第99話 遊宴
七月六日・日曜日、前橋駅から少し歩いた所にある焼肉屋は、普段は閉めている正午から店を開き、四十名近い団体客を迎えていた。
その客こと一年D組の生徒達は、今日のお財布こと大馬と京子の軽い溜息など気にせず、コップを掲げ盛大に宴を祝った。
「せーの」
「「「かんぱ~いっ!」」」
「ひゃっはーっ! もう我慢できねえぜっ!」
乾杯の音頭が響いた瞬間、肉の焼ける香ばしい匂いに耐えきれなかった心々杏が、本性も露わに暴食を始める。
「美味ぇー、やっぱ焼肉は最高だなっ!」
「あんた、どんだけ肉が好きなのよ……ほら、この辺のタンが焼けたから」
野獣のような親友の姿にドン引きしつつ、陽向はせっせと世話を焼いてやる。
それと共に、隣に座った槍使いへの気遣いも忘れない。
「はい、宗次君もこれ食べて。あと、ホルモンが苦手とかある?」
「いや、大丈夫だ」
「そ、それより早くもお肉が……」
神奈が呑気にカボチャを焼いている間に、心々杏は最初に配られていた分を一瞬で平らげていた。
そして、手を叩いて店員を呼ぶ。
「特上カルビと特上タン塩を五人前ずつ、追加お願いです~っ!」
「こちらは食べ放題と別会計になりますが、よろしいですか?」
「OKですよ~、ジャンジャン持ってきて下さい~」
「ちょっとっ!?」
遠くから財布こと京子の悲鳴が上がっていたが、心々杏は全く容赦しない。
「お姉さん、こっちは霜降り黒和牛を三人前やっ!」
ついでに映助も遠慮を知らなかった。
「いったい何十万円になるの……」
「罪滅ぼしと思えば安い物、そう思いましょう」
絶望して顔を覆う京子に、大馬はそう言って励ましながら、改めて生徒達を見回した。
「ほら、君もスマホを弄ってないで、肉を食べたまえ」
「ちょっと待って、このコラ画像が傑作でさ」
「どれどれ、見せて?」
三二分隊の面々は男女比が同じな事もあってか、実に健全な青春といった様子で、楽しく会話をしている。
それに対して、他の分隊はというと――
「はぁー、彼女どころか、女子とろくに話す機会も無く終わりか……」
「転校しても、どうせ女子は英雄様の話ばかりで、俺達の事なんて……」
「くそっ、こうなったら焼け食いだっ!」
男子だらけのむさ苦しい三○分隊は、モテなかった境遇を互いに慰め合っており、ある意味で一番結束を固めていた。
問題は男子九人に女子が三人と、微妙に偏っている三一分隊であろう。
「…………(テメェ、抜け駆けしたら分かってんだろうな?)」
「…………(お前こそ、仁奈ちゃんは絶対に渡さねえっ!)」
「仁奈、弓月君に告白しないの?」
「だって彼、私みたいな大きい子は嫌いだろうし……」
少ない女子を巡って火花を散らしている男子達だが、当の女子は三二分隊のロリコン分隊長の方を気にしており、何とも憐みを誘う道化っぷりであった。
「本当にこいつらは……」
数日前にエース隊の存在意義が揺らぐ大事件が起きたというのに、もう笑って飲み食いしているその姿は、実に逞しく誇らしかった。
つい感動しそうになったのを誤魔化すため、大馬がビールを飲み干していると、隣の京子が遠慮がちに訊ねてくる。
「そういえば、大馬先生はどうなされるんですか?」
ピラーが破壊され、エース隊が解散した後の話である。
「私は、自衛官を辞めようかと考えています」
二杯目のビールに手をつけながら、大馬は苦笑して答えた。
彼は元々、防衛大学校を卒業した幹部候補生である。
特高が閉鎖されて自衛隊の通常任務に戻っても、それなりの地位と仕事を与えられるだろう。
