第104話 無と空の狭間で
先に動いたのは影山の方であった。
十mもの距離を一歩で詰め、身の丈を超す大剣を袈裟懸けに振り落としてくる。
人外の怪力から繰り出されるその一撃は速く重く、人間に防げるものではない。
しかし、予備動作が大きく早さがなく、鍛え上げられた鋭さもない。
(遅い)
宗次は前に出て下を潜るように刃を避けながら、影山の横を通り抜けざまに短く握った蜻蛉切を突き出す。
空壱流槍術・横胴貫
槍は見事に結晶の横腹を貫通する。
だが、痛みを知らぬピラーの体は全く止まらない。
「ふんっ!」
影山は腹に刺さった槍も気にせず、力任せの薙ぎ払いを放ってくる。
宗次は咄嗟に蜻蛉切を離し、仰け反って大剣を避けると、そのままバク転をして距離を取る。
そして、右手で変換器のスイッチを押して蜻蛉切を消しながら、左手にもう一つの槍を呼ぶ。
「二重化」
現れた短槍を、宗次は振りかぶり投げ放つ。
胸のコア目がけて迫る槍を、影山は咄嗟に左腕を盾にして防いだ。
その僅かな間に、宗次は再び蜻蛉切を呼び出す。
「武装化」
短槍が邪魔して反撃が遅れた影山に向けて、怒涛の三連突きを放つ。
空壱流槍術・絶三段
心臓、喉、眉間を狙って放たれた攻撃のうち、影山はコアに近い心臓への攻撃だけは右腕で防ぐが、それ以外はまともに受けた。
首と眉間に空いた大穴は、普通の人間であれば即死の傷、人型CEでも動きが鈍ったであろう損傷。
しかし、影山は笑みを絶やさぬまま、反撃の大剣を見舞う。
「……っ!」
宗次は咄嗟に蜻蛉切の柄で受け止め、あえて衝撃に逆らわず吹き飛ばされる。
土埃を上げながら距離を取り、素早く構え直す彼を見て、影山は賞賛の笑みを浮かべた。
「いやはや、本当に強いね」
首に空いた穴から声を出しながら、余裕の表情で腕に刺さった短槍を抜き捨てた。
前腕に空いたその穴だけでなく、横腹、首、眉間に負った槍傷が全て、瞬く間に塞がっていく。
影山はCEではなく、それを無尽蔵のごとく生み出す、膨大なエネルギーの塊であるピラーなのだ。この程度の損傷は何万回とて直せるだろう。
(やはり、コアを狙うしかないか)
それは最初から予測されていた事であり、だから宗次も囮の攻撃を混ぜつつコアを狙ったのだ。
だが、相手も己の弱点は良く分かっており、コアへの攻撃だけはどうせ治る手足を盾にして防ぎ切った。
刹那CEのような絶望的な強さはないが、厄介な相手ではある。
どうやって急所への一撃を加えるか、技を組み立てる宗次の前で、影山は不意に大剣を手放した。
「あの子の真似をしてみたが、上手くはいかないものだね」
当然の話であろう。刹那の剣は生まれ持った才能による天賦の技。
形だけ真似した所で、彼女の繰り出す変幻自在の鋭い攻撃は再現できない。
影山の剣は力が強いだけの素人剣法であり、宗次が相手ではまぐれ当たりすら起こり得ない。
准教授もそれを痛感したのであろう。だからこそ、大剣の代わりに新たな武器を生み出す。
「甚だ不本意だけれど、これしかないようだ」
掌から長く細い結晶の棒が現れる。
その先は鋭く尖り、ただ敵を突き貫く武器・槍と化した。
「貴様……っ!」
何の真似か察し、驚きと怒りを浮かべる宗次に向けて、影山は一足で距離を詰めて、天高く掲げた槍を振り下ろす。
槍で行える『叩く、払う、突く』という全ての方法を、『上、横、前』という全ての方向から浴びせる連続技。
空壱流槍術・全方撃
まるで鏡でも見せられたように、己と同じ鋭さでもって放たれた技を、宗次は辛くも受け流し、避け切る。
だが、回避のために足が止まった彼に向けて、影山はさらなる追撃をしかける。
