カーテンコール・相変わらずな俺ら
このように、天道寺英人は世界各地のピラーを破壊した後、南極大陸に出現した最後の極大ピラーを破壊し、その自爆に巻き込まれる形で、他の英雄達と共に戦死したと伝えられている。
だが、賢明な読者諸氏なら気付いていると思うが、これもまた天道寺英人サーガという、都合の良いフィクションによって広められた嘘でしかないのだ。
そもそも、南極大陸に極大のピラーが出現したという話からして怪しい。
ピラーはCEを生み出して人を襲うため、主に人口密集地にしか出現しなかったためである。(P33の地図を参照)
人の住まない南極に出現したとは思えない。
だが、天道寺英人達が南極に向かったという資料は確かに残っており、彼らが一人として帰って来なかったのも事実である。
そして、世界各国が協力して、南極大陸をいまだに封鎖し続けており、地図アプリなどを含めて衛星写真の開示すら禁止していのも事実だ。
しかし、この写真を見て欲しい。匿名の人物がネットに公開した、現在の南極大陸を映した物なのだが、極大ピラーやそれと戦闘を行った痕跡が全く無いのである。
さらに、封鎖を掻い潜って極秘調査に赴いたという、米国人雑誌記者の情報によれば、南極付近で非常に高い放射線が測定されたという。
また、当日に南極付近で漁をしていた、ある違法漁業船の乗組員の証言によれば、南極大陸の方向から太陽と見紛うような眩い光が上がったという。
これらの証拠が示す答えは――
「進み具合はどうデスか?」
少し語尾はおかしいものの、流暢な日本語で呼びかけられて、ホテルの一室で机に向かっていた青年――遠藤映助はキーボードを叩いていた手を止めた。
「ボチボチやな」
「OH、それは良かったデス」
差し出されたコーヒーを受け取り、改めて相手を見る。
クルクルと丸まったくせっ毛の金髪、そばかすの浮かんだ頬に大きな黒縁眼鏡。
モデルのような美人ではないが、胸もお尻も肉付きが良く、素朴で可愛らしい白人女性。
シンディー・フィリップス、彼女が映助の執筆パートナーであり、そして恋人であった。
「しっかし、こんな固い文章を書いとると、肩が凝ってかなわんわー」
「NO、ダーリンは気を抜くと直ぐにふざけるから、この程度が丁度良いのデス」
シンディーはそう注意しつつも、凝った肩に手を置いて揉み解してくれる。
力を入れようと前かがみになる度、大きすぎる二つの膨らみが首に当たり、映助は思わずニヤケてしまう。
もしも、高校時代の級友達がこの場面を見たら、「この裏切者ぉーっ!」と血涙を流しながら襲い掛かった事であろう。
「せやけど、ユーモアも必要やろ?」
「出版して人目に触れるのですから、ちょっとお堅いくらいでないと駄目デスよ」
「シンディーは真面目やな」
堅くするならもっと別の所を、と下品な事を考える映助から、シンディーは手を離してモニター代わりにしていたタブレットPCを手に取った。
「ちょっと読ませて貰うデスよ」
「ええで」
快く許可するが、読み進める度にシンディーの眉間にシワが寄っていく。
「むむっ……ダーリン、また棍棒使いの事をワイルドに書いているデスね?」
英雄・天道寺英人だけでなく、エース隊も活躍していたという話の中で、一人で三十体ものCEを蹴散らしたナイスガイの棍棒使いという、明らかな誇張が混ざっていたのだ。
「ええやんこれくらいっ! 英雄様に比べたら小さい嘘やろ?」
焦って言い訳をする映助に、シンディーは頬を膨らませて迫る。
「駄目デスッ! 真実を訴えようというこの『英雄と言う名の偶像』に、勘違いならもとかく、意図して嘘を入れたら意味ないデスよっ!」
「うぐっ」
「それに……こんなワイルドで素敵に書かれたら、他の子にダーリンを盗られちゃうデス」
「シンディー」
嫉妬して心配する愛らしい恋人を、映助は思わず抱きしめる。
もしも、高校時代の級友達がこの場に居たら、一秒と迷わず台所の包丁を取りに走ったであろう。
そうして、ちょっと良い雰囲気になった所で、狙いすましたように卓上のスマホがメールの着信音を鳴らした。
「ダーリン、鳴ってるデスよ」
「ちっ、無粋やな」
シンディーに促され、映助は憤慨しつつスマホを取り、件名を見て声を上げる。
