最終話 英雄にならなかった槍使い
長野ピラーが破壊されて日本中が歓喜に湧き、世界中が英雄の誕生を祝うなか、特高の生徒達だけは浮かれた世間とは真逆の表情で、黙々と部屋の荷物をまとめていた。
エース隊の解散、そして特高の閉校が決まったからである。
そして二〇三一年七月十四日・月曜日、特高の閉校式が行われた。
怪我が重くまだ入院している者達を除いて、反乱を起こして軟禁されていた三年生達も含めて、全生徒が体育館に集合する。
ただ、一年A組の姿だけは無い。彼女らは今、宮中で最高の勲章・大勲位菊花章頸飾を親授されている、英雄の警護を行っているからである。
といっても、千影沢音姫など多くはまだ入院中であり、明日にも渡米する英雄にはついていかず、このまま任を解かれる事となっていたが。
また、普通の学校ならば来訪しているだろう、大勢の関係者達も姿を見せていない。
特高の関係者という事は即ち、『機械仕掛けの英雄』計画に賛同し許可を与えた者である。
真相が生徒達に知られた今、好んで憎しみを浴びに来るはずもなかった。
だから、演壇に上って挨拶を述べたのは、生徒会長の神近愛璃だけであった。
「皆さん、まずは今日という日が訪れた事を祝いましょう」
思わぬ言葉に皆は驚くが、愛璃は笑って先を続けた。
「特高がなくなり、仲良くなった友達と離れ離れになる、これはとても辛い事ですわ。けれど、もう私達が戦う必要がなくなった、誰も死なずにすむ平和が訪れたのですから、祝おうではありませんか」
兵士の仕事がなくなる、これほど素晴らしい事はないのだから。
ただ、その平和をもたらしたのは自分達ではない、ピラーを破壊した聖剣の英雄。
戦友達の顔にそんな卑下が浮かんだのを、愛璃は見逃さない。
「皆さん、胸を張りなさい」
優しくも凛とした声が、体育館の中に響き渡る。
「私達は英雄ではありませんでした。けれども、共に戦ったあの日々は、何一つ無駄ではなかったのですわよ」
英雄が成長するまでの時間稼ぎであろうとも、その後に英雄の引き立て役にされようとも。
彼らがCEを倒して、大勢の人々を守ってきたのは事実なのだから。
「誇りましょう、私達がエース隊だった事を、頼もしい友と出会えた事を」
たった一つの真相なんかで、共に笑い支え合ってきた日々を無駄にするなんて、それこそ二度と目覚めぬ眠りについた戦友達への冒涜だから。
「この二年間を、一年間を、三ヶ月を、きっと笑える日が来ますわよ」
全校生徒の前でフラれるなんて黒歴史も、との冗談に皆は笑い、イケメン顔の女子だけは顔を真っ赤にして怒る。
それにひとしきり笑ってから、愛璃は舞台袖に合図を送る。
すると、生徒会役員がお盆を持ってきて演台の上に乗せた。
お盆に積まれていたのは賞状ではなく、小さな水晶がはめ込まれた勲章。
英雄が受け取ったような立派な物ではなく、国から授けられた正式な物でもない。
特高の設立に関わった防衛大臣や幕僚長、それに教師達が金を出し合って発注した、詫びと感謝の印。
「皆さんの功績を称え、一人ずつ勲章を授与致しますわ。面倒とか言わず、ちゃんと取りに来て下さいね」
愛璃はまた冗談を言って皆を笑わせてから、順番に名前を呼んで、一人ずつ勲章を胸元に着けていった。
皆は自分の番を待ちながら、読み上げられる名前を胸に刻んでいく。
クラスや学年も違い、言葉を交わした事すらなくても、共に戦場を駆けた友を忘れないように。
勲章の授与が続く体育館を、綾子は校庭で自動車に腰かけながら眺めていた。
「行かなくていいんですか?」
意地悪な顔で訊ねてくる後輩こと京子に、綾子は苦い顔を浮かべる。
「私が行っても、場を盛り下げるだけだろうが」
出来る事なら、体育館に行って生徒全員に謝罪したい。
だが、それで晴れるのは綾子本人の罪悪感だけで、生徒達の気持ちは晴れたりしない。
折れた両腕にはまだギブスがはめられており、殴られた頬の腫れも消えきっていないのだ。
重傷の女に謝られた所で、責めるに責められず嫌な思いをするだけ。
「憎まれるだけの事をしたのだ、大人しく憎まれるしか、私に出来る事などないさ」
許して貰おうなんて甘えを吐く権利はない、それしか責任を取る方法が分からない。
不器用に背負い込む綾子に、京子は痛ましげな目を向ける。
