第103話 決戦
二〇三一年七月九日・水曜日、午前七時十二分。
刹那CEの襲撃以来、実に十五日もの間、沈黙を貫いていた長野ピラーが動き出した。
その七色に光る巨大な体躯から、決壊したダムのように無数のCEを吐き出したのである。
六角柱型に始まり、正二十面体型、両刃剣型、そして巨大構造物型と、今まで現れた多様な結晶体が十万にも及ぶ大軍となって、四方八方へと進軍を始めたのだ。
綾子からの報告により、決戦の準備を進めていた自衛隊は即座に出撃を開始。
六年前の開戦時と同じく、陸海空の全戦力を総動員してCEの迎撃に向かう。
それと同時に、英雄・天道寺英人へ長野ピラーの破壊が命じられた。
幻想兵器『ヘルメスのサンダル』で大空へと飛び立つ英雄を余所に、地を歩くエース隊の面々は装甲車に乗り込んでいく。
しかし、その数は百名にも満たなかった。
「みんな、来ませんね」
学生寮の方を窺い、一樹が何とも言えぬ複雑な表情を浮かべる。
特高の真実が暴露された反乱事件から丁度一週間が経ったが、その心に負った傷はまだ治り切っていなかった。
教師達やその背後にいる自衛隊、政府への不信感から、戦意を失ってしまった者。
そして、自分達が特別にはなれない凡人だと、現実を突き付けられて心が折れて、または現実を受け入れて大人になったために、幻想兵器を生み出せなくなった者。
最後の決戦を前にして、出撃拒否や出撃不可能となった彼らを、責められる者はいない。
それに、迫るCEの大半は英雄が聖剣で薙ぎ払い、討ち漏らした敵も第1戦車大隊を中心とした自衛隊が撃破する手筈となっている。
出撃こそするが、エース隊が戦う可能性はまずなかった。
それでも一年D組と三年A組は全員が装甲車に乗り込み、他の最後まで心が折れなかった生徒達も、続々と装甲車に乗り込んでいった。
そんな中で宗次だけは一人、校庭に残り皆を見送っていた。
「兄弟、乗らんのか?」
「あぁ」
映助の問いにただ頷き返すだけで、理由は語らない。
共に戦い続けた三二分隊の仲間達には、それだけで十分であった。
今更、彼が怖気づいて戦いから逃げるはずもない。
彼が残り相手をせねばならないほどの敵が、この特高に現れるという事。
自衛隊も居る前線に出ていた方がむしろ安全、だから宗次は何も言わず皆を見送るのだ。
陽向もそんな彼の気遣いを理解していたから、ただ笑って背中を押す。
「行ってらっしゃい」
頑張れ、負けないでと重圧をかけるのではなく、ただ彼の決意を受け入れて、精一杯の応援を送る。
「あぁ、行ってくる」
宗次も笑って彼女の気持ちに応えた。
出撃する者と残る者が交わす挨拶としては、不適当だったかもしれないが、自分達には一番似合いの激励として。
そうして、出発した装甲車を見送る宗次の元に、目の下にクマを作った京子が駆け寄ってきた。
「空知君、これ、ギリギリになってしまったけれど」
差し出されたのは刹那CEとの戦いで破壊された、ベルト型幻想変換器の片割れ。
反乱事件の後始末などが忙しかったのと、中心部の加工に時間が掛かったため、今の今まで修理が伸びてしまったのだ。
「ありがとうございます」
宗次は礼を言って受け取った瞬間、ハッと目を見開いた。
変換器を通して伝わってくる、深く澄んだ海のような、穏やかで温かな波長。
「これは、まさか……」
「えぇ、あの子のコアを使っているわ」
宗次が自らの手で砕き、掌に残ったコアの結晶。
CEになっても最後まで人の優しさを忘れなかった、天道寺刹那の欠片が組み込まれていたのだ。
「…………」
宗次が無言で見詰める幻想変換器の中にはもう、彼女の心は残っていない。
それでも、京子は彼に託したかったのだ。
「あの子も、先生に言いたい事が沢山あるはずだから」
そう言って、涙を堪えるように苦笑した。
「……ありがとうございます」
宗次はもう一度礼を告げ、バランス調整用に着けていた左側の重しを外し、刹那の欠片がこめられた変換器を着ける。
そうして準備が整い、京子が指揮所に戻った後、宗次は無数の汗を流してきた校庭に立って、青く晴れ渡った空を見上げた。
「懐かしいな」
思えばここから全てが始まった。
幻想の槍を手に、聖剣の光を放つ少年と対峙したあの日から、まだ三ヶ月しか経っていないというのに、既に懐かしく感じるほど濃い毎日であった。
笑い、学び、戦い続けた特高での日々も、今日が事実上の幕引きとなるだろう。
「楽しかったな」
槍使いとして技を振るえた事が、終生の友を得られた事が。
