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英雄《しゅやく》になれない槍使い  作者: 笹木さくま(夏希のたね)
第12章・虚無の果て、蒼穹の彼方
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第101話 対峙

 どうして影山が自分の前に現れたのか、宗次は問わなかった。

 言うべき事はただ一つである。


「何故、教えた?」


 麗華達に『機械仕掛けの英雄』計画の真相を、シャロが知らずにエース隊の情報を漏らしていた事を。

 沈着冷静な槍使いにしては珍しく、苛烈な怒りのこもった眼差しを、影山は涼しい顔で受け止めて素直に答えた。


「エース隊に解散して貰いたかったからね」


 あのまま何事もなければ、エース隊も特高も存続する可能性があった。

 だから反乱事件を起こし、政治家達に幻想兵器使いの危険性を再認識させて、解散させるよう促したのだ。

 その理由は至極単純である。


「僕の作った変換器が、あいつらの役に立つなんて虫唾が走るからね」


 あいつら――刹那を殺した大国の手助けをするなんて御免だと、それだけのために大勢の心を傷つけた。


「貴様……っ!」


 運よく怪我人だけで終わったが、何かが狂って自衛隊が制圧に出てくれば、実行犯の三年生も人質の教師も全員死んだかもしれないのに。

 さらに怒りを燃やす宗次に、影山は笑みを崩さず言い訳する。


「君らにとっても悪い話ではないだろう? 日本はともかく他国のためにまで、命を賭けて戦いたくはないだろうしね」

「…………」


 宗次は沈黙する。確かに、彼は身近な人達のために戦う事を選んだが、遠い異国の知らない他人のためにまで戦うなんて、正義の味方じみた博愛精神は持っていない。


「それは日本政府だって同じだよ。長野ピラーが破壊されて平和が戻り、ようやく復興に力を入れようって時に、他国の事なんて構いたくはないさ」


 けれども、諸外国が圧力をかけてそれを許そうとはしないだろう。

 力を持っているなら戦え、自分達を救えと、それが正義だ平和のためだと綺麗な言葉で着飾って、媚びて脅してエース隊を利用しようとしたはずだ。

 しかし、日本国民の多くは当然ながら反対するだろう。

 ようやく戦争が終わって、子供達が帰ってくると思っていたのに、まだ戦わせる気か、それも他国のためなんかにと。


 英雄一人ならともかく、エース隊約四五〇名を派遣などしたくない。

 そんな日本政府にとって、今回の反乱事件は渡りに船であった。

 エース隊はその性質上、情緒が不安定で反乱などの危険性があり、とても外国の支援には送れないと、事実であるため他国も反論のしようがない、もっともな理由を手に入れたのだから。


「それに、他国だって利用する気は満々でも、日本がエース隊なんて強力な部隊を持つこと自体は、快く思っていないしね」


 先日の反乱事件でも証明されたように、例え銃を持っていても普通の人間では、幻想兵器使いを倒す事などほぼ不可能。

 戦車か戦闘ヘリ、最低でも重機関銃か携帯式対戦車ミサイルが必要となる。

 CEとの白兵戦に特化したエース隊であり、人殺しに嫌悪を抱く普通の子供達だったからあの程度で済んだが、これがゲリラ戦術を叩きこまれた少年兵だったらどうなっていた事か。


 幻想兵器を使えるだけの強い感情と、優秀な兵士に必須の忍耐力や冷静さは、両立が難しいとはいえ決して不可能ではない。

 その最たる例が、影山の前に座る槍使いなのだから。


「長野ピラーが破壊されればもう用なしだし、解散して良かっただろう?」

「…………」


 実に善い事をしたと笑う影山に、宗次は黙って反論しない。

 この男に人の心など語った所で、無意味だと悟っているからだ。


「シャロの事は?」

「彼女はあの子に似ていたからね。痛みを知ってそれでも立ち上がれたら、あの子のような本物の英雄になれるかもと、期待していたのだけれどもね。残念ながら見込み違いだったようだ」