だが、直ぐに笑みを作って話題を変えた。
「ところで、先輩はこれからどうするんですか?」
綾子の答えは簡素であった。
「自衛隊を辞める」
日本を救うという目標を達成した今、綾子にはもうやるべき仕事は残っていなかった。
情報操作担当の職員などは、これからさらに忙しくなるだろうが、他国や政治家のメンツを守るために一般市民を騙す仕事に、これ以上付き合う気力は残っていない。
月給四十万円にも、三佐の地位にも未練はない。しかし――
「私は、何をすればいいんだろうな……」
したい事が、するべき事が何一つ見つからなかったのだ。
この六年間、恋人を作る余裕もなく、急かしてくる政治家達を抑え、無能な味方に足を引っ張られ、子供達を騙している事に心を痛め、ただ日本を救うために計画を進め、終われば何一つ残っていなかった。
灰のように燃え尽きて、今にも風に吹かれて消えそうな綾子に、京子はわざと明るい声で告げる。
「じゃあ、私の手伝いをしてくれませんか?」
「お前の?」
綾子は訝しんで眉をひそめる。
防衛省・技術研究本部に席を移し、これからも幻想変換器の研究を続ける後輩に、科学者でもない自分が手伝える事などあるまい。
そう疑問を浮かべる綾子に、京子は用意していた資料を手渡す。
「一つ、どうしても進めたい研究があるんですけど、予算が下りるか心配なので」
「これは……」
資料を読み進めていき、綾子は絶句する。
それは、CEによって精神と記憶を奪われ、意識不明の昏睡状態に陥った被害者達を、目覚めさせようという計画。
今も世界中の医者が治療にあたりながら、解決の糸口さえ掴んでいない問題に、医術知識のない科学者が何を出来るというのか。
そんな疑問の答えを、京子は鞄から取り出す。
「奪われたモノなら、奪い返せるはずですから」
取り出したのは黒い腕輪、人の精神や認識を集めて力と換える幻想の変換器。
医術ではなく、まるで魔法のような科学の領域から、京子は眠れる人々を救おうというのだ。
しかし、研究の内容を聞いた綾子の顔は曇る。
「……無理だ、もう取り返すべきモノが残っていない」
CEによって奪われた精神や記憶は、全て長野ピラーに蓄積されていた。
そして、長野ピラーは英雄の聖剣によって跡形もなく消滅したのである。
情報は無へと帰り、こぼれた水は二度と盆に戻る事はない。
だが、それを分かった上で京子は諦めなかった。
「先生が前に言っていましたよ、こぼれた水はまた汲めばいいって」
とあるロボットアニメの受け売りだが、その言葉通り汲むべき水は残っている。
「本人の記憶が無くなっても、思い出は残っているじゃないですか」
刹那が亡くなっても、京子や綾子がずっと彼女を覚えているように、被害者の親兄弟や友人達が、思い出という記憶を残している。
被害者の人格を形成した、周囲の人々や環境だって残っている。
それらを繋ぎ合わせれば、失われた記憶や精神とて取り戻せるのではないか。
「……フランケンシュタインの怪物を生むだけではないのか?」
綾子の危惧も正論であった。どんなに人々の思い出を掻き集めても、本人が何を考え思ったのか、本当の心など分かりはしない。
皆が思う都合の良い人物、それこそ『世界を救う英雄』のような、歪なパッチワークの化け物が生まれるだけ。
「それでも、このまま目覚めないよりは良いはずです」
機械によって生かされて死ぬ事も出来ず、ただ残された家族の負担となり、いっそ死んでくれればと憎しみを育て続けるよりは。
危険でも、儚くても、奇跡を掴むために己の全てを捧げたい。
それが、京子に出来る唯一の罪滅ぼしだから。
「……そうか」
強く真っ直ぐな目で訴えてくる後輩に、綾子は負けを認めて溜息を吐く。
「で、私に何をしろと?」
「当てもない話ですし、政府のメリットは少ないですから、予算が下りてちゃんと研究出来るように、根回しをして欲しいんですよ」
「待て、私にそんな力はないぞ」
綾子は無茶を言うなと要求を遮る。
三佐といってもただの中間管理職だった彼女に、そんな権限やツテはない。
だから、京子は力となる遺品を鞄から取り出した。
「私宛てで実家に届いていたのが、昨日送られてきたんです」
そう言って、一本のフラッシュメモリを手渡す。