ただ、子供達を戦わせるだけで、自分達は現場に出なかった臆病者とのレッテルから、戦場で実際にCEと戦ってきた、部下や同僚から嫌われるのは間違いない。
ただ、そんな軋轢を嫌ったのが退官の理由ではなかった。
「お恥ずかしい話ですが、一般大学に入って教員免許を取ろうかと」
大馬はそう言って、顔が赤くなったのを誤魔化すためにまたビールを飲み干した。
日本を救うために仕方が無かったとしても、彼らが『英雄』のために特高の生徒達を踏み台にして、心を傷つけた罪は消えない。
けれど、一年D組の面々は過ぎた事と気にせず、こうして元気に騒いでいるし、今も彼を担任として見てくれている。
その能天気な強さにどれだけ大馬が救われたか、彼らはきっと知らないだろう。
「罪滅ぼしと言うか、こいつらに報いる方法が、他に思いつかなくて……」
「立派ですね」
照れながらも自分の道を見つけた大馬に、京子は羨望の眼差しを向ける。
彼女はこの戦いが終わっても、自衛隊から離れるのを許されないだろう。
なにせ幻想変換器という兵器に関して、生みの親である准教授に次いで詳しい人物である。
極端な例えだが、彼女が変換器を量産してテロリストにでもばら撒けば、世界中を大混乱に陥れる事すら可能なのだ。
そんな危険かつ貴重な技術者を野放しにするほど、政府は馬鹿でも甘くもない。
防衛省・技術研究本部に席を移され、そこで変換器の研究を続ける事になるであろう。
だからといって、大人しく政府の飼い犬に納まる気もなかった。
「私も頑張らないといけないわね」
前々から温めていた研究課題を、どうやって実行に移すか。
微笑みながら考え始める京子の顔を、大馬が不意に見詰めてくる。
「保科先生、一つ聞いてもよろしいでしょうか」
「はい?」
急な質問で戸惑う京子の前で、大馬は一つ深呼吸をして心を静める。
そして、酒で赤らみながらも真剣な表情になって告げたのだ。
「空知に手を出してませんよね?」
「ぶふぅぅぅ―――っ!」
京子は思わずビールを吹き出してむせた。
「な、何を言ってるんですかっ!?」
「その様子だと無罪ですか、安心しました」
「無罪って、そもそも私は――」
「違いましたか?」
「うぐ……っ!」
必死に言い訳しようとした京子だが、大馬に問い返されて言葉を詰まらせた。
一人だけベルト型変換器を与えて贔屓したり、先日の事件では槍使いの胸に泣きついたりしていたのだ、今更誤魔化そうとしても無駄であった。
「歳の差恋愛を否定はしませんが、生徒に手を出すのは流石に拙いと、気にかかっていましたので」
「……私、そんなに信用ないですか?」
見抜かれていた恥ずかしさも相まって、京子が恨めしく睨むと、大馬は気まずそうに眼を逸らした。
「いや、その……色鐘三佐のご親友なので」
「私を先輩と一緒にしないでっ!」
思わず敬語も忘れて怒鳴る京子の姿に、生徒達はビクリと驚くが、自棄になってビールの一気飲みを始めた美人保健医の姿に、何やら気の毒な気配を感じてそっと目を逸らすのだった。
「先生達、飲み過ぎなんじゃ……」
そんな生徒の一人である男の娘こと一樹は、隣に座る女子へと目を向けた。
同じ第三二分隊の仲間でありながら、訳あってあまり話した事のなかった人物。
長い黒髪を二つ結びのおさげにした、地味で大人しい印象を与えるが、なかなか可愛らしい少女。しかしその実態は――
「陽向お姉様、愛しています」
どうしようもない変態であった。
「あの、白穂さん?」
「なんでしょうか?」
名前からして白百合白穂と、百合になるため生まれてきたような少女は、意外にも男の彼に対して嫌悪を見せる事なく、友好的な笑みを返してくる。
