第97話 零れ落ちた星屑
「どうして?」
反乱に参加したのか、こんな事をしたのか。
問いかける宗次に、麗華が応えたのは短い一言。
「武装化」
白き聖槍ロンゴミアントを呼び出し、穂先を彼に向ける。
だが、宗次は口を閉じなかった。
「貴方は、知っていたはずだ」
そう、麗華だけは分かっていた筈なのだ。
「天道寺英人しか、英雄になれないと」
何故なら、彼女自身がそう言っていたのだから。
――そう、ボク達は英雄に成れない。だって、英雄は一人だけだからね。
特高で初めて授業を受けた日の昼休み、浮かれていた新入生達に向けて、自分達は兵士にすぎないと、夢を見ても傷つくだけだと忠告してくれたのだから。
「……敵わないな」
覚えていてくれた事が嬉しくもあり、見透かされた事が悔しくもあり、麗華は複雑に笑いながらも宗次の指摘を認めた。
「でもね、全部を知っていた訳じゃないよ。ただ、英雄になれるのは刹那さんの弟だけだって、聞こえてしまったんだ」
それは今年の一月、変換器用の充電器が壊れてしまい、替えを貰おうと彼女は夜中に校舎へと向かった。
職員室に明りが灯っており、扉に手をかけた彼女の耳に、中に居た職員達の話し声が聞こえてしまったのだ。
――あと三ヶ月で、天道寺英人が入学か。
――あぁ、ようやく『英雄』が来る。本当に長かった……。
夜中の校舎で生徒はいないと、油断から漏れた言葉であった。
とはいえ、計画に関する詳細を漏らした訳でもない。他の者が聞いたなら、新入生に天道寺英人、おそらく刹那の弟が選ばれたとしか思わなかっただろう。
事実、麗華も最初はそう思った。
けれど、ノックをして職員室に入った時、中の職員達が妙に慌てた事から不審を抱いた。
そこからはただの直感である。彼女達エース隊によって、自衛隊の弾薬不足がマシになったとはいえ、ピラーを破壊する手段もなく、勝っているのに負けていく消耗戦を繰り返し続けているのに、職員達の顔に希望の光が灯っていたのを見て気付いた。
「そうか、先生達が待っていた『英雄』は、私達じゃなかったんだ、ってね」
気付いた当時と同じように、苦い笑みを麗華は浮かべる。
証拠もない推理は、入学式に見せられた聖剣の光によって確信へと変わった。
だから、彼女は計画の全容を知らずとも、宗次達に忠告したのである。
英雄になれるなんて夢を見るな、『特別』に選ばれたのはボク達じゃないと、自分にも言い聞かせるために。
「まさか、自分達が踏み台とまでは思わなかったけれどね」
また苦い笑みを浮かべる麗華に、宗次も再び問いかける。
「分かっていたなら、どうしてこんな事を」
全てではないにしても、察して心構えをしていた彼女ならば、他の三年生達ほど怒り狂う事もなく、反乱を起こそうとも思わなかった筈ではないか。
そう告げる宗次に、麗華は悲しそうに首を横に振った。
「買い被りだよ、ボクはそんな立派な人間じゃない。世のため人のためになんか戦えない、自分が一番大切な普通の人間さ」
惚れた男が他の女を見ていたら、嫉妬を剥き出しにして邪魔をしてしまう、そんなどこにでも居るただの女。
そう自虐する麗華を、宗次は否定する。
「なら何故、こんな失敗が見えた事をしたんですか」
「…………」
麗華の沈黙は、図星を突かれたからこその肯定であった。
京子だけでなく、寮長達を見逃して反乱をあっさりと悟られた不手際。
それに何より、真相を暴露して英雄を引きずり下ろすだけなら、指揮所を襲撃して職員達を捕らえる真似も、屋上で堂々と宣言する必要もない。
ネットに書き込むのでも、新聞社や雑誌社にネタを垂れ込むのでもいいから、真相を拡散すれば良かったのだ。
もちろん、それを悟った政府や特高によって揉み消される可能性は高いが、それでもやらない理由はなく、少なくともここで叫ぶよりは効果がある。
怒りに任せた感情的な暴力ではなく、計画的な犯行を練る事も出来たはずなのだ。
少なくとも、現場指揮官として二年も皆を率いてきた麗華ならば。