CEとなった少女をこの手にかけた事、仲良くなった先輩や転校生を泣かせてしまった事と、辛い思い出も生まれたが、それも含めてここに来て良かったと心から思える。
だから、そんな己の全てを無にせぬため、宗次は現れた男に挑むのだ。
「来たか、影山明彦」
「来たとも、空知宗次君」
堂々と正門から歩いてきた准教授と、宗次は校庭で真向から向き合った。
「京子君に会わせて貰えるかな?」
教え子との再会を楽しむとでも言うように、笑みを浮かべる影山に、宗次は蜻蛉切を構えて答えとした。
「行かせると思うのか」
「おや、それは残念」
影山は白々しく肩を竦めながら、校舎に向かって声を張り上げる。
「京子君、聞こえているだろう? 『英雄』の翼を取り上げる鍵を、大人しく渡してくれないかな」
校舎からの返答はない。だが、影山はその存在を確信していた。
「あんな大量殺戮兵器を使おうというんだ、最後の安全装置は当然用意しているだろう?」
ピラーを破壊するために造り出された英雄が、とち狂って人間にその刃を向けた時、速やかに力を奪って止められるように。
かつて、彼が幻想変換器を開発して、最初の使い手に与えた時も、停止コードという形でそれは存在していた。
しかし、それを悪用されてかけ替えのない少女を失ったために、その弟が使う変換器には停止コードが一切設定されていない。
そのため、誑かされてピラーに向かった時なども、止める事が出来なかったのだ。
だが、それはあくまで停止コードだけの話。
「変換器の中に一gもプラスチック爆弾を仕込んでおけば、それで済む話だからね」
内部の回路を吹き飛ばし、幻想変換器がその機能を失えば、『英雄』もただの思い込みが激しい少年に戻る。
あとは翼を失い重力に引かれ、無様に潰れて終わるだけ。
そんな起爆装置を、停止コードとは別に用意している筈なのだ。
二度と刹那の悲劇を繰り返さないよう、防衛大臣や幕僚長にも秘密で、ひょっとすれば綾子すら知らない、制作者の京子だけが把握している最終安全装置が。
「使うのは長野ピラーを破壊した後だ、それは保証するよ。それに、君とてあの子を殺した奴らが、あの子の弟に救われるなんて真っ平ごめんだろう?」
五年前の暗殺を企んだ連中など、保身のために一人の少女を殺した醜い人間共など、CEに蹂躙されて死に絶えればいい。
暗くおぞましい、だが心惹かれる提案にも、校舎から返事はなかった。
「仕方がない、無粋だが力尽くといこう」
大して残念がる様子もなく、影山はずっと身に着けていた白い手袋を外した。
その下から現れたのは、肌色の皮膚ではなかった。
ガラスのように硬質な輝きを放つ、青く透き通った結晶体の指。
「やはりか」
驚きもしない宗次の前で、准教授は白衣ごとシャツも破って脱ぎ捨てた。
現れた逞しい上半身も、彫りの深い日本人ばなれした顔も、肌色の偽装を解いて半透明の結晶体に変わっていく。
そして、胸の中心から丸い球体、人外の象徴たるコアがせり出してくる。
しかし、それは人型CEや刹那CEと良く似た形ながら、色は全くの別物だった。
虹のように鮮やかで、油膜のように不気味な。
それは人類の敵たる巨大な柱だけが放つ、七色の光彩。
「人型ピラー」
「ご名答」
影山は硬い結晶の掌で拍手を送りながら、虹色に変わった両眼を開く。
「何時からだ」
「八年前からだよ」
宗次の問いにもあっさりと答えた。
二〇二三年、ピラーが出現する二年も前から、この男は生身の肉体を捨てて結晶生命体となっていたのである。
「僕は山登りが趣味でね、休日には日本の様々な山を登ってきたのだけれど、長野県の鉢伏山に行った時、偶然出会ったのだよ」
岩の合間から生えていた、全長二mほどの美しい結晶体。
鉱物学は専門外だったが、科学者特有の好奇心に駆られて、影山はその結晶――極小のピラーに触れた。
七色の光が迸り、己が分解され吸い込まれるような感覚が全身を包み込む。
そして気が付けば、足元に自分の肉体だった物が転がっており、己の体は結晶体に変わっていたのだ。
「本格的な侵攻を始める前に、人間を観察しようと生み出した先兵だったのだろうね」
当時のピラーには、人間のように明確な意思など無かった。
ただ、八十億にも達していた人類が放つ、『非科学的なモノなど存在しない』という認識の力によって、地中で眠っていた自分達が滅ぼされようとしていたのに、必死で抗っていただけ。
生存本能だけで動く意思の希薄な結晶体に、感情の希薄な影山の精神は思いの外よく馴染んだのであろう。
