第34話 外出
土曜日はゆっくり休んで疲れを取り、元気ハツラツで迎えた日曜日。
宗次達六人は久しぶりに私服を着て、寮の一階に集まっていた。
「じゃあ、許可を取りに行きましょうか」
三時間ほど悩み、結局は赤いフレアスカートと白のブラウスという、無難なコーディネートに収めた陽向が、先頭に立って歩き出す。
向かうのは談話室の向かいにある、寮長の部屋。
「寮長さん、ちょっといいですか?」
「入んな」
ノックして声を掛けると、しわがれた無愛想な声が返ってくる。
言われた通り扉を開けると、六畳間の狭い部屋の中で、老婆が卓袱台に膝をついて、のんびりとテレビを見ていた。
彼女が十二番棟の寮長、白浜寅美である。
「今から外出してきたいんですけど」
「はいよ」
陽向にぶっきらぼうな返事をしつつ、寅美は卓袱台の上に放り出していた、タブレットPCを手に取る。
そして、老婆らしからぬ素早いタッチで操作すると、急に眉をひそめた。
「あんたら、外に出るのは三十分ほど待ちな」
「まさか、許可が下りなかったんですかっ!?」
最悪の予想が過ぎり、陽向は顔を曇らせる。
いつCEが襲ってくるかも分からない以上、休日とはいえ特高を空にはできない。
そのため、外出を許される生徒の数は決まっていたのだ。
「え~、私達は外出するの初めてなのに~?」
黒いゴスロリ服を身にまとった心々杏も、不満そうに頬を膨らませる。
外出許可は基本的に早い者勝ちだが、近々に外出した者は弾かれる事が多い。
入学から約一ヶ月、授業の疲れから全く外出していなかった一年D組の面々は、優先的に外出を許されるはずなのだが。
そう不満を口にすると、寅美は静かに首を横に振った。
「許可は取れたよ、だが茶菓子でも食って少し待ってな」
「何でや? バスに遅れてまうやんか」
映助はそう文句を言いつつ、差し出された煎餅を頬張る。
その時、皆の後ろに控えていた宗次が、ピクリと眉を動かし外を睨んだ。
「何か声がする」
「えっ、声ですか?」
細い足が剥き出しのショートパンツに、肩が剥き出しのニットという、「誘っとるんかっ!」と映助でなくとも言いたくなる、肌色率の高い服装の一樹が、手を当て耳を澄ませてみる。
すると、確かに宗次の言う通り、遠くから人の声が聞こえてきた。
「気付いたのかい。まぁ、そのうち分かる事だしね」
寅美は諦めた様子で溜息を吐き、手元のタブレットPCを操作した。
すると、テレビの画面が切り替わり、監視カメラが撮った特高の校門前が映し出される。
そこには、五十名ほどの中高年が集まって、手に手に垂れ幕や看板を掲げては、大声で何やら叫んでいた。
「何や、これ……?」
「デモだよ、特高反対のデモ」
唖然とする映助達の前で、寅美は心底嫌そうに吐き捨てる。
「『子供を戦わせて恥ずかしくないのか』『こんな基地があるからCEが襲ってくる』『前橋市から出て行け』って、暇な大人が叫んでんのさ」
「な、何よそれっ!」
陽向は怒りのあまり、声を詰まらせてしまう。
「私達が戦ってるから、CEから皆を守れているんじゃない! この前だって、いきなり戦う事になって、死ぬかもしれないって不安で、でも頑張って――」
「分かってるよ、あんたらは間違っちゃいない」
落ち着け、と嗜める寅美の声は、変わらずぶっきらぼうだが、目には優しい光が宿っていた。
「あんたらは立派に戦った、あたしらはちゃんとそれを分かってる……でもね、それが分からない奴らも居るんだよ」
それがこいつらだと、寅美は忌々しそうにテレビ画面を指さす。
「最近は大人しかったんだけどね、この前の騒動で久々に被害が出たから、また騒ぎ出したのさ」
前橋市の北東、黒檜山から突如現れたCEの小部隊、それに続く小型ピラーの出現。
この事件による被害者数は、CEの攻撃による意識不明者数が五名、避難時の混乱による重傷者が十二名と、事の重大さを考えれば、奇跡的なほど少なかった。
だからと言って、被害者家族の心が休まるわけではない。
「自分らが弱くて何も出来なかったのを、受け入れられないのさ。だからこうやって、人のせいにしようと馬鹿みたいに叫んでる」
「そ、そんな……」
大きな胸が目立たないよう、ゆったりとしたワンピース姿の神奈が、ショックを受けて俯いてしまう。