 やれやれと肩を竦める影山を見て、宗次は殴り倒したい衝動を必死で堪える。

 この男は何も分かっていない。

 刹那が痛みに耐えて戦えたのは、それが恐怖という自分だけの苦痛であり、誰かを傷つけるものではなかったからだ。


 しかし、シャロの場合は違う。知らなければ何事もなく終われた三年生達に、無慈悲な真実を突きつけて、反乱を起こさせるほどに心を傷つけてしまった。

 自分の事ではなく、人の事だからこそ、あれほど悔やみ悲しんでいた。

 その優しさを、影山はただ脆弱だと切って捨てたのである。

 もはや問うべき事もなく、ただ怒りを込めて睨む宗次に、今度は影山が訊ねる。


「一つ提案があるのだけれど、長野ピラーを破壊した後に、『英雄』を殺してくれないかな?」

「断る」


 即答であった。しかし、影山は驚いた表情を作るだけで引き下がらない。


「そう言わず、まずは理由を聞いてくれたまえ。これは日本全体の利益になる事なんだよ」

「…………」


 無言を了承と取ったのか、影山は得意気に語り出した。


「長野ピラーを破壊してCEの脅威が消えれば、日本は急激に復興を遂げるだろう。これは日本が世界の頂点に昇り詰める大チャンスなのだよ」


 他国がCEとの終わらない戦争を続けるなか、日本だけが平和の中で発展を告げる。

 十年もその状態が続けば、日本が世界一の大国となる野望も夢ではないだろう。

 しかし、そのためには『英雄』が邪魔なのだ。


「長野ピラーは是非とも破壊して貰う。けれど、他国のピラーまで壊して貰っちゃ困るのだよ」


 日本が頂点に立つためには、他国はCEの手で苦しみ疲弊し続けねばならない。

 反吐が出るほど邪悪な思考だが、自国のために他国を踏み潰すなど、歴史を振り返れば当たり前の行為でしかなかった。


「先に邪魔をしてくれたのはあちらだからね、せいぜい苦しみ抜いて滅んで貰おう」


 影山はそう言って笑みを深めた。

 怖くても戦い続けた優しい少女を、暗殺するなんて卑劣な真似を取り、日本の足を引っ張ったのは、確かに外国の方が先なのだから。

 だが、宗次は冷静に否を唱える。


「そう簡単に上手くいくと思っているのか?」


 刹那を殺した時のように、日本などに覇権を取らせはしまいと、米露中の三ヵ国があらゆる手で邪魔をしてくるだろう。

 CEとの戦いで疲弊していても。いや、疲弊しているからこそ、日本一人だけを幸福にはしてやらないと、妬みと憎しみという最も強い感情で。

 今この時、そんな敵意が向けられていないのは、英雄が日本の次に三ヵ国を救う手筈となっているからだ。

 なのに、英雄が殺されて希望を失ったとなれば、餌を奪われた大国は必ず牙を剥く。

 当然の懸念を浮かべる宗次に対し、影山はあくまで余裕の笑みを崩さない。


「上手くいくよ。そのためにイギリスに手を貸してやったのだからね」


 二年前、特高の設立を目前とした時、影山が自殺を偽装してまで英国に渡ったのは、それが目的だったのだ。


「イギリスは僕の開発した新型の変換器を使って、新たな『英雄』を生み出す準備を終えているんだよ」


 英雄・天道寺英人が非業の死を遂げ、世界中の人々が絶望に打ちひしがれているその時に、新たな光が英国に生まれる。『聖剣の正当な後継者』が。

 人々の希望を一身に集めた新たな英雄は、まず英国のピラーを破壊し、続いてヨーロッパ諸国を解放していく。


 しかし、米露中の三ヵ国は救わない。何故なら、大英帝国が世界の覇者と返り咲くために、最も邪魔な敵だからだ。

 特に、元はイギリス移民による植民地にしか過ぎなかったのに、独立して今や世界一の大国と化して、上下が逆転したアメリカだけは、地べたに這いつくばって従属しない限りは許さないだろう。