「おっ、豊生からの追加資料やわ」
かつての戦友であり、噂好きが高じて相棒の高橋剛史と共に探偵となった骨川豊生。
彼も現在執筆中の原稿に、資料や噂の提供という形で大いに協力していた。
というよりも、豊生達からの情報が三割、シンディーの考察と校正が五割と、映助が担っている割合は意外と少ない。
もちろん、彼もかつての仲間や先輩達にインタビューをして回ったり、全校女子の名前と顔を覚えていた記憶力などで貢献しているのだが。
「南極の新しい証言と写真やな、ふむ……」
豊生からの新しい資料によれば、南極で中性子爆弾が使われた可能性がやはり高いのだという。
人が全く居ない南極で、熱や爆風が少ないため氷を溶かす事はなく、膨大な中性子線によって生物だけを殺す爆弾。
それが何のために使われたのかなど、言うまでもなかった。
「ダーリン、ここも駄目デス」
考え込んでいた映助に、シンディーがタブレットの画面を指さしながら注意してくる。
「これだとダーリンが、エース隊員が書いたと分かってしまいます。『嘘乙』とか言われちゃうデスね」
「ホンマか? なら書き直して貰ってええか」
「任せるデス」
シンディーは腕まくりして席を替わり、文章修正のためキーボードを走らせ始める。
映助は彼女の邪魔をしないよう、ソファーに腰かけてテレビのスイッチを入れた。
しかし、画面に映った番組を見て即座に顔をしかめる。
「うげっ、またこれかいな」
それは若手の人気アイドルを起用した再現ドラマ。
テレビ離れがさらに深刻化し、もう高齢者しか見ていないと言われるこの時代に、視聴率が三〇%を越えて大人気を博した作品。
その名は『聖剣の煌き・必ず君を守り抜く』、英雄・天道寺英人とヒロインの恋愛に焦点を置いたドラマであり、いわゆる天道寺英人サーガの一つであった。
「けったくそ悪いわ」
映助は気分を害して即座にチャンネルを変える。
そもそも、彼がシンディー達と協力して『英雄という名の偶像』を書く事にしたのも、これら天道寺英人サーガのせいであった。
サーガの先駆けとなったのは、日本のピラーが破壊されてから、たった二ヶ月後に発売された小説『聖剣使いの英雄伝説』であった。
日本を救った後、当時はアメリカのピラーを破壊して回っていた世界的な英雄の活躍が、間近で見て来たようなリアリティで描かれているという触れ込みで、一躍大ヒットとなり、最終的には世界中で累計六億部を突破した怪物シリーズ。
先程のドラマのように、漫画、映画、歌劇、ゲームと様々な派生作品を生み出して、今世紀最高の傑作などと言われているが、映助がそれを初めて読んだ時の感想はただ一つであった。
「ふざけんなやっ!」
新しい高校で出来た友達が、面白いと勧めてきてくれた本だったのに、我慢できず床に叩きつけたほどの憤怒であった。
それも仕方のない話である。何故なら『聖剣使いの英雄伝説』はノンフィクション、つまり事実や記録に基づいた、ほぼ現実通りの作品だと宣伝していたからである。
もちろん、ノンフィクションと言えども観測者による偏見や色眼鏡が入る以上、事実そのままにならないのは分かる。
しかし、それを差し引いてもあまりにも酷い出来だったのだ。
彼の親友である槍使いが、筋骨隆々で女性に暴力を働く悪役にされていたり、性格も口も悪い一年A組の女子達が、お淑やかで優しい乙女達として描かれていたり。
エース隊員達は天道寺英人が何をしても絶賛する、太鼓持ちキャラとしてしか描かれず、あの生徒会長・神近愛璃らしき人物が、亡くなった姉の方ならまだしも、弟の英雄に媚びを売るエロいキャラにされていたり等々。
少なくともエース隊員であったならば、百人中百人が破り捨てる内容であったのだ。
ちなみに、彼の戦友であるロリヤンキーに至っては、小説は無視していたのだが偶然ドラマの方を見てしまい、爆笑した後にブチ切れて液晶テレビを蹴り砕き、母親と大喧嘩になったらしい。
その軟派すぎる内容は、事情を知らぬ者達であっても、少し読書を齧った者であれば、首を傾げるものであった。
事実、「あまりにも嘘臭い」「主人公の持ち上げが鼻につく」「これはノンフィクションではなくファンタジーでは?」という真っ当な批判の声も上がっていた。
