくぼみに足を取られたのか転んでしまった。
運が悪い事に、転んだ弾みで手を離れた幻想兵器が、彼女の腕を斬り付けてしまい、まだ半分は残っていた幻子装甲を破壊。
そして、無防備に倒れていた彼女に向けて、CEの光線が飛んだ。
「遠い外国の出来事なら、馬鹿だなって笑えたんだけどね」
銃の空薬莢を踏んで転んだなんて、ミリタリー好きなら聞いた事のある笑い話も、よく知る仲間の話となれば、悲しみの涙しか出てこなかった。
「それで……」
一年生との集団戦闘訓練で、執拗に転ばせて対処法を学ばせたのは、その時の痛みを下級生達に味わって欲しくなかったからなのだ。
納得して尊敬の眼差しを向ける宗次に、麗華は照れ臭そうに笑う。
だが、直ぐ真顔に戻り、再び暗い夜空を見上げた。
「君も気づいていると思うけど、草壁君は雨宮さんと付き合っていたんだ」
告白して恋人になる前、相談を受けた事もあるという。
「交友関係、広いんですね」
「これでも現場指揮官なんて大役を任されているからね、一人一人の顔や名前を憶えておきたかったのさ」
昼食の時、A組の豪華な食事を取らず、B・C・D組の皆と共に同じ席に着き、同じ物を食べていたのも、その一環だったのだ。
「草壁君と雨宮さんは、本当に仲睦まじくてね。『別れたら、残りの二年が地獄だよ』なんて脅しても、『俺達、絶対に別れませんから!』なんて断言していたよ」
早く別れろリア充めと、分隊の仲間達はやっかみつつも祝福していた。
なのに、二人は永遠の別離を遂げてしまった。
「覚悟はしていた筈なんだけどね」
二年あまりも被害の無い快勝が続き、麗華の心もまた緩んでいたのだろう。
「誰かを失うのは、やっぱり苦しいね……」
夜空に伸ばしていた手を下ろし、目元を隠す。
その女の子らしい細い指は、微かに震えていた。
悲しみと、また誰かを失うのではないかという恐怖で。
最初の三人は、不慣れな事から起きた事故であり、今ならばもう二度と繰り返さない自信がある。
けれども、草壁洋太の死は新種のCE・正二十面体型という敵の出現によるもの。
また、あの悪魔じみた狙撃手が出てくれば、誰かが心を失った人形と化し、大勢の仲間が嘆き悲しむ事になるだろう。
麗華の顔を覆った指の隙間から、一粒の滴が零れ落ちるのを見て、宗次は静かに声をかける。
「先輩は、優しいんですね」
「……違うよ、ボクはそんな御大層な人物じゃない」
気付ているのに、何も出来ない臆病者だ――と、声に出さず、唇の動きだけで漏らす。
それを読み取った訳ではないが、宗次は不意に体を起こして立ち上がる。
「少し待っていて下さい」
そう言うと、小走りで屋上から駆け出していく。
呆気に取られる麗華が、大人しく待っていると、彼は五分と掛からず走り戻ってきた。
その手には、一冊のノートが握られている。
「それは?」
「俺一人では活かせません。だが、先輩ならきっと活かせる」
そう言って、訝しむ麗華にノートを手渡した。
まさか、あの性悪な少女はここまで読んで鍵を渡したのかと、薄ら寒いものを感じつつも、誰かの涙を止めるためには必要であったから。
「これは……っ!?」
ノートに記された図や文字を見て、麗華の顔に驚きが浮かぶ。
「古臭い物ばかりなので、現代風に手直しが必要ですし、有効だという保証もありません。けれど、同じ所で足踏みしていては、また同じように失ってしまう」
そして、次に失うのが映助や陽向達という、宗次にとって掛け替えのない仲間かもしれない、そんな危険性が有るのならば。
「やれる事は、やってみましょう」
やらずに後悔するより、やって後悔する方がいいなんて、本当に大切なモノを失った事のない、正論気取りの詭弁だとしても。
彼らには正二十面体型という恐怖を乗り越える、希望の光が必要なのだ。
それが英雄という眩い太陽ではなく、星のように儚い輝きであっても、無数に集まれば夜道を照らす光にはなるのだから。
「そうだね、やってみようっ!」
麗華は目尻に残った涙をぬぐい、宗次の手を借りて立ち上がる。
その瞳には、仲間を失っても立ち上がり、創意工夫を凝らして戦い抜いてきた、不屈の魂が蘇っていた。
いつもの頼もしい先輩の姿に戻った麗華を見て、宗次も微笑する。
「それと、ずっと言いたかった事があります」
「えっ……?」
虚を突かれ、普段のイケメンさとは真逆の、可憐な少女らしい表情で頬を赤くする彼女に、宗次は至極真面目に告げたのだ。
「寒いので、中で話しませんか」
「……君は、ジョークと同じくらい、ロマンも磨くべきだね」
風邪をひいては大変だと心配したのに、何故か酷くガッカリした顔で陽向と似た事を言われ、宗次は首を傾げた。
ともあれ、彼らは揃って校舎の中に戻り、学生食堂の一角を使って話を詰めていった。
無尽蔵に湧いてくる結晶体、CEに勝る人類最大の武器、知恵という牙を磨くために。