第10話 授業
「俺達陽気なエース隊♪」
「…………」
「どうした、声出せ!」
「「「俺達陽気なエース隊!」」」
「よし、朝から晩まで走り抜く♪」
「「「朝から晩まで走り抜く!」」」
映画でおなじみの行進ソングのメロディーに乗せて、グラウンドを軽快に走る大馬の後を、D組の生徒達はやけくそ気味に叫びながら追いかける。
中学の時に運動部だった面々は、どうにか大馬の速度についていけたが、文系のクラスメート達は見る間に脱落していった。
「もう、ダメ……」
「し、死んじゃう……」
見るからに体力のない一樹や、胸が重くて辛そうな神奈などが次々と倒れ、グラウンドは死屍累々と化していく。
「諸君、別に休んでも構わんが、五十周を終えない限り教室にも寮にも帰さんぞ。深夜になろうと先生が付き合ってやるからな」
「……っ!?」
大馬の非情な宣告に、倒れた者達は悲鳴を上げる体力も惜しいと、ただ立ち上がってのろのろと歩き出す。
「お、鬼やこのゴリラ……」
テニス部(女子にモテたくて入った)で余裕のあった映助の呟きは、当然ながら鬼教師の耳に届く。
「余裕だな、お前だけあと十周追加だ」
「ひょっ!? 堪忍やでネアンデルタール先生!」
「よし、さらにおまけで三十周だ」
「ほんげーっ!」
奇声を上げる映助を見て、D組の生徒達は思った。
こいつ、ドMか?――と。
そんな一幕を挟みつつ、運動部だった生徒達はどうにかノルマをこなしていく。
「ラスト一周、ダッシュだ!」
「「「ひぃ~っ!」」」
悲鳴を上げ、痛む足に鞭を打ち、どうにか最後の一周を走り切る。
「よくやった、しっかり水分を取っておけよ」
大馬は完走した生徒達を労い、余裕の足取りで水汲み場からヤカン持ってくる。
「どんな体力してるのよ……」
「化け物ですね~……」
陽向と心々杏は溜息を吐き、もう一歩も動きたくないと座り込む。
「化け物と言えば、彼もよ」
呆れ顔で見詰めたのは、周回遅れ組を追い越していく二人。
息を切らせながらも律儀に追加の三十周をしている映助と、まだ余裕の顔で友につき合う宗次である。
「自分、何でそんな、平気やねん……?」
「慣れてるからな」
家の畑を手伝うか、祖父と槍の修行をするか、近所の子に付き合って山で遊ぶか。
学校で勉強をしている時以外、体を動かしてばかりだった宗次にとって、この程度はまだ準備運動の範囲であった。
「しかし、随分と優しい訓練だな」
「……自分、正気か?」
映助は冗談をぬかすなと顔をしかめるが、宗次はいたって真面目である。
「兵士の訓練としては、優しすぎると思うが」
「まぁ、確かにな……」
大馬の課したグラウンド五十周は、体力のない生徒にとっては地獄だが、元運動部の生徒にとっては少しキツイ程度。
血反吐を吐くほどの耐久レースでも、森や沼地のような不整地を走破させられるのでもない。
戦場へ送る兵士を育てる訓練としては、飴玉よりも甘すぎる。
「せやけどな、本当に優しいなんてのは、あんなんを言うんや!」
映助は疲れも忘れて怒声を上げ、校舎の横を指さした。
茶色い乾いた土ばかりなグラウンドの中で、唯一青々とした芝生が敷き詰められた一角。
そこでは、A組の生徒達がゆるくフットサルを楽しんでいた。
「行くぞ、音姫!」
「きゃっ、あんまり強く蹴らないでよ」
「英人君、次は私とチーム組みましょう」
本気で勝敗を決める気はない、和気あいあいとしたお遊び。
D組の汗臭い地獄とは正反対の、青春の甘酸っぱい天国がそこにはあった。
「しかも、何やあれはっ!」
「あれ?」
「よく見てみ、A組の生徒を!」
映助がどうしてこれほど激怒するのか、宗次は訝しみながらもA組の姿を改めて眺め、そして理解する。
天道寺英人以外、男子の姿が一人もなかったのだ。
つまり、他は全員女子の超ハーレム状態。
「ふざけんなごらあぁぁぁ―――っ! ここはテメエ専用のキャバクラじゃねえだよぉっ!」
「映助、関西弁!」
怒りのあまり標準語になる友の姿に、さしもの宗次も冷や汗を浮かべる。
「オーガ先生、あれはどういうこっちゃ!」
「大馬だ、惜しいが違うぞ」
「そんなんどうでもええわっ! 今すぐあのスケコマシの金玉を切り落とさんかいっ!」
ヤカンを配っていた担任教師にまで、キレた映助は噛みついていく。
しかし、大場はまったく取り合わない。
「優秀な生徒が女子ばかりだったんだ、A組に集まるのは当然だろう」
「そんな馬鹿げた話があるかいっ!」
「女子の方が幻想兵器の適正は高いんだ、ちゃんとデータもある」
「だからって偏りすぎやろがっ! うちのクラスなんて七割男子やんけっ!」
「男子は適正が低いからな、落ちこぼれを集めたら当然そうなる」
「せやけどな、せやけどなぁーっ!」
映助は血の涙を流さん勢いで、戯れるA組女子を指さし叫ぶ。
「全員美少女とか、確率的におかしいやろっ!」
そう、A組の女子は全員が全員、モデルやアイドルとして出しても恥ずかしくない、絶世の美少女ばかりだったのだ。
「あの極上メロン畑に比べたら、うちの女子なんて潰れたジャガイモやんかっ!」
「心々杏、左腕を押えて」
「うん、陽向ちゃんは右腕をお願いしますね~」
正直すぎる馬鹿の両腕が、少女達の手でロックされる。
「えっ、何や急に? まさか愛の告白っ!?」
「うん、ちょっとお話しましょうね~?」
どこまでも脳内お花畑な映助に、小柄な心々杏はニコニコと、それはもう黒い笑顔を浮かべ、校舎裏へと引っ張っていく。
気弱な神奈を除き、他の女子達も無言でそれに続く。
そして、完全に校舎の陰に消えたところで、凄まじい断末魔が鳴り響くのであった。
「本当に馬鹿だな……」
誰かの呟いた声に、残された男子達は揃って頷く。
宗次も友の死に合掌すると、改めて大馬の顔を見上げた。
「先生、今の話はどこまでが本当ですか?」
「うん? 何の事だ?」
映助の悲鳴がうるさくて聞こえなかったと、大馬はごく自然な笑みを浮かべる。
しかし、それが演技である事は、少しぎこちない瞳を見れば明らかであった。
「ほら、走り終わった者は早く教室に戻れ、授業はまだまだ残っているぞ」
「はい」
手を叩いてせかす大馬に、宗次もこれ以上の追及はせず、大人しく従う。
ただ、彼一人にだけ聞こえるよう、担任教師は小声で言い残した。
「あまり考えるな」
そこに警告の響きはなく、心配して引き留めようとする優しさが込められていた。
「はい」
だから、宗次はまた素直に頷き、校舎裏のボロ雑巾を引き取りに行くのだった。