第32話 不穏と希望
「やりましたね、色鐘三佐!」
「あぁ、そうだな」
歓喜を浮かべるオペレーターに、綾子は笑顔を返すが、それは喜ぶ彼らに水を差したくないという気遣いでしかない。
彼女は他の者達に気取られないよう、ゆっくりとした動きで、親友である京子の傍に寄る。
「先程の映像、共有データベースからは消して隔離しておけ。公表は上と相談して慎重にタイミングを計る」
「はい」
京子はパソコンを操作し、目的の動画をスマートメディアに保存してから、浮かれる職員達には悟られぬようデーターベースから消し去る。
それは、一人の少年が地面に置いたヘッドセットが、幸運にも捉えた戦闘の記録。
のちに『二十面体』型と命名される、新種のCEを映した現在唯一の映像。
「本人にも口止めをしておけ。口の軽い奴ではないだろうが、他の生徒に漏れればパニックになる」
たった一人で、しかも初陣で三十体以上のCEを撃破した槍使い、空知宗次。
天道寺英人の活躍によって影に埋もれてしまったが、彼の戦闘能力は明らかに桁が違っている。
それこそ、集中幻子拳を生み出した、ある天才少女を彷彿させるほどに。
そんな彼を、死の一歩手前まで追いつめた新種のCE。
戦いに慣れた二年生や三年生であっても――いや、慣れているからこそ、突然の変化に対応できず、死者が出かねない強敵の出現。
迂闊に公開すればパニックを引き起こしてしまうだろう。
「ですが、あまり長くは止められませんよ」
「分かっている」
自然ときつくなる京子の声に、綾子も重々しく頷く。
強敵だからこそ、早く情報を共有して対策を立てねば、本当に死者を出してしまいかねない。
次に軽井沢方面から押し寄せるCEが、全て二十面体型でない保証はないのだから。
しかし、迂闊に世間に広めてしまえば、もっと大勢の犠牲者が出てしまう。
「小型とはいえピラーが新しく出現し、新種のCEまで登場した。馬鹿共が今すぐ核を撃てと騒ぎかねんからな」
「…………」
そんな事はあり得ない、と言い切れないのが良く分かっているからこそ、京子は黙るしかない。
既に自国へ核を放った三ヵ国、アメリカ、ロシア、中国から、日本政府に向けて極秘の提案が来ているからだ。
貴国の憂いを晴らすため、是非とも我が国の核兵器をプレゼントしよう。
その替わり、幻想兵器の全情報を譲ってほしい、と。
まるで親切なふりをして、綾子達が血を吐く思いで積み上げてきた物を、横から泥棒しようと厚顔無恥に。
「野党の犬が三ヵ国に尻尾を振って、核を使えと騒ぎ始めたらしい。今は与党と国民感情が許さんが、一歩間違えば地獄だぞ」
前回の衆議院選挙はCE襲撃の影響で、そんな事をしている余裕はないと見送られた。
しかし、今は幸か不幸かCEの撃退が安定し、余裕が生まれてしまっている。
今度こそ選挙を、独裁を許すな、国民の権利を取り戻すのだ――と叫ぶ声が、日増しに強くなっていた。
それで選挙が実行され、政権交代が起きてしまえば、事態は綾子の予想通り最悪の方へ向かってしまうだろう。
「あの犬ども、核が失敗しても外国に逃げればいいと考えているようだ……馬鹿がっ! この地球に逃げ場などあるものか」
巨大なピラーが出現し、長野県民を中心に二百万人以上の死者、意識不明者を出した日本。
だがそれも、他国と比べれば天国のような状況なのである。
まずは自国に核兵器を放ち、重度の放射能汚染を起こした米露中の三ヵ国。
全滅を避けるためにはそれしか方法がなく、苦渋の決断だったのだが、国民の感情が納得するはずもない。
政府は人殺しだ、我々の健康と土地を返せと、今なお抗議の声が止まず、クーデターが起きて内部から崩壊しかねない状況であった。
だが、そんな三ヵ国すらマシな方なのである。
最悪なのは南米、中東、アフリカという、元より火薬庫であった地帯。
CEが出現し、人類が一丸となって戦わなければいけない時に、その三地域で何が起こったのか。
実に簡単な答えだ、『この機を利用して、隣国に侵攻しよう』である。
米露中という大国の睨みが消え、今まで押さえつけえられてきた不満と憎悪が爆破したのだ。
ピラーが出現して疲弊した国を、まるで飴に集る蟻のごとく、周囲の国が食い荒らす。
元より目障りだった国を、CE討伐という名目の元に、市民まで巻き込んで爆撃する。
人種、宗教、貧富、その他様々な理由により、無機質な結晶体ではなく、同じ人間を望んで殺した。
無論、全ての国がそこまで愚かだったわけではない。
中には周辺国と手を結び、必死に対抗した国もあった。
しかし、そんなまともな国を襲ったのが、難民という哀れだからこそ厄介な敵。
CEに襲われ、人間にまで銃を向けられ、少しでも平和な国へと逃げてきた大量の人々。
だが、自国民さえ救えるか分からぬ状況で、他国の難民まで受け入れる余裕などない。
必死に追い返そうとする国軍や国民と、暴徒化した難民が衝突して血を流し合った。
