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英雄《しゅやく》になれない槍使い  作者: 笹木さくま(夏希のたね)
第12章・虚無の果て、蒼穹の彼方
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第100話 やわらかな傷跡

 シャーロット・クロムウェル、片田舎で広大な農園を経営するクロムウェル伯爵の三女。

 裕福で優しい両親と、歳の離れた兄姉に囲まれて、彼女は明るく真っ直ぐに育った。

 人によっては彼女を「甘やかされた金持ちのガキ」と嫌悪したかもしれない。


 ただ、彼女と実際に向き合えば、歳や外見のわりに幼く純粋で明るい性格に、毒気を抜かれて誰もが好意を抱く、そんな天然の仁徳を備えた少女であった。

 だから、イギリス国防省が一般市民には内密で、上流階級の子供達を対象に行った幻想変換器の適正テストにおいて、彼女が優秀な成績を出してスカウトされた時、誰もが危険だから止めようとした。

 けれど、シャロは笑って参加を決めたのである。


「これこそ『貴族の義務ノブレス・オブリージュ』でありますっ!」


 貴族の趣味らしからぬアニメの影響を受けた口調で、貴族らしい高潔さをもって。

 集められた数名の子供たちは、『博士』とあだ名で呼ばれる東洋人らしからぬ東洋人から変換器を受け取って、幻想兵器使いとして才能を磨く事となった。

 そんなある日、博士がシャロに告げたのである。


「日本に行ってみたくないかい?」

「行きたいでありますっ!」


 即答であった。大好きなアニメの生まれた地であり、いつか聖地を巡礼するため日本語を学んでいた程であるから、当然の反応であろう。


「じゃあ、これをプレゼントしよう」

「おぉ、何やら豪華な変換器でありますなっ!」


 差し出された黄金の腕輪を、シャロは大喜びで身に着けた。

 米露中が日本の『英雄』を引き込むために、工作員を潜り込ませるのに合わせて、英国から送り込まれる事になった彼女。

 ただ、その目的は三ヵ国とは全く違う。


 英国が既に日本製さえ上回る、強力な幻想変換器の開発に成功したと喧伝し、三ヵ国を押しのけて世界の大国に返り咲くと、周辺諸国に力を示すため。

 そして、博士の目論見であり、英国の利益にもなる作戦を叶えるために、特高の内情を探るため。

 それともう一つ、博士の至極個人的な目論みがあった。


「うん、やはり似てるね」

「何がでありますか?」


 首を傾げるシャロに、博士は笑うだけで答えなかった。

 ちょっとアホな所もあるけれど、明るく元気で真っ直ぐで、『あの子』を彷彿とさせる性格。

 しかし、このままでは足りない。彼女は真の闇や恐怖を知らず、無知だからこそ輝いているにすぎない。


 両親や友人知人を皆殺しにされ、嘔吐するほど恐怖に震えながら、それでも剣を手に立ち上がり、誰かのために笑顔を浮かべる。

 そんな強く気高い心が無ければ、『あの子』のような本物の英雄には至れない。だから――


「頑張っておいで」

「はい、頑張るであります!」


 シャロは元気に敬礼を返す。

 彼女が傷つき、それでも立ち上がる強さを持った真の英雄なのか、実験結果を想像して楽しそうに笑う、博士の胸中など微塵も知らずに。





 シャロが宗次を案内したのは、光と騒音に包まれたアミューズメント施設、つまりゲームセンターであった。


「凄い所だな」


 田舎者な宗次は驚いて目を剥くが、彼らが生まれる前から衰退を続けていた業界であり、CE戦争による不況で半分トドメを刺されてしまったため、店内の機器は旧式の物ばかりで、今も営業を続けられているのが半分奇跡であった。

 とはいえ、そんな事情を知る由も無く、二人は店内を見て回った。


「おっ、あったであります!」


 シャロが指をさして走り寄ったのは、人が入れるほど巨大なドーム型の筐体。

 まるで本物のようなコクピットで楽しめる、ロボット対戦ゲームである。

 根強いファンのお陰で二十年以上も生き残り、最近は簡単な脳波コントローラーさえ追加されていた。


「軍曹さんのアニメで知って、一度は絶対にやりたかったのであります」

「そうか」


 はしゃいで筐体に入る彼女を、宗次は温かい目で見送る。

 数分後、初心者のためゲームの結果は散々であったが、シャロは満足そうに鼻息を荒くして筐体から出てきた。


「これが実現された暁には、CEなどあっという間に叩いてやるでありますっ!」

「それは無理じゃないか?」


 残念ながら、二〇三一年になっても二足歩行の戦闘ロボットは実現していない。

 その後もクレーンゲームでヌイグルミが取れずに悔しがったり、空中に浮かぶ立体映像に触れていく音楽ゲームを夢中でプレイしたりと、元気に駆けまわるシャロを、宗次は保護者のような眼差しで見守り続けた。