では、どうして失敗が目に見える稚拙な行動に走ったのか、それは――
「君に、止めて欲しかったのかもしれないね」
「なら――」
最初からしなければよかった、相談してくれればよかったのに。
そう訴えようとした宗次に、麗華は無理だと頭を振る。
「さっき言った通り、ボクだって本気で怒っていたのさ……それに、皆を裏切るような真似は出来なかった」
自分の両親や兄達のように、何も知らずに生きている人達の事を思えば、英雄を引きずり落として希望の目を潰すなど出来ない。
けれど、二年間を共に戦い抜いた親友達の怒りも、痛いほど分かっていたから。
麗華は結局、退く事も進む事もできず、中途半端に立ち尽くしてしまったのだ。
「皆を思えばこそ、説得して止めるべきだったのかもしれない。けれど、ボクはそこまで大人になれなかったんだよ」
そう言って、麗華は聖槍を構えた。
例え敵わぬと知っていても、ここで槍を捨てるのは仲間を裏切る事になる。
悲壮な覚悟を見せる麗華に、宗次も蜻蛉切を構える事で応えた。
「…………」
かつて、共に夜空の星を見上げた屋上で、二人は互いに槍を向けて対峙する。
風が吹き、先に動いたのは麗華の方であった。
「はっ!」
気合と共に繰り出された速く鋭い突きを、宗次は蜻蛉切を捨てて身軽になる事で紙一重で避け、そのまま前に踏み出してくる。
(無槍取りっ!?)
かつての対決で敗れた技、それが来ると思った麗華は、聖槍を奪われないよう強く握り絞めた。
けれど、そうして硬直する事こそが宗次の狙い。
彼はさらに地を蹴り、息が掛かる程の距離まで詰めて、聖槍を握る麗華の両手を掴む。
「すみません」
謝りながら、彼女の幻想変換器についたスイッチを三回押した。
手の中で聖槍が光の粒子となっていくのを感じながら、麗華は間近で彼の両目を見詰める。
「傷つけては、くれないんだね?」
「はい」
恨めしそうな問いに返ってきたのは、真っ直ぐな一言、そして――
「抱きしめて、キスはしてくれないんだね?」
「はい」
目尻を濡らした懇願にも、宗次は誤魔化さずに答えた。
「そうか、仕方ないね……」
彼の心に他の少女が居たとしても、まだ目は残っていたのだろう。
真相を知ったあの時、彼の胸に泣きついて、全てを打ち明けていれば良かったのだろう
けれども、麗華自身が彼ではなく、仲間達を選んでしまったのだから。
それでも想ってしまうのだ。どこにでも居る詰まらない『凡人』でも、彼の『恋人』になれたのなら、どんなに満たされた事かと。
「あぁ、本当に悔しいな……」
麗華は大粒の涙を零し、そして子供のように大声を上げて泣いた。
叶わなかった恋を嘆くその声は、誰が聞いても女の子らしく、そして胸が裂けるほど辛い響きで。
起き上がっていた三年生達も、校庭で見上げていた他の生徒達も、事件の事など忘れたように、ただ聞き入るしかなかったのであった。
「盛大にフラれましたわね」
「やめてくれたまえ」
意地悪な笑みを浮かべる親友こと愛璃に、麗華は真っ赤になって手錠のかけられた手を振った。
屋上の五名も、指揮所を占拠していた残り五名も投降し、幻想変換器を没収されて手錠を掛けられ、護送車代わりの装甲車に乗せられている所である。
何故これほどスムーズに三年生達が投降したのかというと、屋上での会話が全て放送されていたせいであった。
宗次が頭に着けていた物や、浩正達が放送のために使っていたヘッドセットのマイク。
それらが拾っていた音声を、京子が機転を利かせてスピーカーから全校放送していたのである。
緊迫状態であった屋上の面々は気付いていなかったが、指揮所の三年生や職員達、校舎の前に集まっていた生徒達と、全ての人達に宗次の決意、そして麗華の仲間を思う気持ちと悲恋が伝わっていたのだ。
それに心を打たれたのに加え、立て籠もった所で後が無いのは分かっていたのだろう。
指揮所の五人も大人しく投降し、結果的に生徒側は被害なし、教師側は重傷者三名でこの反乱騒ぎは終わった。