しかし、それらは全て大衆の熱狂によって、無残に磨り潰されてしまったのである。
現実として天道寺英人は長野ピラーを倒し、今も外国のピラーを破壊して世界を救っている。
ならば、どれほど夢幻のような話でも、これが真実に違いないのだと。
我々を救った英雄は、我々が信じた英雄は、この本に描かれているように、誰もが愛する素晴らしい人物に決まっているのだと。
特に姉譲りの美形に惚れ込んだ、女性ファンの情熱は凄かった。
ネット上で少しでも天道寺英人に対する否定的な発言をすれば、ボロクソに叩きまくり、身元を特定して晒し上げまで行ったらしい。
それに、テレビも新聞も雑誌も、全てのメディアが口を揃えて英雄を称えていた頃である。
世界中の空気が天道寺英人を、救世主の英雄を全肯定し、批判を許さない空気を生み出していたのだ。
勇気を出して反論できる者など、直ぐに居なくなってしまった。
それはエース隊員達も同じである。特高を去る前に、ここで見聞きした事を最低でも三年は口外しないようにと、秘密保持契約を交わしていたのもあるが、問題はそこではない。
元エース隊員である事が露見して、周囲からの反応が冷たくなるのを恐れたのだ。
人々を言う「エース隊? あぁ、英雄に頼りきりの情けない奴らね」と。
もちろん、全員がそんな悪意を向けてきた訳ではない、大半の人は彼らが自分達を守るために戦ってくれた、立派な者達だと褒めてくれるか、興味本位で特高の話を求めるだけであった。
しかし、人の心には常に他者を引きずり落とそうとする、暗い嫉妬が渦巻いている。
五千人に一人の確率で選ばれ、英雄と同じように幻想兵器を手にした特別な者達、普通の一般人だった自分より優れた人間。
そう分かっているからこそ、小さな欠点を見つけては、掘り返して貶さなければ気の済まない、そんな人種は確かに存在するのだから。
大勢からの賞賛よりも、極少数からの深い妬みを恐れて、エース隊員達はその過去を隠す者が殆どであった。
そして、もう一つの理由がある。
「う~ん、ここもダーリンだと分かってしまうデスね」
シンディーが神経質にエース隊員の文章である痕跡を消すのは、二〇三五年現在、『自称エース隊員の証言』ほど嘘扱いされるものは無いからであった。
『聖剣使いの英雄伝説』の三巻が発売された頃に、元エース隊員が書いたという『衝撃! 英雄の素顔』という暴露本が発売されたのだ。
映助がそれを読んだのは大分後になってからであったが、九割はデタラメであったものの、一割ほどは特高関係者でないと知らないような事が書かれており、少なくとも英雄伝説よりは読める代物であった。
しかし、出版して直ぐに作者が詐欺師として逮捕され、元エース隊員でなかった事がテレビや新聞で大々的に報道されたのである。
この事件により、自称元エース隊員の信憑性は地に落ちる事となった。
ある時、豊生が試しに幾つものプロキシサーバーを経由した上で、ネット掲示板に元エース隊員として書きこんだ時も、ボコボコに叩かれてしまったらしい。
今は再評価の機運が高まっているものの、それでも『エース隊員=役立たず』のレッテルを張る者は少なくない。
シンディーの考察によると、「一連の事件は政府の陰謀デス」との事であった。
先手を打ってエース隊員の信頼性を地に落とし、彼らが何を言っても信じて貰えない環境を作って、真相を封殺しようと目論んだのだと。
その意見に、映助は賛成も反論も出来なかった。
自衛隊を辞めて大学に入り直し、今は本物の教師となって、復興した長野で教鞭を取っている大馬なら、そんな汚い事はしないだろう。
京子や綾子のような美人も、そんな事をする筈がないと映助は信じている。
そもそも彼女達は、昏睡状態にあるCE被害者を目覚めさせる研究に没頭しているらしい。
豊生の話によれば、まだ確実ではないため公表はされていないものの、記憶喪失かつ五歳児くらいの精神状態ではあるが、回復した者もいるとの噂であった。
被害者とその遺族にとって、大きな希望となる研究に忙しく、くだらぬ陰謀に手を染める暇などあるまい。
しかし、それ以外の特高職員はどうか? エース隊員の顔も知らない政府の職員ならどうか?
