第45話 矛先
「緑(無傷)・一三名、黄色(半減)・一九六名、赤(限界)・八五名、黒(死亡)……一名です」
静まり返った指揮所の中に、オペレーターの乾いた声だけが淡々と響く。
この場に居る教師達は、既に三度も経験した事であり、自衛隊員となった時から、常に心構えをしていた事でもあった。
それに、残酷な物言いになるが、強力な新種のCEを相手にして、たった一人しか犠牲が出なかった事は、むしろ奇跡的な幸運だと分かっていた。
それでも、教え子の命が奪われた痛みは、決して軽くなるものではない。
「洋太君……っ!」
二年A組の担任教師・月岡亜紗美が、耐えきれず指揮所から飛び出していっても、綾子を含め誰もそれを咎めなかった。
「追撃の危険性もある、撤収を急がせろ」
「はい」
残った教師達は綾子の命令で我に返り、軽井沢で呆然と立ち尽くす生徒達に呼びかけを始めた。
仲間を失った経験を持つ三年達がいち早く立ち直り、心を失った草壁洋太の体を担ぎ、泣き叫ぶ少女・雨宮水樹を引っ張って装甲車に乗せる。
そうして、計二十四台の装甲車が全て発進したのを見届けてから、綾子はようやく椅子に座り込み、重苦しい息を吐き出した。
「……これで満足か」
呪詛のような呟きは、いったい誰にあてたものか。
無力な自分達か、無能な駐屯地司令や政治家か、それとも――
「京子、病院の手配は任せる」
「……了解です」
直ぐに指揮官の顔に戻り、立ち上がる親友に対して、京子は何の慰めも掛けられずただ頷いた。
特高の責任者である綾子には、これから政府や防衛省への報告、弔慰金の申請に加えて、最も辛い仕事が待っているのだから。
指揮所を出た綾子は、そのまま真っ直ぐ進み、廊下の角で嗚咽していた月岡の肩を、優しくも厳しく叩く。
「出発は明後日だ、いいな」
「……はい」
頷き返したのを確認すると、後は月岡が思う存分泣けるよう、綾子はその場を離れた。
彼女達は各所への報告を手早く終わらせてから、一番辛い仕事――草壁洋太の実家に向かい、彼の戦死を家族に直接伝える責務があるのだから。
「また、殴られるかもしれんな」
約二年前の事を思い出し、綾子は薄く笑った。
泣かれ、罵倒され、張り倒されるかもしれないが、その方がむしろ心は楽であろう。
もしも、残された両親が悲しみもせず、多額の金をせびってきたり、子供の死を政府の批判にでも利用するようなら、その時は本気でCE教とやらに入信して、この世の滅亡を望んでしまいたくなる。
「いかんな」
綾子は己の頬を叩いて弱音を追い出すと、今度こそしっかりとした足取りで、執務室に向かって歩き出した。
特高に帰り着くと同時に、草壁洋太は待ち構えていた救急車に乗せられ、中央病院へと運ばれていった。
「何で、何で洋太が……」
まだ泣き止まない雨宮水樹を、同じ分隊の仲間達が慰めるのを横目に、宗次達は何もできる事がなく、ただ教室に向かうしかなかった。
「恋人だったのかな……」
一年間、共に戦った仲間の死とあれば、あれほど嘆くのも当然であるが、草壁洋太の名を呼ぶ雨宮水樹の声には、戦友以上の深い絆が感じられた。
だからこそ、余計に胸を痛めながら、一年D組の面々は教室に入っていく。
「よく無事に戻った」
教壇に立って生徒達を待っていた大馬は、ただそれだけ言って教科書を開くよう命じる。
心配してくれた担任に「無事に帰れなかった人が居たのに」と、毒を吐き返す者はいなかったが、授業の内容をまともに聞けるほど、平然と気持ちを切り替えられる者もいなかった。
呆然と白紙のノートや虚空を見詰め、それぞれの感情に翻弄される生徒達を、大馬も叱ったりはせず、ただ淡々と教科書を読み続ける。
そうして、身につかない座学で半日を潰し、授業や掃除を終えて寮に帰ろうとした時であった。
「あいつが洋太を殺したのよっ!」
ヒステリックな怒鳴り声が、手前の寮から響いてきた。
「何やっ!?」
驚き駆けだした映助につられ、宗次達もそちらに向かう。
怒声の発生源は一年A組の九番棟で、その入口を封じるように立つ千影沢音姫達に対して、雨宮水樹が血走った眼で叫んでいた。
「あいつなら、CEを簡単に倒せたでしょ!? そうすれば、洋太だって死なずに済んだのに、何で戦わないのよっ!」
「おい、よせって……」
叫ぶ雨宮水樹を、同じ分隊の仲間が止めようとするが、その声は力なく弱々しい。
彼らとて、本当は心の中で思っているのだ。
天道寺英人があの聖剣を振るえば、新種のCEすら容易く蹴散らして、草壁洋太が死ぬ事はなかったのだと。
つまり、天道寺英人が大切な仲間を殺したようなものだと。
「出てきなさいよ、この卑怯者! 人殺しっ!」
その悲痛な訴えは、果たして部屋にこもる英雄に届いたのかどうか。
ただ、雨宮水樹がそれ以上何かを叫ぶ前に、前に立つ音姫が動いた。
「黙りなさい」
音もなく雨宮水樹の目の前に踏み込んだかと思うと、首の横に目で追えぬほどの鋭い手刀を放つ。
「かはっ……」
雨宮水樹は何をされたのかも分からぬまま、白目をむいて地面に倒れ込んだ。
音姫はそれを冷酷な顔で見下ろし、唾を吐くように言い捨てる。
「英人はこの日本を救ってくれる救世主なのよ、その悪口は私が許さない」