爆発するような勢いで大地を蹴り、宗次を追い越しながら回転して槍を薙ぎ払う。
背骨を叩き折りにきたその攻撃に対して、宗次も咄嗟に同じ技で応じた。
空壱流槍術・柳風車
遠心力の乗った二本の槍が、空中で激しくぶつかり合う。
技の鋭さが全く同じならば、単純に馬力の高いほうが打ち勝つのが道理。
結晶の槍に負けて、蜻蛉切はあっさりと打ち払われる。
だが、それも織り込み済み。宗次は弾かれた勢いに逆らわずむしろ利用して、槍を一回転させて突きを放つ。
我流・虚実転身
元は正二十面体型を倒すために編み出した反撃技。しかし――
「知っているよ」
影山は虚を突かれる事なく、僅かに体をズラして敢えて左肩に蜻蛉切を受ける。
そうして宗次の槍を封じながら、前に進んで蹴りを放った。
「くっ……!」
宗次は咄嗟に両腕を交差させて防ぐが、まるでトラックにでも撥ねられたような衝撃を受けて吹き飛ぶ。
校庭を跳ねるように転げ回ってから、急いで飛び起きる彼に、影山は余裕の笑みを浮かべるだけで追撃を加えなかった。
「自分の技で死ねるなら、本望だろう?」
獲物の前で舌なめずりをする三流の行為であったが、その技は確かに一流であった。
宗次がCEを相手に繰り出し、長野ピラーが蓄積していたその情報を騙し取り、寸分違わず再現しているのだから当然である。
天才の勘で繰り出される刹那の剣とは違う、誰でも学べるよう体系化され、まるでプログラムように最適化された武術だからこその完全コピー。
(どうする……?)
宗次は蜻蛉切を一度消し、再び手元に呼び出しながら、心の中で自問する。
まだCE相手に見せていない技は残っている、二重化による短槍も、幻子集中拳という手も残っている。
しかし、どれも徹底して防御されればコアには届かず、コアさえ無事なら相手は何度でも再生してくる。
持久戦になれば押し負ける。だからこそ、至高の一突きによってコアを貫くしか勝つ道はない。
(……やるか)
宗次はあの時と同様に覚悟を決め、槍を構えながらも全身を脱力させていく。
無の拍子にて繰り出される、最短最速の奥義。
だが、それを見た影山は、笑いながら全く同じ構えを取った。
「残念ながら、それも知っているよ」
空壱流槍術奥義・無ノ一
宗次の持てる最強の技さえも、ピラー人間は完全にコピーしてみせると示したのだ。
このまま奥義がぶつかり合えば、結果は一つしかない。
防御も回避も不能な一突きで、互いの心臓とコアを貫かれての相打ち。
だが、その結果を理解しながらも、影山の顔には恐怖が無い。
元より感情など希薄であり、自分を含めて人の命になど欠片も執着が無いのだ。
大国への復讐として、英雄を殺して希望を奪うという目的さえも、絶対に達成するという拘りは無いのだろう。
他に成すべき事も無いから、ただ機械的に計画を実行していただけ。
何も無い、ある意味でオリジナルよりも完璧な虚無の技。
まるで吸い込まれそうな死の槍を前に、宗次の背中には小さな震えが走る。
(怖い、か……)
彼は初めて死に怯えていた、命を惜しんでいた。
三ヶ月前ならば恐怖など感じなかった。銃弾の飛び交うこの時代に、無用の長物と言われた槍を振るえる事が嬉しく、戦いに殉じられる事が誇らしかったであろう。
けれど、今は死にたくない、生きていたい。
自分が死ねば悲しむ人が居るから、泣き顔ではなく笑顔を浮かべて欲しいから。
全てを失った空っぽの無にはなれない、何にもこだわらない悟りも開けない。
それでも、無様にみっともなく生き残るために、ここに『有る』と叫ぶために、死を『無』へと返す一撃を構える。
(何だ、これは……?)