「新たな英雄の力で覇権を推し進めるイギリスと、英雄を失って大人しく復興に専念する日本、大国がどちらの相手に忙しいかは言うまでもないだろう?」


 つまり、大国からの敵意をかわす隠れ蓑として、英国は利用されたのである。

 もちろん、英国自身もそんな事は百も承知の上で、覇権を手にするチャンスを掴むため、影山の技術と知識を欲したのだが。


「イギリスなら日本に直接の手出しもしてこないからね」


 前の大戦では敵国となったが、それは当時の英国が植民地としていた、マレーシア等のアジア諸国をめぐっての事。

 イギリス本国と日本では、遠すぎて直接戦争になる事はない。

 なにより、大国という厄介な共通の隣人が居る以上、無害な遠方の他人でいてくれた方が互いの利益となる。


「覇権と憎悪はイギリスにくれてやればいいさ。日本はただ静かに力を蓄えればいい」


 他国の介入など許さず、独立して生きていけるように。

 もう二度と、あの子が殺されたような事態を許さない、強い国となるように。

 夕日で血の色に染まりながら、影山は特上の笑みを浮かべて夢を語った。

 そう、どんなに素晴らしく聞こえても、それは都合の良い夢でしかない。


「CEはどうする」


 宗次の言葉で、影山の笑顔が僅かに固まった。


「奴らは、短期間で急激な進化を遂げてきた。それが、対処不可能にならないと約束できるのか?」


 正二十面体、両刃剣型、人間型と、恐ろしい速度でより複雑かつ強力になっていったCE。

 その全てと戦ってきた、宗次だからこそ懸念であった。

 日本とイギリスが栄華を築くまでの数年間、放置する事となる三ヵ国のピラーが進化を果たし、海や空さえも超えるCEを生み出して、襲い掛かってこないという保証は無い。

 そして、全人類七十億以上の認識力を結集した、英雄でさえ打倒不能な『神』の領域に到達しないという保証も。

 英雄の力で全世界のピラーを破壊し尽くす、それは今この時が最後のチャンスかもしれないのだ。


「なるほど、確かにその可能性は否定できないね」


 影山は意外にも、宗次の主張を素直に認めた。


「ただ、君達は勘違いしているようだけれど、世界中にいくつもあるピラーは全て別々の個体なのだよ」


 西暦二〇二五年三月十六日、全世界で一斉に出現した事から、ピラーは統一された意思があるように考えられている。

 多少はサイズが違うものの、外見の差が全くなく、六角柱型のCEを生み出して攻めてくるなど、行動も全く同じであったからだ。

 しかし、それは間違いだと影山は断言する。


「あそこまで進化を果たし、人間に近い知能を獲得したのは長野ピラーだけでね、他国のピラーは相変わらず無知な女王蜂のままだ。君の懸念が現実となる確率は低いよ」

「だが、ゼロではあるまい」


 長野ピラーとて四カ月前までは、影山の言う無知な女王蜂だったのだ。

 それが今や、原子力発電所を襲ったり、かつての英雄を敵として繰り出すなど、人間と同等の知性を見せている。

 もちろん、内部ではもっと前から変化があったのだろう。


 例えば、人間という変わり映えの無い集団の中に、突如として現れた巨大な力を持つ個体に興味を抱き、彼女を吸収分解して解析する事で、今までただのエネルギーや情報にすぎないと捉えていた『人間の精神や記憶』というモノが何か、初めて理解したといったような。