数百人の子供達を踏み台にして、たった一人の特別を生み出す『機械仕掛けの英雄』計画。
真相が知れ渡れば英雄の名声は地に落ち、それを担ぎ上げていた現政権も多大なダメージを受ける。
そんな自己保身のために、功労者であるエース隊員の名誉を汚さないと、いったい誰が言えるだろうか。
もっとも、シンディーに言わせれば「殺害という最も確実な口封じを企まないなんて、日本政府は甘いデス」との事らしく、「ダーリン達を始末したら、何か不都合な事でも……自衛隊がクーデターでも起こす気デスかね?」などと不思議な事も言っていたが。
「おっ、そろそろ行くで」
映助は壁の時計を見てソファーから腰を上げる。
「HAI、今行くデス」
シンディーも作業を止めて、荷物を鞄に詰めて立ち上がる。
そうして、二人は泊まっていたホテルの外に出て、昼間の眩い太陽に身を晒した。
「ここもホンマに変わったな……」
無数の高層ビルが立ち並び、広い道路を全自動の車が行き交う光景に、映助は喜びと哀愁の混じった眼差しを向ける。
群馬県高崎市、十一年前のCE襲来によってほぼ焼け野原となり、五年前まではCEと戦う生徒達の学び舎・特高しか無かったあの地が、今や群馬県最大の都市である。
長野もそうだが、CEとの戦争で一度真っ新に破壊され尽くしたために、古い物を廃した最新の設計、技術が惜しみなく注ぎ込まれ、一気に発展を遂げたのだ。
それに、元の土地所有者はCEの手でほぼ全滅しており、国に所有権が移っていたため、立ち退き交渉などの面倒が発生せず、好きに都市計画を立てられたのも大きいだろう。
シンディーなどは「資金や資材はどこから……やはり英雄の件で、他国から巻き上げたデスかね?」と、お金の事をやたら気にしていたが。
姿を変えた街並みを感慨深く眺めながら歩いていると、一つのポスターが目に入ってくる。
「おっ、麗華先輩やんか」
そこに映っていた学生服姿の美男子――に見える美女は、かつての先輩である先山麗華であった。
高校を卒業後、演劇学校に入学して頭角を現していき、舞台役者としてはまだまだ新人でありながら、そのルックスと実戦仕込みの鋭いアクションで、女性を中心として高い人気を得ている。
「OH、クールな人デスね」
映助一筋のシンディーでさえ見惚れてしまうほど、ポスターの麗華は凛々しい表情を浮かべていた。
「これが屋上で号泣していた人とは思えんな」
彼女の黒歴史を思い出し、映助は苦笑しつつも演目を確認する。
それは彼の嫌いな天道寺英人サーガの一つ、『この剣に愛を込めて』である。
しかし、ポスターに映る麗華が持つのは剣ではなく、一本の無骨な槍。
そう、彼女は主役の英雄ではなく、悪役の槍使いを演じているのだ。
噂によれば、脚本家やファンから熱烈に主演の英雄役を望まれているのに、頑として断っているらしい。
そして、悪役でありながら見事な殺陣と、憂いのこもった演技によって、主演の英雄を超える人気を博しているのだそうな。
おかげで最近は、麗華の人気に引きずられる形で、槍使いを善玉寄りにするように脚本が改変されているらしい。
そのお陰で、『槍使い×聖剣使い』という妄想のはかどる本が増えてきたと、戦友の腐った巨乳娘が喜々として言っていた。
「まぁ、元気そうでエエけどな」
あの失恋を演技に昇華したのなら良いが、ひょっとしてまだ諦めていないのではと、少しだけ不安を抱く。
そんな事を考えながら歩き出したからだろう、前から来た女性と肩がぶつかってしまう。
「あっ、すんまへん」
「いえ、こちらこそすみませ――」
その女性は謝り返そうとして、映助の顔を見て驚いた様子で固まった。
「どしたんや?」
映助は訝しみ、相手の顔を改めてよく見る。
彼と同じ大学生くらいの歳で、黒い髪を肩口で切りそろえており、目立たない地味な服装をしているが中々の美人であった。