誰から送られてきた物かは、言わなくても彼女の表情を見れば分かった。
「あの男が……中身は?」
嫌な予感がして眉をひそめる綾子に、京子は悪戯な笑みを浮かべて告げる。
「政治家や大企業の要人を脅せるネタです」
長野ピラーが収集した二百万人以上もの記憶の海から、厳選した危険な情報がこの小さなメモリに詰め込まれているのだ。
「私にあいつの真似をしろと言うのかっ!?」
「はい」
驚き憤る綾子に対し、京子は怯まず頷いた。
この世には汚く倒されて当然の絶対悪など存在せず、白く綺麗な絶対正義もまた存在しない。
大人の彼女達はそれを知っている。己が清く正しい正義の味方だなんて、甘く幼い夢にはもう酔えない。
だから、何かのために別の何かを捨てて、手を汚してでも必死に伸ばすしかないのだ。
「手伝ってくれますか?」
懇願する京子の瞳には、研究意欲と罪滅ぼしの意識に加え、綾子を心配する気持ちがこもっていた。
燃え尽きて死を選びそうな彼女に、辛く困難な道を敢えて行かせる事で、生き甲斐を与えたいと。
だから、綾子は大きな溜息を吐いてから、苦笑して頷いたのだ。
「せっかく、美少年と悠々自適の隠居生活を送れると思っていたのだがな」
「相手も居ないくせに、寝言は大概にしてください」
そう冗談を言い合いながら、授与式も終了に近づいた体育館に背を向け、二人は自動車に乗り込んだ。
「ところで、あいつに何も言わなくていいのか?」
丸め込まれた仕返しとばかりに、助手席に座った綾子は意地悪な顔で訊ねる。
すると、運転席に座った京子は、苦い笑いを返すのだった。
「これ以上は甘えられませんよ」
その槍で数多の苦難を打ち破り、特高の生徒達だけでなく、刹那も、そしてきっと影山も救ってくれた彼女の英雄。
「さようなら、空知君」
歳の離れた想い人に、京子は気持ちも伝えられぬまま、ただ小さく別れを告げてアクセルを踏むのであった。
「よっしゃ、今日もバリバリ食うでーっ!」
閉校式が終わって涙で別れを惜しむ生徒達の中、一年D組の生徒だけは湿っぽい空気と反対に、元気よく気炎を上げていた。
この後、お別れ会としてすき焼きパーティーが控えていたからである。
前回の焼肉でやりすぎた反省からか、流石にお財布を大馬に頼ったりはせず、各自の支払いではあるが。
「スキヤキッ!? スシ、テンプラと並ぶジャパンのソウルフードでありますなっ!」
「シャロちゃん~、日本のソウルフードなら魔生物カニも忘れちゃ駄目ですよ~」
「か、カニはちょっと苦手です……」
一時期フラれたショックで落ち込んでいたシャロも、今はなんとか持ち直し、皆と明るく笑い合っている。
その横で、陽向はキョロキョロと目当ての人物を探していた。
「宗次君は?」
「兄弟なら屋上に行くと言うとったで」
「そっか、ありがとう」
映助に礼を告げ、特高を去っていく生徒達の列に逆らい、校舎の中に入って行く。
階段を駆け上がり、屋上へ続く扉を開けると、フェンスの前に立つ彼の背中が目に映った。
「何しているの?」
横に並ぶ陽向に、宗次は眼下の光景を見詰めたまま答えた。
「街の景色、覚えておこうと思って」
特高から少し離れて広がる前橋市の風景。
たった三ヶ月だが過ごし、彼らが命を賭けて守ったモノを、胸に刻んでおきたかったのだ。
故郷に帰ればもう来る機会はなく、そして戦争が終わって復興作業が始まるため、数年もすれば様変わりして二度と見られなくなるこの光景を。
「……そうだね」
陽向も少し寂しい気持ちになりながら、宗次と共に屋上からの光景を胸に焼き付けた。
街の傷が癒えて無くなるように、人々もいずれエース隊の事を忘れてしまうのだろう。
けれど、きっとそれで良いのだ。この街の人達にとってエース隊の名は、CE戦争とその被害を思い出させる存在だから。
現実となった幻想の兵器が、幻想の物語へと帰ったその時こそ、心から平和になったと言えるのだろう。
ただ、そう思っても一つだけ不満が残る。
遠くからでも分かるほど、前橋市の随所にかけられた横断幕。
そこには、この街から日本を救った英雄が生まれたのだと、派手な蛍光色でデカデカと描かれていた。
「商魂逞しいわね」
これから英雄誕生の観光地として、英雄まんじゅうやら英雄センベイやらも発売されるのだろう。
