第9話 D組
「何なのよ、あの眼鏡女っ!」
バンッと机に八つ当たりしたのは、早くも女子のリーダー的な存在となった陽向。
先程は皆を鎮めるため、大人ぶった態度で退いてみせたが、本当は悔しくて堪らなかったのだ。
「陽向ちゃん、でも仕方ないですよ~」
小学生かと見紛うほど小柄な、小向井心々杏がそう言い。
「そ、そうだよ、私なんてただの盾だし、A組なんて……」
恥ずかしがりやなのか、長い前髪で目を隠しているが、胸は隠しようもなく主張している鴉崎神奈が諦めたように呟く。
しかし、陽向はまだ納得いかないと、一人唸るのであった。
「でも、勝手に決まった武器の優劣で、あそこまで見下されるなんて許せないじゃない!」
教室の設備がボロいのは我慢できる。
だが、まだCEと戦ってさえいないのに、落ちこぼれ扱いされるなんて理不尽ではないか。
そう叫ぶ陽向を、爽やか優等生といった感じの弓月優太が止める。
「よすんだ、一番悔しいのは彼だろ」
優太が視線で指したのは、窓際の席で我関せずと教科書を開いている宗次。
天道寺英人を一度は倒し、勝ったはずの試合を引っ繰り返されてしまった、不遇の槍使い。
「……そうね、もう言わない」
彼が黙って堪えているのに、自分達に騒ぐ権利はないと、陽向も矛を収めるのであった。
もっとも、当の宗次は教室や扱いの差など、これっぽっちも気にしてはいなかったのだが。
「しかし、綾子先生もキツイけどエエ女やったな~、ピンヒールで踏まれたいわ~」
「変態だな」
前の席で懲りずに戯言を吐く映助を、宗次は適当にあしらっていたのだが、ふと誰かが横に立ったのを感じ顔を上げた。
「こ、こんにちは」
緊張した様子で挨拶してきたのは、小柄で線の細い美少年。
ズボンを履いていなければ、女子にしか見えなかったであろう。
「こんにちは」
「隣の席、使ってもいいですか?」
「どうぞ」
まだクラスで席を決めたわけでもなく、好き勝手に座っていただけなので、何も遠慮する事はないと勧める。
すると、美少年は嬉しそうにハニカミながら彼の隣に座った。
「僕、斑鳩一樹って言います」
「空知宗次だ」
「はい、よろしくお願いします」
ぶっきらぼうな宗次の挨拶にも、美少年こと一樹は笑みを絶やさない。
それをジーッと見ていた映助は、神妙な顔で切り出した。
「なあ、一つ聞いてええか?」
「はい、何でしょう」
「自分、本当は女やろ」
「……はい?」
一瞬、何を言われたのか分からず固まる一樹。
その細い肩を、映助は荒々しく掴む。
「女なんやろ!? サラシで隠しとるけど実はボインちゃんで、うっかりシャワーを覗かれて『きゃー、エッチ!』みたいなトラブル展開なんやろっ!」
「な、何を言ってるんですか!? 違います、僕は男です!」
「そんなら、ちょっと胸と股間を触らせて貰おか? 男なら平気やろ?」
「男だって嫌ですよ!」
「ええやないか、先っちょ、先っちょだけやから、な?」
「嫌だ、やめてーっ!」
と一樹が悲鳴を上げたところで、宗次の英和辞典アタックが映助の頭に叩きこまれた。
「落ち着け」
「きょ、兄弟、せめてノートにしてや……」
椅子から転げ落ちて涙目の映助を、憐れに思う者はクラスに一人もいなかった。
「よく見ろ、一樹の骨格は男だろ」
「わぁ、分かってくれるんですか!」
武術家特有の観察眼で見抜いた宗次に、一樹は感動して目を輝かせる。
「僕、何故か今みたいに女の子に間違われる事が多くて、困っているんですよ」
「……何故か?」
いや、誰がどう見ても美少女に間違えるだろう――と、映助を含むクラスの大半は心の中でツッコム。
「それで、宗次さんみたいに男らしくなりたいなって、えへへっ」
「…………」
照れてはにかむ一樹を、宗次は暫し黙って観察する。
そして、肩を優しく叩いて告げた。
「諦めろ」
「えぇぇぇ―――っ!?」
「そうや、諦めて一樹たんはワテの嫁に――」
「だから落ち着け」
涙ぐむ一樹を慰め、まだ錯乱している映助の頭に再び辞典を落とす。
そんな無駄話をしていると、スピーカーからチャイムが鳴り響き、見計らったように教室の扉が開いた。
入って来たのは、ジャージがはち切れんほどの筋肉をまとった、角刈りの大男。
「私が諸君らの担任、大河原大馬だ」
「なんでやねぇぇぇ―――んっ!」
無難な自己紹介に全力でツッコンだのは、言うまでもなく映助である。
「A組はムチムチの女王様系女教師なのに、何でワテらはむさ苦しいオッサンやねんっ! リコールや、せめて京子先生を連れて来いっ!」
男子ならば思わず心の中で頷いてしまう、熱い魂の叫び。
それに、大馬は黙って映助の元まで歩みより――
「ふんっ!(ゴキッ)」
「あべしっ!」
スリーパーホールドであっさり絞め落とした。
「…………」
唖然と固まる生徒達に、大馬は低いがよく通る声で告げる。
「諸君、勘違いしてもらっては困るが、ここは普通の学校ではない、CEからこの国を守り抜く戦士を育てる養成所だ。あまり馬鹿をすると体罰も辞さないので覚悟しておくように」
「……はい」
鍛え上げられた兵士の鋭い瞳で睨まれては、ただ頷く以外に選択肢はなかった。