自分達がもっと頑張れていたら、この人達も怒り悲しむ事はなかったのに。
そんな優しい事を考えていると見抜いたのだろう。
寅美は複雑な表情で、少し迷ってから呟いた。
「気に病むんじゃないよ。どうせこいつらの大半は、被害者でもなければこの街の人間でもないんだからさ」
「えっ?」
被害に遭った前橋市の市民でもないのに、特高を非難するデモを行う。
その意味が分からず、問いかけようとした宗次を遮るように、寅美は再びテレビを指さした。
「やれやれ、ようやく来たよ」
画面を見れば、走って来た青と白のツートンカラーに塗られた警察のバスが、デモ集団の前に停車していた。
そして、中から飛び出てきた警察官達が、暴れる中高年を容赦なく拘束して、バスの中に放り込んでいく。
「やるやん、今時こんな強硬策に出たら、マスコミがうるさそうやのに」
「え~、暴走族の取り締まりとかこんなもんですよ~?」
驚く映助の横で、心々杏は珍しくもないと欠伸をかく。
「流石、元ヤンは詳しいわね」
「何の事か分からないです~」
わざとらしいブリッ子の演技に、今更騙される者はいない。
「ほれ、校門も片付いたし許可も取ったから、さっさと行きな」
寅美にシッシッと手で追い払われ、宗次達は寮長室を後にした。
「やれやれ、せっかくの外出やのに、いきなりケチがついたわ」
「本当、嫌になるわよね」
ぶつくさと文句を言いつつ、皆で校門を抜けてバス停の前に立つ。
「うん?」
足元に紙が飛んできて、宗次はついそれを拾い上げる。
そこには『子供を戦わせる総理は辞めろ!』という毒々しい文字と共に、目覚めない子供にすがり付いて泣く、両親の絵が描かれていた。
「デモのチラシか? そんなけったくそ悪いもん捨てえや」
「そうだな」
映助に頷き返し、宗次はゴミ箱を探したが、見付からなかったので仕方なく折りたたんでポケットにしまった。
「言われてみれば、俺達が戦えているというのも不思議だな」
デモ隊の言い分ではないが、子供を戦わせるとなれば、世論の反発は凄まじいものがあるだろう。
なのに、こうして特高が建てられ、エース隊員としてCEと戦っているというのは、良く考えずとも異例の事であった。
「あれっ? 宗次君はニュース見なかったの?」
「ニュース?」
「特高や幻想兵器の事を、総理大臣が発表した時のよ」
「そう言われれば、見たような……」
CEに対抗出来る切り札、幻想兵器。
それを扱える才能の持ち主を、来年高校一年生となる若者の中から探し出すため、日本全国で検査を行う。
今から三年前、ネットの世界では囁かれながらも、テレビや新聞といったメディアでは、頑なに隠されていた幻想兵器と特高の存在が、初めて報道された瞬間の事である。
世間的には忘れられない大ニュースだったが、田舎でCEの被害もなく、普段は天気予報くらいしかテレビを見ない宗次の記憶には、あまり残っていなかった。
「どんなニュースだったか……」
「ほら、これの事ですよ」
うろ覚えな彼のために、一樹がスマホでその動画を探して出して見せてくれる。
動画の中では、今も変わらず首相を続けている、エネルギッシュな初老の男が、力強く答弁していた。
『我が国を守るには、もはやこの新兵器に頼るしかないのです。そして、誠に遺憾ながら、この新兵器は若い子供達にしか使えないのです』
子供を戦わせるなんて非人道的だ、貴方は鬼だ、という野党の追及にも、あっさりと言い返す。
『では、貴方達が代わりにCEと戦ってくれるのですか? CEを倒せる当てがあるのですか?』と。
その正論の前には、野党もマスコミも、そして国民も黙るしかなかった。
長野県民二百万人がCEの手で虐殺されてから、まだ三年しか経っていない時期である。
そして、戦地からかけ離れた東北や九州、北海道や沖縄という、どこか他人事、テレビの中の遠い話と、CEの被害を実感できずにいた人々にも、物価の上昇、物資の不足という形で、長引く戦争の恐怖が伝わり始めた頃でもあった。
誰だって子供を戦わせたくはない。だが、他に方法がないのだから仕方がない。
その言葉を免罪符として、特高とエース隊員は誕生したのだ。
「なるほどな」
「兄弟、ちゃんとニュースは見んとあかんで」
珍しく映助に説教されて、宗次は素直に頷く。
そこに、丁度良くバスが走って来た。