しかし、全く見覚えは無く、戸惑う彼とその恋人を見て、女性は愉快なモノを見たとでも言うように、口の端を三日月のように吊り上げて、チェシャ猫を思わせる意地悪な笑みを浮かべた。
「な、何やねんっ!?」
「いえ、何でもありません、失礼しました」
映助が怖気を覚えて退くと、女性は直ぐに笑みを消し、真面目な顔に戻って頭を下げると、スタスタと通り過ぎていった。
「……知り合いデスか?」
「いや、全く知らん」
少し嫉妬と猜疑を浮かべたシンディーに、映助は慌てて首を横に振る。
あんなピンクのツインテールなんて似合わなそうな、性格の悪い女に知り合いはいない。
「マジで何やったんや?」
訝しみながらも歩き出すと、ポケットの中からメールの着信音が響いてくる。
「今度は何やねん……おぉっ!」
愚痴りながらスマホを取り出した映助は、メールを開いて思わず歓声を上げた。
内容は『今からそちらに向かうであります』という平凡な物であったが、添付されていた画像が大迫力だったからである。
丈の短いスカートから伸びる太股が健康的で、見事な敬礼をしているブロンド髪の軍服美人。
普段のオドオドとした態度もどこへやら、電子の歌姫に扮してポーズを決める巨乳美人。
逆三角形を組み合わせた某所の建物を背に撮られた、見事なコスプレ写真であった。
おそらく、撮影したのは無理やり付き合わされたロリヤンキーであろう。
「いやいや、二人とも立派に成長したんやな~」
特に胸の辺りが、と鼻の下を伸ばした映助の耳が、横から思い切り引っ張られる。
「痛たたたっ!」
「……ダーリン、浮気は駄目ですよ?」
普段の変なイントネーションも消え、ただ真顔でニッコリと笑ってくるシンディー。
それが本気でキレる一歩前である事を、恋人の彼は良く思い知っていた。
「いやいや、違うて、これ昔の戦友やってっ! 懐かしんでただけやって!」
「はい、それならいいデス」
必死に説明すると、シンディーは笑って耳から手を離す。
しかしその目は「少しでも変な事を考えたら……分かっているデスね?」と静かな殺意を放っていた。
映助は愛の重さに戦慄しつつ、再び写真に目を向ける。
「しかし、これ……一樹たんか?」
軍服美人と巨乳美人に挟まれて、羞恥で真っ赤になっているゴスロリ少女――に見える男の娘。
「いったい何があったんや……」
あれだけ女の子扱いされるのを毛嫌いしていた彼が、どうして女装コスプレをさせられる事になったのか。
怖くて質問のメールを返す事も出来ぬまま、映助達は目的地に歩きつく。
そこはかつて、彼らが共に学び、汗を流した思い出の場所。
しかし、今は校舎も学生寮もグラウンドも、何一つ残ってはいない。
あるのは緑の草木と鮮やかな花々、噴水を囲むベンチには恋人や家族が腰かけ、子供達が走り回って遊んでいる。
ビルの谷間に作られた、公園という名のオアシス。
昔の面影が欠片もなく塗り潰されたそこを、映助は周りの人々とは対照的な、寂しげな顔で進んでいく。
そして、広大な公園の中央、かつて校舎が建っていた場所に辿り着いた。
全てが終わってからもう四年も経ったというのに、今も多くの人々が訪れて花を添えている。
英雄・天道寺英人の巨大なブロンズ像が立つ、遺体もない墓所に。
「……はっ、ホンマにムカつくスケコマシ面やわ」
周囲の人々に聞こえないよう、小さく呟かれた映助の声は、台詞に反して怒りはこもっていなかった。
聖剣使いの英雄・天道寺英人は長野ピラーを破壊した後、アメリカのピラーを破壊し、英国で生まれた新たな英雄・アーサー王二世や、米露中から生まれた英雄達と共に、世界中のピラーをたった一年で全て破壊した。
そして二〇三二年、南極の極大ピラーと相打ちになって死亡したのである。
ただ、それが世界中の国が作り上げた嘘だと、映助は既に知っていた。
英雄は殺されたのだ。ピラーを破壊し、CE戦争を終わらせ、世界平和を勝ち取って、だからもう用済みだと判断した人間の手によって。