影山は目の前の少年を包む風景が、腰に着けたベルト型幻想変換器を中心にして、茶色い校庭と白い校舎から、一面の青に変わったような幻影を見て我が目を疑った。
どこまでも深く済んだ海、その色を映す晴れ渡った空。
青い空には何も無い、どこまで行っても空っぽ。
けれど、確かに有ったのだ。この世に生を得た全ての人々の精神、意識の海から照り返された鮮やかな『色』が。
空っぽでありながら色を持った、矛盾すら内包した世界。
そこに、彼女は居た。
「――――」
その笑みに、声も出せず見惚れた僅かな間、それが勝敗を分けた。
二人は全く同じ瞬間に、同じ無の拍子で突きを放つ。
だが、影山の繰り出した無ノ一は、七十五分の一秒だけ完全な無には足りなかった。
そして、宗次の放った槍は、無でありながら空っぽではない、己の全てを込めた一つの突きであった。
陰と陽、相反するモノが調和した、無も全も内包した根元の一。
空壱流極・空一色
繰り出された蜻蛉切の穂先が、向かってきた結晶の穂先を捉える。
銃弾と銃弾を撃ち合わせるよりも精密な、ミクロのズレさえ許されぬ極限の一突き。
何の特殊な能力もなく、ただその鋭い刃で主の敵を屠り続けた槍は、結晶の槍を真っ二つに切り裂き、そして七色の光を放つ胸のコアを貫いた。
「…………」
声もなく固まる影山の前で、宗次は静かに蜻蛉切を引き抜く。
中心に穴を穿たれたコアは、直ぐに砕ける事こそなかったが、血が流れ出していくように光を失っていき、もう活動を停止していた。
そんな、消滅が定まった准教授の元に、校舎から一人の女性が歩み寄ってくる。
彼の元教え子、保科京子であった。
「影山先生」
「…………」
彼女の呼びかけにも、影山は答えず固まり続ける。
それでも、京子は伝えるべき事を口にした。
「天道寺英人君の変換器に、安全装置はついていません」
回路を爆破する事で、英雄という大量破壊兵器を止める、そんな物は搭載されていなかった。
つまり、影山の計画は最初から破綻していたのだ。
「……何故だい?」
京子がその事を黙っていたのは、明かせば影山がこの場から去り、別の手で英雄を殺そうとするからそれを防ぐためと分かる。
しかし、英雄を野放しにするなんて、危険すぎる決断をした意味が解せない。
疑問の目でようやくこちらを見た影山に、京子は悲し気な顔で答えた。
「綾子先輩と相談して決めたんです。もしも、彼が私達を殺すというのなら、それを潔く受け入れようって」
人々の希望や願望、『英雄はこうあるべきだ』という認識の結晶となった英雄・天道寺英人。
それは即ち、人類全体の総意と言える存在。
だから、世界中の人間が『機械仕掛けの英雄』計画を否定するなら、英雄に塗りつぶされずに残った少年の心が、汚い大人達の粛清を望むなら、それを甘んじて受け入れるべきだと。
「彼を英雄に仕立て上げた私達が、今さら綺麗ごとを言うなと分かっています。これが大勢の人を危険に晒した、自己満足にすぎないとも分かっています。それでも……」
権力者の勝手な都合で殺された姉のように、その弟までも自分達の都合で殺すなんて真似だけは、どうしても許せなかったのだ。
「そうかい……」
影山はそう言って、納得したように笑った。
作り物めいた紛い物ではない、五年ぶりであろう本物の笑みを。
「この世界には、僕の予想もつかない事が、まだ沢山あったのだね……」
もって生まれた天才的な頭脳で、ピラーの体となって無限のごとき情報を得た事で、世界の全てを知った神様気分になっていたが、そんな事はなかったのだ。
醜く汚く無価値な人類は、いつだって眩く綺麗に輝いて、驚きに満ちていたのに。
そんな事は、あの子と出会った時に気付いていたのに。
失った悲しみに耐えられず、空を真っ黒に塗り潰していたのは他ならぬ自分だった。
それだけの事に、影山は今の今まで気付けなかったのだ。
「僕は馬鹿だったのか……」
幻子を発見した時よりも、素晴らしい事に気付いたと、影山は声を上げて苦笑した。
その時、西の空から眩い閃光が迸ってくる。
まるで太陽が落ちてきたようなその光は、英雄がピラーに勝利した証。
「あぁ、もっと知りたかったな……」
科学の神秘を、宇宙の果てを、人間の事を、あの子の事を。
それが、数百名の子供達を踏みにじり、一億の日本人を救う研究と計画を達成した男の遺言となった。
乾いた音を立ててコアが砕け散り、全身の結晶が砂のように崩れて風に飛ばされていく。
「さようなら、先生」
京子は恩師のために一つだけ涙を零し、宗次も無言で目蓋を閉じた。
二〇三一年七月九日・水曜日、午前八時五十三分。
長野ピラーが破壊され、六年間も続いた日本とCEの戦争は終結した。