 なんにせよ、准教授の語る計画はハイリスク・ハイリターンの賭けでしかない。


「確かに、ピラーが進化して人類が滅ぼされる可能性も否定できないね」


 影山もそれは認める。認めた上でこう言い切るのだ。


「その時は、滅びてしまえばいいさ」


 弱肉強食の摂理だと、人類に生き延びる価値が無かったのだろうと、あっさりと七十億の命を見捨てた。


「そうか」


 宗次は理解する。結局、この男は刹那を殺した大国に復讐がしたいだけで、人類を救いたいなんて気持ちは欠片もないのだ。

 長野ピラーを破壊して日本を救うのとて、針の先程はあった愛国心と、己の発明なら実現可能だという、科学者の証明癖から生まれた目標でしかない。


 刹那を殺されるという最悪の形で、その目標が大国に邪魔をされたから、今も意地になって弟で達成を目論んだだけの事。

 影山明彦という男は本質的に、己も含めてあらゆる人間に対して、興味も価値も全く抱いていないのだ。

 少なくとも、五年間のあの日から。


「さて、もう一度聞こうか。日本が発展するために『英雄』を殺してくれないかな?」


 影山の同じ質問に、宗次も同じ答えを返す。


「断る」

「それは残念だ。君はあの子の弟を憎んでいると思ったのだけれどね」


 影山は笑って、見透かすような視線を向けて来る。


「君は確か『英雄の踏み台でも構わない』とは言ったけれど、『英雄を憎んでいない』とは言っていなかったよね?」

「…………」


 笑みを深める影山を、宗次は無言で睨み返す。

 確かに、平和が訪れて大切な人達が安心して暮らせるなら、踏み台にされるのも受け入れると言っただけで、英雄に好意的とは言っていない。

 ただ、影山の推測は間違っていた。


「俺は別に、あいつを憎んではいない」


 二度も槍を交わしたのに、何を考えているのか全くわからない不気味な少年。

 なのに、一振りでCEの大軍を蹴散らし、大地を抉るほどの強大な力を持っている。

 己や大勢の人を殺せる理解不能な怪物。それに向ける感情は一つだ。


「怖いとは思っている。敢えて好きか嫌いかで言えば、嫌いなのだろう」


 妬みや憎しみはないが、好きになる要素もない。

 だから、天道寺英人が死のうとも、気の毒には思うが、涙を流す事もないだろう。


「なら、殺しても構わないのではないかな?」


 影山の問いに、宗次は静かに首を横に振る。

 殺人が悪い事だという正論は当然として、彼は何があっても天道英人を害する事はない。何故なら――


「刹那さんが悲しむ」

「…………」


 彼女の名を出した途端、影山の顔から笑みが消えた。

 彫像のように表情を消したこの男は、果たして分かっているのだろうか。

 天道寺英人を自分や国の都合で殺す。それは、刹那を殺した者達と全く同じであると。

 それを深く問う事はせず、宗次はもう一つの理由を口にする。


「あいつは、沢山の人を守ってきた。そして、これからより大勢の人々を救うのだろう」


 それが借り物の力でも、何も知らぬ哀れな道化だとしても。

 天道寺英人はその聖剣でCEを倒し、ピラーを破壊し、平和をもたらすのは事実なのだから。


「恩に仇で返すなど、人の所業ではない」


 宗次は静かに、だが強く言い切った。

 それこそが、空壱流を学んだ武術家たる、彼の譲れぬ矜持であったから。


「……なるほど、シャーロット君が気に入るわけだね」


 まさに現代の侍だと、影山は笑顔に戻って拍手を送った。

 虚仮にしたようなその態度に、宗次はもう話す事はないと、立ち上がって背を向ける。

 そんな彼に、影山は最後の伝言を送った。


「明々後日、七月九日、長野ピラーは最後の反攻を開始する」


 刹那CEとの戦い以来、不気味な沈黙を保ってきた長野ピラーが、蓄えてきた力を全て解放する。

 それが、日本におけるCEとの最終決戦となるだろう。


「ピラーの破壊を終えると同時に、僕が『英雄』から翼を取り上げる」


 ヘルメスのサンダルという翼を失った英雄は、イカロスの如く墜落して死を迎える。

 傍目には、ピラーとの戦いで力を使い果たしたようにしか見えない、実に自然な最期を。


「京子君と綾子君に、そう伝えてくれたまえ」

「分かった」


 宗次は振り返らずに応え、公園から歩き去っていた。

 その日こそ、この男と雌雄を決する事になると確信して。





 宗次が去り、一人公園に残った影山を、三百mほど離れたビルの上から見下ろしている男が居た。

 両手でレミントンM24 ・ボルトアクション式対人狙撃銃を構えており、スコープの照準は影山をピタリと捉えて離さない。

 反乱事件を起こした三年生達の証言から生存が確定した、影山の行方を捜索するために派遣されていた、防衛大臣直属の部隊・中央情報隊の一員であった。


 彼の他にも十数名の隊員が、目標を逃がさぬため公園を囲んでいる。

 シャーロット・クロムウェルに接触する可能性を考え、偵察衛星からの監視を行っていたのだが、その網にまんまと引っかかった所を捕らえたのだ。

 ただの元准教授に十人以上の隊員があたり、それも狙撃銃なんて重装備まで許可しての包囲。

 明らかな過剰戦力であったが、狙撃銃を構えた隊員の背中には、大量の冷や汗が浮かんでいた。


「本部、あれはやばい……」


 通信でそんな弱音を吐いてしまうくらい、言いようのない怖気が止まらないのだ。

 彼はレンジャー課程を修めており、訓練の最中に野生の熊と遭遇し、射殺した経験があったのだが、その時に感じた非ではない圧迫感が、スコープ越しの男から感じられて仕方がなかったのだ。

