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第96話 英雄の資格

「空知君、ちょっと待って!」


 京子の呼び声がして、宗次は廊下を駆け戻る。


「どうしました?」

「支援するわ、これを持っていって」


 窓を飛び越え保健室に戻った京子が手渡してきたのは、通信用のヘッドセット。


「ありがとうございます」


 宗次は受け取って頭に着けると、再び廊下に出て階段を駆け上る。


『映像を出すわ』


 耳元で京子の声が響くのと同時に、左目を覆う透明ディスプレイに映像が流れた。

 英雄の命を狙った他国の工作員が、空から降下作戦を行ってきた時のためにと、万が一だが設置しておいたカメラによって、屋上の光景が映される。

 フェンスの傍で倒れ込んで動かない綾子と、彼女の様子を見ている麗華。

 それを見下ろし肩で息をしている浩正と、少し離れた場所で複雑な表情を浮かべた三人の三年生達。

 彼らの位置関係を把握しながら、宗次は屋上の前に辿り着く。


「気を逸らせませんか?」


 いくら彼でも、二年もの戦闘と訓練で鍛え上げられた五人の戦士を、真正面から一人で制圧するのは難しい。

 人質のない状況で、相手の命を考えないなら話は別だが。

 策を求められた京子は、僅かに考え込んでから頷き返す。


『少し待って』


 そう言って、手元のノートパソコンを操作すると、校舎のシステムに介入していった。





「浩正、そこまでにしておきたまえ」


 綾子を殴り倒し、数度蹴りつけた所で、麗華は肩を掴んでクラスメートを止めた。


「止めるなっ! こいつが俺達を騙した首謀者なんだぞ!」

「分かっているさ。けれど、皆が怯えている」


 激高する浩正にそう言って、麗華は背後の三人を見た。

 彼らの顔に浮かぶのは、裏切者が報いを受けた事への愉悦と、暴力への純粋な嫌悪と恐怖。

 校舎の前で見上げている他の生徒達も、似たような感情を抱いていた事であろう。


「皆を説得するのだろう? 『正義』が人殺しをするものじゃないよ」


 まずは共に戦ったエース隊員達、そして世間の人々に真実を伝え、偽物の『英雄』の仮面を引き剥がし、綾子達の悪行を知らしめる。

 そうして悪を暴くのなら、彼女達は『正義』の側でないといけない。


「……そうだな」


 仲間達の中でも、特に英雄や正義の味方に憧れており、だからこそ今回の件で一番傷つき激怒した浩正である。

 麗華にそう指摘されては、一端矛を収めるしかなかった。


「まったく、君の(げき)しやすい所は二年前から変わらないな」


 だが、誰よりも勇猛であったからこそ、皆を引っ張る分隊長に選ばれたのでもあるが。

 麗華は苦笑しながら膝をつき、倒れた綾子の様子を窺うが、顔や腕に酷い怪我を負ったものの息はしていた。

 それを確認し、僅かに胸を撫で下ろした瞬間である。


 ウゥーッ、ウゥーッ!


 この二年間で何十回と聞き、耳と体に染み込んだサイレンが、学生寮の方から鳴り響いてきた。


「CEだとっ!?」

「こんな時にっ!?」


 屋上の全員が反射的に寮の方を見てしまう。

 その方角は屋上の出入り口とは反対方向、つまり入口に背中を向ける事となる。

 だから、うるさいサイレンの音も合わさって、扉が開いて槍使いが駆けてきたのに気付かなかった。


「なっ……がはっ!」


 一人目の男子は、背後からいきなり膝を払われて転倒した所に、蜻蛉切の石突で鳩尾を突かれて悶絶した。

 鋭い穂先の方でないとはいえ、訓練用の制限を解除されて本領を発揮した、幻想兵器による全力の殴打である。

 幻子装甲を貫通して衝撃を通す程度はわけもなかった。


「なにっ!?」


 仲間の苦悶と変換器から鳴り響いた警告音に、慌てて振り返った二人目の女子は、顎を掌底突きで打ち抜かれて膝から崩れ落ちる。

 幻子装甲を重ねた集中幻子拳による掌底突きである、脳震盪を起こして一分は立ち上がれない。


「くっ、武装化っ!」


 三人目の男子は素早く反応し、己の幻想兵器である赤枝の槍・ゲイボルグを取り出すが遅すぎた。

 身構えるよりも早く、槍使いが蜻蛉切の石突で彼の右手を叩く。


「――っ!」


 痛みに彼の手からゲイボルグが零れ落ち、そこを逃さず石突によるアッパーが顎を襲う。


「ぐあ……っ!」


 彼も先程の女子と同様、脳震盪を起こして倒れ込む。

 いかに強力なゲイボルグを持とうとも、真の所持者であるアルスターの英雄のように、使いこなせる技量が無ければこうも脆い。

 ものの十秒で三人が倒され、残る三年生は浩正と麗華の二人だけになっていた。


「な、何でお前が……っ!?」


 驚愕の叫びを上げる浩正の前で、槍使いこと宗次は気にした様子もなく、倒れた三年生達が動いて傷つけないよう、右腕を踏んで固定しながら幻想変換器に蜻蛉切を振り下ろした。