彼はピラーを乗っ取り、己の死体を始末して生身の人間に擬態すると、何食わぬ顔で大学准教授の仕事に戻っていったのだ。
指揮所で二人の会話を聞いていた教員達は、驚きのあまり声を失っていたが、京子だけは辛そうに顔を歪めながらも納得していた。
「先生……」
影山がいくら天才であろうとも、CEの出現から半年も掛からずに、そのコアを使った幻想変換器を作り出すなど不可能。
だが、彼が事前にCEもピラーも知っており、自分の体という最高のサンプルを確保していたのなら話は別だ。
来たるべきCEの襲来に備えて、准教授は今や同類となったピラーを裏切り、それを滅ぼせる幻想変換器の開発に着手したのである。
そうして、ピラーの肉体を得ていたからこそ、彼は大勢の財界人を脅迫して恨みを買っても、消されずに生き残れたのだ。
また、脅迫の材料であった様々な情報も、ピラーだから得られたのである。
なにせ、長野ピラーにはCEの犠牲となった、二百万人以上の記憶が貯め込まれていたのだ。
無邪気な子供同然の長野ピラーを騙し、その身に蓄えた膨大な情報にアクセスすれば、要人の醜聞など容易く手に入る。
「言っておくけれど、僕一人が特別な存在なんて事はないよ。探せば人型ピラー、いや『ピラー人間』と言った方が正確かな、これは何人も見つかるはずだ」
世界中に百本以上のピラーが出現したのだ、その先兵は何倍も現れたはずである。
ただ、人間と接触した物は半分ほどであり、接触した者の多くはピラーに飲み込まれて自我を失った。
逆にピラーを乗っ取った者も、化物になった事に耐えきれず、発狂して谷底に身を投げたか、もう人の世には戻れないと山奥に隠れたか、そんな選択肢を選んだ者が殆どであった。
厚顔にも人里に戻ったピラー人間は少なく、その中で科学の知識を持ち、准教授という地位と研究所を有して、幻想変換器を開発できたのが影山明彦だけであった、それだけの話である。
「さて、種明かしはこれでお終いだ」
影山はそう言って、掌から巨大な結晶の大剣を生み出す。
極小の人間サイズとはいえ、膨大なエネルギーの塊であるピラーなのだ、この程度の芸当は造作もない。
軽い素振りで暴風を巻き起こす影山に、宗次も蜻蛉切を構えながら問う。
「一つ、聞きたい」
「何かな?」
「何故、伝言などした」
ピラーが最後の攻撃を仕掛けるという忠告だけでなく、英雄を殺すという目的を明かしたために、影山は今こうして槍使いに阻まれている。
何も伝えずに奇襲をすれば、容易く目的を達成できたはずなのに。
今まで人の心など気にかけず、ただ効率的に英雄計画を進めてきた准教授らしくない行動。
その指摘に、影山はやはり笑って答えた。
「なに、とても私的な理由でね、僕の目的を明かせば、君が怒って立ちはだかると思ってさ」
英雄をその手で殺せなんて言ったのも、宗次を煽るための冗談。
影山の目的は槍使いと戦う事でもあったのだ。その理由は至極単純。
「見た目だけのマガイモノとはいえ、刹那君を殺した君が生きているのは、甚だ不愉快でね」
だから、この手で殺さなければ気が済まないと、笑みを消して肌が切れそうな殺気を放ってくる。
影山が初めて見せたその人間らしい感情に、宗次は逆に笑い返した。
「そうか、安心した」
まるで舞台監督のように、大勢の人々を好き放題に動かしてきた天才科学者。
けれど、その正体はなんて事はない。心奪われた少女を失って、その悲しみに耐えられずに狂う事しか出来なかった、どこにでも居るただの男。
「お前は、英雄と称えられるべき人物なのだろう」
影山がピラーを裏切り、幻想変換器を人類に与えなければ、少なくとも日本はここまで耐えられなかった。
理由はどうあれ、この男は日本を、そして世界を救う英雄を生み出した、その功績は決して色あせる事はない。
「だが、大馬鹿野郎だ」
例えCEの体になろうとも、ピラーに操られ望まぬ戦いを強いられようと、最後まで人を殺したくないと抗い、自分を殺してでも止めて欲しいと願った、刹那の心を何一つ理解していない。
死んでも自分より他人を思いやった彼女の意思に反して、ただ自己満足のためだけに不幸を振りまいている。
麗華やシャロを泣かせ、天道寺英人を殺し、彼が救うはずであった大勢の人々を絶望に落とそうとしている。
それだけは絶対に許せない。だから――
「お前だけは、俺がこの槍で突き貫くっ!」
例え英雄にはなれなかった、ただの槍使いであろうとも、守りたい者があるのだと。
宗次は蜻蛉切を握りしめ、己の生涯で最後となる戦いの火蓋を切るのであった。