周りに被害を及ぼさず、かつ封鎖して隠蔽しやすい南極大陸に呼び集めて、中性子爆弾という幻子装甲でも防ぎ切れない強力な、神話や伝説さえ超えた科学の光によって。
これは幾つもの情報からシンディーが推測した話だが、世界中を探せば同じ結論に至った者は何人も見つかるだろう。
ただ、くだらない陰謀論だと圧殺されるだけで。
各国の政府が口封じの工作を一々して回っている訳ではない、何も知らぬ大勢の無垢で無実な人々が、そう『認識』しているせいだ。
英雄は巨大な敵と戦って、我々を命懸けで守って死んだのだと。
その背景にあるのは欺瞞。自分達こそが『英雄の死』を望んでいたという罪悪感から、目を逸らしたいという疚しさ。
原子爆弾でもないと破壊できないピラーを、伝説の武器で破壊してきた英雄達。
つまり、英雄とは原子爆弾と同じくらい危険な兵器ではないのかね?
ピラーを破壊し終わった後、その力はいったいどこに向かうのだね?
誰もが口々に英雄を賞賛しながらも、本当は心の中で恐れていたのだ、次は自分達が英雄に滅ぼされるのではないのかと。
大なり小なり、人は生きていれば罪を犯している。
全く無実な者など、生まれたての赤ん坊くらいであろうし、それとて宗教によっては原罪を背負った罪人とも取れる。
誰もが怯えていたのだ。もしも英雄が天の裁きを下そうとしたら、自分達は地獄に落とされるのだろうと。
それに何より、最も恐ろしかったのは『不理解』である。
聖剣の力を振るい、人々のため昼夜を問わずCEと戦い続け、国境も超えて全てのピラーを破壊した正義のヒーロー。
素晴らしい人物だ、歴史に残る偉人だ、称えられる救世主だ。
それは疑いない。だが、どうして『無償の奉仕』が出来たのか?
人間は誰だって己が可愛い。何故なら、私は自分が一番大切だから。
なのに、自分の命を危険に晒してまで、赤の他人を救うために強大な敵と戦う。
分からない、理解できない、気持ち悪い、怖い。
そんな無意識の恐怖が、人々の胸にひっそりと生まれていたのだろう。
思い返せば、彼の親友が真っ先にそう評していたではないか。
――あいつは、怖いな……。
入学式、初めて発現させた聖剣の刃を、大勢の生徒達を巻き込むと知りながら、平然と振り下ろした未来の英雄に対して。
人々は親友のようにそれを口にはしなかった。けれど、口に出来ないほど根深く思っていたのだろう。
強大な力と不理解への恐怖、それに輝ける者への羨望と嫉妬。
混ざりあった大衆の思念は、いずれ一つの結論へと至る。
――ピラーを破壊し終えたら、死ねばいいのに、と。
そして、英雄達は人々の望むままに死んだ、人間の手で殺された。
だから、人々は溺れるほどの涙を流して悲しみ、今もこうして弔いの花束を捧げている。
自分達の闇から目を逸らすために。汚いのは陰謀を企んだ政府や組織であって、自分達は無知で無垢で無罪で、身綺麗な善人でいるために。
「何やろな……」
映助は気が滅入りながら、憎らしいイケメン面の像を見上げる。
英雄を殺した人々の潜在意識、シンディーはその自論を語った後、自嘲するようにこう言った。
――結局、戦争に勝ったのはCEでも英雄でもなく、『人間』だったんデスよ。
聞かされた映助としては、悲観が過ぎるというか、人間嫌いを拗らせすぎというか、いまいち納得しかねる話であったが、
ともあれ、英雄が人間の手で殺された事実は変わらない。
「あの時は、目に入る度に『死ね!』と思うとったけどな……」
本当に死んだ今となっては憐みさえ覚える。
「いや、感傷やな……」
映助は苦笑した。あの天道寺英人に同情を抱くなんて、五年前では想像もつかない事に
もっとも、あの頃から少しは大人になって、何より恋人ができて心に余裕が生まれたからこそ、こんな気持ちも湧くのだろう。
もしも、五年前のあの時に戻れたとしても、映助は間違いなくあのスケコマシを嫌い妬んだに違いない。