さらに目を凝らせば、英雄の通っていたこの特高を写真に残そうと、望遠レンズを構えている一般人の姿がいくつもあった。
ほんの数日前までは、CE戦争の危険な最前線として、マスコミさえなかなか近づいてこなかったのに。
自分達の苦労や苦悩も知らず、金銭目的や興味本位で浮かれる人々の姿を見ていると、深い溜息が自然とこぼれてしまう。
「あーぁ、みんなが宗次君の活躍を知らないなんて悔しいな」
フェンスに背中を預け、頬を膨らませる陽向の姿に、宗次は不思議そうに首を傾げる。
「何故だ?」
自分の事でどうして彼女が拗ねるのか、分からないのが唐変木呼ばわりされる由縁である。
相変わらずこういう所だけは鈍い宗次に、「そこが好きなんだけど」という言葉を呑み込んで、陽向は苦笑を浮かべ説明する。
「だって、宗次君は凄く活躍したじゃない」
人型CE、刹那CE、そしてピラー人間こと影山明彦。
どれも聖剣使いの英雄では倒す事が不可能だった強敵であり、野放しにすれば大きな被害を生んでいた。
それだけではない、戦死者さえ出した正二十面体を安全に倒せる戦術を編み出し、両刃剣型を相手に味方を無事に逃がして、黒檜山の谷底に隠れていた小型ピラーを発見し、協力狙撃型との戦いでも、彼の素早い判断がなければ多くの犠牲が出ていただろう。
槍使いは確かに、ピラーを破壊できるほどの力は持たなかった。
けれど、彼が居なければエース隊四百五十名余りは、もっと酷い事になっていただろう。
日本の総人口一億人と比べれば、二十万分の一にも満たぬ数だとしても、彼は確かに大勢の、そして自分達を救ってくれた英雄なのだから。
「なのに、みんなして口を開けば天道寺英人って、腹立つでしょっ!」
先日、特高が閉校するので実家に戻ると電話した時、父親に「天道寺英人君と仲良かったりするのかい?」と、余計すぎる邪推をされてカチンときていたのだ。
ただしその後、「あんな人よりもっと素敵な彼氏が居るからっ!」と反撃に嘘を叫んで電話を切り、自分の情けない見栄に悶絶したのだが。
そんな恥ずかしい過去はおくびにも出さず、膨れっ面をする陽向に、宗次は苦笑を浮かべた。
「別に、俺は気にしていない」
誰かに褒められたくて戦った訳ではない。自分の意思で戦った結果、たまたま少しばかり成果を出せただけなのだから。それに――
「俺は、英雄になれない」
「どうして?」
こんなに強くて、あんなに活躍したのにと、陽向が疑問と不満を浮かべる。
その問いに、宗次は上手い説明の言葉を探し、考え込みながらも答えた。
「俺は、戦いたくて戦った」
空壱流の技を惜しみなく振るえる事が嬉しくて、ただ戦士として槍を振るった。
故郷の祖父母や隣人、特高の仲間達を守りたくて戦場を駆けた。
「だがこれ以上、戦いたいとは思わない」
顔も知らない遠い異国の人々まで救おうと思えるほど、彼は聖人でもなければ自惚れ家でもなかった。そしてもう一つ。
「満足してしまったからな」
武術の粋を集めた達人と戦い、才能の結晶である少女と刃を交え、虚無を抱えた男と同じ技をぶつけあった。
その中で奥義・無ノ一を会得し、ついに流派の極め『空』に触れた。
彼一人の力ではなく、ベルト型変換器の欠片を通して、彼女が手助けをしてくれたお陰だとしても、ほんの一瞬、全てが『無く』て『有る』という森羅万象、根元に触れた感触は今も残っている。
仮に外国へ出向し、CEと戦い続けたとしても、人間と命の奪い合いになったとしても、あの時を超える充足を覚える事はないだろう。
そして、己の魂も積み上げた技も、全てを賭けて挑まねば勝てない強敵と出会える事も。
「俺は、戦闘狂にはなれない」
命のやり取りに快楽を感じるほど、壊れてはいなかった。
「兵士にもなれない」
金や愛国心のため、忠実に命令をこなす道は歩けない。
「俺は結局、ただの槍使いだった」
自分のために槍を振るうのが楽しい、それだけの存在。
「そして、英雄になるには足りなかった」
「何が?」
真っ先に浮かんだのは力だが、聖剣使いと種類が違うとはいえ、彼も十分な力を持っているはずである。
首を傾げる陽向に、宗次は真顔で答えた。
「鈍感さ」
「……えっ?」
それはひょっとしてギャグで言っているの?