「宗次殿は遊ばないでありますか?」

「いや、遊び方が分からなくてな」


 宗次とて故郷の遊び友達であった女の子の所で、テレビゲームくらいは触れた事があるが、ゲームセンターにある物は見るのも初めてで、なかなかに手が出し辛い。


「む~……では、あれを一緒に撮るでありますっ!」


 そう言ってシャロが指さしたのは、店舗の三分の一を占めるプリントシールの撮影機。

 十年以上も前からシール自体の需要は廃れ、スマホにデータを送る物が主流となっているが、簡単に美白などの加工を実現できる撮影所として、今なお生き残っていた。


「日本の高校生は皆、あれで写真を撮ると聞いたであります」

「そうか?」


 宗次は首を傾げつつ、シャロに手を引かれて筐体の中に入る。

 そして写真を撮るのだが――


「あははっ、目がデカすぎて気持ち悪いでありますっ!」


 元より肌が白くて瞳の大きなシャロの顔が、加工されたせいで真っ白い宇宙人のようになっていた。


「これはちょっと……」


 宗次も美白されてナヨナヨと軟弱化した自分を見て、流石に顔を強張らせる。


「普通に撮った方がいいんじゃないか?」

「そうでありますな」


 ネタで弄りまくった物を撮影した後、加工を省いた普通の写真を撮る。

 そして、ペンで落書きをする段になって、シャロは急に宗次の背中を押した。


「宗次殿、少し外で待っていて欲しいであります」

「うん? 構わないが」


 首を傾げつつ宗次は筐体の外に出る。

 待つこと二分、遅れて出てきたシャロは、何故か頬を赤くしながら彼の手を引いた。


「さあ、次に行くでありますっ!」

「あぁ、分かった」


 写真にいったい何を書いたのか、聞かせまいと引っ張るシャロに、宗次は苦笑してついていった。





 その後もガンシューティング等を一通り遊んでから、二人はゲームセンターを出て近くの公園に向かった。

 桜の季節や花火大会の日などは出店も出て賑わう場所だが、今日は特にイベントもなく、そろそろ日も落ちるため人影は少ない。

 宗次達は公園のベンチに座り、来る途中のデパートで偶然見つけた英国の代表料理、白身魚と芋の揚げ物ことフィッシュ&チップスを頬張った。


「おぉ、日本のフィッシュ&チップスもなかなか美味しいでありますなっ!」

「そうだな」


 イギリス料理=不味い、という風評を知らぬ宗次は、「日本で作ったから美味いんだろ」というツッコミを入れられない。


「どうせならウナギゼリーも食べたかったでありますな」

「…………」


 それは絶対に不味い、と流石の宗次も思ったが、賢明にも反論は控えておいた。


「はぁー、美味しかったでありますな」


 談笑しながら食べきると、シャロは赤くなってきた空を見上げて、急に寂しげな顔になって呟いた。


「……麗華殿達とも、一緒に食べたかったでありますな」


 その声には、願いがもう叶わないという諦めが満ちていた。

 反乱を起こした生徒達は今、相馬原駐屯地で軟禁されているとはいえ、ピラーの破壊さえ終われば解放されて、会う事とて容易いのだが。

 シャロはもう会いに行けないと、合わす顔が無いと苦悶を浮かべる。

 それこそが、元気な彼女から笑顔を奪い去っていた原因。


「話してくれるか?」


 宗次が静かに促すと、シャロは目から大粒の涙を流し、顔をクシャクシャにして叫んだ。


「全部、私のせいなのであります……私のせいで、麗華殿達があんな事を……っ!」


 彼女は全てを語った。自分の幻想変換器にカメラや盗聴器が仕掛けられており、そこから特高の内部情報を知った博士が、麗華達に英雄計画の真相を暴露して、反乱を起こすように扇動したのだと。