 その報告を聞いた本部や他の隊員は、彼を臆病と嘲りはしなかった。


 目標の捜査を開始する前に収集した様々な情報から、相手の異常さを悟っていたからである。

 影山明彦は幻想変換器の実戦投入に始まり、エース隊の設立や英雄計画を政府に認めさせる過程で、いったいどこから手に入れたのかと中央情報隊すら舌をまく情報で、多くの要人を脅迫してきた。

 当然、その中には彼を始末して口封じを目論んだ者達が居た。

 暴力団のような者達から、殺しを生業としたプロまで、幾人もが准教授の命を狙った。


 だが、影山は傷一つなく生き残り、彼を襲ったと思われる者達の変死体が発見されていた。

 そして、天道寺刹那の殺害に協力した防衛省の書記官、彼が手足を引き千切られて殺害されたあの事件。

 どう考えても人間には不可能な怪力、ならば――


「本部、あいつがこっちをっ!?」


 狙撃手が思わず悲鳴を上げる。スコープの中で影山が、明らかにこちらを見詰めてきたのだ。

 三百mも離れたビルの上で、沈みゆく西日を背にして、熟練の兵士でも気付けないほど見事に隠れた彼を。


『シーエアラ、落ち着きたまえ』


 コードネームを呼ぶ本部からの通信も、彼には聞こえていなかった。

 スコープの中で影山が、遠く離れた彼に分かるよう、大きく口を動かしていたからだ。


 ――試してみるかい?


 そう言って、額をトントンと指さして笑う。


「撃てと、誘ってやがる……っ!?」


 恐怖と動揺から震え出す彼に、本部から静かに命令が下った。


『シーエアラ、目標の足を撃て』


 死ななければ構わない、市街地での発砲が問題になるかもしれないが、ここで影山を逃す方が国家の危機に関わる。

 素早いその判断に、狙撃手も一つ深呼吸をして頷き返す。


「……了解」


 一度撃つと決まれば、そこは厳しい訓練を乗り越えた隊員のこと、スイッチが入ったように、一瞬前までの動揺も震えも全て消え去る。

 彼は三秒で照準を終え、静かに引き金を引いた。

 音速を超える銃弾が、狙い違わず影山の右太ももに突き刺さる。

 だが、血も肉も骨も飛び散らなかった。

 それどころか、影山は風が吹いたほども微動だにせず、ただ笑い続けていたのである。


「嘘だろ……」


 彼は絶句しながらも、心のどこかでこの結果を予想していた。

 相手は幻想変換器の開発者、そして幻子装甲ならば何百発もの拳銃弾すら防げる。

 似たような防御手段を備えていも不思議ではない。

 ただ、あれは感情の強い子供にしか使えない代物。


 大人でも適性があれば、拳銃弾の一発くらいは耐えられるかもしれないが、強力な狙撃銃を防げるはずがない。

 まして、感情なんてモノは欠落しているとしか思えない、この准教授ならば尚更だ。

 幻子装甲ではない。だが、それ同じくらい強固な物を彼らは知っている。

 まるでガラスのごとく脆そうな見た目でありながら、戦車砲でもなければ破壊できない――


『……撤退だ』


 本部の判断は速く、そして英断であった。

 もしも、ここで目標の捕獲を強行していたら、貴重な情報隊の隊員十名以上が全員死傷していたのだから。

 他の隊員達が引き上げていくなか、動けずにいた狙撃手に向けて、影山はもう一度だけ笑うと、背を向けて何事もなかったように歩き去っていった。

 その後、影山は自動車に乗って街の北東にある赤城山に入ると、偵察衛星からの監視を振り切るためか、森の中に姿を消した。

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