そんな内心が表情に出ていたのだろう。陽向の顔を見て、宗次は苦笑しながら付け加えた。
「愚直なくらい自分の道を突き進めないと、英雄にはなれないのだと思う」
自分が英雄として山の頂に立つために、いったいどれだけの者を踏み台にしてきたのか。
振り返って心を痛めるような者に、英雄となる資格はない。
自分の成した事が正しかったのか、迷って足を止めるような者にも、やはり英雄となる資格はない。
理解した上で踏み越える胆力か、それとも何も見ずに済ます天然の狡猾さか、多少の違いはあるけれども、英雄には鈍感さが必要なのだ。
聖剣使いの英雄はそれを持っており、宗次はそれを持ていなかった、それだけの話。
「だから、俺は英雄にはなれない」
そして、なりたいとも思わない。
言い切る宗次に対して、陽向は少しだけ納得して頷いた後、直ぐに疑いの眼差しを向けた。
「でも、宗次君は十分鈍感だと思うけど」
自分の気持ちに気付いてくれなかったしと、また頬を膨らませて拗ねると、宗次は不服そうに首を横に振った。
「そんな事はないと思うが」
「いやいや、鈍感だって」
「じゃあ、証明しよう」
「えっ?」
不意に真顔となった宗次が、驚く陽向の頬を両手で優しく挟む。
そして、ゆっくりと顔を近づけていき、お互いの唇を重ね合わせた。
風の吹く屋上から音が消え、二人の心音だけが混ざるように響き合う。
「…………」
長い一瞬が過ぎ、いつの間にか唇が離れても、陽向は頬を真っ赤にしたまま、何も言えず立ち尽くしていた。
そんな彼女の肩を掴んで、宗次は自分の気持ちを告白する。
「平坂陽向さん、貴方の事が好きです」
幼馴染のような特別な関係はない、出会ってたった三ヶ月の付き合い。
けれど、最初から最後までずっと、一番傍で自分を見ていてくれた人。
共に笑い合い、馬鹿をする自分を否定したりせず、困った顔をしながら背中を押してくれたのが、本当に嬉しかったから。
「俺と結婚して下さい」
ずっと傍に居て欲しいと、心から思ったのだ。
「学生で、仕事にも就いていないから、今直ぐにとは言えないけれど」
「…………」
宗次が告げたのがプロポーズだと、頭では理解しながらも、陽向は何も返事を言えない。
出来たのは、大粒の涙を零して、弱々しく彼の胸を叩く事だけだった。
「バカ、バカ……っ! 私、ずっと言えなくて……何でこんな、簡単に……っ!」
驚いて、嬉しくて、悔しくて、やっぱり嬉しくて、混乱と羞恥で頭も頬も沸騰させながら、彼の胸にすがり付く。
「勇気を出して、今日こそはって……何で先に言っちゃうのっ!?」
「ごめん」
理不尽に怒られても、宗次は胸を貸したまま、ただ謝るしかなかった。
そうして、陽向が落ち着くのを待ってから、真顔で問いかける。
「答えは」
「えっ?」
「答え、聞かせて欲しい」
まだ返事を聞かせて貰っていないと、生真面目な顔に少しだけ不安を浮かべて見詰めてくる。
そんな宗次に、陽向はキョトンと目を見開いた後、腹を抱えて笑った。
「あはははっ! ほら、やっぱり鈍感じゃない」
「そうだろうか?」
少し不満そうな表情をする彼を見て、陽向はまた声を上げて笑う。
キスをしておいて、こんな彼女の反応を見ておいて分からないなんて、確かに鈍感と言われても仕方ない。
いや、本当は分かっているけれど、それでも言葉にして聞かせて欲しいと思うくらい、彼も緊張しているのだろう。
それが愛おしくて、陽向もようやくその言葉を口にする。
三ヶ月の間、ずっと秘めていた気持ちを、これからもずっと伝え続ける想いを。
「私も宗次君のことが大好き」
そう告げて、言葉だけでなく態度でも示すために、今度は自分から背伸びをして、彼と唇を合わせるのだった。
二〇三一年七月十四日・月曜日、特高の閉校と共に、英雄になれなかった槍使い・空知宗次の戦いは幕を閉じた。
けれども、彼と平坂陽向の二人が紡ぐ長い物語は、ここから始まるのであった。