揃って乗り込みつつ、宗次はもう一つの疑問を告げる。
「ところで、皆の親は反対しなかったのか?」
人々をCEから守るため、子供を戦わせるのは仕方ない。
だが、自分の子供を危険な戦場に出すなんて絶対にお断りだ。
実に勝手な言い分だが、大概の親はそう考えるものであろう。
その問いに、まずは映助が明るく答えた。
「ワテの親なんか酷いで『お前が兵隊になったら、めっちゃ補助金が貰えるんや、これで借金が返せるわ』って、笑って息子を送り出したんやで? マジで人でなしやわ、あのジジババ共っ!」
ごっつ腹立つわ、と映助はバスの背もたれを叩く。
もっとも、本当は泣いて止める両親のいう事も聞かず、家の借金のために飛び出てきたのだが、それは口が裂けても言わないのが愛媛男児である。
「私の家は、お父さんが泣いて止めたけど、お母さんが『貴方の好きなようにしなさい』って送り出してくれたから」
「僕も同じです、お父さんったらワンワン泣いて、お母さんに叱られてました」
「…………」
女子の陽向はともかく、男子の一樹を父親が泣いて止めるのは、何か間違っている気がしたが、宗次は敢えて何も言わなかった。
「うちはババ――ママが快く送り出してくれたですよ~」
またブリッ子笑いをする心々杏だが、どうせ「自衛隊でちっとはマシに教育されてきやがれ、この不良娘っ!」と蹴り出されたんだろうな、と皆が確信するのであった。
「わ、私は、両親が反対したけど、お、お婆ちゃんが許してくれて……」
――我が子がお国のために、ひいてはあんたらやご近所さんの役に立とうって言ってるんだよ、親なら胸を張って送り出しておやり。
本当は可愛い孫が心配なのに、反対する両親をそう叱りつけて、神奈の好きにさせてくれたのだという。
「素敵なお祖母さんだな」
「は、はい、私が漫画を描いているの、両親にバレて叱られた時も、庇ってくれて……」
「…………」
両親が叱ったのは、漫画を描いていた事ではなく、裸の男子が絡み合う耽美な内容の方だったのでは? ――と一樹は思ったが、下手に突っ込んで説明されても嫌なので、敢えて何も言わなかった。
「そう言う兄弟はどないやねん?」
「俺の場合は、悔しがってたな」
「はぁ?」
「爺ちゃんが、『ワシに行かせろ、ガラス玉なんぞ槍一つで十分じゃ』って、自分で戦いたがっていた」
「……ファンキーな爺さんやな」
この祖父にしてこの孫あり、空知家の人間は何だかんだで戦狂いなのであった。
「それにしても、皆進んで特高に来たんだな」
話しぶりから察して、宗次は改めて不思議に思った。
子供が戦場に向かうのを許す両親も珍しいが、自ら望んで死地に向かう高校生も珍しいだろう。
その問いに、映助がまた呆気からんと答えた。
「まぁ、給料貰えるしな。それに――刹那ちゃんと同じとか、格好良いやん」
天道寺刹那、最初の幻想兵器使い、剣の聖女。
彼女と同じ選ばれた英雄になれる。
それは、子供っぽい憧れなんて言葉だけでは抑えきれない、青少年ならば誰もが願う夢。
「実は私も、刹那さんに憧れて入ったところはあるのよね」
「僕も同じです。アイドルにはまっているみたいで、ちょっと恥ずかしいですけど」
「せ、刹那さん、素敵ですから……」
「美人でスタイル抜群でおまけに強いとか、神様は不公平ですよね~」
少し妬みが入った心々杏以外、皆一様に天道寺刹那への憧れが、この道に進ませたきっかけであるらしい。
「本当に凄い人だったんだな」
「だから何度も言うとるやん、刹那ちゃんは英雄やって!」
改めて感心する宗次に向かって、映助は力説した。
死してなお影響を及ぼす、それはまさに英雄と呼ぶに相応しい者。
人々の心の中に刻まれ、永久に語り継がれる。
そう、彼女はもはや物語の存在、人々の想いが集まり形成された、まるで幻想の――
「――っ!?」
「どないしたんや、兄弟?」
「……いや、何でもない」
怖気が走って震えた宗次は、慌てて頭を振って誤魔化した。
(幻想の英雄……)
頭に浮かんだその単語が、何故か妙に不安を抱かせる。
だが、まだ闇に足を踏み入れていない宗次に、その先を推測する事はできない。
バスに酔ったのかと勘違いし、気遣ってくれる皆を安心させようと話すうちに、その単語と悪寒は頭の隅に追いやられてしまうのであった。