CEが殺した人間と、人間に殺された人間の数は、果たしてどちらの方が多かったのだろう。
そんな地獄に比べれば、四方を海に囲まれて難民が押し寄せず、ピラーもたった一つで済んだ日本が、どれだけ天国か分かるであろう。
「仮にハワイにでも逃げたとしても、待っているのは種の終わりなのだぞ」
現状、CEは海を渡って攻めてくる事はない。
このため、ピラーが出現しなかった一部の小さな島は、まるで六年前から全く変わっていない、別世界のような楽園となっている。
世界中の金持ちがそれら島国に逃亡し、CEとも人間の戦争とも無縁の優雅な生活を送っていた。
だが、彼らの判断はゆるやかな自殺でしかない。
このまま世界中の大陸がCEに支配され、人類の九九・九九九%が死滅しすればどうなるか。
大陸からの補給が絶え、鉱山資源もない小さな島で、文明は消えて魚を釣って暮す古代のような日々。
それでも生き残れるなら良いという考えも、今日をもって不可能となった。
六年前より数の変わらなかったピラーが増え、無個性でたった一種類だけだったCEが新種を生み出したのだから。
この先、ピラーはさらに増殖し、CEは進化して海や空にさえ適応するのだろう。
その時こそ、人類という種は六百万年の寿命を終える。
「所詮、人間の敵は人間。有能な敵より無能な味方の方が恐ろしい……全くその通りすぎて忌々しい!」
綾子は憎々しげに唇を噛む。
「あんな奴らを救うために、子供達を犠牲にするくらいなら、いっそCEに綺麗さっぱり滅ぼして貰いたくなる」
「…………」
その気持ちが分かるだけに、京子は何を言えず、ただ引き留めるように綾子の手を握った。
今、世界中のあらゆる所で、自らCEに殺されに行く者達が急増している。
彼らは言う「CEは神の使いである、我らの魂を神の身元に運んでくれるのだ」と。
肉体には全く傷を付けず、まるで魂を奪い去ったように、意識不明の昏睡状態にするCEの攻撃が、そう見えてしまうのも仕方がない話であろう。
恐怖に負け、逃亡に疲れ、現実から逃げ、CEに身を捧げる信者達。
まるで最後の審判、三十年遅れでやってきた世紀末の光景。
CE教とでも言うべきその自殺志願者達は、日本でも少しずつだが増えつつあった。
「分かっているさ、京子」
自分にも言い聞かせるように、綾子は小さな声で、だが強く断言する。
「あの子が守ろうとしたこの国を、どんな手を使っても守り抜く。それまで私は死なんさ」
「それ、死亡フラグですよ?」
京子が茶化すと、綾子も眉間に寄っていたシワを消して笑った。
「よせ、私は可愛い美少年と結婚して子供を五人産むまで死なんと決めている」
「先輩、まだその腐った夢を諦めてなかったんですか?」
「……一年に、一人有望な子がいてな」
「分かりました、D組に先輩を近づけないよう、大河原三等陸尉に伝えておきます」
その時、斑鳩一樹がクシャミをしたかどうかは定かではない。
「京子、他人事のように言っているが、お前だって生徒に唾を着けているではないか?」
「……何の事でしょう」
「とぼけるな、あの槍使いに対するえこひいき、気付かれていないと思ったか?」
図星を刺された京子は、内心の動揺を全く出さず、あくまで平静に笑みを浮かべる。
「彼は実に優秀ですから、目を掛けたくもなりますよ」
「それは否定せんよ。だが、あいつが一人で足止めに出た時の焦りよう、冷静な研究者の京子先生らしくなかったがな?」
綾子は意地悪な笑みを浮かべ、ジワジワと追いつめてくる。
このままでは拙いと判断した京子は、卑怯と思ったがある名前を口にした。
「それは焦りもしますよ。彼、まるで刹那みたいだから」
「……そうだな」
最初の幻想兵器使い、剣の聖女、救国の英雄、天道寺刹那。
彼女の死は、五年近く経った今もなお、京子達の魂を縛り続けていた。
「集中幻子拳を自力であみ出し、初陣で三十体以上を撃破か。本当に刹那の再来だな」
空知宗次は能力も戦果も、天道寺刹那に見劣りしない。
それでも、彼が英雄になる事はない。
「だが、我々には天道寺英人がいる。人々の幻想を束ねる希望の星は、たった一人でいい」
仮に宗次まで『英雄』にすれば、人々の幻想が二分されて、力も半減するだけだ。
それでは、強固な長野ピラーを破壊するという、悲願が達成できなくなる。
「個人的に目をかけるのは構わん。だが、天道寺英人の英雄性を喰うようなら、『退学』も視野に入れざるを得んぞ」
「分かっていますよ」
目的を履き違えるなと、厳しい声の忠告に、京子も頷き返す。
日本国民一億二千万と秤にかけて、一人の少年を選ぶほど愚かな女ではない。
それに、彼女は思うのだ。
「彼が作り物の英雄に成らず、自らの力でどこまで進めるのか、見てみたいですから」
「そうだな」
天道寺刹那が歩みきれなかった道を、空知宗次はどのように歩むのか。
後世の作家達が書き記さなかった、歴史の陰に埋もれた槍使いの物語は、今この時より始まるのである。