その反応に少し寒気を感じつつ、一樹は恐る恐る質問した。
「あの、陽向さんの事が好きなんですよね?」
「違います、愛しているのです」
「あ、はい……それで、肝心の陽向さんですけど」
一度言葉を切り、話題の剣道少女を見るが、相変わらず心々杏の世話をしつつ、隙を見て宗次に上手く好意を伝えようとしては、結局ヘタレて肉や野菜を配っていた。
「宗次さんの事が好きなの、分かってますよね?」
「それが何か?」
一樹の問いに対して、白穂は心底不思議そうな顔を返してくる。
「いや、ですから――」
「なるほど、勘違いなされているのですね」
諦めた方が良いのでは、と続けようとした一樹の口を、白穂は平然と遮り叫んだ。
「愛と書いて『愛でる』と読む、それが私のモットーなのです!」
「……えっ?」
「つまり、私以外の手で○○○され○○○しても、陽向お姉様のお顔はどれも美味しく受け入れる、それが真実の愛っ!」
頬を紅潮させ上ずった声で断言する白穂を見て、一樹はようやく理解した。
――駄目だこの人、もう手遅れだ。
遠い目をする彼に、今度は逆に白穂が訊ねてくる。
「貴方も、私と同じ真実の愛を探求しているのですよね?」
「はい?」
「つまり、宗次さんを他の女に盗られて興奮していらっしゃる」
「ぶふぅぅぅ―――っ!」
どこかの保健医と同じように、一樹は思い切りジュースを吹き出した。
「何をどうしたら、そんな発想になるんですかっ!?」
「隠さずともよろしいのですよ。それこそが真実の愛」
「違いま――」
「そ、そうだったんだね……っ!」
必死に否定しようとした瞬間、横から別の声が割り込んでくる。
それは瞳に腐った萌えを宿したオタク少女、鴉崎神奈であった。
「そ、宗次君を陽向君に盗られて、表向きは祝福しながらも嫉妬に狂う一樹君……こ、これはいけるっ!」
「どんだけ腐ってるんですかっ!?」
親友をナチュラルに男性化させる腐女子の妄想力に、一樹は戦慄するしかなかった。
「男になった陽向お姉様……それもまた愛っ!」
「お願いだからもう黙って下さいっ!」
興奮して鼻血を垂らす白穂に、一樹は話しかけてしまった事を心底後悔するのであった。
その騒がしさに釣られ、彼らのほうを見た宗次は、人影が足りない事に気付く。
(シャロが居ないな)
まだ先日の件が尾を引いているのだろう、元気なく俯いてはいたものの、焼肉パーティー自体には参加して、一樹達と同じ席に座っていたのだが。
手洗いにでも行っているのかもしれないが、あまり戻らないようなら探しい行くかと、少し心配し始めた時、ズボンのポケットから振動が伝わってきた。
宗次はスマホを取り出し画面を見ると、急に席を立つ。
「なんや、電話か?」
「あぁ」
映助に曖昧な返事をしながら、靴を履いて騒がしい店内から出る。
そして、少し離れた所で一人寂しく佇んでいた、ブロンド髪の少女に駆け寄った。
「どうした?」
――店の外に来て下さい。
そんな短い呼び出しメールに直ぐ応え、優しく声をかけてきた宗次に、シャロはぐっと涙を堪えるように顔を歪める。
そして、一度うつむいてから、満面の笑顔を作って告げた。
「宗次殿、私とデートして欲しいでありますっ!」
無理に繕った表情の下で、どんな苦悩が渦巻いていたのか、宗次は野暮な詮索などしない。
「分かった」
安心させるように、ただ優しく笑って頷くだけだった。
シャロもきっと、彼の気遣いが分かったのだろう。
「やったでありますっ!」
元気に飛び跳ねて喜んで見せると、宗次に腕を絡めて歩き出す。
その時、出遅れたヘタレ系剣道少女の背中に、過去最大の悪寒が走ったのは言うまでもないだろう。