 黒い金属の腕輪が切り裂かれ、中の欠片が砕かれる。

 そうして三人の無力化を終えてから、宗次は改めて浩正と、そして麗華と向き合った。


「止めに来ました」


 死なせたくないし、殺させたくもないから。


「……っ」


 強く思いやりに満ちた瞳で見詰められ、麗華は耐えかねたように目を逸らすが、浩正の方は違った。


「何でだよ……お前だって、お前こそがムカついてるはずだろうっ!?」


 それは彼だけでなく、下で見守っていた映助達も、誰もが抱いていた疑問であろう。


「あのいけすかない偽物野郎に、二度も勝ってた決闘を負けた事にされて、周りの馬鹿女どもに好き放題悪口を言われて、腹が立ってたんだろっ!?」

「…………」

「お前なら……お前なら『英雄』にだってなれただろうっ!?」


 無言で耳を傾ける宗次に向かって、浩正は血を吐くように叫ぶ。

 そう、二年間も戦い続けてきた中で、彼だって本当は気付いていたのだ。


「俺は『英雄』になれなかった……」


 浩正は己の幻想兵器、魔剣バルムンクを呼び出しながら歯軋りする。

 英雄ジークフリートの剣を手に入れても、彼は無敵の肉体を手に入れた訳ではない。

 まして、ピラーという強大な敵(ドラゴン)に立ち向かう勇気を得た訳でもない。

 仲間達と一緒に、襲い来るCEをただ倒し続ける、最初は恐ろしくも興奮した、だがいつの間にか単調な作業と化した日々を繰り返してきただけ。


 それは決して卑下する事ではない、英雄の登場まで日本を守り抜いた、誇り称えられるべき功績である。

 けれど、彼はそこで満足してしまった。

 ピラーを倒すために強くなろうなんて考えなかった、より強力なCEが現れた時のために技を磨こうなんてしなかった。

 だって、彼は自分が『英雄(とくべつ)』でない事を知っていたから。


「けれど、お前なら……っ!」


 悔しさと嫉妬で目尻に涙を浮かべながら、浩正は羨望の眼差しで宗次を睨む。

 空壱流槍術という特別な技を身に着けて、無数の六角柱型CEを一人で屠り、正二十面体型、両刃剣型、人間型、そして刹那CEという強く恐ろしい敵達を、ことごとく打ち倒してきた彼ならば。

 特別な生まれと強力な力、それで築いた多大な功績があれば――


「英雄にだって、なれただろう……?」


 普通の生まれで、特別な技量も無く、ただ感情的で少しの適正があったために、運よくエース隊に選ばれた浩正達と違って。


「なのに、何で邪魔をするんだよっ!」


 天道寺英人を『英雄』から引きずり降ろせば、お前が取って代わる事だって出来るだろうと、浩正は叫ぶ。

 無論、これは彼の誤解にすぎない。元准教授は感情的で思い込みが激しくなければ、幻想兵器の力を引き出せないという事を、細々と説明はしなかったからだ。


 槍使いの強さはその技量と身体能力、常に冷静であり頭の回転が速い事にある。

 胸に燃える闘争心のために、何とか蜻蛉切を使えているだけで、決してピラーを破壊できる『英雄』という願望の器にはなれない。

 ただ、そんな理屈を語ったところで、浩正は納得しなかったであろう。

 そして、宗次が告げたのも理屈ではなく、純粋な己の気持ちであった。


「俺は、英雄になりたくて、ここに来たわけではありません」


 それは、宗次が麗華と初めて出会った時に告げた言葉。


「じゃあ、何のために……?」


 震える声で問う浩正に、宗次はあの時から全く変わらない心を口にする。


「俺は爺ちゃんや婆ちゃん、村の皆という、身近な人達を守りたくてここに来ました」

「…………」

「そして、クラスの皆や先輩達、ここで出会った皆を死なせたくなくて戦ってきました」


 CEに怯えなくてもいいように、少しでも早く平和が訪れるように、だから――


「この戦いが終わるなら、俺は踏み台でも構わない」


 天道寺英人を輝かせるために、踏みにじられ罵詈雑言を浴びせられようと、それで大切な人々が笑って暮らせる日が来るのなら、喜んで捨て石になれる。

 それが、空知宗次という槍使いの決してぶれない心の柱。


「お前は……」


 浩正は激し嫉妬と羨望を浮かべながら、どこかで聞いた言葉を思い出す。


 ――正義の味方を目指した時、そいつは正義の味方である資格を失う。


 英雄も同じだったのだ。

 誰かに褒められたい、誇れる自分になりたい、それは決して咎められるような気持ではない、誰もが持つ普通の感情。

 けれど、『凡人(ふつう)』では『英雄(とくべつ)』になれない。

 残された弟のため、怯える人々のため、怖くても戦う道を選んだ少女のように、彼らが憧れた聖女のように、才能や技よりも、何よりも心が『英雄(とくべつ)』でなければ。


 だからこそ、彼らは最後で道を踏み外してしまったのだろう。

 この二年間、日本を守り続けてきた立派な『戦士(とくべつ)』から、怒りと憎しみに負けてしまった『報復者(ふつう)』へと。

 それが分かってしまったからこそ、浩正は泣くように叫びながら、宗次に向かって飛び掛かった。


「うわあぁぁぁ―――っ!」


 倒れた綾子にトドメを差すという選択を取らなかったのは、最後に残った戦士の矜持であろう。

 上段から振り下ろされた魔剣バルムンクを、宗次は蜻蛉切の柄で受け流す。

 そして、勢いあまって刃が屋上の床に突き刺さり、動きが止まった浩正の顎を、石突で叩き上げた。


「ちくしょう……」


 崩れ落ちた浩正の頬を濡らす涙には、いったいどんな感情が込められていたのだろうか。

 宗次は何も言わず、ただ悲しそうに顔を歪めながら、彼の幻想変換器を切り裂く。

 そうして、最後に残った麗華と向き合うのであった。

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