それに今だって、死者に鞭打つような暴露本の原稿を書いているのだ。彼に憐れむ資格などあるまい。
「せやけど、線香くらいはあげたるわ」
映助は物思いを振り切り、鞄の中に手を入れる。
そこで、献花に訪れていた親子連れの会話がふと耳に届く。
「パパ、アヤトは今どうしてるかな?」
「そうだな、カリファ王国で赤竜と戦っているんじゃないか?」
「すごい、アヤトすごいっ!」
小学校一年生くらいの男児が、父親の言葉にはしゃいで飛び跳ねる。
「何を言うとんや?」
「あれ? 知らなかったデスか?」
訝しむ映助に、シンディーは驚いた様子でスマホを取り出し、検索した画面を見せた。
それは神秘的なお城を背に、美しいお姫様を抱き、邪悪なドラゴンに立ち向かう聖剣使いの姿。
「先月からアニメも始まった『聖剣使いの英雄伝説・異世界編』の話デスよ」
「何やてぇぇぇ―――っ!?」
人が大勢いる公園だという事も忘れて、思わず大声でツッコンでしまう。
「異世界って何やねんっ! あのスケコマシがファンタジー世界に転移でもしたって言うんかっ!?」
「そうデス。南極の極大ピラー爆発に巻き込まれたさい、衝撃で異世界に飛ばされた天道寺英人の胸躍る冒険活劇なのデス」
「はあぁぁぁ―――っ!?」
シンディーの説明によると、元々は『聖剣使いの英雄伝説』のラストに納得いかない誰かが書き、ネット上に公開していた二次創作の類だったらしい。
実は死んでおらず剣と魔法の異世界に流れ着いた天道寺英人が、その聖剣で悪しき怪物を薙ぎ払い、数多の国を救いだし、大勢のヒロインと恋に落ちる壮大なバトルファンタジー。
それが大人気を博し、英雄伝説の作者公認で正式な外伝として書籍化、ついに漫画化とアニメ化もされて、ゲームの企画も動いているのだと言う。
「ふざけんなやっ! 現実であんだけモテといて、異世界で巨乳お姫様やスレンダー・エルフまでコマすとか、天が許してもワテが許さんわっ!」
「ダーリン、あくまで創作の話デスよ」
「作り話でもムカつくわ。大人しく死んどったら線香の一本もやろうと思うたけど、止めや止めっ!」
気分が悪いと、映助は英雄の像に背を向ける。
「えーっ、悲劇の英雄に救いを与える、夢のあるお話だと思うデスけどね」
残念そうな顔でついてくるシンディーを、映助は責めたりしない。
彼女が嘘でも生きていて欲しいと思っているのは、英雄本人ではなく、最期まで彼と運命を共にしたと言われる少女の一人であり、彼女の従姉、アメリア・フィリップスの事だと分かっているからだ。
同い年の従姉妹でありながら、内気で本を読むのが好きだったシンディーと違い、活発的で誰からも好かれたアメリア。
それに、シンディーの父はしがない会社員であったが、彼の兄であるアメリアの父親は米海軍の中佐というエリート。
親からして立場が違いすぎて、アメリアとは特に仲が良い訳ではなかったという。
それでも、従姉が英雄の横に立って凱旋した時は驚いたし、嫉妬もあったが心から祝福した。
そんなアメリアが死んだと言われたのだ。極寒の南極大陸で、英雄と共に戦って。
ショックを受けたシンディーは、改めて従姉の事を調べ始め、彼女が戦う事になった切っ掛けである特高への転校を知り、詳しい情報を求め日本に渡った。
そして、最大の情報源である元エース隊員を探すなかで、様々な偶然と奇跡が混じり合って、映助と知り合ったのである。
彼女の熱意に心打たれ、ついでに大きな膨らみに下心を掴まれた映助は、全面的な協力を約束し、自分の知る限りを教えた。
シンディーはその鋭い洞察力から、従姉や英雄の死が仕組まれた事だと悟り、真相を世間に広めようと決意する。
映助も英雄サーガが持て囃されている世間への不満があったので、秘密保持契約の三年が過ぎると同時に、彼女と共に調査と執筆を開始。