「親友の私に何も言わず心配させたんですもの、これくらいの嫌味は許しなさい」
「……悪かったよ」
「せいぜい、臭い飯を召し上がって反省なさいな」
愛璃はそう脅すが、麗華達十名の生徒は牢屋に入れられる訳ではない。
流石に特高には置いておけないので、新町駐屯地の自衛隊員寮で、監視つきで軟禁される事になっていた。
それとて、『機械仕掛けの英雄』計画が成就して、長野ピラーが破壊されて情勢が落ち着くまで、せいぜい一ヶ月程度で解放されるだろう。
自衛隊員の罰としては軽すぎる処分であるが、エース隊員は正式な自衛隊員とは言えないし、子供である上に利用していたという負い目もある。
怪我を負わされた担任の日森と、そして綾子が彼女達の処分を求めていないのだから、防衛省や自衛隊本部も敢えて厳罰を処す気はなかった。
もちろん、ここで厳しい処分を加えれば、不満を抱いたエース隊がまた反乱を起こして面倒な事になると、打算もあっての事ではあるが。
「お勤めが終わりましたら、必ず私の屋敷にいらっしゃい。最高のダージリンをご馳走致しますわ」
「それは楽しみだね」
ようやく笑みを浮かべた麗華に、愛璃も笑い返してから、奥に座った九人に目を向ける。
「浩正さん達も、必ず飲みにいらっしゃいね」
時には衝突する事もあったし、今回のように道を違えた事もあるけれど、それでも私達はかけ替えのない戦友なのだからと、彼女は生徒会長に相応しい微笑みを送る。
「愛璃……」
「では、待っていますわよ」
護送に来た新町駐屯地の隊員に目くばせされ、愛璃は名残惜しくも装甲車から離れると、閉まる後部扉に向かって手を振り続けた。
そうして、十名の生徒が運ばれていく横で、綾子も救急車に乗せられ運ばれていた。
「随分ブサイクになりましたね」
「うるさい」
付き添いで一緒に乗ってきた京子の毒舌に、綾子は言い返してから痛みに顔を歪めた。
防衛大学校で教え込まれた格闘技により、無意識の内に打点を逸らし防御していたお陰で、命に関わる怪我はない。
とはいえ、殴られた頬は青黒く晴れ上がり、踏みつけを受けていた両腕は折れ、蹴られた肋骨にも何本かヒビが入っているだろう。
「あんな挑発するような事を言って、殴られて当然ですよ」
酷く心配をかけられた分、京子の言葉にも遠慮がない。
もっと上手く出来なかったのかと、責める目で見下ろしてくる後輩から、綾子は気まずそうに顔を逸らした。
「……いっそ、殺して欲しかったんだよ」
そう告げる声は、ただただ疲れ切っていた。
子供達を戦わせるだけで、自分は戦う事もできず、他国や無能な味方から邪魔をされ、それでも日本を救うためと、身も心もすり減らしてきた大人の嘆き。
「子供に人殺しの罪を背負わせるなど、自衛官としても教師としても失格なのにな……」
分かっていたのに、溜まった鬱憤を止められないほど、ただ疲れ果てていて。
今にも自ら頭を撃ちそうな綾子の額を、京子は思い切り殴りつける。
「痛っ!」
「痛いと思うのは生きている証拠ですよ」
厳しい顔でまるで医者のような事を言うと、急にしおらしくなって綾子の手を強く握った。
「先輩が死んだら、刹那が悲しみます」
「……卑怯者め」
その名を出されては、安易に死ぬ事すら許されない。
両腕が折れているので目元を隠す事もできず、綾子はただ静かに一筋の涙を零した。
こうして、特高で起きたエース隊の反乱事件は、表沙汰になる事なく幕を下ろした。
しかし、一応の収束はみたものの、真相が暴かれて生徒達の心に広がった影は大きく、幻想兵器が使えなくなるほど精神状態が低下する者達が続出していた。
この日を限りに、エース隊は事実上の終焉を迎えたと言えるだろう。
はたして、この事でいったい誰が、どんな得をしたのか。
槍使いの少年がそれを知るのは、もう少し後の事。
ただ、直ぐに気付いた事もある。
この日より、イギリスからの天真爛漫な転校生、シャーロット・クロムウェルが笑わなくなったのであった。