「私、何も知らず、麗華殿や浩正殿達の事を漏らして……そのせいで、あんな……っ!」

「知らなかったなら、お前のせいじゃない」

「でも、でも……っ!」


 宗次の慰めにも、シャロは頭を振って泣き続けた。

 事実、彼女には何の罪もない。おそらく、彼女から生徒達の情報が漏れずとも、何か別の手で情報を得るか、または別の方法で似たような事件が起こされたのだろう。

 けれども、シャロは許せないのだ。

 仲の良かった先輩達が、どれだけ胸の内で苦しんでいたのか、何も知らず無邪気に笑って、あまつさえ加担していた自分の愚かさが。


「あんな事がなければ、麗華殿達だって、今も笑って……なのに、私のせいで……っ!」


 計画の真相を知らなければ、多少の不満は残っても穏便に終われたのに、生徒も教師も皆が笑って特高にサヨナラを告げられたのに。

 自分のせいで大勢の人を傷つけてしまった事が悲しくて、涙が止まらないシャロの肩に、宗次はそっと手を置いた。


「一つだけ聞かせてくれ」

「何でありますか……?」

「誰が、お前にそれを教えた」


 彼女は変換器の仕掛けを知らなかった。反乱事件が起きたからといって、それと自分を結び付けられるとも思えない。

 薄々察しながら問う宗次に、シャロは予想通りの答えを口にした。


「博士であります」

「……そうか」


 ギシッと音が鳴るほど、宗次は奥歯を強く噛みしめた。


「宗次殿……?」


 見た事もない恐ろしい顔をする彼に、シャロの涙が思わず止る。

 それに気付いて、宗次は慌てて殺気を振り払い、優しい顔になって告げた。


「お前の気持ちは分かった。なら、謝りに行こう」

「えっ……?」

「全部終わったら、三年生達に全てを話そう」


 宗次の口からお前のせいじゃないと言っても、ただの慰めにしかならない。

 本当の意味でシャロに許しを与えられるのは、傷ついた人達だけなのだから。


「けど、そんな事をしたら……」


 怒り殴られ、罵声を浴びせられるかもしれない。

 仲良くなった人達に憎悪される、それこそが悲しく怖かったのだ。

 また涙を浮かべるシャロに、宗次は優しく微笑み返す。


「嫌われるとしても、ここで足踏みをしていたら、前に進めない」


 ずっと後悔に苛まれて、泣き続ける一生になってしまう。

 それに、彼は確信しているのだ。『英雄(とくべつ)』になりたいという自己顕示欲が元にあったとしても、二年間も人々のために戦い続けてきた三年生達ならば、誰かを救いたいという気持ちも本物だった彼らならば、シャロの話を聞いても笑って許してくれると。

 なにせ、自分達を英雄の踏み台にした教師達を、怒り狂って殴りはしても、殺害という最後の一線だけは踏み留まってくれたのだから。


「その時は、俺も一緒に行こう。殴り倒した事を謝ってなかったからな」

「ははっ、そうでありましたな」


 宗次の下手な冗談に、シャロはようやく笑みを浮かべた。

 まだ罪の痛みも、嫌われる恐怖も残っているけれど、彼の言う通り一人で抱え込み、ただ泣いているだけでは前に進めない。

 だから、シャロは勇気を出して一歩踏み出そうとする。


「宗次殿、私――」


 しかし、彼女の告白を、宗次は掌をかざして遮った。

 いくらロマンを解せぬ槍使いとて、シャロの潤んだ瞳から伝わってくる気持ちが分かったからこそ。


「……どうしてでありますか?」

「それは……」


 悲しそうな瞳で見上げられ、宗次は言葉を濁す。


「私の事、嫌いでありますか?」

「違う」


 それは直ぐに否定する。嫌いだったら一日付き合って悩みを聞いたりはしない。


「じゃあ、どうして……?」


 月光の下で性格の悪い少女がしたのと同じ問いを、シャロも口にする。

 あの時の事を思い出し、宗次はつい苦笑を浮かべてから、あの時とは違う答えを口にした。


「俺は――」


 照れて頬を赤らめながら、誤魔化さずに己の気持ちを告げる。

 それを聞いたシャロは、驚いたように目を見開いてから、目を細めて微笑んだ。


「なら、仕方ないでありますな」


 悔しさと寂しさを込めて、一粒だけ涙を零すと、彼女は腕で目元を拭って立ち上がった。


「まったく、宗次殿は卑怯でありますっ!」


 こんなに優しくしてくれるのに、一番大切なお願いだけは聞いてくれないなんて。


「……そうだな」


 宗次は謝らない。どんな理由であろうとも、彼女の想いを受け入れなかったのは事実なのだから。

 シャロはそんな彼に背を向けて歩き出し、少し離れてから振り返る。

 そして、ヒマワリのように満面の笑顔を浮かべて叫んだのだ。


「宗次殿、大好きだったでありますっ!」


 夕日で赤く染まった空に、叶わなかった初恋を響かせて、シャロは再び背を向けて駆け出した。

 走り去る彼女の目元から、止めどなく滴が零れ落ちていたのを、宗次は黙って見送った。


「……痛いな」


 胸を手で押さえ、苦い呟きを漏らす。

 麗華の時もそうだった。嫌いではない、好きな相手だったからこそ、嘘や誤魔化しは出来ず、けれど泣き顔を見るのはやはり辛い。

 それはシャロも同じだったのだろう。仲の良い先輩達だったからこそ、自分が知らずに加担して傷つけてしまった事が悲しかった。


 悪意が無いのに傷つけてしまう、それは人間が生きている限りは起こる、仕方のない事なのだろう。

 けれども、悪意も抱かず人を傷つける、罪悪感すら感じず人を弄ぶ、純粋な邪悪だけは決して許してはならない。


「…………」


 無言でベンチに座り込んでいた宗次の元に、前から一人の男が歩み寄って来る。

 運動選手のように逞しい体格に、似合わない白衣を着て。

 日本人離れした彫りの深い顔い、心のこもらない笑みを浮かべて。


「はじめまして、空知宗次君」


 穏やかに呼びかけてきた男とは対称に、宗次は鋭く睨み返す。


「影山明彦」


 全ての始まりであり、全ての元凶である幻想変換器の開発者は、槍使いの殺気さえ涼しい風と、五年前から変わらぬ笑顔を浮かべ続けるのであった。

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