教室が静まり返るなか、宗次は床に倒れた映助を起こし、両肩を掴みながら膝で背中を押すという、時代劇でよく見る方法で目覚めさせる。
「げほっ……はっ、金髪のお姉ちゃんはどこや!?」
「もう一回寝るか?」
幸せな夢を見ていたらしい映助の首に、大馬の太い腕が再び巻き付く。
「ひぃ! 堪忍やゴリラ先生!」
「それが謝る態度かっ!(ギリギリッ)」
「ぐえええぇぇぇ―――っ!」
気絶しないがとても苦しい、絶妙な加減で絞められ、潰れた蛙のような悲鳴が鳴り響く。
「元気だな」
「いや、これは元気って言うか……」
ただのアホだ――と、宗次以外のクラスメートは揃って思うのであった。
「さて、時間を無駄にしたが、早速授業を始めよう」
白目を剥き、口から魂を吐いている映助は放っておき、大馬は教壇に立って皆を見回す。
「まずは入学おめでとう、諸君はこれからエース隊員として訓練を積み、CEからこの日本を守る任務に就く。当然だが危険な任務だ、命を落とす危険性もある」
ゴクリッと誰かが唾を飲み込む音が、妙に大きく教室に響いた。
「正確に言えば死ぬわけではないが、死ぬよりも辛い状態になるだろう」
大馬はそう言いながら、教壇の下からノートパソコンとプロジェクターを取り出す。
暫し無言で操作した後、黒板に映し出されたのは、ベッドに横たわる痩せ細った患者の姿。
「CEの攻撃を受けた者は、意識不明の昏睡状態に陥り目覚めなくなる。今のところ治療方法は見つかっていない」
生気を失った瞳でただ天井を眺め、腹に穴を開けて管を通し、胃に直接栄養を送り込まれながら、排泄の世話をして貰う存在。
それは果たして、人間として生きていると呼べるのか。
自分がそうなった姿を想像し、生徒達の顔は一斉に青ざめる。
「CEの攻撃はレーザー兵器のような光線で、速くて避けるのは難しい。ただレーザーと違って射程は三十m前後と、拳銃と大差ないのが救いだ」
続いて映し出されたのは戦場の光景。
非現実的な六角形の結晶体が、中心の赤い球体から光を放ち、それを浴びた市民が耳を覆いたくなる絶叫を上げて倒れこむ。
「これはピラーが出現した長野県松本市で、当時そこで撮影していたテレビカメラマンが、衛星通信で局に送ってきた貴重な映像だ」
「あの、その人は……」
「死んだろうな、幸運な事に」
「…………」
大馬の重い答えに、質問した生徒は余計な事を聞いてしまったと俯いた。
CEの攻撃を受けても、意識不明になるだけで直接命には関わらない。
だが、自ら動く事ができなくなった人間が、救助されず野晒しのまま放置されて、いったい何日生きられるだろうか。
「ピラーを中心に撮った衛星写真も有るが……見ない方がいい」
見るか?――と聞く事すらはばかられる、地獄がそこには映っているのだろう。
地面に打ち捨てられ白骨化した何十万もの死体と、その周囲を漂う場違いなほど綺麗な結晶体の群れ。
「うぐ……っ!」
想像してしまった女子の一人が耐えきれず、口を押えて洗面所に走ったが、大馬も他の生徒も彼女を責めなかった。
「CEの攻撃は貫通性が高く、防弾ジャケットやライオットシールドの類では防げないが、戦車の装甲や分厚いコンクリート壁なら防げるようだ。アサルトライフル以上、アンチ・マテリアルライフル以下の貫通力と覚えておくといい」
「先生、その比喩は分かり難いです」
「おっと、すまなかった。とにかく人間の装備では防げないと思ってくれ」
宗次がツッコムと、大馬は苦笑しながら訂正した。
「ただし、諸君らが身にまとう『幻子装甲』は別だ。これならばCEの攻撃も十数発は耐えられる」
それを聞き、重い空気に潰れそうだった生徒達から、ほっと安堵の溜息が漏れる。
「散々脅したが、諸君らエース隊員が倒れる事はまずないだろう。今は生徒の数も増えて、余裕のある戦いが出来ているからな。実際、昨年は一人も犠牲者が出ていない」
市民や自衛隊員の被害も、CEの情報が無かった最初期こそ甚大なものであったが、行動パターンや対処方法が確立された今では、ほとんどゼロに抑えられていた。
「しかし、戦場に絶対は無い。昨日までが安全でも、明日も安全な保障は無い。命の危険がある事を忘れず、常に気を引き締めて任務に当たって欲しい」
そう告げて、大馬は無骨な笑みを浮かべた。
D組の生徒達も、その笑みを見て安心する。
彼は厳しい教師だが、自分達の身を案じてくれる優しい先生でもあるのだと。
「では、CEに負けない体力を作るため、今からグラウンドを五十周だっ!」
そして、見た目通りの体育会系で、鬼コーチなのだと知った。
「「「えええぇぇぇ―――っ!?」」」
「文句を言う暇があったら、さっさとジャージに着替えろ。遅れた者は十周追加だ」
急げと手を叩かれ、生徒達は慌てて立ち上がった。
「まずい、ジャージは部屋に置いてきたんだけどっ!?」
「陽向ちゃん、私と一緒に寮まで走るですよ~」
「ま、待って、私も……」
女子が慌てて寮に戻るなか、宗次は素早く着替えを終え、ようやく意識を取り戻した映助の肩を叩く。
「行こうか」
「……地獄にか?」
珍しく面白い冗談だなと、宗次は笑みを浮かべるのであった。