大学生活の合間に行っていたため、一年以上も掛かってしまったが、ようやく完成目前となったのが『英雄という名の偶像』であった。
英雄批判に満ちたこの本を、世に出せるのかという不安もあったが、元先輩であり社長令嬢である神近愛璃にインタビューをした時、父親のコネで小さいが気骨のある出版社を紹介して貰い、本として面白い物なら世間の圧力など気にせず出版すると、太鼓判を貰っていた。
それに、出版社の人が言うには、『聖剣使いの英雄伝説』を筆頭とした英雄賛美の作品は、そろそろ飽きられて売り上げが落ちているのだという。
「流行なんて三ヶ月も持たないこのご時世に、五年も流行ったんだから十分化物だよ」
とは担当となってくれた編集者の弁であった。
それを聞いた時、映助もシンディーも微妙な顔になってしまった。
世界を救った英雄・天道寺英人はもう、流行り廃りで流されるような、消費されるコンテンツと化してしまったのだ。
彼はまさに英雄という名の偶像、信仰の対象として崇め、憧れの男性として恋し、自己投影してその強さに酔う。
つまりは、快楽を得るための情報。
平和を生む兵器として利用され、死んだ後でさえ娯楽として消費されていく、なんて哀れな道化師。
「しっかし」
映助はふと立ち止まり、背後の英雄像を振り返る。
「お前は、何を考えていたんやろな」
思い返せば、彼は英雄・天道寺英人と話した事が一度もなかった。
いつも大量の女子を侍らせていたあのスケコマシと、好んで話したいと思う男子など居なかったから、仕方のない話ではあるが。
ひょっとすると、特高で天道寺英人と少しでも言葉を交わしたのは、一年A組の女子を除けば、彼の親友である槍使い一人だったのではないだろうか。
自分達エース隊員を踏み台にして生み出されたというのに、何も知らず陽気に笑っていたあの少年を、かつては激しく憎んだ事もあったし、今でも大嫌いである。
けれど、少しだけ思ってしまうのだ。
もしも、彼とちゃんと話をしていれば、何を思い考えていたのか、本人の口から聞けていたならば、この結末を変える事が出来たのではないだろうかと。
「……ありえんな」
映助は自嘲して笑う。彼が少し話した程度で、英雄の運命を変えられたはずもない。
それに、余計嫌いになって終わった可能性の方が高いのだから。
「さて、行くで」
感傷を振り切り、映助はシンディーを連れて公園を後にする。
夏休みの今日、高崎市を訪れた本来の目的、一年D組の戦友達と再会するために。
向かった先は、お隣の前橋駅とは比べ物にならないほど、大きく綺麗に新調された新高崎駅。
集合時刻にはまだかなり早かったが、真面目なあいつなら来ているだろうという映助の予想通り、その姿はあった。
変わり果てた高崎市のビル群を見上げ、都会の凄さに打ちひしがれている田舎者。
あの頃より身長も伸びて筋肉もつき、さらに逞しくなって頼りがいの増した背中を、今さら見間違うはずもない。
そして、彼の横には恋人の姿もあった。
セミロングだった髪を腰まで伸ばしており、全体的に柔らかみが出てきた体型といい、女性らしさが増している。
もっとも、ある一部分は五年前から全く変わっていなかったが。
懐かしいその姿に、映助は背後から忍び寄り――
「ようっ!」
と脅かすように肩を叩こうとして、手が空を切った。
「へっ……?」
唖然とする彼の首筋に、素早く背後に回った相手から手刀が突きつけられる。
「スリか、やはり都会は怖い所だな」
軽い溜息交じりに、そんなボケた事を呟く。
反射的に体が動いたのだろうし、一瞬で背後を取ったため、相手の顔も見ていなかったのだろうが、それにしてもあんまりな、そして相変わらずな反応であった。
そんな全く変わらない親友に対して、映助が言うべき台詞は一つである。
「何でやねんっ!」
万感の思いを込めた、渾身のツッコミ。
それを、親友は手でそっけなく払ったりせず、初めて胸で受け止めてくれたのだった。