「お、お前っ!」
あまりの事に唖然としていた分隊の仲間達が、怒声を上げて掴みかかろうとする。
だが、その眼前に木刀や木の棒を突きつけられ、慌てて立ち止まった。
音姫の背後に控えていた一年A組の女子達が、いつの間にか用意していた武器を、鋭い殺気と共に向けてきたのだ。
「これ以上、英人の悪口を言うつもりなら、容赦しないわよ」
「この野郎……っ!」
分隊の仲間達は、呪い殺すような憎悪の眼差しで睨み付ける。
相手が武器を持っていようと、構わず殴りかかろうとする彼らの敵意を感じ取ったのか、音姫は急に矛先を変え、野次馬達の中にいる宗次を睨んだ。
「ちょっとあんた、邪魔だからこの馬鹿女を片付けておきなさいよ」
「なっ……ふざけんのも大概にしなさいよっ!」
宗次ではなく、その横にいた陽向の方が怒りを爆発させるが、音姫達はそれを無視して素早く寮の中に入り、玄関の分厚いシャッターをおろして鍵をかけ、怒りも反論も全て遮断した。
「こら、逃げるなっ!」
「平坂さん、いいんだ」
激怒してシャッターを叩く陽向を抑え、宗次は音姫に言われた通り、気絶した雨宮水樹の体を担ぎ上げた。
「保健室に運びます」
「あ、あぁ、頼むよ」
何事もなかったように歩き出す宗次に、雨宮水樹の分隊仲間達も毒気を抜かれた様子でついていく。
「本当、何なのよあの女っ!」
「頭に隕石が落ちて死なないですかね~」
陽向達はまだ怒りが収まらない様子だったが、倒れた雨宮水樹の方が心配で、宗次の後を追った。
そうして保健室に向かいながら、宗次は暴言を吐く音姫の姿を思い出す。
言葉や態度は天道寺英人を妄信する、恋に狂った苛烈な少女を演じていた。
けれど、泣きながら叫ぶ雨宮水樹を見詰めるその瞳は――
(羨ましかった、のか?)
真剣に一人の少年を愛して、彼を失った事を心から悲しむ。
その姿が眩しくて、羨ましくて、憎くて、隠しておかなければならない、暗殺者めいた手刀を見舞ってでも黙らせた。
何の証拠もない話だが、宗次にはそう感じられて仕方がなかったのだ。
(お前は、それでいいのか?)
音姫が居る九番棟を見上げながら、宗次は心の中で問いかける。
例え口にして、あの性格が悪い少女は、絶対に本音を明かさないと知りながらも。
保健室は無人で、美人保健医・保科京子の姿もなかった。
(地下で仕事中か)
そう推測しつつ、宗次は雨宮水樹を空いていたベッドに寝かせる。
「悪いな、助かったよ」
ついてきた二年生達のうち、おそらく分隊の隊長だと思われる少年が、代表して礼を告げる。
「雨宮もさ、本気であんな事を思っているわけじゃないんだ」
天道寺英人が彼女の恋人、草壁洋太を殺した。
それはただの言いがかりで八つ当たり、あくまで彼を殺したのは敵であるCE。
頭では分かっているのだ。それでも、激しい怒りと悲しみに耐えられず、ぶつける先が欲しかった。
「洋太も馬鹿でさ、『新種だろうと何だろうと、俺のエッケザックスで蹴散らしてやる』って、雨宮の前で格好つけようとして、俺達がいつも『危ないから退く事を覚えろ』って言ってるのに、無理して突っ込んで……」
その先は、嗚咽で言葉にならなかった。
恋人の雨宮水樹だけではない、分隊の全員が仲間を守れなかった己の無力さにこそ、激しい怒りと後悔を抱いているのだ。
だからこそ、全ての人を守れる英雄、強大な力を持った天道寺英人を、八つ当たりと知りながらも憎んでしまう。
「…………」
泣き崩れる二年生達に、宗次はかける言葉が見当たらず、黙って背を向け保健室を出た。
一緒についてきた映助達も、やはり何も言えず彼に続く。
そうして、無言で寮まで帰ってきて、それぞれの部屋に戻ろうとした時、宗次の裾を陽向が弱々しく掴んだ。
「宗次君は、いなくならないよね?」
普段の勝気な彼女からは窺えない、泣き出しそうな顔で見上げられ、宗次は困って苦笑した。
「努力はするが、保証はできないな」
「……本当に、君はロマンが無いんだから」
初陣の時と同じような事を言う彼に、陽向も呆れて苦笑を返す。
そして、右手の小指を差し出した。
「じゃあ約束して、ちゃんと無事に帰ってくるよう努力するって」
「あぁ、約束する」
剣道で鍛えているとはいっても、男よりは遥かに細い指に、宗次は己の太い小指を絡める。
「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本呑~ますっと!」
歌って指を切ると、陽向は名前どおりの温かい陽光のように笑った。
「私も頑張るね。神奈達を泣かせたくないし……三年の誰かさんに盗られたくもないから」
「えっ?」
何の事か訊ねる前に、陽向は顔を真っ赤にして駆け去ってしまう。
一人廊下に残された宗次は、暫し首を傾げた後、顔を叩いて気合を入れると、自室に向かって歩き出した。
「約束したからには、守らないとな」
部屋に戻ると、忙しくて段ボールに入れたままだった、実家から持ってきた本を取り出す。
皆で無事に生き延びるためには、槍を磨くだけでは足りない。
宗次は本を開き、目についた項目をノートに書き写し、己に出来る限りの努力を始めるのだった。